+α
暗闇の中、迷子になった。
泣き喚いても、声は彼方に吸い込まれていく。
探しにきてくれたのは家族ではなくて。
『めかくし』+α
「……ん…………」
小さく呻きつつ、俺は重たい瞼を開ける。世界とはこれほどまでに情報量の多い景色だったか、眩い光に思わずせっかく開いた目を閉じてしまいそうになった。しかしそう感じたのは最初の三秒ほどのことであり、すぐに目が慣れてくる。周りを見渡すと何故そう思ったのか不思議に思ってしまうほどに、薄暗い場所だった。
ここは何かの物置部屋のようだ。埃と古書の匂いがこの空間に充満している。俺はとりあえずここから出ようと少し奥にある扉のドアノブを掴む。その時、初めて俺の脳内に一つの疑問が生まれた。
俺は今どこにいるんだ?
俺が物置小屋にいるということはわかっている。しかし、この先に何があるのか、そしてこの建物自体が何であるかもわからない。思い出せない、いや思い出せないというよりも『知らない』のだ。それは異常なことのように思えた。もしかして俺はここに拉致されてきたのだろうか。
そのような仮定が浮上してきたときに、俺はそれよりも明らかにおかしい状態にあることを思い知らせることになる。その途端、ドアノブを握る掌にびっしょりと手汗をかき、滑ってドアノブから手が落ちた。
俺はどうやって生きてきた?
俺の好きなものは何だ?
嫌いなものは何だ?
一番大事にしていたものはなんだ?
あって当然なはずの、自分自身に対する知識が抜けてしまっているのだった。それに気付いてから俺は立ち尽くしたまましばらく思考する。それでもまるで元から知らなかったもののように、脳内の深層から引き出せるものではなかった。
そして唯一、俺の中ではっきりしていることがあった。それは俺の名前が『刺宮憲』であることと、帰るべき場所があるということだ。そこには父親と母親がいる。想像の中では、一軒家のドアを開けると新聞を読んでいる父親と、飯を作っている母親がいる。顔や髪型はもやがかかっていてわからない。親の外見さえ思い出せないとは末期的だ、そう思いつつも俺は微かに残る記憶を辿り、ドアノブを握り直し、俺は信頼性のない記憶と直感の赴くままに進むことにした。
何か他に思い出せないか、俺はこめかみ辺りを指で叩いていた。しかしやはり何も思い出せない。だからこそ様々な事柄から推測することしかできなかった。黒地のトレーナーに派手なプリントが入った服に、灰色のスウェットを履いているあたり、恐らく自分の着ているのは寝巻きだということを導き出せる。ここまでラフな格好で街を出歩くようには思えない。
そして俺のいる建物は生活感がなく、どこまでも殺風景だった。人の気配も感じられない。俺の寝巻きのような服装を服があったら取り替えようと思っていたのだが、クローゼットのようなものを開けても何も入っていなかったのだ。
このようなことから連想されるのは、やはり拉致をされたというところだった。携帯がないかポケットをまさぐるが、携帯はおろか何も入っていない。しかしもしそれが合っているとすれば拉致犯がここにいる可能性が高いということだ。
この建物は非常に大きいということが、実際に歩いてみてわかった。大きい扉を開けると音楽ホールがあったりしていた。なんてところに俺を閉じ込めたんだ。そう思いながら周囲を警戒しながら進んでいき、どうにか出口へ行き着くことができた。
今度こそ、本当の日差しが俺を照りつけ、俺は目を細めて見上げた。今日は随分と暑いようだ。室内ではわからなかったことも多い。そして建物を出た風景も、自分の記憶を刺激することはなく、少し残念に思った。
しかし『俺の家』がある方向は何故かわかるのだ。突き当たりの信号を曲がって、そして歩道橋を渡って真っ直ぐ行くと細道に入る。そしてコンビニがある方向へ曲がると『俺の家』があるのだ。それは場所の記憶自体はないのだが、地図を丸暗記しているかのように道順だけは覚えている。
