3 防犯ベル
ビッー、ビッー、ビッー!
消灯後のカレッジ寮にけたたましいブザー音が鳴り響く。
常夜灯に照らされる薄暗い廊下に並ぶドアが次々と開き、眠りを邪魔された生徒たちが飛びだしてくる。
だが、廊下に立ちすくんでいる三人の上級生の姿に気づくと、皆一様に、しまった、と顔を背けてきまり悪そうに俯き、同じように部屋から出てきた同級生と肘を小突き合ったりしている。その間もブザーは鳴りやまず、人を嘲笑っているような甲高い音で、バタバタと寝ぼけ眼の下級生を集めている。
「こんばんは、先輩方。こんな夜中にどうされました?」
下級生フロアの代表である三学年生のアーネスト・ラザフォードが、パジャマの上にガウンをひっかけて、皮肉な笑みを浮かべながら茫然と立ち尽くしている上級生たちに声をかける。だが返事を期待していたわけではないらしく、続いて彼らの後ろのドアをノックして大声で中の住人を呼んだ。
「ヘンリー、ここを開けて! この騒音、どうにかしてくれ!」
静かにドアが開き部屋の主が顔を出す。とたんに狂ったように鳴り響いているブザー音が一段と音量を増して聞こえる。彼は手にした何かを腹立たしそうにアーネストにさし出した。
「僕にも止め方がわからないんだ」
「ごめん、ごめん!」
彼らを取り巻く物見高い寮生たちの壁の向こうから、頓狂な明るい声が割って入ってきた。
「先輩、すみません、これ僕のなんです。これね、技術コースで開発中の防犯ブザーなんですよ。こうやってドアに取りつけてね。ドアが開くとこんなふうに鳴り響くんです。それで消灯前にヘンリーに、」
フランクはヘンリーの手から掌に収まるほどの小さな機械を取りあげ、ドアに取りつけてみせながら、鳴りやまないその機械に負けないような大声で説明を始めた。
「説明はいいから、止めてもらえないかな」
ブザーとの相乗効果で輪をかけてやかましいのだ。フランクの喋りを遮ってアーネストは眉をひそめた。
「すみません、先輩、これ開発中なので僕もどうやって止めるか思案中、」
その返答に、アーネストは遠慮なく大袈裟な溜息をひとつ吐いて、機械をドアから外してボタン電池を抜いた。
とたんに、いつの間にか十人以上はパジャマ姿の子どもたちの集まっている狭い廊下が、しーんと静まり返った。
「それで、ヘンリーが誤ってこの変な機械が取りつけられたドアを開けたってことなの?」
呆れ声のアーネストの問いに、ヘンリーはとんでもない、と首を横に振る。
「それじゃあ、」
アーネストはちらりと、二学年生のショーンの手にあるシーツと、二人の上級生に目をやった。
「新入生歓迎のシーズンはとっくに過ぎていますけれど?」
唇の端に冷笑を浮かべて、三人を見つめる。そんなアーネストの背後で怖々と成り行きを見守っていた一学年生たちも、このときばかりは遠慮なく、不躾で侮蔑的な視線を彼らに向けた。
新入生が入ってくる9月当初には、眠っている彼らを襲いシーツを被せてグルグル巻きにして、食べ物、飲み物、草や虫、その他、訳の分からない色々なものを突っ込んだバスタブに放り込むという入寮洗礼式が伝統化されている。だがそれはあくまで、一年に一度その時だけの、寮生皆納得ずくのお遊びのようなものだ。
まさか独断でそれを行うわけではあるまい、とアーネストは無言の笑顔で上級生を威圧している。
「嫌だなぁ、先輩、そこは察してあげないと!」
所在なさげに顔を伏せたままの彼らに代わり、フランクが横から口を挟んだ。
「こんな夜中にシーツを持って――。ランドリー室はもう一階下ですよ、先輩」
アーネストがくっと吹きだす。一呼吸おいて、さざ波のようにクスクス笑いが広がっていた。
「これは失礼。確かに、そんなものクリーニング袋には入れられないよね。――臭うし」
