49
運命を変えるんだ。
変えるためにはどうすればいい?
答えは明確さ。自分を変えるしかないんだ。
『めかくし』49
非情な言葉を投げつける声に、俺は立ち尽くし呆然としていた。やはり選ばなければいけないのだろうか。どちらを選んでもハッピーエンドになるわけがなかった。それでもどちらかがバッドエンドを逃れられればそれでいいのだろうか?
俺にはベターな結論を見出すことができなかった。そうしている間も、五感家の皆と、周りを囲む人影は隔絶された空間の中で止まり続けていた。空虚感が俺を襲う。何かを失うのなら、いっそのことこのまま時間を止めたまま生き続けるか。しかしそんな考えも、俺はいいとしても人類全てが滅ぶことと同義だということがすぐに解り、やはり最初に提示された二つの選択肢に行き着くのだった。
確かに、庵君の唱えた『零計画』は大多数を幸せにするものだということは間違いないだろう。それでも俺はなんだかんだで刺宮家の人間、沙也夏ちゃん、そして唯ちゃんを殺すことはできなかった。軋轢の意思を引き継ぐなんて嫌だ。しかし、愛するものを守るためには『五感の繁栄』を望むより他なさそうだった。
「……これしかないのかな」
俺はこの決断を下したら、どうなってしまうのだろう。今度こそ生きる価値などないような極悪人だ。いや、むしろ人ではない。ただ人を破壊する『兵器』だ。それでも愛する者のためなら他を排除しなければいけないのかもしれない。
「さぁ宣言しろよ」
上から聞こえる『俺の声』が急かしてくる。俺はバクバクと鳴り響く、口から出てきそうな心臓を抑えて言ってしまおうとした。「劣性民族よ、時を動かせ」と。
トントントン
その時、こちらへ寄ってくるような『足音』が俺の耳に訴えてきたのだ。それは表すなら自分の見ている空間から外れた全くの異次元からの音というところだった。遠く離れているような、すぐそばで鳴っているような奇妙な音だった。だが、俺はその足音に聞き覚えがあった。
「俺の知ってる足音なんて、なかなかないんだよ」
俺は懐かしいその音に集中するために、ふと目を閉じた。それは俺が自分の運命を変えようと、『振子』の音を初めて裏切り、そして助けた少女の足音だ。だがその足音が止まる。俺は必死でその音をもう一度聞こうと耳を澄ましていた。
「……やっと見つけた」
ふと前から声がした。俺は思わず目を開けて瞬きをする。すると庵君のそばにいたはずの唯ちゃんが自分の目の前に立っていたのだ。人形のように固まった表情ではなく、いつもの少し俺を見下すような視線で腕組みをしていた。
「唯ちゃん」
「……七宮、聞いてほしいことがある」
唯ちゃんは俺のほうを真っ直ぐ見つめる。その瞳は曇らずに凛としていた。それは迷いを知らない誠実なものだった。俺はその言葉に、口を閉ざす。そして彼女の言葉を待っていた。
「私が見た限りで、軋轢は庵兄に殺されて……その庵兄は今死にそうになってる。他者を滅ぼそうとした人は、今滅びそうになってるの。だから七宮、絶対二人の選択肢を追わないで。もう私は何かが死ぬのを見たくない……」
必死に伝えようとする彼女の声は小さいのに、妙にこの空間に響き渡っていた。そして彼女自身の肩もわなわなと震えていた。俺は目の前に立っている軋轢の姿にふと視線を向ける。唯ちゃんに軋轢が死んだと聞いて、不思議な気分がした。実の父を失ったのはもちろん悲しい、だが妻への復讐に狂った父親が、やっと静寂の時を迎えることができたんだなとも思った。
「ありがとう、唯ちゃん」
「なんでお礼言われるのかよくわからないけど。でも一人が怖いなら、私は七宮の側にいる。七宮がいなかったら、とっくのとうに私の世界は終わっていたのだから」
俺はそれを聞いて思わず、唯ちゃんの身体を引き寄せた。こうしてみると彼女の身体を驚いてしまうくらいに小さかった。イメージと大きく違う。そしてもう一つイメージと違かったのは、唯ちゃんが抵抗をしなかったということだ。なんだか恥ずかしくなったが、俺はその暖かさを感じて、身体の力が抜けてしまいそうなほどに嬉しかった。
