表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夏空  作者: 水崎涼
《第一部 嘘吐き少女》
4/17

覚えてる

 開いた口が塞がらない、とはこの事。実際口は開いていないのだが、こんな例えを持ち出す程、その日のテレビ朝会を、私は信じられない思いで見つめていたのだ。何故なら、


『こんにちは。この度、藍浜中学校に教育実習生として来ました、氷見山心露です。担当は……えっと、そう数学!』


等と言葉を述べているのは、『彼』。そう、つい昨日私が出会った『時間屋』の、彼。


『世間一般の教育実習生なら、皆と一緒に学んでいきたいです! とか言うんだろうけど、生憎俺はそんなちゃんとした人間じゃない。だから、俺なりの言葉で挨拶させてもらおうと思う』


茶髪は変わらないが、黒縁の眼鏡をかけてスーツにネクタイ、受ける印象はかなり違うも、彼は紛れも無く『彼』だった。


『今、中学校生活や勉強、つまんねぇとかだるいとか思ってる子いるよね? そんな事無いよ、楽しさを知らないだけ。俺が全部教えるから大丈夫! 若い内に遊んどいた方が良いからねー。それから、俺には先生って付けなくていい。ほら、福沢諭吉も言ってるじゃん? 天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず……ってさ。対等で居ようよ』


そしてやはり、言っている事的にも彼は紛れも無く『彼』のようだ。あれでよく教師になれたものだな。


『まぁ副校長に怒られちゃうから、最後は模範的な言葉で締めようかな。皆と早く仲良くなりたいです! 見つけたらどんどん声掛けてくれ。宜しく!』


あの人懐っこい笑顔で、彼はそう言った。ああやって初対面の人間の警戒を解く。そして知らない間に心を溶かして隙間に滑り込む。そんな彼の手の内はもう知っている。……それで変われた事に感謝は、していなくは無いが。なんてこと事が無くは無い事も無い訳では無い。どっちだ。自分でもよく分からなくなってきたから、この辺にしておこうかな。それにしても、彼が教育実習生。それならば、昨日私に会った時、彼は私が藍中の生徒だと気が付いていたはずだ。それなのに何故言わなかったのだろう。何となく、悔しい。


「ちーちゃんっ、実習生の先生かっこいいねっ」


はしゃいだ声の主は優衣ちゃん。いつものほんわりスマイルで、後ろから身を乗り出してくる。


「え?」

「え? じゃないよ~、かっこいいよねっ」

「そうかな……」

「う……。好みも人それぞれかぁ」


ふにゅ、と口を尖らせて不満げな顔。優衣ちゃん可愛い……。


「ちーちゃんは、どんな人がかっこいいと思うの?」

「私はもっと真面目な人がいいな。クールで無口で無愛想だけど実は優しい、とか」

「なるほどー。それもいいけど、あたしはやっぱり氷見山くんみたいに、明るくてやんちゃそうな人がいい」

「ふーん」


頷きつつ前を向こうとして、


「氷見山……『くん』!?」


何故くん付け!?


「うん。だって『先生』付けなくていいって言ってたよ?」

「いやまぁそう、だけど……」

「ほらちーちゃんも! せーのっ『氷見山くーん』!」

「それ一緒に言う意味あるの?」


ぐだぐだ感の否めない優衣ちゃんに、呆れながらも笑みがこぼれる。友達と、いや人と、今までこんなにも触れ合った事は無かったから。嬉しい様な、でも少しこそばゆい様な。これから慣れていけるのかな。この感じが、当たり前になるのかな。そうなったら、いいな。


「喋んのそこまでな、前向こう」

「!?」


突然ガッと頭を掴まれた。痛い! とゆーか担任こんなに手荒い事する人だったか!?


「あっ!」


優衣ちゃんが目を輝かせる。何だ? そして強制的に前を向かされた私は、その理由を知る。


「あー……」

「あれ」


黒縁に囲まれた茶色い瞳が、驚きの色を浮かべている。


「昨日ぶりだね、君。まさかこのクラスとは」

「昨日ぶり? ちーちゃん知り合いなの?」

「あ、君ちーちゃんってんだ。いやぁ、知り合いって程じゃ無いんだけど、昨日ちょっと話を聞いてあげたり、色々。ってかその仏頂面は何だよ。昨日の笑顔は何処へ」

「初めましてこんにちは。教育実習の先生でいらっしゃいますね。何故このクラスに居るんですか、消えて下さい」

「えぇ! いや何バックレてんの! しかも言ってる事、初対面に言うそれじゃ無いし!」

「あなたなんか知りません」

「おーい……」

「あの、氷見山先生?」


控えめに口を挿んだのは花澤先生。このクラス、一組の担任。大人しい女教師で、怒った所は見た事が無い。


「氷見山先生、生徒達に紹介したいんですけど、いいかしら」

「あー、わり……じゃなくてすいません、どうぞ」


また人の良い笑顔でそう返す。本当この人、何故教師になれたんだろうか。


「さっき朝会で挨拶された、教育実習生の氷見山先生。数学教師として、私が指導にあたる事になりましたから、基本一組の皆さんと接する事が多くなると思います」

「そーゆー事。宜しく!」


うわ……。これは一体何分の、いや何十分の、何百分の一の確率で、こんな事に。二つの何か言いたげな視線を右頬と背中に感じながら、私はあえて机に突っ伏して無視を決め込んだ。……特に理由は、無いのだけれど。


