【二章】もう新キャラ覚えられないよぉ
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思いの外、力を入れて殴打したせいで、子供は死んだように地面に倒れ伏せた。
慌てて口元に手を翳して、呼吸していることを確認する。殴られて出来たたんこぶ以外に外傷も無い。
暫く、頬を叩いたが、目覚めることはなかった。
仕方無しに小憎たらしい子供を肩に抱え、貰い物の野菜を持ち直す。
先程まで日に染まっていた髪は、闇に紛れることもなく、月光に照らされ白く光っている。キラキラと輝き、眩しいとすら感じるほどのそれは、他者から美しいと評されるものだろう。しかし、この餓鬼の本性を知れば、見た目等唯のハリボテである。
褒めた所で小賢しいコイツは、わざわざ土で丁寧に髪を汚して、無邪気を装い私達を嘲笑うに違いない。
その様が容易に想像出来るほど、コイツは存外、捻くれている。
何回も折った袖から、動きに合わせて小さい手が力なく揺れた。その手が頼りなく自身の粗忽な手を握ったのは、今日が初めてのことだ。
溜息を零さずには、いられなかった。
子供らしくないこの子供が、私の覚えている限り涙を見せたのは、2回だけ。1度は、奴の指導者として私が覚悟を決めた時、そして、今しがた2回目が起きた。
意味の分からない子供の癇癪と一括りに纏めるには、あまりにも切羽詰まった表情で、そのくせ「助けて」の1つ言えない哀れな子供。不安気に揺れる瞳には、いつも浮かべる悪戯に光る強さが抜け落ちていた。
愚かで、そして、反面認めたくない感情に私はもう暫く、気付かないふりをした。
ーーー認める勇気を私はまだ、持ち合わせていない。
怖い、消えたくない、忘れないでと縋る幼子に「アルレルト」という型を嵌めて、そこからはみ出ることを禁じた。
この出来事が吉と出るか、凶と出るかはきっと誰にも想像出来ないだろう。
真剣に対応したというのに、獣が嗅ぎなれないものを嗅ぐような動作で、私の服に鼻を埋めて「加齢臭」と呟いたコイツを殴らずにいられようか。
我慢が利かなかった点については反省しよう。
後悔はしていないが。
「・・・・・・・・・・・・・・・」
思い至り、襟元を伸ばして確認してみたが、自分の匂いはよく分からなかった。
これからアイツと久し振りに顔を合わせるというのに、きまらない自分に舌打ちする。
商店街を離れて少し歩いた先に孤児院がある。煉瓦建てのソコから明かりと子供達の笑い声、食欲をそそる香りが漏れる。
私は歩みを止めた。
孤児院の玄関で灯りを持って佇む影は、見知った者だった。
薄らと口元に笑みを作り、若草色の目を穏やかに細めている。修道女の様な出立ちで、アイツは私達を待っていた。
声を掛けるべきか迷ったのは数瞬で、腹を括って相手の名を呼ぶ。
「久し振りだな、ティアラ」
「ええ、久し振りねウィル。1年ぶりかしら?」
穏やかに言葉を紡ぐティアラは、年齢にみあった皺が刻まれようとも、肌のように透き通った髪の色が抜け落ちようとも、若かりし頃となんら変わらず凛としていた。
ティアラを追って辺境の地まで来た。だが、私は私の、彼女には彼女の生活があり、意識しなければわざわざここまで足を向けることも無かった。若かりし頃の自分の執念深さが恨めしい反面、今も理由をつけて彼女に逢いに来ている己の諦めの悪さに言葉も出ない。
私がこの地に留まっているのは、偏に彼女の存在があるからだった。
メンティーラ・バールハイト、「聖女」と呼ばれた彼女を生涯、手に入れることは叶わない。
それを知っていて尚、胸に潜む初恋の残滓が時たま顔を出す。
苦い物を噛み締めた気分だ。
感情につられて、声音もそのまま硬いものになる。
「・・・お前が、コイツを紹介して以来だ・・・。その程度は経っているかもしないな」
