ぎんりん11
ぎんりん亭のカウンター席に突っ伏しているあおい。
目の前にグラスが置かれる音。
見上げるとリーゼントのマスタが薄黄色の液体の入ったグラスをコースタの上に置いている。
「レモネードだ」
「わたし、頼んでませんけど・・・」
正直なところ、あおいは何も飲む気にならなかった。
「初心者をヤビツで揺さぶるアホからの奢りだ。そうだろ?」
みのりが心配そうな表情を浮かべながら頷く。
それは彼女がイメージしているレモネードとはかなり違う味だった。
やさしい甘さ、刺々しくないレモンの酸味、そして最後に鼻腔を抜けるミントのさわやかな風味。
「レモンのはちみつ漬けを使ったレモネードだ。疲れに効くぞ」
マスタはみのりをジロリと見た。
「だって、ついてきてくれて嬉しかったんだもん・・・」
「まあ、気絶するまで走りきるヤツもバカだけどな」
今度はあおいが俯く番だった。
「公道で100パーセントを搾り出すのはバカがやることだ。二度とするなよ」
マスタの表情は真剣だった。
「はい、すいません」
何故だろう、親や教師から叱責を受けている時のような気分にはならない。
「あおいちゃん自転車を嫌いよね?」
みのりの上目遣いでの問いかけ。
「あ、当たり前じゃないですか」
あおいはレモネードを飲み干す。
その時、来客を告げる真鍮製のベルが鳴った。
入ってきたのは幸太だった。
「みのり姉にビアンキ乗りじゃねえか」
あおいは彼が苦手だった。
「シャワー無料貸し出しならお断りだぜ」
マスタがそういうと彼は笑みを浮かべながらカウンタ席に座った
「チキンのサラダとトースト、それからコーヒー」
「やれやれ、まともな喫茶店の使い方だな」
マスタの表情は好意的だった。
「日曜日の昼飯くらい、マトモな食い物にありつきたいからね」
あおいは違和感を覚える。日曜日の昼くらい・・・?
マスタはカウンタの奥に下がった。
幸太は無遠慮にあおいの顔を覗き込む。
「随分と疲れたツラしてるな。姉御にシゴかれたのか?」
「ちょっと、縁起でもないこと言わないでくれる?」
みのりは明らかに慌てている様子だった。
「おい、図星かよ」
幸太の表情が引きつる。
すると、コーヒーを片手にマスタが現れた。
「どっかのアホが素人相手に揺さぶりをかけて、バカがまんまとその挑発に乗って失神しただけさ」
アホとバカのコンビは俯くしかなかった。
「まあ、レースでもないのに自分を追い込めるのも一種の才能だけどな」
てっきり嘲笑を浴びせかけらると思っていたあおいにとって、幸太のその言葉は意外だった。