辻橋女子高等学校35 ― ピンク色の唇
……何だ?
……何が起こった?
なぜ俺は今空を見ている?
え? 屋根?
周囲には自分よりも低い位置にたくさんの屋根があった。
巨人になった―――なんていうことはないようだ。
この腹部の鈍く内臓を圧迫するような痛み、そしてこの無重力状態。
俺はこの痛みを知っている。
下を見れば……ほら。
沙紀がちょうど足を地面につけるところだ。
拳を天に突き上げたまま……ね。
ぐはぁっ!
「セクハラは家の中だけだ」
強烈なアッパーで俺を打ち上げ、それを地球の重力が地面に引き寄せて身体に追い打ちをかけた。
「せ、セクハラじゃない……です……。パ、パンツを穿いているかどうか確認を」
「穿いているに決まっているだろ。何を考えているんだお前は」
……さいですか。ならいいです。穿いているなら僕は安心です。
ふらふらしながら立ち上がる。
……こんな女々しい体でもダメージ量はいつも通りのようだ。沙紀が言うには筋肉量は変わらないようだからな。
「そんなことでは今日の務めは勤まらんぞ」
「……何をさせるつもりですか?」
もうはぐらかさせないぞ。なんてったて当日なんだからな。
「……極秘任務だ」
沙紀の表情が急速に冷徹に戻っていく。これが俺の知っている沙紀の、会長の顔だ。
「いいか。協力してもらいたいことの前に、そのうちお前の目の前には強大な壁が立ちはだかることになる」
「どこの断崖絶壁に連れて行く気ですか!」
「まあそこは私がなんとかしよう。問題はその壁を突破してからだが……それは奏陽、……いや、ソヒリーヌの生命力に頼るしかない」
「……なんですって?」
「お前の生命力の高さは十分知っているつもりだ。なんたって姉だからな。私が溺愛している弟。知っているに決まっている。さらに言えば、奏陽は姉である私のことが大好きだ。相思相愛なわけなのだから」
「いや違う。そこじゃない」
人の思いですら断定し始めた次女にストップをかけつつ、再び問いただす。
「ソヒリーヌって、誰ですか?」
「ん? お前のことだ、ソヒリーヌ。お前の名だ」
身体だけじゃ飽き足らず、名前まで変えろってか?
しかも洋風な名前……何か意味があるのか?
「当然のように名前を変えさせようとしてますが、それは今日の私の扱い……立場に何か関係があるのですか?」
「察しがいいな」
沙紀は少し口角を上げて話し始める。
「お前は今日の午後半日しか学校にいないわけだから、とりあえず海外の姉妹校からの視察生という扱いにしようと考えている」
「……はぁ」
視察生なんて初めて聞いたな。そんな生徒の扱い方があるのか?
「そのくらいでないと、生徒会長がわざわざ迎えに行くなど理由が立たないからな」
そういうものなのか。
まあ正直そんなことどうでもいい。俺が聞きたいのは―――。
「あの、会長。会長のお口からはっきりとお聞きしたいんですけど、私は今日会長の下で何をやらされるのでしょうか?」
そう言うと、少し前を歩いていた沙紀は、振り返って近づいてきた。
顔を近づけて、その薄いピンク色の口元を俺の耳元に寄せる。
そして、息のかかる距離で、ゆっくりした口調でこう言った。
「性教育だ」




