【二章】怖がりの勇気
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フォルスは重い息を吐いた。
憎悪が身体中に巡り、彼の行動を蝕んでいた。
身の内だけでなく、身体までもあの化け物に喰われてしまったのかと勘違いしそうだ。それ程、思うように動かすことが出来ない。
そうだ、喰われたのだ。
彼の心は確かに、あの崖の上で化け物に蹂躙された。
最後に放たれた言葉が、笑い声が、耳に染み付き彼を苛んだ。
思い出そうとすると恐怖によるものか、身の震えが治まらない。
30過ぎた図体のでかい男が、子供のようにベッドに丸まる姿は滑稽に違いない。
憎悪と殺意と恐怖、言葉では表しきれない複雑な感情が溜まって、爆発してしまいそうだった。だというのに、身体は怪我の影響か上手く動かず、暫くはベッド上の生活を余儀なくされた。
モンタニアから派遣された治癒士により、肺に刺さった肋骨も元の位置に戻り、全身打撲による内部損傷も治癒された。
しかし、重症であったことには変わりない。
それ程の治癒には、魔力も相当量必要となる。当然、命を救ってくれた治癒士1人では、完全にフォルスを治癒しきれず、後は自然回復を目指すしかないと言われたのだった。
肋骨は元の位置に戻ったが、ヒビは入ったままであるし、内部もまだ完全には戻っておらず、食事は果実や粥を食べられるようになったばかりである。
此処で目覚めてから、1週間は過ぎただろうか。それよりももっと長くいる気がする。
夢現に過ごす日々は、時の流れを忘れさせた。
フォルスの身の回りの世話をしているジンバが居なければ、人形みたく無感動に過ごしていたかもしれない。
ろくな栄養も取れず、治癒に体力をごっそりと持っていかれたせいか、筋肉はほとんどこそげ落ち、自慢の腹筋も割れ目が綺麗に落ちてしまった。
既に見慣れた居室に視線を移す。
フォルスが運ばれた居室には、居心地よく整えられた寝具に、サイドテーブルには水差しが置かれている。他に家具らしい物は置かれていない。
簡素と言えるが、それでも平民であるフォルスにしては過分な部屋に思える。
流れ着いたモンタニアで住民に救出されたフォルスは、町を取り仕切る貴族の屋敷に身を寄せていた。
開け放たれた窓から涼やかな風が流れ、フワリとカーテンが揺れた。窓からフォルスの心情とはまるきり反対の晴天が覗き、遠くに鳥の囀さえ聞こえる。
あまりに長閑な世界で、思わず呻きが洩れた。
呻いた瞬間に肋骨に痛みが走り、無言で歯を噛み締めて痛みを受け流す。
時々、全て悪い夢だったのだと夢想することがある。
生まれ育ったスルリカは、山間にある小さな集落だ。
畑を耕し、獲物を狩り、集落にいる皆が一つの家族であり、共同体であった。娯楽も少ない生活に嫌気がさすこともあれど、決して、満たされていなかったわけでもない。
漠然と、信頼出来る女性と家庭を築き、一生をあの故郷で過ごすのだろうと考えていた。
刹那、惨殺された長や意図的に喰らわれた皆の亡骸がフラッシュバックする。
「ーーー~~・・・・・・っっ!!」
条件反射で胃が騒めき嘔吐した。
固形物をろくに食べていないこともあり、口から出たのは胃液だけだ。
常備されていた桶に吐くだけ吐くと、フォルスは力なくベッドに倒れ込んだ。
ぐっと体温が下降して身体が震える。喉がカラカラに乾いたが、水を口に含むことも厭わしかった。
フォルスの父は、彼が幼い頃に、狩猟に出掛けて熊に襲われ亡くなっている。幼い息子を一人育ててきた母も、数年前に流行病で亡くなってしまった。
天涯孤独となったフォルスを支えたのがスルリカの皆で、特に幼馴染には助けられてきた。
幼馴染で悪友のリヤンとは、ただ無言で酒を酌み交わしながら、母の死を悼んだ。そうして己を支えてくれた信頼するリヤンが、見守り続けてくれた皆が、己のせいで死んだ。
女を疑っていたのは、フォルスだけであった。
無理矢理にでも、全員から嫌われてでも、女を集落から追い出していれば、結果が変わっていたかもしれない。
フォルスはあの日、浅ましくもリヤンを見捨てて逃げ出した。
自分が殺したようなものだ、みんなを・・・・・・。
微睡む度に、リヤンが助けを求める夢を見る。
助けてくれとフォルスに縋りつき懇願する。
次第にそれも「お前のせいで」と憎々しげに糾弾する内容に変貌していき、最後には恨み辛みを吐くスルリカの皆の死体に囲まれる。
悪夢としか言い様がない。
自分の叫び声に、何度も目覚めた。
