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夏空  作者: 水崎涼
《第一部 嘘吐き少女》
3/17

変わる

 久々に泣いた。声を上げて泣いた。泣き方なんて忘れてしまって、上手に泣けなかったけれど。それでも、泣きたいだけ泣いた。喉が詰まって、声が嗄れて、涙が出なくなっても、それでも気が済むまで泣いた。涙が出ていないのに泣いたと言えるのかは疑問だが。


「うわぁ、凄い顔。タオルとか無いの?」

「ありますけど……」


ようやく泣き止んだ私を見て、『時間屋』が大袈裟に顔をしかめる。そんなに酷いのだろうか、私の顔は。


「で、すっきりした?」

「まぁまぁです」

「あれ」

「でも、少しだけ気持ちが晴れました」

「お」

「……」

「……で?」

「何がですか」

「いや、この流れだと、何かしら俺に言う事があるんじゃないかな、と」

「何も言う事はありませんけど」

「素直じゃないなぁ」

「元々です」

「開き直るなよ」


この際開き直ってやる。何とでも言えばいい。


「もう少し、私の話を聞いてもらっても良いですか」

「ん、どーぞ」


くあ、と彼は欠伸をもらす。聞く気があるようには見えないけれど、素直に礼が言えない私の、せめてもの感謝の印として、話したいと思うんだ。


「母が居なくなった時、確かに私は母が怖くて、憎くて、居なくなってくれて嬉しいとすら感じました。でも、それからしばらく、母の居ない生活を送っていると、思い出すんです。楽しかった事ばかりを。変わってしまってからの母で無く、優しくて明るかった母を。幼い私に絵本を読んでくれた母、私の誕生日が来る度に、大きくなったと微笑んで頭を撫でてくれた母、学校で友達と喧嘩をして帰って来た私を、怒鳴りつけずに静かに諭してくれた母……」


それは、長らく忘れていた綺麗な思い出で。いや、忘れていると思い込んで消してきた、大切な思い出で。


「私がどんなに憎もうとしても、あの人は紛れも無い、私の、世界でたった一人の母親だったんです」


知っていた、分かっていた。だから、消した。悲劇のヒロインぶって、自分の痛みの原因を、母に擦り付けようとした。でも、それが間違った事だと、心の中では気付いていたんだ。


「だから、そんな風に母を憎む、卑しい自分を悟られたく無くて、周りの人と距離を置いたんです。私は強くて完璧で、人との繋がりなんて要らないからと自分に言い聞かせて、そんな人間になろうとして、できなくて」


もがいて、もがいて、もがき苦しんで。


「気が付いたら一人になっていました。でも、大丈夫だと言い張って」


我ながら、なんて強情で頑固な人間だったのだろうと思う。


「でも、あなたが全て見抜いてくれたおかげで、私は、これから少しずつでも変わっていける気がするんです」


さっきまでは暑苦しいとしか感じなかった太陽の光は、今は優しい温もりをくれている様に感じる。ここから見える景色は、全て鮮やかに色付き、私の心を弾ませる。それもこれも、『時間屋』のあなたのおかげだ。


「だーかーらー、そういうのいいから素直に言えっての」

「言葉遣いが悪いですよ」

「君が大人ぶり過ぎてんの」

「あなたは子供っぽいですよね」

「るせーよ」


彼がつま先で蹴飛ばした小石は、コロコロと転がって来て、私の足に当たって止まった。試しに蹴り返してみると、割と真っすぐに転がって、また彼の前で止まった。


「あとさ、俺が思った事も言っていい?」


彼が石を蹴る。


「どうぞ」


私がそれを蹴り返す。


「君のお父さんが、お母さんの事を咎めなかったり、事故に遭った時に文句を言わなかったりしたのは、さ」


転がって来た石をつま先で止めて、彼は私を見た。


「君に、憎しみを教えたくなかったからじゃないかな」

「憎しみを?」

「そう、憎しみを」


そしてまた蹴る。


「お父さんはきっと、君がお母さんを憎む事で、悲しみから逃げようとしてるのが分かったんだよ。だから、どうにかして君に、憎しむ事がいけない事だと教えようとしたんだ」


石は私の目の前で止まっている。


「と、俺は思うんだけど、どう?」

「……そう、ですね」


胸一杯に息を吸い込んで、


「本当、不器用な所が私とそっくりですねっ」


渾身の力で石を蹴った。ぽーんとそれは高く上がり、彼を飛び越して植え込みに落ちた。


「なんか嬉しそうじゃん」

「そうかもしれませんね」


軽やかにベンチから立ち上がる。今の私の心には、一点の曇りも無かった。何処までも晴れ晴れとした、清々しい気持ち。


「あれ、話は終わり?」

「はい。もう帰ろうと思います」

「そっか」


『時間屋』もブランコから立ち上がり、ぐぅっと伸びをする。そして腕時計をちらりと見ると、指を二本立てた手を、私に向かって突き出した。


「二時間十六分。二千百六十円。でも学生さんだからオマケして、二千円で良いよ」


……は? 今、何て? 二千円? 何が?