アルレルトの面倒を見て欲しいと紹介を受けたことは、今でも鮮明に覚えている。お互いに付かず離れず、それでも深く交わることも無い状況で、突然の来訪であった。
歓びに跳ねた心臓も直ぐに凍りついた。
久し振りに交わした会話は、全てアルレルトのことだったからだ。
恋心を利用されていると考えれば、正直良い気分では無かった。
そして、彼女の裏切りを赦すことが出来ず、ここ1年は距離を置いていた。
「いつも、アルが迷惑をかけているわね。ごめんなさい。でも、この子は楽しそうに貴方のことを家でも話しているのよ」
申し訳なさそうに、しかし、どこか面白そうに話す姿からアルレルトへの愛情が窺える。
だが、引っ掛かりを覚えて私は顔を顰めた。
「・・・・・・家か」
「家よ」
一瞬にして空気が不穏なものに変化した。貼り付けたような笑顔から、裏を読むことも適わない。
何時からコイツは、心を見せなくなっただろうか。
記憶に残る天真爛漫だった彼女は、年を重ねて見の内を隠す術を身に付けていた。その変化が私と彼女の間に見えない壁を築き、手を伸ばしても届かない、手に入らないことを実感させるのだ。
歯がゆい、と思う。
「ーーーーさぁ、アルを渡してちょうだいな。今日はもうご飯も食べられないみたいだし、ベッドへ運ぶわ」
柔らかな声で重い空気を跳ね除けたのは、意図的だろう。
差し出された両手には、赤切れが出来ていた。
どれだけの辛苦を味わって、お前は自身の居城を守っているのだろうか。
「・・・・・・何があったかは、聞かないのか」
少しでも、会話を引き延ばしたいと無駄な足掻きをしてみせる。
それに気付いたのかどうか、彼女は先程までと打って変わってフワリと笑った。
「あらあら、聞いたら教えてくれるの?ウィル」
楽しそうな瞳は悪戯に光って、その様が肩に担ぐ子供そっくりで妙に納得してしまう。
「教えるさ。お前に言われて断ったこと等、無かろうが」
「ーーー・・・いつも、ありがとう」
その言葉には、鼻を鳴らして返す。
今更だ、なにもかも。
想いを捨てきれない、女々しい自分自身も。
視界の端で揺れる白髪が、最近まで気に入らなかったことも。
「コイツは・・・、子供らしくない。泣き方も稀に見る下手くそさだった。子供のように扱うならば、泣かせてやれ、もっと」
「そう・・・・・・、貴方の前だと泣いてくれるのね・・・・・・。やっぱり、この子を止める事が出来るのは、ウィルなのかしら」
アルレルトの頭を撫でる動作は穏やかだ。目尻から頬にかけて零れる雫は、見ないふりをした。
「・・・・・・私ではない。ソレとコレとは別問題だ。ストッパーになりえるとしたら、お前達だろうさ。コイツは一貫して家族想いの阿呆だ」
「そう・・・そう、ね。この子は、私達を選んでくれたものね」
慎重にアルレルトを抱き抱え、代わりに片手で持っていた野菜を彼女に押し付ける。咄嗟に受け取った野菜に、彼女は目を白黒させている。
涙も引っ込んだようだ。
泣き顔を見たいわけではなかったから、上手くいったことに満足した。
「それは野菜屋の店主からもらったものだ。コイツは私が寝室まで運ぼう。流石に6歳児を抱えるのは、お前も腰にくるだろう?」
親切のつもりだったのだが、預けた野菜で腰を重点的につつかれた。
女性の扱いは本当に難しい。
そもそも、この歳になってもデリカシーというものを身に付けることが出来なかったのだ。
いい加減目を瞑れ。
さっさと孤児院に上がり込み、アルレルトを寝台へ横たえる。
帰りの挨拶で口を開きかけて、玄関先で複数の人の気配を感じ、ティアラに目で合図をする。
彼女は無言で頷くと、玄関へ足を向ける。
寝室は別棟にあり、食堂がある本館とは渡り廊下で繋がっている。お互いに気配を消して目的の場所へ急いだ。
彼女が入口の扉へ手をかけるのを柱の影に隠れて見守り、何かあれば対応出来るように魔力を練る。
ここまで来れば、聞き取りづらいものの男女が言い争っていることが分かった。
