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飾ったところで化物は化物です。
『めかくし』41
「くっ…………」
軋轢は動けないまま、控え室のような場所でピタリと止まっていた。まるでここの空間だけ世界から切り離されてしまっているような感覚をあった。
智の『暴走』をした瞬間、その景色を見れるとすればこのようなものなのだろうか。軋轢の頭をそんなことがかすめた。軋轢は歯軋りができるのならしているような心地だった。
軋轢には庵が、強がっているようにしか見えなかった。
五感家の繁栄に対しての阻害要因でしかない存在ではあるが、五感家の人間だということには変わりがない。彼は五感家は完全に排除する『零計画』を成功するために妹や仲間を、計画の犠牲にすることをためらっていると思えたのだ。
説得しても改心するとは到底思えない。だからせめて、彼が大事なものを手にかける前に、我輩の手で彼の命を刈り取らなければならない。
軋轢の体内では熱くどろっとした溶岩のような感情が渦巻いていた。動かない身体をどうにか動かそうと全身へ指令を送る。それが指先から脳へ、脳から指先へと十数回繰り返したところで、一歩足が前に出た。
「許すものか……匂神の死神よ」
軋轢は巨体では想像できないほどに、疾走をした。赤いマントはパンダの着ぐるみを離さないように必死にしがみついている。
一つ軋轢が疑問に思っていることは、庵は智が幽閉されている場所の反対方向へ走っていったことだった。一瞬、智がいる場所で待ち構えるのも一つの手だと思ったが、庵に時間を与えるのは愚行のような気がした。そう判断をして軋轢は通路を走る。
走る道の脇には、黒いスーツをきた刺宮家の『民』が倒れていた。目から血を流す者や唾液を口の端から垂らしている者などが、走っている中でも目についた。
もう戻れないところまできている。そんなことはわかっている。だから我輩は走るのだ――――。
あまり周りの景色を気にしないで走ってきたが、思えば庵が通るように誘導した道と一致していた。つまり庵は来た道をUターンしているということになる。ここの扉を開いたら雅と透藤家の愛美を戦わせた場所まで戻ることになる。
そこには殺伐とした景色が広がっていた。血だらけでうずくまっているスーツ姿である我輩の補佐に、人間の部品を拾い集める『死神』の姿。半殺しの獣のような状態である雅は、今にも庵に飛びかかりそうだった。軋轢はそれを阻止するように雅の横に立つ。
「お義父様、良かった……ご無事で」
「雅、透藤の娘を討ち取ったのだな。お手柄だぞ」
軋轢がそう言うと雅は顔を一瞬こわばらせた。そのすぐ後には、雅は静かに笑みを浮かべ頷いていた。軋轢はそんな雅の頭をそっと撫でる。雅は冷淡な様子で人を殺める。しかし、それに罪悪感を覚えないときなど、一度もなかった。今回、年も境遇も近い人間をその手にかけてしまったのだ。
軋轢には雅を理解しつつ、この状況ではそれしかできなった。庵がひとかたまりになった、『愛美だったもの』を端のほうに置いて、立ち上がったのだった。その表情は笑顔のまま。しかし言葉に表せないようなキナ臭い雰囲気を漂わせていた。
「すみません、お義父様のところへ行く途中に匂神の死神が反対側からきて……、ここまで追ってきたのですが、なかなか銃弾を当てることができなくて」
軋轢は脳内で舌打ちをしていた。これは雅に対してではなく、庵に対してだった。恐らく「愛美にお別れをしたいから」とか理由をつけて攻撃をできなくしたのだろう。任務のためとはいえ、人情を捨てきれない雅のことも承知済みというところではないだろうか。
軋轢がそう考えるくらいには、庵の狡猾さを理解しているつもりのようだった。
「……お義父様、倦と憲はどうしたのですか?計画の通りだとお義父様の護衛が彼らの使命のはずです、もしかして彼らは……」
そして雅は強ばった表情で軋轢に尋ねる。刺宮家の作戦通りのはずであれば、倦と憲は軋轢の側について、共に庵と応戦しているはずだったのだ。姿の見えない二人に雅は、乾いた声でそう聞いたのだった。
軋轢はしばらく口を閉ざしていた。軋轢は全てを理解した上で、庵と一人で戦っていた。倦と憲がいないことは承知の上だ。雅は、軋轢と倦がとある会話をしていたことを知らない。倦がどのような選択を下したことも、知らない。軋轢は彼の思いを汲み、『刺宮家』という家の名前よりも『刺宮の人間』を尊重する判断を下した。
「我輩が無力だった……二人はよく戦ってくれた」
ぼそりと、軋轢はそう呟く。雅はその言葉の裏を理解した。苦悶の表情を浮かべ後ろに倒れ込みそうになる。それもそのはずだった。崩れ落ちないだけの彼女の意志があることに評価しなければならないほど、彼女には大きい衝撃だった。
「……そうですか」
軋轢は痛ましく雅の様子を見てから、庵のほうへ目を向ける。
「それを見て尚、お前は『零計画』を唱えるのか? 我輩らはおろか、自分自身の首を絞めるだけのその計画を、まだ続けるというのか?」
パンダの姿をした王者のような風格を持つ男は、ゆっくりと立ち上がる庵の姿を見て、もう一度同じことを尋ねた。これが庵を止める最後の機会と言っても過言ではない。軋轢は庵に顔を向け、庵の解答を待っていた。
しかし軋轢の想いを踏み潰すように――――――庵は笑った。
「……刺宮の家長さん、こんな話を知っていますか?」
