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あなたは一体どこからきたの?
おうちは一体どこにあるの?
『めかくし』37
『意志』さえなくなれば、そしたら『軋轢』になれたのに。
その言葉があたしの頭の中でグルグルと渦を作っていた。どういう意味かイマイチわからない。それでも普通の頭であれば少しくらい仮説もたてられそうだったが、朦朧とする意識の中で、それを求めるのは些か厳しいものがあった。
そしてツギハギ二体はあたしの方を見て、今にも襲いかかりそうな様子だった。あたしはこの状況を打開できる名案を絞り出そうとした。
「これしか……ないのかしらね」
あたしはポケットから唯の部屋からこっそり手に入れた、一つの薬包紙を取り出す。少し赤っぽいその薬みたいな粉末のものをそっと開けた。目をそっと閉じてそこからは枯れ草に血を混ぜたような、甘く少し腐ったあの香りを嗅いだ。
それは唯が郷愁狂臭に詰めていた『紅斑点の香』だった。
息が余計につまりそうで、咳こみそうになったが首に負担をかけるわけにもいかず、グッとこらえる。そしてゆっくりと目を開いた。すると、耳から伝わる音楽がまた鼓動を刻み始めた。むしろ以前よりも鮮明に、『音の歌詞』が聞こえてきそうなほどあたしに語りかけてきた。
踊るために『枷』などいらない。
状況も、痛みも、敵も、関係ない。
音を、味を、香りを。
あたしに、頂戴。
「あぁぁああああ!!!」
あたしは、絶叫した。そして夜祭のときと同じ、背中に腕を組みべロリと下唇を舐めた。
この音楽に恥をかかせないようなかっこいいファイティングポーズ。
ツギハギ共もあたしの様子が変化したことに、気付いたようだ。
腕が玩具のように伸びたツギハギが、ベトッと跳ねた。
そう思ったときには、長い腕が自分の目の前まで迫っていた。あたしはそれを避けることなく後ろに組んでいた腕を前に持ってきて、ガッと両手で鷲掴みにした。ギチギチと音を鳴らして爪をたてた。ツギハギの腕を力ずくでねじり曲げる。ツギハギには痛覚がないのか、特に焦る様子はなかった。
あたしはそのまま掴んだその腕を軸にして、ふわりと舞い上がる。こんなに身体って軽かっただろうか。まるでトビウオのようだ。そうそう、この感覚。賞賛の拍手があることを信じて、あたしは踵を重りにしてツギハギの首の根っこに踵落としを食らわせた。
足から頭へビンと電気が走る。しかし、これだけでは終わらせない。そのまま身体の重心を内側へ傾けてスニーカーの外につけてある刃を首へ食い込ませる。
「さぁ、あたしの舞を!彩りなさい!!」
一気にお腹の力をこめて足へありったけの体重を乗せて振り切る。そして、それは日本刀かのようにズッバリとツギハギを裂く。竹を割ったかのように断面からズルリと胴体がズレていき、ドシャリと二つになった肉塊が倒れる。
噴き出す血を見ると、こいつも一応人間だったのかもしれない。
しかし、今のあたしにとっては『どうでもよかった』。
超絶で完全に、感覚の境地。
溢れ出す感覚の情報に身体を揺らし、顔にこびりつくこの血液でさえ、あたしをたぎらせる役割しか果たさない。というよりも果たさせない。
卑しい人間共の拍手が聞こえた気がした。しかし、それは一瞬でキャパオーバーしそうなほどの爆音がまた頭を侵していった。あたしにはこれだけで充分だった。べろりと舌でその血を拭って崩れ落ちたその肉を持ち上げた。
持ち上げたというより肉塊の大きさから、抱き上げたというほうが表現として正しいかもしれない。
「あんた達がほっといてると生き返るっていうんなら、あたしが全部溶かせてあげればいいでしょう?」
あたしは、にやりと笑ってもう一体の二つ頭のツギハギに目を向ける。
「ヒィ……!オマエ、『オニ』カ!?」
胴から生えたツギハギの顔の笑みが消える。その笑みを奪い、残忍にあたしは笑ってみせた。
「あたしは誇り高き、『世辞』の子よ!楽しいことに生き、楽しいことに死ぬの!」
