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しんしょうとつにゅー
ついに毒牙は君の元へ。
絶望の全貌は羨望の先に。
『めかくし』8
「ん…………」
またもや私の意識はベッドから始まった。ゆっくりベッドから起き上がり、窓のほうを見る。
太陽はもう真上にある。
割られたはずの強化ガラスは元通りになっていて、窓の役割を果たしていた。今回においては私は気を失ってここにいるわけではない。
むしろ七宮を背負って、やっとの思いでここまで帰ってきたわけだった。私はふと隣の女性に目をやる。腕をびろーんと伸ばして、涎を垂らしながら気持ちよさそうに眠っている赤メッシュの女性。
世辞家の子。
世辞沙也夏さん。
今こうしていられるのは、見事この女性を味方に引き入れることに成功したからである。
『夜祭』終了後、満身創痍の七宮と私と世辞沙也夏が残り、しばらく沈黙が続いた。
そしてやがて、世辞沙也夏が口を開く。
私でも七宮でもなく、一人言をポツンと。
「つまんないなー。皆売られて、またあたしだけ」
私と七宮は何も口を挟まず、沙也夏の言葉に耳を傾ける。
「志村けん、サーカスの次は遊園地かー。いいな、遊園地」
志村けん=多分、刺宮倦。
遊園地=刺宮家。
刺宮軋轢のパンダ姿で勘違いをしたのだろう。
「あ、あの――――」
私はそこまで沙也夏の言葉を聞いて、小さい声で沙也夏に声をかける。言語道断で襲いかかられるかと思ったが、沙也夏は首を傾げた。
「あ、どうもー。後二人、観衆が残ってたのねー?」
沙也夏は初めて私と七宮に気付いたのか、にっこりとやはり楽しそうに笑いかける。
ふわり、と。
目の前に現れる。
私は沙也夏の足元に首を動かさず見つめる。
真っ赤なスニーカーのアウトサイドが、ギラギラと光っていた。
剃刀のような刃を赤い液が伝って、スニーカーに真っ黒い染みができていた。
やはり蹴りこそが『舞』の正体のようだ。
でもそれがわかったところで、死ぬことには変わりないかもしれない。
だから、せめて。
「世辞沙也夏……さん」
「んふ、何かー?」
「格好良かったです。――――多分、私は沙也夏さんのファンなんです」
私はそれだけ伝えて、一人分の小さい拍手をした。
ぱちぱちぱちぱちぱちと。
「………………」
沙也夏は目をぱちくりさせて、私を穴が空くくらいに見つめていた。
「あっはっはっはっは!!」
そして心底楽しそうに笑い始めた。笑いすぎて綺麗な顔のデッサンが崩れてしまうほどに。
「そんなに面白いことですか?」
「面白いわよ! まさかあたしにファンができるなんて、あぁ面白くて楽しいねー」
沙也夏はどうにか喋るために笑いを堪えて言い、私を指差した。
「ファンならあたしの全てを知り、全てを尽くすよね? 加齢臭たっぷりのおっさんならともかく、こんな可愛い子ならあたしも嬉しいしー」
私は自然と使ってしまった『ファン』という言葉は、もしかして彼女にとっての『ファン』と異句同音だったのではないかと思った。
「あたしはダーリンを奪還するために、あの『遊園地』をぶっ潰さなきゃなのよ。あたしに協力して頂戴ー?」
そんなわけで勧誘どころか、沙也夏さん自身が私達を誘う形で仲間になってくれることになったのだ。
「沙也夏さん、そろそろ起きないと…お昼のテレビ見逃しますよ」
返答なし。
「沙也夏さん、身体に悪いですよ」
返答なし。
「朝ご飯どころか、昼ご飯も食べれなくなりますよ?」
「それは大変」
沙也夏さんは熟睡していた割に、おはようも無しに飛び起きた。
「おはよう、唯」
「おはようございます、沙也夏さん」
沙也夏さんは「よし」と楽しそうに笑って、私の頭を撫でていた。
「うーん、改めて『手』って使い道いっぱいあるんだねー。この15年間相当損してたわぁー」
「よく、手を使わずに生活できましたね?」
「んふ、すごいでしょ。『夜祭』では当たり前だったんだけどねー」
私の問いかけに少しだけ楽しそうな顔に陰りを見せた。
「すいません……。やっぱり『夜祭』は大事な場所、なんですか?」
両腕を使わないことを強制し、人を殺すことを見世物にしていた狂った場所でも、やはり心残りに思っているのだろうか。
だが意外と沙也夏さんはけろりとしていた。
「いーえ別にー?一人じゃつまらないし、だからといって人に殺しを見せるのも嫌だったしー。――――まぁ強いて言えば」
沙也夏さんはわざとらしく間を置いてから、ムスッとした顔をする。
「『やさい』って何よ、肉食な私に絶対喧嘩売ってるわ!!」
沙也夏さん、それは流石にあてつけだと思います。口には出さないけど、思わずにはいられなかった。
「沙也夏ちゃん、大声はちょっと……傷に触る…………」
そうしているうちに、床に転がしておいた七宮が目を覚ましたらしく呻いた。私としたことが、重傷を負った人間を床に置き、健康体な私がベッドで寝てしまうなんて。まぁ、七宮だからいいか。
「知らないわよー。というか、あんたはあたしのファンじゃないんでしょ?だから今舞っちゃってもいいのよー?」
「ふふふ、それはどうかな。今ここで大掛かりな君の技を使えば、脆い僕の家など崩れてしまい、唯ちゃんや沙也夏ちゃんも死んでしまうぞ!」