「匂神、何を――――」
「『ちっぽけな島国が神を作る』。そんな話、聞いたことがありませんか? 絶対的な暴力を主張した『鬼』という名のチームと、絶対的な知力を主張した研究員は『竜』という名のチーム。そして、どちらにもつかなかった余りの研究員は『人間の五感の超越』を目指し研究を始めたという、昔語りを知りませんか?」
庵は浪漫のある話ですよね、と皮肉げに呟く。軋轢には彼の飛躍しすぎた台詞が理解できなかった。
「何が言いたい」
「しかしそれは細かく言うと、そんな簡単に分けられるものではないようですね。例えば五感家の中で『世辞家』は『鬼』を手がけた研究員が造り出した者が多い。私達『匂神家』も研究員の守護を目的として造られた『犬』の付属品として造られた者の末裔だそうです。これは確かではありませんが、『透藤家』は『竜』の失敗品から造られたとか……ここまでくると怪しい情報になってしまいますが」
「何が言いたいと言っている!!」
軋轢は自分の持っている情報をひけらかす様子に激昂し、音楽ホールの壁に黒い拳を叩きつける。まるで鐘を鳴らしたかのようにドーム型のこの広間に音が響き渡った。雅はその音と軋轢の様子に驚き、軋轢の赤マントを少しだけつまんでいた。
「そんなに怒らないでください……、私の今話していることが、家長さんの求めている答えとなりますから」
庵はそう言うと、しばらく黙り込んだ。それはただの沈黙ではなく、機会を伺うような間だった。心の準備ができたのか庵は小さく口を開く。
「――――――『三浦竜也』という研究員、ご存知ありませんか」
「…………!!」
軋轢は、その庵の言葉に絶句した。それは自分の人生を明らかに変えた、とある男の名前だったからだ。庵はその姿を細い目に写して、さらに目を細めた。
「知らないはずがありませんね? それもそうです。家長さんの『記憶』を硫酸で溶かされた浴室で取り出し……逆に『記憶』が取り除かれた肉塊に、家長さんの『記憶』を植え込み……そしてそのフザけたパンダの着ぐるみに肉塊を詰め込んだ、その人物こそ、竜也さん。間違いありませんね?」
「何故それを知っている……?」
庵はかすれている軋轢の声を聞き、満足げに笑みを浮かべ、くくと声を漏らす。その瞬間、軋轢の身体が先程の『統臭』を受けたときのように動かなくなる。
「『零計画』に必要なのは、私の鼻ではありません」
そしてにたりと笑い、庵は左手を挙げ、人差し指の先を自分のこめかみに当てて、目を見開いた。
「私の武器であり、必要なのは――――脳です」
そう言ったときには、軋轢は膝をついて苦しそうに呻き声を上げていた。もし人間の身体だとすれば、脂汗をかいていそうな容態だ。
「お義父様っ……!?」
初めて見る苦悶な様子の軋轢を、雅は横に寄り添って「大丈夫ですか」と声をかけ続ける。その視界の端で何かが光ったのが見えた。雅は見てはいけないものを見た気がした。だらっと嫌な汗と、感情の高ぶりが収まらず涙が滲んだ。それらの液体が血を洗い流していた。
「お前……その『光』は何よ!!?」
そう視界の端には……愛美の亡骸があったのだ。その亡骸が、微かに光っている。その光が『魂』だとかそのような非現実的な説明はできなかった。なにより、魂であればもっとぼんやりとした光だろう。この光は一時的に明るく発するような稲妻に近いものだった。
庵は叫ぶ雅を見下ろして、よくぞ聞いてくれたと言わんばかりに笑顔をつくる。彼にはもう『笑み』以外の表情が作れないのか、仮面をつけたかのようだった。
「『記憶』の云々はともかく、家長さんの身体にも作品と言えるべき『科学』が詰め込まれているんですよ。人間と同じように、シナプスで神経を興奮させ身体を動かすんです。そして男三人分の身体を持った家長さんの構造はさぞ、巧妙なのでしょうね」
そんなどうでもいい知識をつらつらと並べている間にも、愛美の身体周りで稲妻は起こり続けている。むしろ頻度は増えてきている。その中で、雅を見てしまった。
愛美の指先が電気の熱で溶けて、焦げてきているところを、だ。
「お前……まさか最初から愛美を……!!」
「――――賢くて何よりです。これが家長さんへの私の解答ですよ。多量の電気を身に宿した愛美という人柱のおかげで、電気が渦巻き、家長さんの体内の電位を狂わす。いい感じに動きを止めることができましたから安心しました。やはり私の『統臭』だけでは家長さんを壊す決め手にはならないのでね。――――犠牲を後悔するから『零計画』を破棄しろ? 笑わせないでください……未来のためなら、私はなんだって犠牲にしますよ。」
雅は軋轢の身体が余計に抜けていくのを感じた。それはどうしようもない庵に対しての諦めだった。
雅の脳内で、ついさっき遭った悲劇がリピートされた。五感で覚えた愛美を殺めた時の記憶。そして庵の為なら何でもできると照れくさそうにしていたあの笑顔。最後に幸せにしたかっただけなんだと叫んだあの言葉。そんな愛美の全てをこの男はいともたやすく――――踏みにじったのだ。
ジクンッと愛美から受けた胸の傷が脈を打った。
「絶対に……許さない…………!!」
雅はその時、何も考えず庵に掴みかかっていった。その怒りはこうすることしか、発信をする方法が見いだせなかったからである。
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