そう言い、あたしは解体した肉塊に歯をたてる。じわりと伝わる肉の味。仄かに舌が感知する甘酸っぱさと、油の乗った全ての肉に共通の旨み。しかし、それは喉越しとしてあまり味わうことなく飲み込むのが、あたしのポリシー。そして『ゴリッ』と何か固いものが歯にあたり、あたしはそのまま噛み砕く。するとプルプルした柔らかく弾力のある中身が出てくる。
人間を食らうときに、いつもこの感触を口に宿す。
あたしは身体の知識など持ち合わせていない。
しかし、この感触をしたものは『魂』なのではないか、とあたしは思うのだった。
なぜかといえば、これを食らったときにあたしの身体はこの人間を食べたと認識し、『変食』の能力が使えるようになるからだ。
案の定、『ゴリッした触感のもの』を食らい尽くすと、肉塊はそのまま砂のように消えていった。もう半身の肉塊に手を伸ばそうとしたところで、そいつはちぎれた箇所から再生し、あたしの追撃から逃げ出すため、後ろへビュッと跳ねた。
「カカカ、バケモノメ」
「あんたに言われたくないわよー」
あたしは真っ赤に濡れた口を拭い、自然と笑みをこぼしていた。
この時ばかりは、あたしは刺宮だとか、唯、智、そして倦のことも頭から抜け落ちていた。
ただ目の前にいる標的を食らうことしか考えてはいなかった。
そしてあたしはもう一度、先程と同じ体勢をとる。
「さぁ、まだまだ踊り足りないわー?」
しかし、あたしの舞は長く続かなかった。
そのまま次のツギハギに襲いかかる。足を差し込み、肉をえぐり出す。腕を振り回しスピードをつけ飛翔する。技のバリエーションが段々なくなっていく。相手は減ることなく、切り離した後にタイミングがつかめず食べきらなかった肉塊が、断面から新しく蘇生し、またあたしを潰そうと腕を伸ばす。
あたしは遂に空気を食らい、『変食』の能力を発動させる。空気の味へ意識を集中し、姿を消して背後に近づき首の断面を切り落とす。そして『ゴリッ』というまで肉を咀嚼し、また姿を空気へ姿を変えるのだ。だが、意識を集中させなければならないため、そう何回も使えない。
『ブツッ』と集中力が切れる音がした。それでも、あたしの腹に向かって伸びた、触手に近い形の腕を避けるには『変食』しかなかった。空気の味に意識を絞る。だがその舌には『乾き』しか感じることができた。
ザグッと嫌な音が鳴る。鋭利なツギハギの腕はあたしのお腹に埋まっていた。一瞬頭がフリーズを起こす。お腹の中でそれが蠢いたの感じ我に返り、その腕をありったけの力で爪を使いねじり切る。
「ぁあっ……ぅぐ!!」
私は身体を震わせながらも、腹部に刺さった腕を、血まみれの両腕で引き抜いた。どくどくと血が溢れてきたが、もう敵の血なのか自分の血なのか、もうわからなかった。
そして、痛みが音、匂い、そして味をも飲み込んでいった。あるのは焼き付けるような痛みと、色調が薄れていく視界だけだった。
あぁ、死ぬってこういうことなんだ。
あたしはもう立っているのがやっとだった。それさえも止めてしまったら、もうあたしを支えるものは何もないように感じた。
ツギハギはまだ数体いる。あたしがたくさん解体したせいで、足が4本ある奴や首から腕を伸ばしている奴もいた。うざったいほどに皆笑っているのだ。
そんなにあたしが死ぬのが嬉しいのか。
あんた達のほうがよっぽど化物のくせに。
でも笑うってことは、あんた達にも感情があるのよね。
こんなになってまで、あんた達は『軋轢』になりたかったの?
意味はよくわからないけど、胴から生えたツギハギは、本当に悔しそうにそう言ったから。
――――まぁ、でも。今からあたしを殺すやつに同情するほど、あたしは優しくない。
ごめんね、唯と智。
約束守れないみたい、唯は優しい子なんだから、智を救って幸せになって。
智も簡単に捕まってんじゃなくて、脆い唯も守ってやりなさい。
倦も、ごめんね。
結局あなたを迷わせただけなのかもしれない。
それでも大好きだって、やっぱり伝えたかった。
たくさんの可能性を奪って生きてきたあたしは、この死に場所がお似合いなのかもしれない。幸せになれなくて当然。
だからその分、もう誰も不幸にならないで。
幸せになって。
ツギハギが死神の鎌を振り上げるのが、見えた。
あたしは静かに目を閉じた。
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