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【二章】壊れる幸福


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暗雲に覆われた空に雷鳴が轟く。ザアザアと激しくたてる雨音は、人々の生活音を無惨にもかき消していく。山々の間に在る集落では、この雨の中外に出る者も居らず、家々の戸口はピッタリと閉じられていた。


「酷い雨だな」


男は窓から外を眺め、溜息をつく。

雨で煙り景色は灰色に塗り替えられ、見知った場所もどこか荒涼としている。寄り添うように建てられた家々の戸口は、堅く閉められ、まるで男を拒絶しているような印象を受けて、更に憂鬱となった。

日頃育てた作物を行商人に売って、僅かながらに貯めた銭を2つ山を超えた町で酒に替えたというのに、ソレを呑み交わす友の家までが遠い。

この天候の中、無理に押しかける必要もないが、独り身である男にはどうにも手持ち無沙汰な時間であった。

娯楽の少ない山間の集落で唯一歳の近い友人は、幼馴染で悪友でもある。酒が手に入ればどちらとも無く互いの家に酒と摘みを持ち寄って「可愛い嫁さんが欲しい」、「親に孫の顔を見せたい」と摘みにもならない愚痴を言い合う仲である。

しかし、そんな友人にも最近、目出度い出会いがあった。

「目出度い」と前置く必要があるかは、(はなは)だ疑問だが。


若い異性との触れ合いと言えば、町に下りるしかないこの場所で、1週間前に山で迷った女が現れた。

行旅(ぎょうりょ)らしい出で立ちで、集落の入口で倒れた女を助けたのは友人だった。

女は、えも言われぬ甘やかな薫りを漂わせ、服の(たもと)から(まろ)やかな乳房も顕に、女という武器を持って友人に健気にも助けを求めた。

宝玉の如く涙で煌めく瞳に友人は捕らわれた。

町の遊女でさえ霞む極上な女を見て男も息をのみ、周囲を(はばか)らず手を伸ばそうとした。だが、あからさまに堕ちた友人を前にしては、「譲ってやろう」という気分にもなる。

女を連れて帰った友人は、翌日に女と夫婦(めおと)になると宣言した。

一晩のうちに何があったというのか。

何者かも知れぬ女を早々に(めと)ると言ってのけたことに度肝を抜かされた。しかし、友人のように奥手な男があのような艶女(えんじょ)を前にすれば、それこそ骨抜きにされても仕方が無いというものだ。

逃げられたとしても、勉強させてもらったな。

俺達みたいな泥臭い男にあんな良い女が(なび)くわけないだろう、と慰める準備は出来ていた。

きっと、集落に住む人々は、皆そうだっただろう。

(おさ)でさえ、苦笑もあらわに好きにしたらいいと友人の行動を(いさ)めなかった。

その光景を前に、女は何も言わずただ人形のように整った微笑を浮かべていた。

作り物めいた容貌が余計に女を怪しくさせた。

この女は1人で、この山深い集落までやって来たのか。見目麗しい女が、(とも)も連れずに獣や野盗が出るとも分からない、この地まで。

何か目的があるのではないか、と疑いを持つことは必然であった。目的と女の正体を尋ねようとしたが、寸分たがわず微笑し続ける女に底知れぬ恐怖を抱いた。

鳥肌を立たせながら、男は沈黙を貫いた。


それが正解であることを男は()っていた。


背筋に冷たいものが落ち、深入りするべきではないと本能が警鐘を鳴らす。

男には、こういうことが度々あった。

(おさ)に言わせると山神様の加護とされている。要するに、男には危険な物を見分ける勘に優れていた。

嫌な予感を憶えて、いつも使う山道を迂回してみれば、その山道は数刻後、地鳴りにより土砂で埋まっていた。(ひぐま)に遭遇した時でさえ、どう逃げれば良いか、手に取るように分かった。

これまでの経験から女を軽視することも、かと言って深く関わる事も出来ず、ただ友人が不幸に見舞われることがないよう、付かず離れずの距離を保っていた。



そうしてあっという間に1週間が経ち、昨夜から降り出した雨は、未だおさまりをみせない。

(すだれ)からなんとはなしに外を眺めながら、女のことを思い返す。

経緯が経緯である為に、当分の間は夫婦の誓いも交わさず同棲することとなった。

お互いを知る為の時間を敢えて持った、というと聞こえは良い。

女は唯々諾々(いいだくだく)と畑の手伝いに家畜の世話、果ては狩猟にまで付き添い、「真面目で働き者」ともっぱらの評判である。

女は瞬く間に周囲から受けいれられた。

集落の女共と混じって獣の処理や、子供の世話をしている様を見るに、何年もこの地に住んでいるような()()具合いだ。


しかし、隣の家の3歳になる坊を女があやしている時に、男は堪らず子の世話を奪い取った。

女から常々漂う違和感がその瞬間、湧き出る泉のように噴出したからだ。

このまま女に任せていれば、子がどうなるか分からぬ。

直感した男は奪うように子を抱き、両親が畑から帰ってくるまで世話をしたのだった。

周囲が女を褒めたたえ、受け入れる中で男だけが頑なな態度であったのが目に付いたのかもしれない。

女を見かける度に、女の視線が蜘蛛の巣に獲物を絡めるが如く男を捕えて離さなかった。

監視している筈がこちらが監視されており、如何ともし難い状況に男は陥った。

女の正体が分からぬ以上、目立つ行動も避けようと考えていた矢先のこの長雨である。

男は安堵の息をつく。

もう友人は、救えないかもしれない。

日に日に女に傾倒していく友人へ、かける言葉を見つけることが出来なかった。

「その女、どこか妖しいぞ」、「女に気をつけろ」と言った所で、友人を妬んでの行為と捉われかねない。事実、男のみが女と距離を置いていることから、一部の者からそういった指摘、噂を流されていた。

やっかみと捉えられても仕方が無い。


ーーーーいや、今だからこそ、好機なのではないか?


