ぎんりん12
幸太の前におかれたチキン・サラダはきちんとローストされた鶏肉がみずみずしいレタスと玉ねぎとパプリカの複合体の上に乗せられ。トーストは香ばしい匂いを奏でていた。
彼は添えられたバターをトーストの上に滑らせていく。
香ばしい、それだけで食欲をそそられる音だった。
「まったく、なんでファミレスのトーストはこの音が出るように焼けないのかね」
幸太は満足げな笑みを浮かべながら言った。
「褒めても何も出ないぞ」
マスタはあおいのコップを下げながら言った。
「だからこの店は流行らないんだよ」
マスタがニヤリと笑う
「おべっかつかう客にヘコヘコするくらいならランチタイムにガラガラの方がマシさ」
幸太はチキンサラダにカウンタに置かれたワインビネガを盛大にふりかけると、パンに挟んで大口を開けて頬張る。
あおいは幸太のいささか無礼な振る舞いにマスタが大声で怒鳴りつけるかと危惧したが、それは杞憂だった。
マスタはまるでその食べっぷりに満足したような鷹揚な表情を浮かべ、佇んでいた。
幸太のその食べ方は、先ほどまで疲労から食欲を失っていたはずだったあおいにまで空腹を覚えさせる。
先ほど胃の内容物を全てヤビツ峠の路上にぶちまけたのだから、それは当然の結果だった。
「あ、あの」
あおいはたまらずマスタに声をかけた。
「コンビーフのサンドイッチを・・・」
なぜ、それを注文したのかあおいにもよく分からなかった。
だが、コンビーフという響きに今の飢餓感を補う何かが存在していた。
「やっと腹が減ってきたか」
マスタのその言葉にあおいは思わず顔を赤らめた。
彼女の周辺では、女性が空腹であることを訴えることがどことなく恥ずかしいことだった。
「恥ずかしがることなんてない。若いヤツはいつでも腹が減って当たり前なんだからな」
マスタはカウンタの奥に再び引っ込んだ。
「みのり姉え、こんな素人をヤビツで追い込むなんて、何かロクでもないこと考えてるだろ」
「はあ?たまたまヤビツに行っただけよ。人聞きの悪いこと、言わないでくれる?」
幸太はふうんと呟くと、サンドイッチをたいらげてマグカップに残ったコーヒーを飲み干す。
あおいがみのりの表情を伺うと、彼女はそれに気づき満面の笑顔を浮かべる。
「コイツ、変に疑い深いところがあるのよ」
幸太は何も言わずに意味深な笑みを浮かべる。
店内を地元のFMラジオが流す音声が支配する。
心地よいモダンジャズの音色。
せっかくの休日に観光地に急ぐ国道134号線を進む自家用車のリズミカルな走行音。
平和そのものの日曜日の昼下がり。
ああ、そうか。
無理やり話題を作ったりしなくても、こんな雰囲気になれるんだ。
あおいは理解する。
やがて、彼女のカウンタにサンドイッチが置かれた。
それを頬張るあおい。
トーストされたパンの温度により適度に温められて油が溶け出したコンビーフ、バター、マヨネーズの風味が合わさり、濃厚な味を演出すると思いきや、酢で晒された生の玉ねぎの刺激的なアクセントが加わる味覚に、彼女の舌が敏感に反応する。
美味しい。
運動した後の食事は美味しい。
それは単純な真理だったが、学校の成績、クラスの人間関係、他のクラスの女子に比べて高めの身長、重めの体重にあれこれ思い悩んでいる彼女にとってはとてつもなく新鮮な感情だった。
あおいはぺろりと一皿を平らげた。