どうにも気持ち悪い感覚だった。しかし、そこで待ちぼうけになっていても何も迎えに来てはくれない。そんな気がしたからだ。蜃気楼の見えそうなアスファルトの道を俺は、よたよたと歩き始めた。あまり水分を摂取していなかったのか、頭がぼぅっとする。
赤なのか青なのか判断しづらい信号の明かりを、目を凝らして見て周りの人が進んでいくのを確認してから渡る。自動販売機でコーラ飲みたい、とか思いながらも無一文である今の状況をすぐに思い返して、一人で苦笑を漏らしつつ、目的地へ早歩きで向かう。
そして歩道橋に差し掛かる。階段を進めば進むほど、自分の身体は太陽に近くなり焼けつくような日光を全身に浴びる。黒のトレーナーは熱を吸収し、首周りは汗で湿っているのがわかった。脇汗をかいたら恥ずかしいぞ、なんて考えながら最後の階段を登り終わった。その時、風がひゅうっと吹く。それは顔や首にかいた汗を撫で体感的に涼しく感じた。
妙に俺は生きてるんだな、と思った。
そう思いつつも、俺は階段を駆け下りる。階段は下りのほうが足に負担がかかると聞いたことがあるが、俺は下りのほうが上りよりも何倍も楽だと思っている。上りのときに感じた苦労が嘘かのように、ささっと階段を下りていった。俺が下っていた丁度その後に、黄色い帽子を被りランドセルを背負った小学生の集団が歩道橋を登っていった。集団登校というやつだろう、きゃっきゃと騒ぎながら登っていくその集団は、細い歩道橋の道幅をめいいっぱい使っていた。
あの集団に巻き込まれなくてよかった。そう心の中で言いながら、俺は頭に描いた地図通りに見えてきた細道へ歩を進めた。人気があまりないこの細道は地面は舗装されているのだが、両脇は木に覆われている。木漏れ陽は歩道橋で感じた灼熱とは異なり、心地よさを肌で感じ取った。
こんなにゆったりとした空間にいるのは久しぶりのように、何故か記憶も戻らないくせに、そう思った。それは非常に貴重で愛でるべき時間のように感じた。俺は妙に鼻歌を歌いたい気分になり、上機嫌で歩いていく。
その時だ。
「ねぇ」
ふと俺は目の前から声をかけられた。その途端、気持ちよかったはずの汗が重たく額から流れ落ちていくのがわかった。この悪寒はどの要素からくるからわからない。しかし、その一因として確かに俺は一人だと思っていたという点がある。突如姿を現したその人間の存在に動揺を隠せざるを得なかった。
しかもそれは二人組の男だ。声をかけたほうは、背は俺と同じくらいで、しかし俺と違ってひょろっとしている。灰色のパーカーを着ていて、下は履きやすそうな黒のイージーパンツだった。そして一番目に付くのはその容姿だった。金色で13と書かれたプレートのついた真っ白いニット帽子を被っている、そして日が当たっているからだろうか、帽子からはみ出す髪色は紫のように見える。病的なほどに白い肌をしている、彼の瞳孔は真っ赤に染まっている。
一目見ただけでその存在は異世界からやってきたかのような、異質感を覚えた。さらに彼が現れた途端、周りは生気を失ったかのように重たい静寂を作り出していた。
そしてもう一人の男は――――そう言葉に表そうとする前に、俺は頭をガンと殴られたような衝撃を受けた。それはどんなに思考を巡らせても思い出せなかった俺の記憶に大きく影響を与えたのだ。
「岩下……可器…………!」
浮世離れした白帽子の男の隣には、頬に刺青をあしらった金髪の男が立っていた。その男を見た途端に肩がじわりと熱くなってくるのを感じた。目の前の男は『アンチドッグス』の首領である岩下可器で間違いなかった。俺はアンチドッグスに潜伏していたときに、『入団の儀式』とか言ってこの男の掌を自分の肩に置かれたのだ。その掌は自分の感覚を疑うほどに熱く、焼きごてを押されたものにほぼ等しかった。
その焼印はまだ俺の肩に健在していて、前に遊園地で他の人間達と争ったときにも、その焼印により岩下可器に操られて、攻撃の身代わりになったときがあった。信じられない出来事なのだが、自分の意思に反して身体を動かされてしまったのだ。
……あれ?