刺宮憲を撃退した時に知った、この部屋の強度が頭にあると七宮の言葉はもはや戯言だった。
「んー! なんて卑怯な男なの!? お世辞が言えないくらい最低な男だわー!」
沙也夏さんは大層ご立腹らしく、七宮の肩にある傷をツンツンつついた。
「ぐぁあ! わかったわかった、ファンになればいいんだろう!」
「んふふふふふ」
多分沙也夏さんも本気で七宮を殺す気ではないのだろう。
沙也夏さんは七宮の態度に満足したのか、七宮の部屋を見渡した。
「随分と殺伐としているのねー」
「五町の奴ら……処理、複製してくれるのなら、せめて『君へと届け』全巻も複製してほしかった……」
「キモいよ、七宮」
「あら、よくわからないけど唯からそんな冷たい言葉が出るとはねー」
七宮の所有する漫画本はどうでもいいとして、強化ガラスや家具が直されているあたり、例の『五町』の機関が留守の間に修復したようだった。
小気味いいくらいに、今の七宮の部屋はさっぱりしていた。
「いいよ、俺とりあえずお腹空いたよ。唯ちゃん、お昼ご飯作ってくれるかな?冷蔵庫のもの使っていいから」
「………………」
なんで私が、と言いたくなるが必死で唇を閉ざす。七宮が動けない今、沙也夏さんと私しかいないのだ。
「んふ、唯、あたしがせっかく『新鮮なお肉』をリュックサックに詰めてきたから、あたしがステーキでも作ってあげるわよー」
『夜祭』から抜け出す際に、私が七宮を背負い、沙也夏さんはリュックサックを背負っていた。何が入ってるんですかと尋ねたら、沙也夏さんは食料よ、と答えた。私が『無臭化』を使えることを心から神に感謝した瞬間である。
「沙也夏さん、大丈夫です。今まで食べたことのないような料理を食べさせてあげますから」
「あたし期待しちゃうからねっ、ゆーい!」
「僕も期待してるよ、唯たん」
私に料理を全て丸投げされて、二人の無責任さに、まだタマネギも切ってないのに悔しさで泣いてしまいそうだ。
「はい、キムチ鍋です」
「何これ赤い! 赤いの好きっ、美味しそう!」
「唯ちゃんなかなか男らしいね、それもまたいいよ……というか唯ちゃん?」
私はテーブルにキムチ鍋をドンッと置いてから、七宮の視線に気付く。
「あぁ、これですか?」
料理を作る以上、お気に入りのジャージを汚すのも嫌なので、台所付近にあったエプロンをつけたのだった。桃色っぽいピンク色の生地で、お腹あたりにブタさんの形をしたポケットがついている。
ちょっと待てよ。
なんでこんな可愛らしい系のエプロンが七宮の部屋に?
「エプロン萌えぇぇっ!!」
七宮は鼻から血を流して、床に背中をつけた。
「そういうことかド変態野郎!!」
全身鳥肌、全身全霊、あいつのことが気持ち悪いと思った。私としたことが、思わず重傷者の頬を蹴り飛ばしてしまった。
「ぶふぅっ!ふへへ……」
それでも幸せそうにしているので、罪悪感に苦しむ必要は皆無のようだ。
「あぁ、この赤いのはこうして流れた血ってことなのねー! 唯凄いんだね!!」
「違いますよー沙也夏さん。違いますからねー」
沙也夏さんは沙也夏さんで、律儀にいただきますを待って目をキラキラさせていた。
「とりあえず食べましょう」
「「「いただきます」」」
なんか知らないけど、私はこれから苦労しそうな気がする。ツッコミだけで人生を終えてしまいそうな予感がした。
「…………はぁ」
キムチ鍋を食べている間は、まるで嵐のように過ぎ去ったいった。
沙也夏さんはどうやら、見た目通りに刺激のある辛いものが好きだったみたいで、最初の一口が物凄く丁寧だったのだが、そこから一気にペースが上がった。
そして鍋の中身はあっという間に無くなってしまい、量が足りないから私と七宮を食べると言い出す。私は生きる為に必死で材料を探しだし、沙也夏さんに捧げたのだった。
「美味しかったわよ唯!もう大好きだわぁー」
私のぐったりした身体を、沙也夏さんは後ろから抱きしめていた。腕を見ると、ほっそりとしていて筋肉は全くと言っていいほど無いようだった。
「俺もお腹いっぱいだよー、唯たんたたたた! ごめんごめん! 僕謝るから許してぇ!」
私はとりあえずムカついたので、棚に立て掛けてあったちょうどいい物干し竿で、七宮の傷口を叩く。
「唯たんとかそういう呼び方やめて。てか七宮って自分のこと、俺って言ったり僕って言ったりするよね?」
私はなんとなく気付いて、七宮に尋ねた。
「あぁ…なんかキャラがまだ定まらなくてね、迷ってるんだ。唯ちゃんはどっちがいいと思う?」
知らねーよ。
「唯は私って言うんだよね、大人な感じであたし好きよー!あたしはあたしだけど、前はあたいだったのよね」
「沙也夏さん、あたいって似合いそうですね!」
むしろ今からあたいにしてくださいと言いたいくらいだ。そんな下らない事を喋っている中、突然、七宮が思い出したように言う。
「あ、唯ちゃん」
「何?」
「言うタイミング逃しちゃったから今言ってもいいかな?」
「だから何?」
「あら、愛の告白かしらー」
「それがね…………」
七宮は少しだけ顔をしかめて、言い渋って一つ情報を口にする。私はその一言を聞き、驚きを隠しきれなかった。
「匂神家が襲撃された時。一人、生き残ったみたいだ」
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