【三章】鬼さんこちら
「ーーー楽しそうだな、其処な獣よ」
雲間から届く一筋の月光・・・ーーまるで蜘蛛の糸のように地上へと垂れた刹那、私は全てを断ち切った。
女神が施す慈悲も、それに縋る罪人も払い除け、傍若無人に振る舞い、己が愉悦の為に女の細首へ手を掛けるその腕を寸断した。
ラヴィーナが地面へと倒れるのを横目に、全神経は敵対する魔物へと向け続ける。
片腕を失った魔物は、低く呻きをあげ、牙をむいて周囲を威嚇する。
相手の隙を探し、ジリジリと円を描いて互いに倦むことなく間合いを詰めていく。
此方を遠巻きにして、冒険者含む今回の魔物狩りに参戦した者達が松明を灯し、事態を静観していた。
手出しをしたくとも、この魔物の足下で苦痛に蹲るラヴィーナの存在が、彼等の行動を抑える要因であった。
更に言及すれば、彼等は一様に魔物の醜悪さに息を飲み、魔物から立ち上る毒にも近い怒気に威圧され、固唾を呑んで見守るしか出来ないでいた。
緊張をはらむ一時は、一陣の風が木々を揺らしたことで終焉を迎える。
愛用していた剣を振り上げるよりも前に、魔物が後方へと飛び跳ね、人垣を越えて闇へと姿を晦ました。
唖然として闇へと視線だけを追う彼等に、私は声を荒らげて正気に返す。
「何をしている、追うぞ!!」
躊躇する程の濃い闇は、夜目のきかない人間には不利だ。
味方が着いてくるに構わず、私は一直線に魔物が投じた闇へと足を踏み入れた。
夜目がきくのは獣や魔物ばかり、それ即ち、闇夜は人の領分ではないということ。
だが、そんなこと知ったことではないと、一切逡巡せず森を駆けた。
獣の鳴き声、気配、森の息づく様を全身で認識し、魔物を追尾する。
長年培った経験、鍛錬によって出来る芸当だ。しかし、目に見えるものばかりに頼り、後方でまごつく味方に内心呆れを抱かずにはいられない。
足でまといが増えるくらいならばと速度を上げたが、その足も異変を感じ取ったことで歩みを止めた。
花の濃い香り、深呼吸するだけで甘い芳香が肺にたまる。身体中にまとわりつくような不快感に眉を顰めた。
草木を揺らす強風が吹いて、月を覆い隠す雲が動く。月光が花畑に降り注ぎ、咲き誇る花々が青白い花冠を震わせた。
アスネスと呼ばれるその花は、花弁を煎じれば睡眠薬にも精神薬としても使用される。
アスネスの特徴はただ一つ、「安らかな眠り」である。
可憐な見た目は、女子供から人気のある見目をしている。だが、この甘やかな香りを嗅ぎ続けると意識を失ってしまう。ほんの少しであれば問題も無いが、最悪、死に至る場合もある。
花から離れれば1日程度で目覚めることができるものの、アスネスと気付かず枕元に生けておくと、睡眠薬に近い香りが常時体内に取り込まれる為、目覚める事なく衰弱死するのだ。
過去、多くの人間が好意を抱く異性ーーこの場合は、男性から女性にこの花を贈り、多くが亡くなった。
故に、『乙女の死』という異名を持つ。
眠姫となる原因を追求した結果、アスネスであることが判明し、今では専門の薬師によってでしか栽培されていない。
大体が治療用途での栽培である。
一本であれば問題無いが、このように群集し、空気の篭もった場所では、厄介な代物と言えた。
ーーもって半時という所か。
花畑へと視線を移し、そこにアルレルトを抱き佇む魔物を睨めつけた。
アルレルトは死んだように眠り続けている。
遠目から、上下に動く胸を確認し、臨戦態勢に移った。
アルレルトがこの花畑に入ったのが数刻前、じわじわと蝕むアスネスの毒が体に溜まりつつある頃合いだろう。
「その子供、獣の手におえるものでは無いぞ」
魔物は濁った目玉をギョロりと動かして私を認識した。
ボタボタと無くした片腕から、穢らしい闇色の血を流して花々を染め上げていく。
皮膚は赤く、瞼のない目玉が露出した形相は皺が刻まれ、口は裂けて牙が覗き、猿というより既にそれは異形。
虎の四肢にも血が付着して、何処も彼処も悪臭を放っている。
その醜穢な様に、無意識に眉間の皺がよった。
この魔物は、コボルトやゴブリン等のありふれた種ではなく、新たに自然発生した変異種であった。
変異種は総じて知能が高い。個体によっては、人との意思疎通も可能とする。そして、この魔物と違わず、狂暴的で特殊な能力を隠し持っていることが多い。
故に、人間が疎通を取るなど出来ようはずがなく、極めて厄介な存在といえた。
『ーーーー・・・・・・・・・ダ』
魔物が呟く。
自然の音に阻まれて聞き取れず、剣先を向けて再度促す。
魔物は赤い舌をダラりと垂らして、喜色を浮かべた。
