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妃乃里と買い物⑯ ー ブラを持った手を引っ込めるなんて男じゃない

―――なんだ?






 ―――なぜ俺は右手を前に出している?






 ―――なぜ俺はその突き出した手に下着を、姉達のサイズではないブラジャーを掴んでいるんだ?




 そしてなぜ、あの店員、男か女か分からないあの店員を目の前にして、ブラジャーを手に乗せて差し出すようにしながら、俺はにっこりとグッドスマイルを見せているんだぁぁぁぁぁ!? 





 …………いや、そんな記憶喪失を演じるつもりはない。ただ、不本意なだけだ。


 全てに不本意なのではない。正直なところ、あの時、妃乃里がこの作戦を提示してき時は、まさに名案だと思った。




 俺たちは追い詰められた。あの男か女か分からない店員に。




 俺と妃乃里は二人で試着室に入っていた。人一人が着替えるのに十分なスペースであり、二人はいればもちろん窮屈なその場所で、二人入っていたわけだが、普通に考えれば、そのことは何も問題ないはずだ。血の繋がった親族が同じ屋根の下ならぬ同じ箱の中にいて何が悪い。親子で入ることだってあるだろう。ただ、この店の独自ルール、または、下着屋業界ならではの通説、慣習みたいなもので、そういうことを否としているのであれば話は別だ。もちろん、それに従うさ。そこに抗うつもりは妃乃里のプルンプルンに誓ってもない。




 そんな思いを秘めながら挑んだ今回の妃乃里の下着選びだが、二人で試着室に入ってフィティング染みたことをやっていたところ、カーテンの外から「お客様」と声をかけられたのだ。俺は焦った。妃乃里も動きが石像のようにカチンコチンに固まったので、ちょっとは緊張でもしたのかもしれない。


 そこで思った。店員が何の理由で声をかけてきたかはわからないが、少なくとも、妃乃里がパンツ一枚というほぼ全裸に近い状態でそこに男である俺がいては、いくら説明がなったとしても絵図らが悪すぎる。妃乃里は家を出たときからブラジャーをつけないで胸をプルンさせてきていたから、そのワンピースを脱いでしまえば自然とその姿、パンツ一枚にならざるを得ないのだが、人に見せられる姿では決してない。


「出ないと」と声を出さず口だけ動かして伝えたところ、妃乃里が「私にまかせて!」とウィンクのトッピン付きでお返事の口パクをよこしたのだ。そして妃乃里は、あの屏風からトラをおびき出すのが得意なお坊さんばりに頭に指を立てて渦を巻いたと思ったら、しばらくすると急に目をおっぴろげて、急いで俺の耳元に近づき、自分が考えた試着室からの脱走方法を俺に伝えてきた。




 やっぱり妃乃里は策士なんだなと、それを聞いたとき思った。結奈は置いておいて、沙紀が一番頭が切れるような気がするが、いやもちろん切れるのだが、何というか、妃乃里のような柔軟な発想からくる考えは、沙紀からは出てこないような気がする。




 どういう作戦なのかを説明すると、簡単に言えばカーテンで店員の視界を封じてしまって、その隙に俺が試着室から逃げるというものだ。ただ、出て行って終わりではなく、脱出後、自分はずっとここで下着を探してましたといわんばかりの熱心さで店内の下着を見て回っておくことが重要よ♡と妃乃里に言われていた。


 確かにそうだ。あたかも「俺はずっと陳列部分にいました。あなたの目は節穴だったんじゃないですか?」と言えるくらいの状況を作っておく―――さすが妃乃里。こういうときの悪知恵は姉妹随一だ。




 ……つまり、俺の出した右手は作戦外だということは今の説明でわかると思うが、全くのその通りである。




 正直に言うと、……なんでブラを差し出してるのか自分でもわからない。どうしてあんなキザまがいのセリフを吐いたのかもわからない。自分で自分が恐ろしい!


 何をやっているんだ俺は。ただ金物ラック上に掛かっているハンガーをシュンシュン横に動かしているだけでいいものの、何余計な行動を取っているんだ。自分で自己分析すると、ただただ無心だったのだと思う。




 俺は自分を守るためにも、妃乃里を守るためにも、このミッションを成功させる必要があった。何が何でも脱出する必要があった。その思いが強く反映されてしまったのだろう。俺は試着室から出てからは、店員に意識を集中しすぎた。下着を選ぶ時も、店員のモデル顔、スラッとした身体がずっと頭に浮かんでいたのだ。浮かんだイメージに対して、どの形、どの色のブラジャーが合うのか考え、妃乃里が店員からカーテンを開放したのを見た瞬間、自分がここにいるよ!という存在を表明するかの如く、そして店員のことを思って一生懸命選んだ成果を報告するかの如く、キザなセリフ付きで右手を差し出してしまったのだ。ちなみに、そのブラジャーの色は、濃い緑色だ。




 俺と妃乃里が入っていた試着室は、今ではしっかりとカーテンは閉じられていて、中でもぞもぞしている様子が店員越しに見える。絶賛試着中なのだろうか。俺がこんな状況に陥っているのにもかかわらず、自分はショッピングを楽しんでいるわけだ! ……いや、自業自得か。こればっかりはしょうがない。


 あの時、カーテンで店員を覆っていた時の妃乃里の裸体が、どのように外部に露出していたのかはわからない。全然見えていなかったかもしれないし、熱狂的なファンを作ってしまったかもしれない。それはそれでまあ妃乃里の好む状況かもしれないのでまあいいとして、今この状況を乗り切らなければならない。現状を打破しなければ、俺たちに明日はない。




 店員に目を向けると、胸に「麗美」と書いてあった。




 ―――え? それって、あれじゃん。あれじゃないの? 女性なんじゃないの、それ。麗美さんなんじゃないのそれ。




 なんだ、解決じゃん。じゃあこのまま後ろの試着室に一緒に向かってもらおう。




「その下着は私よりあなたの方が似合うと思いますよ」




 


 ―――なん……だと……?


 店員が女性なんじゃないかという期待が高まった最中、その店員が口を開いた。

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