 まぁしかし、氷見山先生が教師になれた理由は、なんとなく分かった。彼は人をよく見ている。侮れない観察眼、というところだろうか。他人の警戒や緊張を解く術、群衆の中に溶け込む術、人心を掌握する術。今朝からこの昼休みという短い時間の間に、恐ろしいくらいのスピードで、彼は藍中での信者を確実に増やしているように思う。確かに、初めて出会った時にも、その片鱗は見ていた気がする。彼はいとも簡単に私の心理構造を読み取り、人生全てを懸けて隠してきた私の気持ちさえも、見破ってしまった。……悔しい。感謝しているはずなのに、私と対照的過ぎる彼を羨ましく思ってしまって、もやもやした感情が溜まっていく。そんな自分にまた、嫌な感情をもってしまう。悪循環だ。だから、頼むから、


「……私に構うのをやめて下さい」

「そっちが無視するからじゃん」

「ちーちゃん、氷見山くんが可哀相だよ」

「可哀相なのはむしろ私だと、そこの大人に自覚してほしいモノですが」

「さっきから酷くない? 俺ちーちゃんと話したいなぁ」


昨日は私の心の奥を見破ったのに、何故今は分かってくれない! わざとか? わざとやってるのか、この茶髪男は! 優衣ちゃんの目を盗んで、そっと彼の顔を見上げると、訝しげな表情に捕まった。何で?とでも言いたげだ。こっちが何で?だ!


「……話したいって、何をですか」

「おっ」

「話すとは言っていません! ただ参考までに、氷見山先生が一体私なんかと何を話そうとしていたのか、聞いてみたくなっただけですから!」

「意地張るなってー」

「張ってま・せ・ん!」


軽い調子の声にイライラしながら、ご飯を口に運ぶ。柔らかい事は百も承知だが、この状況でこれを力を入れずに噛めるかってんだ! いけない、言葉遣いがよろしくなかった。優衣ちゃんはというと、さっきから蒸しパンに顔を埋めてもぐもぐやりながら、私と彼を面白そうに見ている。まるで小動物の様。可愛い。女の子として申し分無い振る舞いである。と、そこへ。


「ゆいぴょーん、吹部の先輩呼んでるよー」

「あわぁ! こないだのミーティングすっぽかしたんだった!」

「こら優衣―、早く来なー」

「ご、ごめんなさいぃ~! ちーちゃん、ちょっと行ってくるねっ」

「うん、いってらっしゃい」


慌てて走ってゆくその後ろ姿を見送って前を向くと、


「はわっ!?」

「『はわっ!?』だって、可愛い~」

「ふ、振り返ったすぐ目の前に誰か居たら、驚くに決まってるじゃないですか!」

「どうどう、落ち着いて」

「……っ」


何処までも人の神経を逆撫でするのが得意な人だ。


「ってかね、そうじゃなくて」


昨日の様に、声のトーンが突然変わる。低く重みのある声。思わず身を硬くしてしまう。


「昨日の今日で、変わってる事はそこまで無いとは思うけど……どう? お父さんと話とかした?」

「いえ、それはまだ……」


父子家庭の為、働き詰めの父とはなかなか会える訳では無いので、とりあえず今朝メールを入れておいた。


『お父さんと、久しぶりに色々話したいと思います。土日でも良いので、時間をつくってもらえないでしょうか。』


我ながら、親子とは思えないくらいによそよそしいメールになってしまったが、それは仕方が無い。これからゆっくりと、修復してゆけばいいんだ。時間はたっぷりある。


「そっか。まぁお父さんはきっと、いつも君を気にかけてるはずだから、話し合いの場さえ設ければ、後はそんなに難しくないと思うよ」

「そうですね」


やっぱり分かっている。私が今一番心配な事に、さらっとフォローを入れてくる。


「でもなぁ」


机に突っ伏し、彼は上目遣いに私を見た。ふわりと――香水だろうか――柑橘類の爽やかな匂いが感じられる。


「まさか昨日の今日で友達ができてるとは思わなかった」


にこりと、また人の良さそうな笑みを浮かべて。私の胸の中を見通して。その笑顔を間近にして、私は彼に何か違和感を持った。


「あの、」

「ん?」


問いかけようとして、困った。あれ? これは何に対する違和感なのだろう?


「どうした?」

「い、いえ……」


開いた目に全てを射抜かれる気がして、目を逸らす。視界の端には吹奏楽部の先輩に、ペコペコと頭を下げる優衣ちゃん。氷見山先生が起き上がる気配を確認してから、私は再び前を向いた。


「話は戻るけど、」


残りのお弁当に箸を伸ばしかけた私の頭に、何やら感触。



「頑張ってるんだな、水谷(・・)知里(・・)ちゃん」



ぽんぽん、と頭を撫でられた事に気付いたのは、フルネームで呼ばれた事に気付いたのは、彼が教室を出て行ってしばらくしてからの事だった。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