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あたしはどこまでも盲目で。
『めかくし』38
あたしはただ神の審判を待っていた。
ツギハギだらけで醜く、異形のフリークスが振るう白い腕が確かに、見えていた。
見えていたのだが。
「ほーら、弱いものいじめはやめろよお肉ども」
この声に、びくっと神の使者は動きを止めた。
それは神様の声でも、そこの加工されたようなツギハギ達の声でもなかった。
聞いたことのある声だ。愛しい声を『鏡に写したもの』。
恋人自身がそう比喩したその声の主は、うるさいほどの金に染めた髪を、何本ものピンで固定した独特の髪型をしていた。
そしてジャラジャラとした銀の鎖が、ダボダボのズボンにひっついている。ラフなパーカーを羽織って「にゃはは」と笑うその姿は。
恋人の双子の弟、刺宮憲だった。
ズボンのポケットに手を突っ込んで、ツギハギに指図をしていた。ツギハギ達は声にならない呻き声を上げて左右に別れ、憲へ道を開ける。それを構いもせずズカズカと歩いて行った。
「あらあら、可愛い世辞の子ちゃん。これじゃ『可愛い』が『可哀想』だね。首がやられて、お腹がやられて、もうボロボロじゃん」
「……なんで、あんたが」
憲は、あたしの言葉に反応し大袈裟に首を傾げる。そして右手の甲をあたしに突き出す。確か梵字が書いてあるのだった。あたしには、細い線が全て墨で塗りつぶされたかのように見える。憲の顔も笑っているのか、哀れんでいるのかもわからなかった。
「俺が、なんできたかって?」
あたしの問いに、憲は笑い声を立てる。相変わらず下品な笑い方だった。
「そうだなぁ。きたかったから、きたんでっせ」
憲はそう言ってから、ポケットに突っ込んでいた手を引っ張り出した。それはぼやけた視界でもわかる、鈍い光を放ったナイフだった。あたしは微かに望んでいた可能性を否定しなければならないようだった。
この男はあたしに止めを差しにきたのだ。
「お嬢ちゃんには、俺が止めを差さなきゃね! お前には不幸に、苦しみ続けて、のたうちまわって死ななきゃいけねぇんでっせ」
「…………」
あたしはその言葉に、何も言い出すことができなかった。あたしが考えていたことを、改めて他人の口から言われるとやはりショックを受けた。怒りや悲しみのような感情に分類する前に、先に強い落涙の衝動が襲った。霧にかかったような視界が余計にぼやける。
「あんたが、終わらしてくれるの?」
「簡単には終わらせないけどな、だって――――」
憲はそう言うと、あたしを睨んで吠えるように叫んだ。
「お前が、兄貴を迷わせたんだからさぁっ!!」
あたしは言われた意味がわからなかった。あたしが倦を迷わせた?裏切ることなど何一つしていない。何言ってんのと、あたしはそう言おうとしたが、憲の言葉に阻まれた。
「お前が兄貴を好きになったから、兄貴は刺宮家を取るか、お前を取るか苦しんだ! それでどうしたと思う? 兄貴はお前を取ったんだ! だから俺は……」
そこまで言って、憲は口を閉ざす。あたしは憲が紡ぐ言葉の網に絡め取られていくような感覚に襲われた。絡め取られ、首を絞められる手前の状態。あたしは恐怖をしていた。続きを聞いてしまったら、壊れてしまう。嫌だ、聞きたくない。しかしあたしの感情を置き去りにして唇は動いた。
「倦に、何をしたの」
憲は、しばらくあたしを見ていた。そして彼は、恋人の弟は裂けるくらいに口を曲げて、夜叉のように嗤ったのだった。
「裏切り者の兄貴を、解体してやったのさ、目ん玉から爪の先まで!! 全部お前のせいさ。『再構築』っていうのは可哀想なものだね。何回解体しても終わらないから、俺もやりがいがあったよ……でもやっと殺せたよ。だから今度はお前が断罪するために、俺の手で死ね。そうすりゃもしかしたら兄貴んとこにも――――」
「………………れ」
「は?今なんて」
「お前はもう黙れ」
あたしは喉から言葉が漏れたときには、憲の身体に飛びかかっていた。そのまま押し倒して馬乗りになる。その衝撃で皮で繋がっているような状態のあたしの首は落ちてしまいそうだった。しかしそんなことは、もうどうでもよかった。憲の顎を左手でぐいっと持ち上げる。憲の首は伸ばされ、青い筋がくっきり浮き出る。あたしはそれに食らいつく。ぶしゅっと血の噴水があがる。憲の喉が、何かを叫ぼうと動く。それを気にもせず、あたしは憲の腹に爪を立てた。
「ねぇ、この辺に『魂』って呼んでるんだけど、コリっとした美味しい場所があるの。知ってる?」
憲の返事はない。ただ表情を固くしてあたしを見つめるだけだった。あたしはそんなこともどうでもよかった。こいつを殺して、死んでやる。それしかあたしの中にはなかったのだった。そんな感情しかないはずなのに、あたしは大粒の涙を流していた。