「慌てていたから、きっとヘンリーの部屋のドアにぶつかってしまったんですね、先輩!」
笑いを噛み殺す下級生たちに囲まれ、ショーンも二人の上級生も、顔を真っ赤にして俯いている。
「ほら、みんな部屋に戻って!」
ぱん! とアーネストは手を打ち鳴らす。みんな互いにチラチラと目配せし合いながら、蜘蛛の子を散らすように各部屋へ戻っていく。
「先輩方も、おやすみなさい」
アーネストの冷めたい口調に、三人は気まずげに視線を逸らしたまま足早に立ち去っていった。
「きみとヘンリーは、僕の部屋だよ」
アーネストが帰りかけたフランクの肩をポンと叩く。
「さすがに今日のはいただだけないな、フランク」
言葉とは裏腹に、アーネストは楽しそうな笑みを浮かべている。
「そうですか? 彼の部屋にこれ、取りつけましょうよ?」
フランクはにこにこと、自慢げに機械を持ちあげる。
「ダメだよ、僕まで眠れなくなる」
アーネストはクスクス笑いながらお茶を淹れ、温かな湯気の立ち昇るカップをソーサーにのせて、ヘンリーとフランクの前に置いた。
「いいなぁ! 下級生組代表の部屋って、ソファーセットつきなんですね! おまけに部屋でお湯が沸かせる!」
「来年度は、きみがこの部屋を使うかい?」
「残念! でももう、ショーンの奴に決まっていますよ」
「僕がきみを推薦してあげてもいいよ。――証拠、掴んでくれるならね。奴らがこの子に嫌がらせをしている証拠だよ」
その場にいる自分を忘れているかのように交わされていた会話に、いきなり自分のことを出され、驚いたヘンリーが顔を跳ねあげた。
「なんとか収まったと思っていたのにねぇ」
ヘンリーを優しく見つめて溜息を漏らすアーネストに、フランクはしたり顔で指を立てた。
「彼、ひとり公衆の面前で叩きのめしたでしょう? 確かにあれで他寮生は退きましたよ。後は、マーレイ一派だけです。それも、やり方がどんどん姑息になってきてる」
打って変わったフランクの真面目な口調に、アーネストは笑みを消して頷いた。
「了解しました、先輩。必ず証拠を掴んできますよ」
フランクは笑みを絶やさず、まるでちょっとしたお使いでも頼まれたかのように、軽く頷いて請け負った。
この場にいる自分のことが眼前で勝手に判断され、いいように進められていく状況を、ヘンリーは軽く眉をひそめて、けれど口を挟むこともなく見つめているだけだった。
だがその翌朝、食堂へ向かう途中のフランクは、階段の手前で待ち伏せていた、怒りをたぎらせているヘンリーに詰め寄られることになる。
「きみ、アーネストに取り入るために僕に近づいたの?」
フランクは足を止めることなく階段を下りながら、ちょっと驚いたように目を見開いた。
「きみ、まったくの馬鹿ってわけでもないんだね! 安心したよ! でも、答えはノーだよ。きみを使わなくったって、彼と僕とはもとから仲良しだもの!」
「――じゃ、なんで僕にかまうんだ? 僕は迷惑しているのに!」
ヘンリーは、信じられない、となおも食いさがっている。
「だってきみ、いつもつまらなそうにしてるんだもの。見ていて可哀想になるんだ。きみはそんなに可愛くて、頭も良くて、皆に愛されていて、こんなにいい学校で勉強できているのに」
「それが何だっていうんだ?」
「ほらそういうところ。きみ、自分がどれほど恵まれているか、判ってないんだね」
フランクは重厚な艶光するオーク材の手摺に手を添えたまま立ち止まった。いつもへらへらとしているのに、笑わないばかりか、哀れむような、同情するような視線をヘンリーに向けて――。
ヘンリーは無性に腹が立っていた。
なんだって、僕がこいつに哀れまれなければいけないのだ――、と。