ぎんりん17
再び湘南平の頂上に上ったあおい。
奇妙な感覚だ。
もう、これ以上登らなくて済むという安堵。
ならば、何故登るのか。
かつて、稀代のクライマーであるマルコ・パンターニはなぜそんなに疾く登れるのか聞かれた時に、このように答えた。
「早くこの苦しみから逃れたいからさ」
あおいは下り坂、しかもコーナーが複合的に組み合わさったコースにたまらなく魅力を感じる人種だった。
親や教師の言うことには逆らわず、規則を破るなど思いもよらない。
スカート丈を弄ることもなく、学校指定のソックスやローファー以外を着用することなどもない。
彼女はある面ではひどく規範的な人間だったが、それは彼女が情熱を注げるベクトルが限定的だったからだ。
教室の片隅で誰にも嫌われず、目立ずに時間を過ごすことを至上としていた女子高生がスピードに魅せられるということは稀有な現象である。
だが、スピードというものに麻薬的快楽を覚える性癖を持つ彼女がロードバイクという乗り物に出会ってしまった。
湘南平の駐車場から観光客のクルマが出ないタイミングでスタートする。
最初は右コーナー。
ギアを上りきったままの軽い設定であったことに内心舌打ちをする。
フロントディレーラーをアウターにし、リアを5速に変速する。
やがて複合コーナーが始まる。
可能な限りブレーキのタイミングを遅らせてコーナーに侵入。
だが、そうすると曲りきれずにコーナーの奥で強めにブレーキを握ってしまい、結果としてコーナーでの減速につながってしまう。
違う、こうじゃない。
ならば、どうすればいいのだろう?
予習をしておけば授業で教師に急に指されても慌てることがない。
そうか、コーナーの手前で減速、角度が一番キツいところを抜けた後に加速しれば良い。
彼女はセンターラインがコーナーの角度に応じてマーキングされていることを見抜く。
ならば、センターラインが描くコーナーの頂点を目印にして減速しよう。
右コーナーでカーブの頂点を越えたところであおいは無邪気にペダルを踏み込んだ。
そして、地面から突き上げるような衝撃により反対側の路面に叩きつけられそうになる。
ロードバイクが傾き、結果として踏み込んだペダルが地面に接地した結果だった。
しかし、そのことが彼女を萎縮させることはない。
次の左コーナーで接地を避けるために右足を踏ん張ると、車体が安定することを知る。
あおいは満面の笑顔を浮かべた。
傾斜度14パーセントの直線。
ドロップハンドルの俗言われる下ハンドル部分を握り、リアディレーラーを一気に10速まで叩き込む。
風が重い。
もっと速く、もっと速く。
高揚感と共にケイデンスを上げて行く。
だが、冷酷にもストレートを下った先には右コーナーが待っている。
ああ、もうすぐ終わりなんだね。
スローインファストアウト。
丁寧にコーナー手前で減速し、出口で素早く加速する、モータースポーツの基本だった。
こうすればもっと速く走れる。
どうしよう、たまらなく楽しい。
やがて麓に到着した。