【二章】化け物になれる
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女は、どんな時も笑っていた。
生まれた時から他を上回る容姿を持ち、静かに笑んでいれば周囲は勝手に女の思う通りに動いてくれた。
女は狡猾さと、自分自身の魅力を最大限に発揮する術を心得ていた。意のままに他者を操り生きていくことは、赤子の首を絞めるように容易く、愉しいものだった。
女を目の敵にする醜女も、女を性具にしようと企む両親も、邪な目的で近づく人間共も、気に食わなければ殺してきた。
刺殺、毒殺、絞殺―――・・・・・・
生きる邪魔になるならば、領主に「美しい」と言わせしめた微笑をたたえて殺してきた。
数え切れない程の多くを殺して、殺して、たまに生かして、殺した。
見渡せば、女を詰る者は消え失せ、女に傅く者に囲われ生きていた。
自分の魅力で人を従えて、金や衣食住は従者が用意する。
女を更に美しく飾り立てる宝珠、金糸の刺繍が入った柔らかく肌を滑る衣に身を包み、甘い果実を一つ口に入れ、幸福の証を噛み締めた。
女の気品と蠱惑的な動作一つ一つに従者は恍惚とし、知らず息を漏らす。
操り人形共を一瞥して、女はさて、と思考に耽る。
この環境を意図して形作ったのは女であるが、些かの不満を覚えていた。
領主の庇護の下、安全な山奥の屋敷で一介の町娘が絢爛豪華な生活を送っているのは、要するに領主から釘を刺されたのだ。
曰く、殺し過ぎたと。
確かに、余興のように、復讐のように、遊戯のように殺してきたら、疾うに死人は小さな村1つ分に達していた。
幾ら、領主の力添えがあれど、これ程の悪行を国に欺き通すことも出来ず。
女を公の場へ出すしかない領主に請われ、悔恨を示し、慈悲を求めて少し泣いて縋った。
領主は女の馬鹿らしい懺悔を信じて疑わなかった。
代わりの罪人を用意して、この屋敷で暫くの間、身を隠すようにと、女の逃亡に手を回した。
1日、1週間と過ごし、ここの生活に女は既に飽いていた。日がな1日、何の刺激もなく用意された衣服を身に付け、食事を摂り眠る。
こんな事ならば、公に姿を現し、罪人として死ぬか生きるかの逃亡劇に身を投じた方が遥かにマシであった。
女は持っていた果実酒を近くに傅く者にかけて立ち上がる。
普通であれば、屈辱でしかないこの行為も悦びとして相手は受け取った。
女に続いて後を追う筈が、あらぬ所が猛り出遅れる。
女は従者を振り返ることなく、廊下を進む。
なんて愚かな人間ばかりか。
愛を請うその姿には、女への肉欲が透けて見える。
愛を求めるくらいなら、黙って閨房へ押し倒せばよい。
「ーーーーーねぇ、貴方」
女は振り返らないまま、背後に問い掛ける。
「こんな身勝手な私を、貴方は許せないかしら」
女の声は鳥の囀りのように軽やかで、愛する者へ語りかけるように耳に甘く響く。
従者は息を呑んだ。
女の魔性は、女と時を共にするだけ相手を浸食し、抵抗する意思さえ刈り取ってゆく。
この屋敷にいる者は全員、領主ではなく女の下僕であった。
「私共は、どんな貴女様でも、いいえ、貴女様であれば、お仕え出来ることこそが至上の喜びなのです」
従者は声を掛けられた歓びに打ち震え、切れ切れにだが己の想いをのせて答える。
女は小首を傾げ、煌めく髪をたなびかせながらも歩みを止めない。
「許す、の返答だけしか求めていなかったのだけれど。まぁ良いわ。詰まるところ、私がどれだけの悪逆非道を重ねても、貴方達は私に付いてくるということね。気持ち悪い限りだわ。でも、それこそ、許してあげる。私が、許してあげるのよ」
歩みを止め、突如背後を振り返ると女は豊満な胸に従者を抱き込んだ。
突然の主の振る舞いに従者は、緊張を通り越して死を意識した。
爽やかな甘い果実の芳香は、同性も異性も魅了する。
至上の喜びと表現したが、主に、唯一人のご主人様に自身の存在を認められることは、喜びを超越して恐怖を呼び起こした。
女の傲慢な発言に気分を害することはない。くらくらする程の色香に、従者は立ち続けるのがやっとであった。
がくがくと震える足で縋りつく下僕に女は、クスリと笑みを浮かべる。
女は心を弄ぶのが好きだった。他者の感情を高め、貶し、傷つけ、踏み潰し、やさぁしくすることが嫌いではなかった。
心のありようが面白いとさえ感じる。
自分の一挙手一投足に相手は翻弄され、剥き出しの感情を曝け出す。だからこそ、女は暇つぶしに目の前の人間の心を揺さぶる。
女のことしか考えられないよう、女の為に動く人形に造り替えていく。
