ぎんりん22
4人掛けのシートは張り詰めた空気が支配していた。
みのりの隣にあおいが座り、あおいの対面にまなみが座っている構図。
あおいとまなみの前にはコーヒーカップが湯気を立てている。
みのりはそんな空気も読まずに、コーヒーを運んできたマスタにコーヒーのお代わりを頼む。
「あ、そうだあおいちゃんにプレゼントがあるんだよ」
みのりがワザとらしく言い出した。
彼女が椅子に置かれたバッグからビニール袋に包まれた包みを二つ取り出す。
意外なプレゼントに驚くあおい。
「とりあえず、我らがぎんりん部にようこそ」
え?ぎんりん部って?
疑問に支配されつつ、思わず自分に差し出された包みを受け取るあおい。
「開けてみてよ」
みのりの覗き込むような瞳に気おされてパッケージを開ける。
一つ目はみのりが着ているのと同じデザインのジャージとスパッツのような物が入っている。
え?これって?
「じゃーん、サイクルジャージとビブショーツのセットでーす」
みのりと同じデザインのジャージとビブショーツだった。
あおいは貰った喜びよりも目の前のあおいの身体のラインも露わな様子を思い浮かべて気分が沈む。
「もう一つの包みも開けてみて」
あまり気が進まない気分で包みを開ける。
自転車用のシューズ?
ある一つの用途に特化した、普通の靴を見慣れた者には醜悪にしか見えない外見。
けれども、ある者にとってはとてつもなく魅力的に見えるシューズ。
靴底を見ると靴底はほとんどしならないほど固いプラスティック製であり、奇妙な爪のような物がネジで取り付けられている。
「あおいちゃんと私の身長が同じくらいだから、靴のサイズも合うと思うんだよね」
あおいは自分の1885に取り付けられたペダルを思い浮かべる。
形状からするとこの爪がペダルに合うような気がする。
「あの、頂いていいんですか?」
「わたしが使ってたお古だから、遠慮なく使って」
改めて手元の靴を見る。
ところどころに擦り傷のような物はあるが、きれいに手入れされている様子だった。
「それを履けば、もっとスピードも出せるしコーナーも綺麗に曲れるようになるよ」
まなみがみのりの顔をあきれた様子で見上げる。
あおいの表情が一瞬で明るくなる。
「本当ですか?」
「それはビンディングシューズと言って自転車と自分を接続する靴なんだよ。自転車と文字通り一つになるための靴なの」
まなみは、みのりがあおいを煽っているのかと訝しむ。
「素人にビンディングシューズなんか渡して、お前キチンと面倒見るんだろうな?車体のセッティングも見直しだぞ」
コーヒーのお代わりを持ってきたマスタが呆れた様子でいった。
「もちろん、責任は持つよ。決まってるでしょ」
マスタを睨みつけるみのり。
「ところでさ、あおいちゃん?」
履くだけで速度も上がりコーナーも上手くなるという魔法の靴をうっとりと眺めていたあおいは、みのりの声で我に返る。
「みんなが集まる練習日は基本的に第二日曜日だけど、やる気のあるメンバーは毎週日曜日の午前8時にぎんりん亭前に集合なんだけど大丈夫?」
あおいは先ほどの妙に明るい声で“ぎんりん部にようこそ”と言われたことを思い出す。
傍らにはすでに受け取っている品物の数々。
逃げ場はない。
あおいは詐欺の被害に遭ったような気分になる。
「いや、ほら趣味の同好会みたいなものだから。」
何か言い訳を考えようとしたが、部活やアルバイトをしていないことを既にみのりに話していた。
無論、今のあおいは自転車に魅せられていたから、みのりのようなベテランと一緒に走ることは嫌ではない。
だが、この外堀を埋めてくるようなやり方に釈然としないものを感じていた。
しかし、ここで
「あなたのやり方が気に入らないので、この話はなかったことにしてください」
ときっぱりと言える精神力の強さを持っていないのも確かだった。
「だ、大丈夫です・・・」
あおいの消え入りそうな声にみのりは満面の笑顔を浮かべた。