雨によって周囲の目がない状況だ。友人と落ち着いて向かい合うことが出来るのは、今しかない。

丁度、2人きりになる為の言い訳()も手にある。そうだ、女にはどうにか言い訳を重ねて隣人宅にでも行ってもらえばいい。

思い立ったが吉日と、男は出掛ける準備もそこそこに酒を持って家を出た。

むわりとした雨特有の匂いに、一瞬顔を顰めたものの、(かさ)を片手に友人宅へ急ぐ。


バラバラと笠を叩く雨音に胃の腑からゾワゾワとした感覚が湧き上がり、ーーーーやがて男は立ち止まった。


住居が密集しているにも関わらず、雨音しか聞こえない。

生活音を消し去るほどの雨ではないと、外へ出て理解した。生物が出す騒めきすらなくて、まるで集落から人も、獣も、男を置いて消えてしまったのではないかと思わせる。

あまりの静けさに、男は手近にある簡素な木の扉をノックした。


「ーーーあ~・・・俺だ。雨のせいでやることが無い。話し相手になってはくれまいか」


咄嗟(とっさ)に頼ったのは、3歳の子供がいる農家であった。同じ仕事仲間でも、子供の面倒を一方的に見た仲でもある。

要するに家族ぐるみの付き合いで、突然の来訪にもこの夫婦であれば嫌がる事もなく受け入れてくれるだろう。

そうした下心と男以外の人間に会って安心したい一心で扉を叩いて数分、未だに扉の内側から聞き慣れた声や人の気配を感じ取れないでいた。

「おい、俺だ!!お前の息子の小便を替えてやっただろう!!忘れたのか!?何も答えないというのならこの扉、無理にでも開けるぞ!!!何かあったのか!?」

追撃とばかりに扉を激しく叩くが内側は静寂を保っている。

何処ぞに出かける話しを聞いたこともなければ、雨の中、外の用事をする必要も無い。


だと言うのに、隣家から人の気配が失せていた。


焦れた男は、乱暴に扉を開けた。建付けの悪い扉は、ギイギイとひび割れた音を鳴らす。

暗い室内に外の光がさした。

暗闇と雲に覆われる外界に慣らすよう、何度か瞬きを繰り返す。

漸く微かに物を捉えることができると、室内を見渡し、男は息を呑んだ。

つい先程まで居ただろう、家族の痕跡が散らばっている。

台所には切りかけの食材に、テーブルの上に冷えた飲みかけの茶器が4つ、床には子供の絵本や玩具がそのままに、ただ住んでいる者だけがいない。

床に散らばる絵本に乾いた血痕らしきものを見つけ、心臓が激しく暴れだした。胸を抑えながら、男は奥へと進む。

部屋の奥に進むと、寝室に続く入口がある。扉は設けられておらず、近付けばある程度、中の様子を窺うことができた。


始めに、擦り切れた粗末な布団で家族が横になっているのが見て取れた。最初は寝ているのかと思われたが、呼吸音もなく、ただ(こも)った血の臭いに男は暫し、地面に縫い止められたように動けないでいた。

嫌な予感が的中したショックで、男はブルりと身を震わせる。

あまり肺に溜めておきたくもない異臭に、それでも口呼吸を何度か行い、息を止めて寝室へ踏み入る。


「ーーー・・・・・・っっ!!!」


家族の無惨な有様に、心が挫ける。

身体を垂直に割いて、肺や心臓、胃、腸といった臓器は全て無い。左右に割開かれた肋骨(ろっこつ)が、所在なげにぷらぷらと揺れる凄惨な光景に、男は我慢できずその場で嘔吐した。

人間の所行ではなく、魔物や魔獣の犯行であることは、明らかであった。

人を食った獣がその味を覚えればどうなるか、結論は1つしかない。

それが、魔物や魔獣といった狂暴性の塊である化け物であれば、集落の人間が食い殺されることは必至。

胃の腑の物全てを吐き終えると、自然と流れる涙をそのままに、歯を食いしばり死体と向き合う。

逃げ出して安全な場所で隠れていたかった。

だが、挫けそうな自分自身を叱咤して状況を確認する。

夫婦の体は半分に割かれており、中身は全て無い。

恐らく、食べられたのだろう。

血痕は既に乾ききっている。雨が降り始めた昨夜から今日までの間にこの家族は殺されたのだ。

布団の周囲に幾つか人の毛髪ではない、赤茶色の獣の毛が落ちており、男は証拠としてそれを(ふところ)にしまい込んだ。

小さく震える手を片手で抑え、男は今まで視界に入れないようにしていた現実を受け入れた。

夫婦に挟まれるように、3歳の子が横たわっている。


「・・・・・・・・・?」


男は、この状況でも意外に感じた。

子は確かに死んでいるが、目に見える外傷はなかったのである。


いつも愛らしい笑顔を浮かべて甘えてくる子の亡骸を前に、胸を締め付けられるような苦しみを覚えた。

けれど、(なぶ)られることもなく、苦しまず死ねたということだけが、せめてもの救いであった。

せめてそう思い込み、自身を奮い立たせることしか男にはできなかった。






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