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【三章】闇





そっと瞼を閉じると、女の緩やかな忍び笑いが(おれ)の耳に届いた。


『そう・・・、貴方はそれを選ぶのねぇ』


鈴を転がした甘く響く声は、聞き覚えがあった。

慌てて周囲の闇を見渡すが、闇は沈黙するのみ。

空耳や幻聴か。

(おのれ)を納得させようとするが無意味に終わった。


『ふふ・・・探したって無駄よ。私はここに居て、ここには居ない』



女だ。



あの女だ。


軽快なステップを踏むように軽やかに紡がれるそれは、(おの)が内から聞こえるのか、はたまた周囲からか聞き分けがつかない。きょろきょろと無意味と知りつつも首を回して姿を探す。

『可愛らしいこと・・・、貴方は私の願いを叶えてくれた。ずぅっと・・・ーーー視ていたわ、貴方の中で。いいえ、それだけじゃない、ずぅっと感じていた貴方の心を』


矢張り、あの女だ。


抱擁し、微笑みかけ、願いの代わりに食べることを赦した己の始まり(自我の目覚め)となった女だ。

『あら、喜んでくれるの?それなら、もう少し早くから語りかけていれば良かったわねぇ・・・。勿体ないことをしてしまったかしら?』

心の底から嬉しそうな色が滲む。その声は、何故か記憶に残るものと比べて柔らかく蜜がかかったように甘い。


女の声を聞いて理解した。


(おれ)はこの女に会いたかったのだ。

空腹に任せて取り込んだくせに、女の考えが知りたくてしかたなかったのだ。


どうしてーーー・・・・・・


『簡単なことよ、貴方と私が同じだったから』

女の細い指が顔に触れた気がした。

しかし、それもまた錯覚に過ぎない。女はこの場に存在する筈がないのだ。

誰も(おれ)に触れることはない。

『たかだか魔物如きに、この私が全てを(さら)け出すわけもなし。でも一目見て、貴方が限り無く私に近い・・・いいえ、私自身であったから、私は私に還ったのよ。ただ、それだけ』


(おれ)と女が一緒?


そんな訳ない。

人間と化け物が、同一の存在なんて有り得ない。


『いいえ、有り得るわ。貴方、どうも忘れているようだけれど、私は快楽の為に多くを殺してきたのよ?狂人と罵られ、ある意味で突然変異の化け物に近い存在だったわ。・・・・・・うふふ、でも一緒だったのは、最初のうちだけ。貴方には、心ができて意思を持った。そして何よりーーー・・・・・・』


そこから女に引き継ぎ、幼子が語る。


『僕がいたから、君は今の君になった』


舌足らずな子供特有の高い声が耳朶に響く。

瞠目し、見つめる闇にあどけない幼子の姿はない。


そうか、お前か。

本物の()がいるのか。


『僕は・・・・・・怒ってる。僕のお母さんもお父さんも、みぃんなを食べちゃって。その上、僕の友達まで、君の我儘に付き合わせるの?』

友達の一言に、頭からすっかり抜け落ちていたアルレルトの重みを思い出す。

怒っていると言うわりに、纏う雰囲気は生前のそれと同じく穏やかだ。

純一無雑な子供を抱き抱える両親、愛おしげに頭を撫ぜる父、温かい眼差しで見守る母の姿が脳裏を過ぎる。


『羨ましかったんでしょ?』


そんなことはない。


ただの子供相手に(おれ)が羨むこと等、ありはしない。


(おれ)はただ・・・・・・・・・


『君は何より、僕になりたかったんだ』


(おれ)は・・・・・・・・・・・・

・・・・・・ただ・・・・・・・・・・・・・・・


『だから、僕を食べたんだよね?』


・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・そうかも、しれない。



どうして人間のことを知りたかったのだろう。


どうして、人が嫌いだと言いながら人の振りをしていたのだろう。


アルレルトという特別な存在に出会って、どれだけ人になりたいと焦がれただろう。

それでも結局、(おのれ)の生まれを煩悶(はんもん)した所で、事実を曲げることは出来ないのだ。


いつからだろう。


(おれ)は、人になりたかった。

人に関われば関わるだけ、理解の外にある存在なのだと現実を突き付けられた。

そして、知れば知る程に自身が空虚な生き方しか出来ない、ただの獣であることに失望するのだ。



(おれ)は、人になりたかった。



『残念だわ・・・・・・貴方の凶悪なまでの残忍さは、とても居心地が良かったのに。それを貴方自身が嫌忌しているのだもの。・・・・・・・・・でも、もう分かったでしょう?本性を偽った所で、私達の大切なお方は、守れないのよ?』

闇に目が馴染み、アルレルトの髪に目をとめる。

ぼんやりと闇に浮かぶ白髪は、所々土で汚れている。先程までの黒狗(ブラックドッグ)の戦闘で、アルレルトの気力も体力も底をついていた。

あの時、(おれ)が身を晒すことに戸惑わなければ、こんな風になるまでボロボロにはならなかっただろう。

疲労困憊のアルレルトをふかふかのベッドへ横につかせることも今は出来ない。

あの時、女を殴り飛ばしていれば、こんな地中に潜むことも無く、今頃アルレルトは自分のベッドで休むことができただろうか。

後悔が降り積もり、それは止む術を持たず、自責の念に拍車をかけた。

白髪に手を伸ばし、ぎこち無い仕草で汚れを取り払う。


・・・・・・ならば。


・・・ならば、そうだ。


過去を曲げることができないのならば、この先を(おれ)の手で修正していこう。



アルレルトが『美味しい』になる未来へと。



『気持ちは、固まったかしら?さぁ・・・私達の大切なお方をお守りしましょう』

女は嬉しそうに声を弾ませたが最後、パチンと音を立てて消えた。

この身に彼女が息づいているならば、その姿をもう探しはしない。


すっくと立ち上がり、土壁に手を付く。

さて、守るといっても、どうやってここから脱出すれば良いのやら。

ぺたぺたと壁の硬さを確かめるが、簡単に亀裂が入るようにも思えない。

はてさてと首を傾げていると坊が笑う。


『何してるの?普通に出たらいいんだよ。

・・・・・・ーーー真性な闇が味方してくれる。夜は僕達、獣の時間だからね。

・・・・・・あんな息苦しい岩なんてふっ飛ばしちゃえ!!』


威勢よく煽ぎ立てるその声もパチンと水沫が弾ける音を立てて鳴りをひそめた。

成程、力にものを言わせれば良いのなら簡単だ。

片腕でアルレルトを抱えなおし、空いた腕に力を溜め、拳を握る。跳躍し、時に土壁に足をかけ上へと目指す。

そして、眼前に迫った岩に向けて拳を放った。


泰然として眼前を占める大岩に、ピシリと亀裂が入り、それは勢いを増して拡大していく。

罅割れた音、そして轟音を奏でながら真二つに別れた向こう側に広がるのは宵闇。



ーーー夜は獣の時間だーーー







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