ぎんりん13
月曜日。午前8時25分
あおいは学校の教室で英語の教科書を眺めている。
だが、そこに並ぶ英文は一文字たりとも頭に入ってこなかった。
思い浮かぶのはぎんりん亭の駐車場での1コマ。
コンビーフのサンドイッチと食後のコーヒーを胃袋に放り込んだ彼女は、みのりと共に店を出た。
「今度の週末もどこかいこうか?」
「本当ですか?是非」
ロードバイクに乗る前のあおいは極めて行動範囲の狭い人間だったので、この申し出はありがたかった。
「また、週末に」
みのりが自転車に跨ると、あおいのスマートフォンにSNSの着信音が鳴る。
あおいの周辺では閲覧し、すぐに返信を送るのが嗜みとされていた。
正直、そのことについてあおいは煩わしさしか感じていなかったがメッセージを送る手間とその行為を無視した際に発生する面倒な事態を勘案した結果、前者の方法をとることにする。
「すいません、メールが」
「気にしないで返信してあげて。じゃあ私はこれで」
大して親しくない級友の大して重要ではない内容のメッセージに大して意味の無い返信を送る。
思わずため息をつく。
明日が月曜日だということを思い出したからだった。
「おい、ビアンキ乗り」
幸太の声だった。
「は、はい」
幸太の自分に対する呼び方に大いに不満があるあおいだったが、彼の勝気な性格と異性に対する苦手意識が彼女に控えめな反応をおこさせる。
「なんで失神するまで追い込んだんだ?」
何故だろう・・・それはあおいにとっても疑問だった。
「なぜって・・・」
軽快車に乗って通学している経路上にも若干の上り坂がある。
それはあおいにとっては不愉快だが日常で遭遇する耐えうるべきリスクだった。
決してそれが楽しいわけではない。
それを12kmも続けて登ることは苦行以外の何者でもなかった。
「水谷さんにおいていかれるのが嫌だったからだと思う」
幸太が噴出す。
「おいおい、あの人がどんなレベルが知ってるのかよ?」
あおいは虚を突かれた気分だった。
確かに、わたしはあの人のことをほとんど知らない。
「大学時代に女子ロードでインカレ2位だったんだぜ」
インカレという単語に聞き覚えがない彼女だったが、ヤビツの容赦ない加速などを目の当たりにしている以上、かなりの実力者だというのがわかった。
幸太がため息をつく。
「それでまんまと置いてかれて、お前はどう思ったんだよ」
あおいはその質問については即答できた。
「悔しい、かな」
幸太の口角があがる。
それは、まぎれもなく共犯者を作り出す喜びを感じている表情だった。
「つまり、もっと速く走りたいと思ったわけだな?」
わたしはもっと速く走りたい。
わたしはもっと速く登りたい。
「うん」
あおいは力強く頷いた。
「それなら、方法を教えてやるよ」
「え、本当?」
思わず幸太に向って身を乗り出すあおい。
幸太の方が思わず身を引く。
「お前、湘南平って知ってるか?」
どことなく聞き覚えのある地名だったが、詳しくは知らないあおいだった。
「ネットで調べれば出てくる。そこを毎日登るんだよ、何度もな」
「そうすれば、速くなるの?」
なんだ、やっぱり登るのか・・・
あおいの落胆する様子を感じ取った幸太。
「結局のところ、自転車で速くなるなら自転車に乗るしかないんだよ」
「起立」
授業当番の声で我に返るあおい。
結局のところ、自転車に乗るしかないんだよね。
「礼」
やってやろうじゃないの。