そうだ、俺は遊園地で殺し合いしたのを覚えている。俺には守りたい家族がいて、複雑な気持ちがあった。そしてその守りたい家族とは――――『刺宮家』だ。
パンダ父さんに、面倒臭がりの兄貴、性欲をもてあませた姉貴。それは自分の全てだったんだ。なのに今まで忘れていた?そんなはずがない、そんなわけがない。
「思い出したかぃ? 五町の人達が君の記憶を消そうとしたみたいだけど、それは失敗に終わってところでいいかな」
「……お前、『五感家』のことを知っているのか」
「ふにゃぁ、知ってるに決まっているじゃないか。それより今僕のことを『お前』と呼んだのかぃ? それは礼儀がなっていないじゃないかな。ねぇ、『馬鹿犬』」
白帽子を被った男は、俺を見下すような視線で眺めていた。一緒くらいの身長なはずなのにも関わらずだ。更に言えば年もそう変わらなそう、いやむしろ俺のほうが年上なのではないかとさえ思う。
「そうかもしれねぇな、『ご主人様』」
俺はその言葉を発したのが、可器で思わず絶句した。アンチドッグスで見たときの全てを統べるような威圧のある瞳も、今は全く違っていた。その弱々しい眼光は更に強大なものに取り込まれてしまった小悪党まで格下げをされてしまったかのような印象さえ受ける。
「まぁいいや。君がここにきたというのは偶然なんかじゃない。君はどうせ五町に勝手に改竄された記憶のままに『虚構の家族』の元へ行こうとしたのだろう? 君は本当の家族である『刺宮家』の元に帰りたくはないかぃ?」
俺は蘇っていく記憶の中で、どこでその記憶が途切れたのか思い出すことができた。それは智ちんの『暴走』を利用してパンダ父さんの野望を果たす第一歩にしようとしていて、それを妨害しようとする匂神家、透藤家、世辞家の人間達を討とうと準備していたときだ。背後から何かの鈍器で殴られてそのまま気を失ったのだ。
それからその抗争は起こったのだろうか、それとも起こらなかったのか。それさえわからない。しかし、俺が起きた場所はその争いの舞台になるはずであるパンダ父さんの思い入れが強い、音楽ホールである。そこに何もないということは抗争が起こり、それを五町の連中が処理したという解釈が現実的だろう。
「刺宮がどうなったのかわかるのか!?」
「それはわからないよ、僕は別にその『ゲーム』に関わったわけではないからね。でも僕の今から始める『ゲーム』に、君の求める情報がもしかしたらあるのかもしれない」
人が血で血を洗う抗争を、『ゲーム』と例えるこの男に激昂しそうになった。しかし、俺に有益な情報を持っていそうなこの人間を逃してしまったら、正直俺は何もできない。この感情をどうにか抑えて、この白帽子を被った男の紡ぐ言葉を待っていた。
「別に可器の持つ力によって、君をコントロールしようとは思わないよ。でも、嘘で固められた温い世界で君は生きていくのかぃ? 誰かに定められた運命を辿っていくのかぃ?」
男のその言葉は唄のように、俺の頭に染み込んでくる。そして何回も同じフレーズが頭の中に彷彿して気持ち悪くなった。彼の言葉は妙に甘く響いて俺を離さない。
「刺宮の子、刺宮憲君。僕と一緒においで、悪いようにはしないよ。吐き気がするほど鮮明で、血肉を躍らせるような感覚を味あわせてあげる。その中で、君の求める答えを見つけ出すことができると思うよ」
白帽子の男はそういうとクルリと俺に背中を向けて、俺の反応を待たずに歩き始めていった。可器もそれに続き歩き出す。すぐ消えてしまうそうな気がした。
「ま、待てよ!!」
俺の叫びに、その男は歩みを止める。しかし振り向くことはなさそうだ。聞いたらすぐにまた歩こうとするだろう。俺はゴクッと生唾を飲んでから尋ねた。
「名前、なんて呼べばいいんだ?」
俺の問いに、白帽子を被った男はクスクスと笑った。肩が小刻みに揺れる。そして振り向き三日月型に口を曲げて、真っ赤な瞳を細めた。それは狡猾な狐を思い起こさせた。
「君は僕を白帽子を被った男と思っただろう、それでいいよ。僕のことは『白帽子』と呼べばいい」
俺は彼らの後へついていく――――それは幸か不幸か、俺の『運命』が捻じ曲げられた瞬間だった。
物語がシフトする。俺がこの先何を見ていくのかは誰も、知らない。
>END
読んでいただきありがとうございました。
こうして憲は、次の物語へ誘われて行きます。
岩下可器、そしてこの白帽子は次の物語のキーパーソンに
なっていきます。『めかくし』と次の物語『僕らの運命』は、リンクしているので次もぜひ目を通してみてください。
本当にこれまでありがとうございました!