ただでさえ血で喉が絡まるのに、鼻に涙が入って息ができない。なんで、なんでこんなに涙が流れてくるのだろう。これじゃ食べられない。あたしは酸っぱい味で一杯の口を、血で洗い流す。そして憲の腹を裂いて口、だけでは収まらず顔をその傷の中に入れた。
舌と歯の触感、そして舌が触れる度に変わりゆく味覚の中で――――見つけた。
「あったよ、あんたの『魂』」
あたしはその魂と勝手に呼んでいるその塊を、噛んだ。
それは新鮮で美味、腐った果実ような甘さが広がった。びくんっと憲の身体が跳ねる。あたしが全て感覚をそれに注いでいるときに、憲は細い声で、あたしに言ったのだ。
「沙也夏」と。
そして何かがあたしの頭を撫でた。それは、大きくてしっとりとした掌だった。冷たいわけではなくて少しだけ、温かみのある掌。あたしは顔を上げる。目を血で濡れた手で拭った。
憲は頬を緩めて、目を細めていた。笑っているのだとあたしにはわかった。あたしの知っている笑い方だ。『面倒くさすぎて、怠慢した結果の練習不足な笑い方』。
あたしは「え?」と声を漏らす。なんで知っているのか、どこで覚えた感覚なのか、『美味しい』、『殺したい』、『死んでしまいたい』、『なんでこんな酷いことを』頭の中はこんな言葉しか引っ張り出せない。それでも、なんでだか、涙が、止まらない。
「やだ……なんでよぉ…………」
全部、嘘だった。答えなんてすぐに解った。表情、声、その全てがあたしを暗闇のサーカスから連れ出してくれたのだから。希望だったのだから。あたしを突き動かすほどの『好き』をくれた人。
「倦……なんで…………?」
あたしのその問いに、その人は困ったような笑みを見せた。ぎこちない彼の笑み。
「……ごめん、沙也夏」
「なんで……倦が謝るの?」
蚊が鳴くような声量の声なのに、倦の声は会場に響いた。ポツポツとしか、言葉が出てこない。伝えたいことなんて山ほどあるのに、こんなにも唇が震えて、喉が痛くて、何も伝えられない。
「あたし……あたしね、倦のこと、好き」
あたしはそれだけ精一杯、口を開いて、伝えた。感情が追いつかず、ただ、ぼたぼたと血を落とすように目から雫が落ちていく。
「……良かった、俺も、好きだよ」
倦は静かに、微笑んでいた。あたしの頬をそっと撫でて涙を拭き取る。その手はさっきよりもずっと冷たくて、あたしはその手を両手で握った。
「……俺ね、家も、沙也夏も……選べなかった」
小さくなっていく倦の声。あたしは倦の手をぎゅっと握る。それ以外に何も考えつかなかった。
「……だから、『欲張り』、しちゃったんだ。これしか、なかった」
倦はそう言いながらも、どこか誇らしげだった。あたしはその表情の意味がわからなかった。こんな姿になって、なんでそんなに笑えるのだろう?
その時だった。あたしの首がビチと音を立てた。あたしは離れそうになっていた首に触れる。傷だった部分は逆に肉で膨らんでいた。お腹も同様の音を鳴らしている。
それは、『再構築』される音だった。
「やだ……やだ! あたし倦がいなかったら生きていけないの! お願い、お願いっ……」
「沙也夏、聞いて」
倦はあたしがいくら泣いても、願っても、静かに笑うだけ。その顔には細かい線が縦横無尽に引かれていた。それは今まで倦が負ってきた傷だった。不死身であるという身体から、再生力に興味を持たれ無意味に傷をつけられたことがある、と話していたのを思い出した。
「これは、終わりでは、ないから」
倦はそう言って、身体を起こし優しくあたしの身体を抱きしめたのだった。こんなに細い身体なのにあたしの全てを包んでいた。そしてあたしの視界は遮れられた。唇の感覚と息の音。血と優しい人の味。
「ありがとう、沙也夏」
耳の奥までその声が響いた。優しく笑う倦の表情が、崩れていく。無数の傷から身体は、砂のようなものに変わり、あたしを抱きとめていた身体は風と塵に、変わる。
観衆と化していたツギハギ達も、埃となってサァッという音と共に朽ちていった。
「あたしだけ、またひとりぼっち」
あたしは、ポツリとそれだけ呟き。
慟哭した。
「あっあぁ……あぁぁあああ!!!」
もう元に戻らない砂をかき集める。それが意味があっても、なかったとしても。姿、声、匂い、温度、あたしの劣った全ての感覚で、倦の面影を探し続けた――――。
『かちっこちっ』
どこかでこんな振子の音が鳴り響いた。
>39
ここでも一人、物語から去っていく人がでました。
このシーンは『書きたかった』けれど『好き』ではないです。
倦は二人の幸せを想ってこの選択をしましたが、倦という人間を失って二人は幸せになりうるのでしょうか。それは自己満足ではないでしょうか。それは独りよがりの『盲目』ではないでしょうか。
……なーんて思いながら書いてました。
それでも彼には彼なりの考えがあった結果です。
それはまた後々書かれていくことでしょう。
というわけで読んでくれた方ありがとうございます。ラストまでぜひ皆の戦う姿を応援してあげてください!