「ほら言ったじゃん、俺はこれを売ってるって」


そう言って指差すのは懐中時計。時間の狂った懐中時計。


「悩みとか、ストレスとかを吐き出す。そういう時間って意外に無いんだよな。だから、俺は、悩みのある人の話し相手になって、愚痴る時間をつくってあげるって訳。気分を新たにする『時間』を、俺は売ってるんだよ」


よく分かんない商売だろー? なんて言いながら懐中時計の時間を進める彼。よく見れば、懐中時計は動いていなくて、


「売った時間の分だけ、この時計の時間を進める。二十四時間に達したら、一日休む。そうやって、人と上手く接する為の修業、みたいな?」


そういう事らしい。待てよ、という事は。


「タイムスリップとかしないんですか?」

「俺、宇宙人じゃないんだけど」

「どうして私が呼んだって分かったんですか?ていうかそもそも、何で中学の近くに居たんですか?」

「ちょっと私用で……。それと独り言、スゴイ聞こえてたけど」


まさかあの時思ってた事全部、口に出ていたのか? 恥ずかし過ぎる! というか、そんな事より……


「お金を取るなんて聞いてません!」

「おー。だって俺言い忘れたもん」

「言い忘れでは済みません!」

「いやだって、そんな事言っても……」

「払えませんから!」

「うわぁ、変に話聞くから元気になっちゃったよ」

「それはあなたが!」

「まぁまぁ落ち着」

「落ち着けません!」


乱暴に鞄を肩に掛けて歩き出した私を、『時間屋』の声が追いかけてきた。


「一つ言い忘れたけど」

「言い忘れ過ぎじゃないですか」

「それは置いといて」


振り返ると、彼は優しく笑っていた。初めに会った時の、人懐っこい笑みとは違う、温かくて全てを包み込むような笑顔。あぁ、やっぱりこの人大人なんだと、改めて感じた。


「君は、色んな事に触れて、色んな思いをしてきてる。その経験は何一つ、絶対に無駄な物じゃない。それから、君が苦労している事を、薄々でも感じている人は居ると思う。少し周りに目を向けるようにしてごらん。きっと、君に歩み寄ろうとしてくれている人は居る。君は今までこんなに頑張ってきたんだ。絶対に、良い友達にめぐり会える。絶対だ」


その声を聞いている間、何故かまた、泣きそうになった。何故彼はこんなにも人の心を動かすのが得意なのだろう? どうして、今一番嬉しい言葉を、かけてくるのだろう? 涙が出そうなのに、自然と口元が緩んでしまう。泣きたいのに、笑ってしまう。でも、今なら、笑って言える気がした。


「色々、聞いてくれて……ありがとうございました」


心からの笑顔でそう返すと、彼は目を丸くした。


「やっと言ったなー」

「うるさいです」

「それに良いモノ見れたし!」


くるり、と背を向けて『時間屋』は歩きだす。


「仕事の報酬は、それで充分だ。まいどありー」


ひらひらと手を振って遠ざかる、その大きすぎる背中に、精一杯の感謝を込めて、私は深々と頭を下げた。夏の日差しは鮮やかに、全てを照らしていた。




   *   *   *   *   *




 「おはよう」


朝、教室に入る時にクラスメートに挨拶をしてみた。


「……え? あ、うん、おはよう……?」


まぁ無理も無い反応だったけれど、私は変わると決めたから、大丈夫だ。それに、『時間屋』の彼も言ってくれた。


『絶対に、良い友達にめぐり会える』


絶対に。そう、絶対に。それにはまず、クラスメート全員の名前を覚えなければ。


「ねぇねぇ」


心の中で拳を握りしめていたら、腕をつつかれた。そこに控えめに立っていたのは、例の、ほんわりの子だった。


「あ、おはよう」

「おはよう。あのね、あたし前から水谷さんと、お話ししたいなーって思ってたの」

「え?」


私の名前を覚えてくれている。それに、私と『話がしたかった』?


「水谷さんあんまり皆と話したくないみたいだったけど、そういうの、ちょっと仲間外れっぽくて嫌だから……」


『君に歩み寄ろうとしてくれている人は居る』


『時間屋』の言葉が頭をよぎった。


「え、えっと、話しかけてくれて、ありがとう。申し訳無いんだけど、あなたの名前、覚えて無いんだ。教えてもらってもいい……かな」


その子は嬉しそうに笑ってくれた。


「いいよ、あたしも水谷さんの下の名前、知りたいな。あたしは、速水優衣」

「優衣ちゃん」


あの時の様に、自然と笑顔になれる。今日から私は、変わるんだ。


「私は、水谷知里。よろしくね」




   *   *   *   *   *




 「君は、社会のルールというものを理解しているのか?」

「しているつもりですが」

「どう見てもしていないだろう! なんだその馬鹿に大きなヘッドホンは! 職員室ではそういうものは外せ!」

「はあ」


『彼』は渋々と首に掛けたそれを外し、傍の机に置く。あまり反省はしていない様だ。スーツにネクタイと、格好こそきちんとしているものの、常識はあまり無いと、とれる。


「だいたいその茶色い頭も、ここにはふさわしくないだろう!」

「だから、これ地毛ですってば」

「信じられるかそんなの!」


そして『彼』の前に立つ『彼』の上司であろう男は、相当ご立腹。


「いいか? 君は、教育実習生と言えど、教師という立場の人間なんだ。子供達の手本となる様な行動をとってほしい。その上うちは中学校だ。中学生とは、色々な事に影響されやすい時期。そんな彼らを導く教師が、品行方正にしなければならないのは、分かるな?」

「大丈夫ですよ、俺……僕こう見えて、人と関わるの得意ですから」

「対人関係の事を言っているんじゃない! 身だしなみの事だ!」


怒鳴られても、『彼』は気にせず、にこにこ笑っている。


「そろそろ時間ですよね、放送室でしたっけ?」

「……あぁ。挨拶は考えてあるな?」

「はい」


ネクタイを締め直す『彼』を見ながら、『彼』の上司が腹立たしげに呟く。


「これだから社会に出た事の無い最近の若者は……」

「あ、副校長先生、俺……僕、ここに来る前は仕事してたんですよ」

「は?」

「人の悩みを聞く仕事を、ね」


ポカンとした顔の副校長に、『彼』は、小さく笑って見せる。

その手の中では銀色の懐中時計が、小さな輝きを放っていた。




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