【二章】忍び寄る足跡
翌日、俺はボケ〜っとしていた。
孤児院の庭でなんとはなしに、追いかけっこをしている子供達を見やる。空は青く澄み渡り、太陽の陽射しがポカポカと暖かい。
洗濯日和だと、院長が満面の笑顔で皆の汚れた衣服を剥ぎ取っていったくらいには、天気がいい。
服を剥かれた子供達は皆一様に、何か大切な物を失ったような顔をしていたが、今日も今日とて平和である。
因みに、俺も剥ぎ取られた。
慣れたもので皆と肩を抱き合って、着替えを探したのであった。俺達を裸に剥いた院長は、それはもう悪戯をする子供のようにあどけない表情を浮かべていた。
洗濯場で子供達と戯れながら、大量の服を干している院長を視界の端におさめる。
くわりと欠伸が1つ出た所で、このまま寝てしまおうかと木陰に横たわった。
本当は、今日もウル爺の所で訓練を受けたかった。
しかし、身体を休ませるよう命令されれば、こちらとしては言うことを聞くしかない。
一応、というか師匠の言うことは絶対なのだ。
目を閉じて思い出すのは昨日のこと。
魔力コントロールも出来るようになって、ウル爺にも認められたことだ。
昨日は感激のあまり号泣してしまった。
傷を舐め合う子供達ではなく、何の関係もないウル爺に認められたことが面映ゆい。
そのせいで興奮して、昨日はろくに眠れなかった。
というか、ウル爺もウル爺である。
気難しいあの男との距離を詰めるのに、俺がどれだけ苦労していたことか・・・。まぁしかし、殺されかけた一件で俺からも距離を置き始めると逆に話しかけてきたり、物言いたげな視線を向けてきたりすることが多くなっていた。
押してダメなら引いてみろ的な奴だったのか。
ドン引きしてやったぜ、ざまあみろ。
「アル、寝てるの?」
頭の中でウル爺を悪しざまに罵っていると、マリーナがサクサクと草を踏み分けて俺の横に座る。
さらりと空に溶け込みそうな髪が揺れた。
マリーナの過去を聞いて以来、彼女はこうして俺の傍をついて回るようになった。
俺に心を開いてくれたことは嬉しい。
けれど見方を変えれば、依存的な信頼のように思う。
でも、これ以上の変化を求めると、きっとマリーナはしんどくなってしまうだろう。今はもう少し様子を見た方がいいのかもしれない。
「マリーナも一緒に寝る?案外、きもちいーよ」
目を向けて笑って誘うと、笑顔を返して俺の誘いを素直に受け入れ、隣に寝そべる。ついでとばかりに右手を握られて、驚く。
振りほどいたら泣かれそうだし、わざわざ外す必要も無いか、と俺も温かい手を握り返した。
意図の分からない接触だが、不快感はなかった。
なにしろ、俺たちは家族だしな。
右手から、マリーナの少し高い体温を感じる。
それはまるで、昨日感じた魔力のようだ。
そのまま復習も兼ねて自身の魔力を体内に循環させたり、強弱を付けたりしていると、横に寝そべるマリーナが笑っているだろう振動を感じて意識をそちらに向ける。
「どしたの、マリーナ」
くすくすと声を潜めて笑う彼女は、本当に無邪気で可愛らしい。
少しずつマリーナの表情も仕草も、子供らしさを取り戻してきている。こうした変化を俺も、周りの皆も表には出さないが喜んでいた。
「アルは優しいなあって思ってね、嬉しかったの」
「?・・・当たり前じゃん、俺にとっちゃマリーナは家族だし、ここにいる奴ら皆がみんな優しいよ」
孤児院という場所柄、子供達はどこか精神的に不安定で、マリーナのように心がボロボロに傷ついている子も少なくない。
幼少の時には意味が分からずとも、自分の居る場所や一般家庭の様子を知ると一気に自分の立ち位置が【崩れる】。
院長はその瞬間が1番「痛い」と言う。
俺はよく分からなかったけれど、少しでもその痛みが少なくなるようにお互いを想いやって欲しいと院長は俺達に懇願した。
その時に、俺は本当に院長が好きだと思った。
誠実に、逃げも隠れも誤魔化しもせず、俺達と向き合う院長が俺は好きだ。
過去を振り返っていると、マリーナがぷくりと頬を膨らませて不機嫌さをアピールする。
事実を言った迄なのに、何が不満だったのかと内心首を傾げた。怪訝に感じても、口一杯に物を溜め込んだリスみたいな彼女に、無意識に唇が弧を描いた。
「ふっ・・・リスみたい」
指で丸い頬をつつくと、小さな唇からプスーっと空気が抜けていく。リスみたいで可愛かったのにと残念に感じながら、名残惜しくも頬を撫でた。