『ア゛ルレル゛トは・・・美味ぃん゛ダぁ』
怖気が走るとは正にこのこと。
皮膚が裂けんばかりにびりびりと震え、私は舌を噛むことで気を逸らした。
魔物は涎をしとどに零しながら、アルレルトに対して恍惚とした目を向けていた。
私は口から顎へと流れる血を袖でぞんざいに拭い、一つの結論に至った。
これ以上、言葉を重ねるは無意味。
此方の精神を犯す程の狂気をはらんだ言葉など、何も生み出しはしない。
己の足が、手が止まるなら言葉を紡ぐ魔物の命を狩る他無し。
躊躇する必要は無い、と。
そう心に決めると私は直ぐに行動へと移した。
氷の柱を作り出して魔物の四方を囲み、行く手を遮る。
二度も逃亡を許すつもりは無かった。
冷気にあてられ、周囲の花々が凍りつき、潜んでいた獣が飛び出していく。
「場所が、悪いな」
氷よりも、何者も燃やし尽くす煉獄の焔でもって消し炭にしてやりたい所だが、如何せん燃え広がりやすい森では、不容易に発動できない。
自身の足下にも氷柱を作り出し、それに乗って一気に上空へと目指す。
花畑一面を見下ろせる場所から、逃げ道を塞がれ狼狽える魔物へ向かって落下する。
真上から一閃、それは魔物の胴体を分断した。
『がぁ゛あ゛ぁ゛あ゛あ゛あ゛あぁあぁあああぁぁ!!!』
臓腑を撒き散らかせて、魔物は苦痛の叫びを上げ、力任せに氷柱をぶち破る。バキンッと分厚い柱の折れる音を立てて、魔物は再び私から逃げ出した。
「ーーーまだ、動くか・・・・・・」
剣をふるい、血脂を拭う。
しぶとい生命力に驚嘆と呆れも滲ませ、前足を本体に残して分断された虎の胴体を一瞥した。
胴体の切断面から搾った果実のように血液が溢れ出す。
コレだけの攻撃を加えれば、そう長くは保つまいと二足歩行でヨタヨタと逃げる魔物の跡を追う。
花畑を離れ、街へと向かう魔物の足が木の根にかかり地面に倒れ込む。その拍子に、ずっと抱き上げていたアルレルトが硬い地面へと投げ出された。
垂れ流す血と零れ落ちる骨の残滓が辺り一面を汚し、血臭が蔓延していた。
哀れを誘うその姿を苦々しい思いで見やり、介錯の為に再度、柄を握り直す。
「苦しかろう、ここで終わらせてやる」
私の言葉の意味を理解した魔物が地面で藻掻く。
その肩を踏み付けて、首へと切っ先を突き立てようとした瞬間ーー空気が、変わった。
「五月蝿いなぁ」
子供特有の高く明るい声が森に響く。
魔物から足を離し、私は距離を置いた。
声の主は、地面からやおら起き上がると、暢気に体に着いた土や埃を叩き落とし始める。
暗闇の中でも、ぼんやりと浮かび上がる白髪の主ーーアルレルトが口を開いた。
「気持ち良く眠っていたのに・・・・・・。こんな、ベッドもない血生臭い場所では、眠れるものも眠られないーー・・・なあ、そう思わないか、騎士殿」
アルレルトは、ゆっくりと紅い双眸を此方へ向けた。
顔形は確かにアルレルトのものであった。しかし、纏う雰囲気は穏やかに、反して底知れない不気味さを感じさせた。
「貴様・・・、アルレルトでは無いな」
確信を持って告げると、アルレルトはクスクスと何が楽しいのか肩を震わせる。
「・・・別に?アルレルトとして見てくれてもいいんだよ、騎士殿?」
私は息を呑んだ。
その言葉遣いをする者は、過去一人しかいなかった。
忘れられぬ記憶が無遠慮に掻き乱され、鮮やかな色で再生する。
『ーー騎士殿は、弱っちいなぁ』
酷薄な印象を与える顔に、嘘臭い微笑のみを貼りつけて、白髪の男が嘲る。
当時の私は、強さを履き違えた愚かな人間であった。
「・・・・・・っっ、お前は・・・っ!!」
心に染み付いて離れない過去の傷が、ほじくり返される。
愕然とする私に向けて、子供は悪戯を企む顔で人差し指を口元へ当てた。
「その先は、言葉にしない方が良い。言ってしまえば真実に成る。知ってしまえば見て見ぬふりはできない。結果を覆すことはできない。ーーーそれでも、愚かしくも口にするかい?」
懸念していたことが実現して、私は思わず口を噤んだ。
奴の言う通り、言ってしまえば、認めてしまえば、後戻りはもう出来ないことを知っていたからだ。
黙り込んだ私を一瞥して、満足したのか一つ頷くと、無防備に魔物の側へと歩み寄る。
「ーーおいっ!!」
静止の声を掛けるが相手はものともせず、ただ軽く肩を竦めてみせた。
「大丈夫大丈夫。ちょっとの間、この子を貸してくれないか?アルレルトは、弱っちくていけない。なぁ、悪いようにはしないからさ」
「なにをーーー・・・・・・」
地面に横たわり、虫の息である魔物へと奴は手を伸ばし、すいと頭を撫ぜる。
