10 夜の帳の真ん中で
その、地下牢の中にスカイは居た。手を伸ばしてやっと指先が届くくらいの高さに、明かり取りの小窓がある。厳重に鉄格子がはめ殺されていて、どうやっても外れそうになかった。
村人にかけられた猿ぐつわと手錠は簡単にあいた。指先さえ使えれば魔術を使えるスカイには造作もないことだった。
アンダンの家から脱出したときのように、空間をねじ曲げて体だけを脱出させることも考えなくはなかった。
けれど、リュイが何処にいるかわからない以上それも危険だと判断する。元来のんびりした性格の彼女が、危険を察知して逃げ延びているとは考えづらいし。同じように地下牢に入れられて居た場合、スカイが逃げればリュイの身が危ない。
それに。スカイは胸中で付け足した。
酷く殴られたおかげで頭が痛む。これでは、完璧な魔術を行使できそうにない。
壁を吹っ飛ばすだとか、風を起こすだとか火を使うなんていう魔術は、割合完璧を求められない。
完璧でなくても、起こる結果はさして変わらない。
思ったより校舎が吹っ飛んだとか、突風のつもりがそよ風だったとか、その程度で、命と命のやりとりである戦場でもないかぎり、そこに大した違いはない。
いや、戦場であっても「効果が大きい分には特に問題はない」のだ。
けれどスカイが先ほどアンダンの家から抜け出すために使った、空間変異は違う。
空間を曲げる大きさが大きすぎれば、町ごとが別の空間に吸い込まれてしまう可能性があるし、小さすぎれば変異した空間に入りきれなかった末端の手足がちぎれ飛ぶかもしれない。
変異した空間から、戻れなければ空間の狭間をさまよう羽目になるだろう。
どちらにせよ、集中できない状況でやるべき魔術ではないことは確かだった。
(そーいや、学校から突然消えた魔術師もいたな。同級生で同じクラスだった・・・まさかな)
考えを巡らせていると、どうでもいいことまで浮かんでくる。
それくらい、今のスカイにはやることがなかったし、やれることもなかった。
明かり取りの窓が陰る。雲が出たのか、誰かのぞき込んでいるのか、それができればリュイであればいいが。
なんて考えながら顔をあげると、闇色の羽根の鴉と目があった。
「おいで」
スカイが微笑を浮かべて声をかけると、闇色の鴉は鉄格子なんて存在しないかのように、壁すらもすり抜けてスカイの腕にとまった。
「その様子ならユエもアッシュも元気そうだな。」
鴉の頭を軽く撫でてから、スカイは指先を鴉の額に近づけた。鴉はそれが当たり前のことのように微動だにしない。
「直接繋げようか。どうせここには誰も来ない。魔術文字をかく時間なら売るほどあるさ。」
光をまとった指先を、鴉の額に滑らせる。人間の文字とは違う、魔術のための文字が、鴉の額を、体を包んでいく。
バグを倒したときのように、単純な文字ではいけない。単純な文字は単純な効果しか表さない。
鴉を媒体にして、遠く離れた他人と会話しようなどと考えたら、どれくらいの文字を、魔術のプログラムを、この鴉に書き込まなければいけないのだろう。
魔術文字の研究や解読をすすめる学者が、辞書と照らし合わせて読むような複雑な文字。それをスカイは苦もなく書き進める。
習ったわけではない、スカイにはその素養があった・・・としか言いようがないのだと師匠は言っていた。
それは、闇色の鴉が、真っ白な鳥にすら見えるほどの長い時間、多くの文字を要した。
明かり取りの窓の上にあった太陽が、名残惜しそうに地平線の向こうに姿を消し、月が夜の帳をつれて出てきたころに、やっとそれは完成した。