マリーナの頬はもちもちとした弾力と、子供特有の柔らかさを兼ね備えている。
自分もそうだが、どうして子供の肌というのは癖になる手触りなのか。ずっと触っていたくなる。すりすり。
「!!!!」
マリーナは目をまん丸に見開いて固まり、俺にされるがままとなっている。
どうしたのだろうと様子を窺っていると、首から頭の先迄真赤に茹で上がってしまう。
突発的な発熱だろうか。
確かめるために額と額をくっつけて彼女の体温を確認する。
「うん、こりゃ完全に熱があるな・・・。マリーナ、調子が悪かったならちゃんと先に言・・・・・・」
明らかに通常より高い体温に院長を呼ぼうと立ち上がり、マリーナにも注意の言葉をかけようとして、語尾が尻すぼみとなる。
立ち上がるとともに繋いだ手が引き寄せられて、最初に「少し体温が高い」と感じたのを思い出したからだ。
知っていたのに気付けなかった自分が情けなくて、手を外すとすぐさま院長を呼びに走った。
まだ洗濯場でシーツや服を干している院長に声をかける。
「院長!こっち来てよ」
「あら、アルどうしたの?見ての通り、皆の服を干すので手一杯なのだけど・・・」
院長は振り返って服をパンッと広げ、慣れた手つきで洗濯バサミをとめていく。
のほほんとしている院長に焦燥感を抱くが、自分が動転していては話にならない。
深呼吸を2度ほどして、改めて冷静に周囲を観察する。
いくら世話人や子供達の協力があるとはいえ、院長が剥ぎ取っていった衣服はまだまだ洗濯カゴに貯まっている。これが終わる迄に1時間は優にかかるだろうと思われた。
「おっけー、俺も後で手伝うからさ!マリーナが熱っぽいんだ、ちょっと診てよ」
「まあ!それを早く言いなさいな。アル案内してくれる?デルナさん、ちょっとこの場を任せるわ」
世話人の1人であるデルナに声を掛けて、院長はアルを急かす。
デルナは褐色の肌にココアをまぶしたような髪色をしている。この国から南にある遠い地からやって来た彼女は、院長の言葉に「氷枕の準備もしておきます」と快く引き受けた。
院長を引き連れてマリーナの所へ案内する。
院長は手早くマリーナを触診しながら、つぶさに彼女を観察していく。
「マリーナ、頭が痛いとか喉が痛いだとかいつもと違うことは無い?」
「・・・・・・昨日から、何だか身体がポカポカしてた気がする・・・」
マリーナそれは、ポカポカじゃなくて熱だ。
「ポカポカ」なんて可愛い擬音じゃなくて、「あ゛っづい゛」って表現するものだと思うぞ・・・。
どうしてこうも自分の事に関して無自覚でいられるのかと、呆れと哀憫の情を向ける。
「あらまぁ、昨日からしんどかったのね・・・。次からは、直ぐに私や皆に異変があれば言うのよ。約束して頂戴、マリーナ」
マリーナは素直に頷くと、居心地が悪そうに視線を横に滑らせもごもごと答えた。
「ごめんなさい・・・。いっつもは、丸まってたらなんとかなってたから・・・ 」
院長と俺は思わず顔を顰めた。
彼女の今迄がどれほど辛いものか、ふとした瞬間に露わになる。
なんとかなっていたのではなくて、なんとかするしかなかったのだろうし、助けを求める大人すら、彼女にはいなかったのだ。
だからこんなにも、彼女は甘えることに、助けを求めることが下手なのかと腑に落ちた。
「ふふ、悪いことだと思っているなら、早く治して元気な姿を見せてちょうだいね。さぁ・・・お部屋に戻りましょうマリーナ」
院長は柔らかな笑みを崩さず、マリーナを優しく抱き上げると寝室へ向かう。院長の背中を見送りながら、俺の心はマリーナの父親や周囲の大人に対しての怒りをフツフツと沸滾らせた。
もしも、俺がまだ両親に棄てられずにいたら幸せだっただろうか。それとも、マリーナのように辛いことを辛いと言えない子供になっていたのだろうか。
思考がうねり、歪めて塗り替えるように「もしも」は姿形を変えていく。
もしもマリーナの母が生きていたら、もしも周囲がマリーナを助けていたら、もしもマリーナがココへ流れつかなければーーーーー・・・・・・・・・
「良かった・・・、マリーナに会えて・・・。死んでたかも、しれないんだから」
死ぬのは、置いて行かれるのは辛い。『私』もそうだったからーーーーー・・・・・・・・・
「・・・・・・『私』・・・?」
我知らず、思考の渦から浮かび上がった異質なソレを吹き飛ばすように頭を振った。
口から零れ落ちた言葉は、一陣の風にまかれて空へと溶けた。