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7 聖ジョージの日

「冗談じゃない」

 ヘンリーは整った眉を露骨にひそめて、そっぽを向く。

「絶対に嫌だ」

「ヘンリー、これは命令だよ。トニーの急病でどうしても替わりが要るんだよ。寮全体の問題なんだ」

 アーネストは内容のわりに、いつもと変わらない柔らかな口調で、ヘンリーの両の頬を両手で挟んで前を向かせる。

「従わない。そんなことをするくらいなら、こんな学校やめてやる」

 唇を尖らせてヘンリーは宝石のような瞳でアーネストを睨みつける。

「ヘンリー、頼むよ……」

 アーネストは困った顔で深くため息をついている。ヘンリーはしばらく目を伏せてふくれっ面のまま考えていたが、意を決したようにくいっとその長い睫毛をあげ、厳しい眼つきでアーネストを見つめた。

「いいよ。その代り、トニー・エヴァレットに何があったのか隠さずに教えて。ごまかさずにちゃんと教えてくれるなら引き受けるよ」


 アーネストは黙ったままヘンリーの真剣な瞳を見返した。






「聖ジョージの日、おめでとう!」

 白地に赤の十字が描かれた聖ジョージ・クロス旗がいくつも翻る、綺麗に晴れあがった日曜日。大勢の人で溢れたハイ・ストリートをエリオット校生による恒例の仮装パレードがねり歩く。


 先頭を行く馬に横座りする今年の姫君のあまりにも可憐な美しさに、街道から歓声とどよめきが沸きあがる。

 紅い薔薇の花冠を長く豊かな金の髪に頂き、純白の古風なドレスの裾を揺蕩わせる。俯き加減のその白皙の面に花冠の花びらが落ちたのかと思えるほど小さく愛らしい唇。ときおり前方に向けられる瞳は、鮮やかな朝焼けの空の色だ。

 馬の歩みに合わせて街道の群衆も歩きだし、熱に浮かされたようにその後に続く。



 パレードの終点であるカテドラル前広場に誂えられた特設舞台で、引き続いてエリオット校生による聖ジョージと黒龍退治の寸劇が行われる。

 監督生でカレッジ寮副寮長アデル・マーレイ扮する聖ジョージと、生徒会役員でガラハッド寮副寮長のジョン・スタンリー扮する黒龍の華麗な剣さばきでの戦いよりも、その背後に佇む姫君の、春霞のように儚げで清楚な姿に観客の視線は集中している。


「あの、顔!」

 観客席でフランクは我慢しきれない様子で、今にも吹きだしそうな口許を押さえて笑いを堪えている。

「まったく、ここまできてあのふくれっ面だもんな……」

 アーネストは腕組みをして苦笑している。

「でも、大成功ですね」

「そうだね。想像以上にね」

 顔を見合わせる二人の意識が舞台からそれた時、会場からどよめきが起こった。慌てて舞台に視線を戻したアーネストは、「おやおや」と口笛を吹いた。


 赤薔薇を抱えた黒髪巻き毛の少年が、勝手に舞台に上がり姫に跪いて花束を捧げ、その手を取って接吻しているのだ。姫は何か一言(ひとこと)二言(ふたこと)呟くと、花束から薔薇を一本抜き取り少年のスーツのボタンホールに挿してやる。とたんに、


 ウイスタンの奴に好き勝手させてなるものか!


 とばかりに、エリオットの生徒たちが我も我もと舞台に上がり、姫に跪きその手を取ろうと躍起になり始める。どうやらあの少年の着ているのは、我らがエリオット校のライバル校であるウイスタンの制服らしい。

 ここにきてフランクは声を立てて笑い転げた。


「あの彼が、よく我慢していますねぇ、先輩!」

「本当にね」


 アーネストは肩をすくめて微苦笑し、ふと思いついたようにフランクの耳元で何事か囁いた。




「ねえ、きみ、記念写真はいらないかい?」


 フランクは押しやられるように舞台から降りてきた、先ほどの薔薇の花束の少年に声をかけた。腹立たしげに眉根を寄せていた少年は、すぐにイラついた視線を返したが、フランクの手の中にある一枚の写真を見るなり黒曜石の瞳を輝かせていた。


「買う!」

「限定百枚しかプリントしないからね! お買い得だよ! 一枚十、」

「百ポンドだよ。一枚百ポンド」

 横からアーネストが口を挟む。

「百枚全部買うから、元のデータは消去してくれるか?」

「OK」

「小切手でいいか?」


 頷くアーネストの前で少年はサラサラと小切手帳にサインをし、ぴっと切り取ってアーネストに差しだした。

 唖然とするフランクを尻目に、アーネストはポケットからデジタルカメラを取りだしてその少年に見せながら、元データを削除する。継いでフランクを振り返ると掌をひらひらさせて催促している。フランクは慌てて、ポケットの封筒にある姫に扮したヘンリーの写真を少年に渡した。


「これで、この写真は俺だけのものだ!」

 少年は嬉しそうに顔を輝かせてその封筒を胸に抱き、ご機嫌な足取りで行ってしまった。



「今時、小切手って……」

「心配いらないよ。ずいぶんな大物が釣れたものだよ! きみ、知ってるかな? あの子、ロレンツォ・ルベリーニだよ。どこかの園遊会で会ったことがあるんだ。――彼がうちの学校にいてくれたら良かったのに」


 アーネストは残念そうにふっとため息を漏らしたが、すぐにくいっと眉を上げて気持ちを切り替えると、フランクににこやかな笑みを向けた。


「さぁ、そろそろ姫を助けにいこうか。いい加減にしておかないと、本気でキレられると厄介だ」

「本当にそうですね! 彼、黙って立っていれば可愛いお姫さまなのに、意外に毒舌ですよね! 僕は初めて彼と喋った時には本当に驚きましたよ! あの顔でガンガン辛辣なことを言うし、あんな綺麗な瞳でとんでもなく冷ややかに睨みつけられた時には、それはもう、心臓が凍るかと――」


 褒めているのか、(けな)しているのか判らないようなフランクのお喋りを右から左に流しながら、アーネストは、完全に不貞腐れてお冠に違いないヘンリー姫を宥めるために、舞台の裏手に設置されている控えのテントへと足を向けた。






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