壊して、治して、また壊して、修正の果てに人は女の人形となる。
女の甘い言葉は、救いと絶望と、少々の毒が含まれていた。
「ふふふ、ねえ、私の為に死ねる?」
人形はトロリと溶けた目で女を見上げ、ガクガクと壊れたように首を縦に振る。
「本当?嬉しいわぁ・・・、約束よ。いつか私の為に死んでちょうだい」
女の滅茶苦茶な要求に、人形は不満など抱かない。
反対に、女からの直接の指示に歓喜した。
女は、満足して放心状態の人形を投げ捨てると屋敷の外へ出た。
女に付き従う者は、もう木偶と化した。
久しぶりの自由に、胸いっぱい空気を取り込む。
領主の計らいによりやって来た屋敷は、女と従者以外に人間のいる気配はない。
一度屋敷の外に出てしまえば、辺りは獣の鳴き声と森のさざめきのみ。
女は森の奥へと進んでいく。
幾ら女に魔性の力があれども、それが効かない獣にでも会えば、食い殺されてもおかしくない。
力さえなければ、ただの人間だ。
女はそれをよく理解していた。
いわば、これは女にとって暇つぶしでしかない。
生きて屋敷に帰れるか、この森で死ぬかのゲームなのだ。
子供のように無邪気にステップを踏みつつ、進んでいく。
緑の香りは生臭い。だが、決して不快にさせない清廉さに、女の気分は高揚していく。
女は堪らず歌いだす。
思いつくまま、吟遊詩人の真似事までしてみせる。
道という道ですら無くなり、裾が枝に引っ掛かり、千切れても、獣の影も消え失せて辺りが薄暗くなっても、女は歌い続けた。
当然のことながら、女の前にフラリと【それ】が出現しても、女は驚かなった。
それどころか、小首を傾げて【それ】に問いかける。
「あらあら、おはよう。こんにちは。こんばんは。初めまして。お元気?私のことを食べるのかしら魔物さん?」
【それ】は予想外の言葉に虚を突かれ、女を殺そうと挙げた両手を下した。
自分と比較して、どう考えてもか弱く、矮小な存在であるはずの人間が恐れることなく対等に話しかけてくる。そのことが信じられないでいた。
恐怖で歪む顔を想像していた【それ】の瞳には、微笑みを浮かべた女が映っている。
「食べないの?言っておくけれど、私は人間の中でも特上の部類に入るわよ。きっと私は美味しいわ。ふふふ、運が良いわね魔物さん。・・・・・・ほら、おいでなさいな」
優雅な仕草で両手を広げる女に、【それ】は警戒心を露わにする。しかし、引き寄せられるように一歩、一歩と女へ近寄っていく。
人如きが自分に敵う訳がないと考えているうちに、女の柔らかい身体ごと包まれる。
「食べていいのよ、魔物さん。だけれど、私のお願いを聞いてくれるかしら?」
初めての人間の鼓動に、【それ】は聞き入った。
体は空腹を訴えているが、もう少しだけ女に付き合っても良い気がしていた。
「私ね、沢山人を殺してきたの。できたらこれからも殺していきたいの。どうして殺したいとか、そんな理由は聞かないでね。だって、お腹が減ったら、ご飯を食べるでしょう?喉が渇いたらお水を飲むでしょう?それと一緒なの。私が生きる上で欠かせないから殺すの。ーーー・・・貴方と一緒」
女を「狂人」と罵る人間がいた。
傍からみて、そう言うのであれば、女は狂人なのだろう。
その人間の四肢を張り付けにして、そいつの前で娘を数人の男達に乱暴させてやった。
鬼気迫る表情で、見開き過ぎた目は赤く充血し、男達を射殺さんばかりの眼光は忘れられない。
その様に、痺れる程の快感を得たものだ。
結局、飽きてその人間は娘もろとも燃やしてしまったが、面白い玩具だった。
「狂人と言う人もいた。満たされているくせに、と罵る人もいた。でもね、私・・・、愛されることが当たり前すぎて、そんなこともうどうでもいいのよ。愛とかそんな、面白くもないものより、私は人を従え、人の苦痛に呻く声が聴きたい。幸せよりも不幸を、希望よりも絶望が好き。愛されるよりも、憎しみと殺意を向けられたい。
ーーーーーーだから、きっと・・・私は、貴方になれる」
女はそっと、壊れ物に触れるように【それ】の顔を撫でた。
女の目には、瞠目し固まる自身が映っている。
理解できないものというより、自分の思考に近い。
母のように柔らかく微笑む女を【それ】が跳ね除けられるはずもなかった。
「良い子・・・、良い子ね・・・。お願いよ、私を食べたら私の代わりに沢山の人を殺してね。皆に絶望を教えてあげて。・・・・・・さぁ、『いただきます』は?」
『い゛ぃだ、らぎまぁ゛ず』
女の白い首に牙が食い込む。
女は綻ぶような笑みを湛えた。