浅い眠りを繰り返すせいで、思考が定まらない。それでも、フォルスは考えを巡らせる。
運良く化け物から逃げ果せ、運良くアルメリアのモンタニアで救出され、運良く生命を繋げることが出来た。
何が『運良く』か、山神の加護なぞ無い方がマシであったとフォルスは後悔していた。
あの時、化け物に捕まっていれば仲間を置いて逃げる必要は無かった。
せめて、一矢報いてやることもできただろう。
しかし、化け物を目の前にして、フォルスは強くあることができなかった。
惰弱な己は、生きることを選択したのだ。
情けないことだ、と己の無力さと悔しさから涙がとめどなく溢れる。
どのくらい過ごしていたか、不意に扉がノックされ糊のきいたシャツにベストを身に付けた男が入ってきた。
ダークブラウンの髪を後ろに撫で付け、濃い緑の双眸をこちらへ向ける。
彼の入室と共に、仄かに太陽の香りが漂った。
年は恐らくフォルスより10は若く、一見して軟派そうな雰囲気がある。だが、その実、真面目で細かい所にもよく気付く、気配りの出来る男だ。
付け加えるならば、病人にも容赦ない性格をしている。
「ーー・・・ジンバさん、入る時は返事を待ってもらえませんか・・・」
袖で乱暴に涙を拭って、何でもないフリを通そうとしたが、明らかな鼻声ではバツが悪い。
返答代わりにジンバは小馬鹿にするように鼻で笑い捨て、眼差しに侮蔑を滲ませる。
「・・・・・・っっ」
此方が怯んでいると、ジンバは慣れた手つきでサイドテーブルに乗せられた水差しからコップに水を移して、それをフォルスへ押し付けた。
「そうですね、貴方が病人らしく振る舞うのであれば、私も考慮しましょう。・・・・・・大分、吐いてますね。脱水になられても困ります。ゆっくりでもいいので、全て飲んで下さい」
体調に異変があれば、ハンドベルで報せるように言われていた。言い付けを守る事ができなかったのは、此方だというのは重々承知している。
言い返すことも出来ずにフォルスは、素直に水を口に含んだ。
ジンバの視線は冷めきっているが、手厚い看護を提供してくれている。
感謝してもしきれない。
今も桶の内容物を嫌な顔一つせず確認している。
暫くして、諸々の処理を終えて食事を持ってきたジンバは、それをフォルスの前に置いて食べるよう勧めた。
「発熱しているようなので、食べたらこちらの薬も飲んでください。残しても私が無理にでも食べさせますのであしからず。若造に無理矢理食べさせられるのがお嫌なら、しっかりして下さい」
促されるままに一匙粥を口に運ぶ。
出来たての粥は、胃に優しく芯まで温まる。どこか安心する味であった。
しかし、半分程、機械的に口へ入れたところで、木製の匙を皿に放置する。食欲がどうしても湧かず、水を飲んで誤魔化すが上手くいかない。
壁に寄り添うジンバを横目で見ると、目を閉じてフォルスが完食するのを待っている。
今ならば、と彼にバレないように薬へ手を伸ばした。
「ーーー薬は、食べ終えてからです」
目を閉じているのにどうしてバレたのかと疑問に思いつつ、伸ばした手で匙を持った。
ジンバからの圧力と黒いオーラに負けた訳では無い。
大人として勝ちを譲ったのだ。
そう自分に言い聞かせる。
「すまない・・・・・・」
「謝罪するくらいならば、最初からしないで下さい。ほら、頑張って」
意識が戻った当初、ジンバはここまでフォルスに対して厳しくは無かった。
穢らわしいものを見る目を向けることも無かった。
それどころか、フォルスの身の上に同情を抱いていたのか、甲斐甲斐しくも世話を焼いてくれていた。
今もそれに変わりないが、何処か棘が含まれている。
うだうだと女々しくも死と生を望むフォルスに、次第に嫌気がさしたのか、今では砂糖と塩が混じった対応だ。
閾値で考えればしょっぱいことこの上ない。
ノロノロと匙を動かしていると彼の深い溜息が落ちた。
「・・・・・・・・・貴方は生きたいのか、死にたいのか、ハッキリさせてくれませんか」
ジンバの言葉にフォルスは動きを止めた。
情けないことに、言い返すことも出来ず唇を噛んだ。
化け物に追われていた時は、生きる事を選択した。
しかしどうだろうか。
その結果、今は死んでしまいたいと、あまつさえ考え始めている。
ーー俺はなんて愚かなんだ・・・・・・
ジンバは時にフォルスを焚き付け、生きる気力を戻そうとしている。それが分かるだけに、彼の言葉に苛立つこともない。逆に申し訳なさを感じていた。
「分からないんだ、俺も・・・。どうしたら、良いんだろうか」
「ーーーなら、今は無理に考えなくても良いのよ、フォルスさん」