食堂へ続く廊下には、まだ子供達の笑い声が響き、暫くこちらに来る気配は無い。
「はいはい、どちらさま?」
扉の先には、言い争っている男女と、困り果てた様子の先頃、30代で若くして街長に就任したシリアスの姿があった。
「あぁ!院長先生すみません、夜分遅くに!!」
助かったとばかりに熱を上げている口論を遮って、シリアスが声を上げた。
興奮してズレた眼鏡を鼻に掛け直して、額に浮かぶ汗を拭う。
その姿は、街長としての責任に押しつぶされそうな、頼りない青年に映る。しかし、前任者から選任されるだけの力を持っていることは、疑う余地もない。
「あぁ、院長さんすまねぇ。日も落ちたってのに外で喧しくしちまった。子供達は起きなかったか?」
口論していた方の熊顔の男、この声は聞き覚えがあった。
「あら、誰かと思えばギルドマスターに街長さん、こんばんは。そうね、子供達はまだ消灯の時間でなくて良かったわ」
迂遠に喧しいと伝えていることに、相手は気付くことなく、ギルドマスターは「なら良かった」と犬歯をみせて獰猛に笑う。
昼間ではなく、夜の来訪でこちらこそ良かった。
子供が見たら泣き出すこと必至な恐ろしい笑顔に、冷静にそう思えた。流石のティアラも口元が引き攣っているくらいだ。
この領地のギルドマスターことユーリス・ディカーティオは、冒険者であれば知らない者はいない。
「だから!言ったでしょう、ご迷惑になると!!聖女様は子供達のお世話で忙しいのです!面倒事を持ち込む訳にはいきません」
ギルドマスターと口論していた女性は、奴の秘書兼右腕として活躍しているチェカ・アヴーグルだ。猫目で腰まである髪をお下げにした姿が印象的だ。衣服をきちりと着込み、凛とした雰囲気を醸している。
「あ゛あ゛!?だからさっきも言ったろーが、前線から引退したとしても、協力を仰ぐ必要があるって!それはテメーも分かってんだろが」
「ーーーーでも!!」
ドスを効かせた声に、チェカは怯むことなく食いつこうと言葉を紡ぐ。
収まりかけた熱が再燃しかけて、これ以上続くと流石に他の子供達がこの騒ぎに気付いてしまうと、物陰から姿を現した。
「ーーーーそこまでだ」
私の静止の言葉に、2人は一斉に顔を向ける。
ユーリスが腰に下げていた剣を振りかぶり、チェカが懐からナイフを私に向けて投げ飛ばした。
私の殺気に反応した、冒険者として適切な挨拶だ。
殺気を飛ばす相手ならば、有無を言わさず仕留める必要がある。
でなければ、自分が殺されるからだ。
練磨された動きは、一切の無駄と躊躇がない。
私はほくそ笑んだ。
強い奴は、嫌いじゃない。
「まだまだだな、若造共。子供達の傍で争うのは、あまりに配慮に欠ける。場所を移すぞ」
ナイフを指先で挟んでキャッチし、チェカへ投げ返す。放ったナイフはチェカの足先を縫い留め、彼女の動きを止めた。
首から体を一閃しようとした剣は身を屈めて躱し、彼の首元に指を突き付ける。
ユーリスが唾をゴクリと嚥下し、動きを止めた。
そうだ、正解だ。
もしも、反撃をしようと指如きと私を侮ったなら、お前のその声を一生奪うつもりだったからな。
ゆっくりとユーリスの体から身を引いた。
剣の場合、どうしても近距離戦となることから、初撃を防がれる若しくは躱された場合、追撃が出来るか出来ないかで生死を分ける。
私でなければ、この一撃を避ける事は出来なかっただろう。
「油断大敵・・・私が敵なら、二人とも死んでいたぞ」
「紅蓮の・・・悪魔」
冷ややかに告げると、青褪めた顔でチェカが昔の二つ名を持ち出した。
若気の至り、恥とも言える蔑称に手の届かない場所が痒くなった。
正直、穴に潜って隠れたい。
あまりにもシュールなのでやらないが。
「わー、もう!ベルナードさんもお願いです、争いは止めてください!!私は安心出来る場所で暴力も武器も口論も無く、穏やかな対話と情報共有を求めます!!!私は小心者の一般市民なんですから!!」