「よくもまぁ・・・こうなってまで仕えてくれた。最後に、望むことはあるか?」
慈愛に満ちた行動に、魔物の虚ろな目が力を宿す。直後、魔物の身体が仄かに輝き出した。
「ーーー邪魔しないでくれないか、大丈夫だと言ったろう?」
アルレルトの肩に私のナイフが刺さる。魔物を殺すつもりで投じたそれは、奴が庇ったことで無意味に終わった。
深くは刺さらなかったようだが、奴は不愉快気に口を尖らせて、それを乱雑に肩から引き抜いた。
「ほらみろ、騎士殿が不容易なことをするから傷付いてしまった。衣服は大事にしないと怒られるではないか」
顰め面で肩に触れ、服に滲む血を確認して苛々した口調で告げる。
「ーーー・・・・・・っっ」
その姿が、あまりにも記憶に残るアルレルトそのもので、それをなぞるように視線が動く。
反射的に反論しようと開口したが、ただ間抜けな面を晒しただけで終わり、結局は諦めて傍観者に徹することとなった。
魔物が微かに発光して、姿形が歪む。
目の錯覚にも思えたそれは、勘違いでも何でもなく、魔物の身体が縮み、或いは膨らみ、やがて女の姿になった。
絹のように細く艶やかな髪の隙間から、目鼻立ちの整った顔ばせがのぞく。その肌は、蝋燭のようにま白い。反面、頬や唇は齧りつきたくなる程、赤く染まっていた。
服の袂からのぞく柔らかな胸、裾からはみ出した肢体全てが男の欲を煽った。
艶女は、はらはらと眼から宝石のような雫を散らせ、奴へと頭を垂れた。
「ーー貴方様の、明日へ繋がる糧になりとうございます・・・」
女が、魔物が示す献身的な態度に、奴は自然と笑みを浮かべてみせた。
「そうか、では契約を結ぼう。そうすれば、君の力は私のものになる・・・・・・。だが、先ずはそうだな、君に名前を贈ろう」
幼い手が女の滑らかな頬に触れた。
「とても美しい見目をしている。君の毒牙にかかった人間は、大勢いただろう。人の心を挫き、傷付け、ただ暴力の限りを尽くし、或いは空腹を満たしてきたんだろう。君からは、沢山の血の香りがする。そんな君の名前を呼ぶ者は、いなかった筈だ。過去の悪虐非道を悔い改める必要は無い。私達はそういう生き物なのだから・・・。人の恐怖の象徴として、君が刻まれるように『彪鬼』別名『アムス・オルコ』と名付けよう」
女の顔には喜色が溢れ出す。
何度も、何度も、自身に与えられた褒美を口ずさみ、これ以上の幸せはないと言わんばかりの満足そうな顔をしていた。
「彪鬼」
子供の口から名を呼ばれ、女は感涙に身を震わせた。
「はい」
喜びの強い甘い声には、奴への媚びる色が多分に含まれている。
「契約を、しよう。汝、彪鬼=アムス・オルコよ。私の糧としてその身を捧げよ。・・・・・・対価として、私は君を忘れない、記憶深くに刻み込もう」
肩の傷に指を捩じ込み、血を擦り付ける。女の額に魔物とアルレルトの混ぜた血で文字を描き、奴もそこへと額を寄せた。
コツリと触れ合う音が鳴る。
「汝、それを望むか?」
「ーーはい、これ以上の喜びがありましょうか・・・」
女の眦から一筋の雫が落ちた。
合わせた額に付着する血が陽光に近い輝きを放ち、目映さに目がくらむ。
輝きは直ぐに収まり、また辺りに暗闇が舞い戻った。
「ーーこれで、契約は結ばれた」
私は止めるべきだと理解していながら、何もしなかった。
否、その選択をしたのだ。
ただ、黙って瞬き一つせず、それをじっと見つめていた。
厳粛な雰囲気も、清澄な山の空気も無く、あるのはただ周囲を満たす静寂と血生臭さのみ。
禍々しさの強い契約は、口出しするのも戸惑われた。なによりも奴の真意を計り兼ねていた。
私は既に理解していた。
言葉にしなくとも、目の前の人間が私達を凌駕する存在であると。
魔物と、それも変異種と契約を結ぶ人間等聞いたことが無い。
それが出来るとするならば、そいつはーーー・・・・・・
それでもやはり、否定したがる私自身がいることも理解していた。
ほらまた、アルレルトの癖が出た。
意図的か、それとも身体がそれに倣うのか、奴は平然とアルレルトのような素振りをする。
目の前の奴を殺すべきなのだ、理解している。頭で理解して、私の心が拒絶していた。
何時からここ迄の情をアルレルトに抱くようになったのか定かではない。しかし、この情が私の足を、手を、止めていることは確かだった。
「・・・さて、騎士殿」
唐突に呼び掛けられ、思考の波が引いていく。
「なんだ」
奴の凪いだ瞳が細められた。
「君達のシナリオ通り、彪鬼には死んでもらう」




