はじまり
黄昏の山道――。
古びた祠のある名も知らぬ神社から続く山道。
幼い少女がひとり、その山道を歩いていた。
まだ十歳にも届いていない幼い少女。
しっかりした足取りではあったが、薄闇に包まれ始めたその時刻のこと。幼い少女が心細い思いを抱いていないはずはない。ともすればこぼれ落ちそうな涙を堪え、少女は口を一文字に結んで、無言で一歩一歩、山道を踏みしめて歩いていく。
気丈な少女であった。
だが、彼女の行く手は徐々に、気づかないほどゆっくりと、荒れた獣道へと変わって行った。幼い少女にその変化に気づけと云うのは、無理であったろう。
やがて――。
彼女は闇に囲まれた深い森に迷い込んでいた。
陽はすでに落ち、重なり合った木々の間から遠くに町の明かりが見える以外は、森の中は真の闇であった。
さすがに少女は途方に暮れる。幼い心にも自分がとんでもない状態に陥ったことは理解できた。
彼女はその場にしゃがみこんだ。
改めて周囲を見渡すと、闇に浮かぶ木々の様子はまるで怪物のようにおどろおどろしく、気丈な彼女もついに恐怖の余り、涙をこぼし始めた。
声を上げずに泣き出した。
何故、自分はこんなところに来てしまったのか?
何故、自分はこんな目に逢っているのか?
何もわからなかった。ただ、泣き続けた。なす術なく、泣き続けた。
すると――。
がさり。
と、森が揺れた。
少女は、思わず悲鳴を飲み込んで、音のする方向を透かし見た。
闇の森の中である。もちろん何も見えない。しかし、気配はあった。何者かの気配。
「だあれ?」
自分でも驚くほどの小さな声である。
その少女の前に、それ、が現れた。
獣である。彼女にはそれが白い犬に見えた。
「ワンちゃん?」
『違う。キツネだ』
それは白狐であった。双眸が紅く輝いている。その妖しさに、しかし、少女は気づきもしなかった。
「キツネさん? お話、できるの?」
少女は驚いて眼を瞠る。
『迷うておるのか?』
「うん」
頷く。
『助けてやろうか?』
「ホント?」
『本当だ。但し、条件がある』
「じょーけん?」
少女が可愛らしく、小首を傾げる。
『約束のことだ』
「おやくそく?」
『そうだ』
「どんなおやくそく?」
『それは――』
月が浮かんでいた。
その日、幼い少女はそれと知らずに、異形の妖かしとひとつの約束を交わしていた。