なんだ、俺はこの世界に一人じゃない。
「ねぇ唯ちゃん、良い考えが浮かんだんだけどさ」
「良い考え?」
「そう。でもね、もしかしたら失敗するかもしれない。その時は俺とずっと一緒にいてくれるかな?」
唯ちゃんは俺の身体から自分の身体を離して、しばらく黙って俺の顔をじっと見ていた。唯ちゃんは何かを言い出そうとしていた。しかし、唯ちゃんはそのままそっぽを向き、また腕組みをしていた。
「それでも七宮と二人きりはごめんだから、どうせ良い考えなら、ちゃんと成功させてよ。変態眼鏡さん」
俺はその言葉を聞いてふっと、吹き出してしまった。唯ちゃんもマロ眉を寄せて少し困ったように微笑んでいた。その会話という音は、止まってしまった世界の空気を微かに揺らしていた。もう何も怖くない。そして俺は再確認をしたのだ。こうやってたわいもない会話で笑い合うのが、俺にとっての最大の幸せだということを改めて感じた。それこそは俺がそう第六感で察知したことであって、それは誰にも邪魔させない、一つだけの俺の結論だった。
「やぁ、神様気取りの俺様さん。俺の答えを聞いてくれよ」
「随分元気になったな、教えてもらおうか」
自作自演の俺との対話に、ここで終止符をつける。俺はもう迷うことはなかった。俺は『優性民族』も『劣性民族』も――――選ばなかった。
「『振子』の音を鳴らせるために殺すのは……、俺らを散々躍らせた『五感家の能力』だ」
そう、全ての始まりは、ちっぽけな島国の弱体化により、その不安感から神を作り出そうとしたその脆弱な国の意志だった。そして研究員はその意志を竜、鬼、そして五感家を生み出していく。それにより普通に暮らす人間との軋轢が生まれ、全てが狂っていった。それならばその根本から断ち切れば良い。
俺は最大限のイマジネーションを働かせる。これが思考の世界だとすれば、五感家と周りの群衆以外にもこの場に呼び出すことができるはずだ。俺は今まで見てきたもの、聞いたもの、嗅いだもの、触れたもの、全てを混ぜ合わせて『最も醜いもの』を想像した。
すると自分の目の前に、泥のような黒と灰色を混ぜたような塊が、地面から湧き出る。その塊は五感家の人形を飲み込んで、みるみるうちに広がっていき、それは獣の胴体になっていく。しかしその胴体には毛が生えているわけではない。あくまでも獣の真似をした灰色の肉だった。そしてボコボコとその肉から目玉が生える。その目玉はそれぞれに違う方向を向いている。その目玉を見ている間に灰色の獣モドキには顔ができていた。その顔は白目のない赤い瞳で、禍々しい角を生やしていた。そして涎を口の端から垂れ流していて、その耳まで裂けた口からは黄色い牙が見えていた。
そしてその醜い生物からは肉を腐らせたような酷い臭いがして、唯ちゃんは自分の鼻を抑えて今にも気を失いそうな様子を見せていた。俺はその生物の前に立ち、肺に精一杯の空気を溜め込んで、叫んだ。
「全てを無に戻せ!!」
すると目の前の醜い生物は絶叫を上げる。それは獅子の咆哮に似た鳴き声だった。そしてその生物から発された眩いほどの黄色い光が、思考の世界を覆っていく。世界の終末というのはこのようなものなのか、俺はそんなことをふと考えた。
『かちっこちっ』と振子の音が鳴り響く。それはとめどなく流れ続けて一つの『鼓動』を創り出した。目も開けられないほどの光とリズムに包まれて、俺の世界はゆっくりと壊れていく。地面が亀裂を作って崩れていくのがわかった。
唯ちゃんと俺はずっと手を繋いでいた。光の中で唯ちゃんはどんな表情をしていたかはわからない。しかしその小さな手を握って、朽ちていってしまうとしても、確かに自分は幸せだった。スローモーションでどこかへと堕ちていく。
そしていつの間にか、俺は意識を手放していった。
>50




