終
項垂れ気味に悩んでいると、背後で人が動く気配がする。
「実はね、それを君に見せるために僕は今ここにいるんだ」
とっ と肩に手が置かれる。
ちらりと見ると、細めの色白な手が白い袖から俺の肩へ伸びていた。
「……でも、見てなんになるんだ…?」
素朴な疑問をぶつけてみる。
大した答えなんて期待してないけど、聞いて損はしないだろう。
「───チャンスをあげるんだ」
予想どころか想像すらしていなかった言葉に思わず振り向く。
そこにいたのは、上から下まで眩しいまでの白い布で覆われた13〜14歳くらいの少年。 黒い瞳と髪がとてもよく目立っていて、色白の肌の色も白の中に浮かび上がっている。
「……チャンス?」
「そう
でも、生き返るとかは無理だよ」
「じゃあチャンスってなんのだよ?」
わからない
次にこの少年が発する言葉を想像することもできない。
読めないやつだ。
「よくさ、道連れとか そういう話があるだろ?
一人だけ道連れに出来るチャンスをあげる」
「道連れ…?」
つまり、誰か一人を──
「殺せるんだよ
きみの意思で」
「…………」
頭の中が白の空間に汚染されたかのように真っ白になる。
「死ね、と言えばいい
そのあとに相手の名前を言えば、その人は死ぬ」
「殺して、なんになる?」
「復讐だったり、寂しさを減らすためだったり、それは人によって様々だよ」
君はどうする?
少年の口許が意地悪く動く。
どうする?どうすれば、どうして、なんで
「……わかるわけないだろ、そんなこと」
苦虫を噛み潰したような思いで言葉を吐き出す。
殺されたのはべつにいい、でも
殺す なんて
「君は殺されたんだよ?
なのにどうして道徳心を捨てようとしないの?
下らないだけじゃないか、そんなもの」
「道徳心がなけりゃ、人は人としていられない
道徳心=人間なんだ」
「それはどうだろう
皆がみんな正しい道徳心を持っているとは限らないし、君のお母さんだって息子を殺した殺人者だ」
「確かにそうだけど、でも
殺すのはいけないことだ」
少年がため息をつく。
「君はもう死んでるんだ
だから、いいんじゃないかな
一人くらい殺してしまいなよ」
「俺は誰かを殺すくらいならもう一度死んだ方がいい」
「…………」
「…………」
沈黙がゆっくりと場の空気を薄めていく。
「君に見せてあげなければいけないものがある」
白かった空間に黒い長方形が現れ、映画館のスクリーンのように映像が映し出される。
「…母さん」
映された母の姿に声が漏れた。
笑っている母、動かない俺の脱け殻
まだ、母の殺人は誰にも知られていないようだ。
安心したような、心配なような
そして、もう血の通っていない 死んでしまった自分を見ている気味の悪さ。
この鍋の中でかき回されたような混ざりあった気持ちはなんと表現すればいいのか
「君のお母さんは、君を殺したことを後悔していないみたいだね
それどころか喜んでいるようにも見える
あれが彼女にとっての道徳心なんだよ」
「………」
「死ねと 言えばいいんだ
そしてそのあとに母さん、と言えば」
死ぬ
囁くような振動が鼓膜を揺さぶる。
どうすればいいんだろう
俺は、あの人を恨むべきなのか?
でも、殺されるのを受け入れたのは俺で
でも、殺したことを後悔していない母の様子に失望が生まれてしまっているのは事実で。
「いい加減、素直になりなよ
君は本当はお母さんのことを嫌いなんだろ?
たまに声をかけてくれたと思えば暴言ばかりを投げつけられて、いつもいつも産まなければよかったとか死ねとか言われて
君は逃げたかったんだろう?
あんな生活から逃げたかったから、あの時殺されることを受け入れたんだろ」
気持ちを代弁するようにすらすらと言葉を並べる少年の声に想いが揺らいでいく。
そうだ、俺はあの人が大嫌いだ
なんで俺なんかを産んだんだって、小さい頃から何度も何度も母を恨んだ。
あの人のせいで、あの人が
あの人がいたから俺は幸せなんて感じることが出来なかった。
だから、
だから────
「──…死ね、─」
想いが、溢れ落ちる
なのに 言った後、誰にも向けたくないと思った。
誰かに向けた言葉にしたくないから。
でも、既に出された言葉だから。
その切っ先を
「────俺っ…」
自分に向けた。
少年が息をのむ。
俺の目の端から零れたものは、悲しみか 苦しみか
もしくは喜びか。
言葉を噛み締めながら瞼を下ろす。
また、生温い雫が頬を伝う。
自分はこんなにも弱い。
弱いから、強く見せようとする
そして、強く見られれば見られるほど
孤独は増していく。
いつも
いつも
母を支えようと、必死だった。
必要とされようと、もがいていた。
捨てられないように、しがみついていた。
そうすることでしか、生きられなかった。
「……君は、馬鹿だ」
少年が吐き捨てるように呟く。
「せっかくのチャンスを潰すなんて
しかも、君はまた死ななければならなくなったんだよ?」
「誰かを、ましてや母親を殺すのに比べたら
何百倍もマシだよ」
「あんな酷い人を母親と認めるの?」
「…どんなに酷い奴でも、俺にとってはあれが母親なんだ
たった一人の 母親なんだ
大切な」
────家族。
ふと気付くと、身体が消え始めていた。
少年に視線を向けると、静かに言葉を紡ぐ。
「また、俺は死ぬんだな」
「そうだよ
生まれ変わって、また死に向かって生きていくんだ」
「…それって」
少年が小さく微笑む。
「道徳心を貫いた、君へのご褒美だよ
ただ、生まれ変わるのは人だけどね」
「人、かぁ」
「死を受け入れた君の罪は、また人として生きることでしか償えない
せいぜい今度は上手く生きるんだね」
「無理ムリ
俺全てにおいて不器用だから」
笑いながら真っ直ぐに少年を見つめる。
「……色々、ありがとな」
「僕は選択肢を与えただけだよ
それに、君が選んだ道は僕が与えたものじゃない」
それでも感謝してる。
ありがとう
声なんて出なかった
でも、少年は笑って手を振った。
「もう二度と会うことがないないことを願ってるよ」
その言葉と共に、俺は消えた。
よく分かりにくい作品となりましたが、ここまで読んでくださり、ありがとうございました。