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さぁ始めましょう?
最高のオープニングを貴方に。
『めかくし』36
「さーて、かわいいかわいい、あたしのファン第一号にああ言われちゃ……あんたを早く処理しなきゃいけないわよねー?」
あたしは、唯が抜けていった扉をちらりと見てから、目の前の『何か』に言う。しかし、どうもこの物体に声をかけてもピンとこないのだった。耳があるかどうかさえ、定かではなかったからだ。
顔のパーツがあるべき場所に、大きな穴、恐らくは口なのだろうが、そんなものしか見当たらない。目のような窪みも見えるが瞳があるのかもわからなかった。
ちょっと食欲がわかないな。
あたし、世辞の人間にとってはそれはなかなか致命的なことだった。倒す相手に少しでも自分を満たす欲求みたいなものがあれば、気分も乗るのだが、敵のビジュアルを見る限りこれを期待するのは難しそうだった。さらに臭そう。相性の悪い相手のようだ。
「……グ、グガァ…………」
その何かはくぐもった声であたしに何か話しかける。しかしあたしには聞き取れなかった。その声を例えるなら鼻づまりの風邪引いた人みたいな声だった。
それは声を漏らす度に、フシュウッと息を吐く音がするのだった。大きな口の部分からその音が出ていて、開いた瞬間に、涎が粘っていた。
あたしは、嫌悪感で毛が逆立つのを感じた。そしてこの何とも表せない目の前のものがあたしには恐怖でしか映し出せなかった。不安に近いこの感情はあたしの身体を縛り付けていく。
どうしよう。
そう思っていたときに、智の言葉が頭をよぎったのだった。
『幽霊が怖い理由を知ってるかな?』
それは、唯と智で怖い番組を見ていたときのことだった。あたしと唯は毛布を被りながら、幽霊が飛び出す度にその毛布を吹っ飛ばして互いに抱き合っていた。
その様子を見て、智はふぅっと息をついてこの言葉を吐いたのだった。
あたしはしたり顔で聞いてきた智の顔が少し気に食わなかったため、特に何も考えずに首を振った。
「それは『名前』がないからだよ」
「……名前」
「そう、名前。人は形容できない『何か』に出くわした時、自分の知識では認識しきれないから恐れを感じるんだよ」
「そういうものなの?」
「そうだよ、騙されたと思ってその幽霊に可愛い名前をつけてごらん。不思議と親しみさえ持てるものだよ」
そんな会話を交わした後、あたしと唯による、数秒間だけの話し合いによってその幽霊に『ひぃちゃん』という名前がつけられた。
それで、ひぃちゃんが出る度にきゃーきゃー騒ぎながらテレビを鑑賞していたのだった。
正直、ひぃちゃんと呼んだところで怖いものは怖かった。
しかし度合いでいったら少しはましになったような気もする。
目の前の肉塊にも名前をつければ、少しはマシな気持ちになれるかもしれない。
あたしは彼の姿をもう一度確かめて、ほんのちょっと考える。
それでも直感で思いついた名前がしっくりきた。
「『ツギハギ』、あたしがそんなに怖いかしらー?あたしは先を急いでるの。どいてもらえないかしらね?」
ツギハギと名づけた彼は、あたしの言った言葉を理解したようで、うぅぅとうめき声を上げる。そして体勢が一瞬低くなったと思ったときには、あたしに向かって突進をしてきていた。
「そのほうがわかりやすいわー」
あたしはそのままお決まりの音楽を選択し、両耳のヘッドホンから乱雑で整然とした楽器の声を聞いた。そして彼らに『踊れ』と言われるままにあたしは一つめのステップを踏んだ。
右足を左へ踏み出すクロスステップ。
「――――さぁ、あたしの舞に付き合いなさい!」
相手はあたしの動きを見ても進路方向も変える様子はなかった。あたしは愛美と戦ったときにも感じた違和感を覚えながらも、前かがみになるように、重心を前方に移動させ倒れるところで右手を床につく。
そしてそのまま身体をふわっと浮かせ身体をぐっと反らせる。その動きで遠心力が生まれ、勢いよく振り上がった左足をちょうどいいタイミングでやってきたツギハギの胴へヒットさせる。
「フグァアァアア!?」
あたしのカミソリのついた足はツギハギの身体にめりこみ、ブチブチッと音を立ててツギハギの肉を切り裂く。しかしあまりにも分厚く、いつものように分解にすることはできなかった。
それは十分に想像できていた。その食い込んだ場所からさらに膝を曲げて足のバネを作り、思い切りそこから跳んだ。勢いがよかった為、足が埋まることはなくツギハギの逆襲をうけることなく間合いの外まで逃げることができた。
「成功、かしらねー?」
あたしは自分へ問いかけるように、小さく漏らす。
確かに想像以上に成功だ。だが、なんだろう。この手応えのない感覚は。
まるで遊園地で砂と化した愛美を刻もうとしたときのようだった。
「グガァッ……」
ツギハギは痛覚があるようで、傷つけられた箇所を手で抑え顔をしかめた。そしてあたしを睨んで吐くようにこう確かに言ったのだ。
「イタイ」と。
「…………!!」
あたしはその瞬間、理由もわからず血の気が引いたような悪寒を覚えた。こんなにも身体が反応するかと疑いたくなるほどのものだった。聞いてはいけないものを聞いた気がしたのだ。
「グググ……」
それから先程と同じ、化物のような声を吐き出した。そしてツギハギの裂けた胴から腸が飛び出すわけでもなく、その切り口からブチッと音がなり肉が盛り上がる。
それはあたしの彼氏である刺宮倦の『再構築』が発動した瞬間のようだった。こいつも不死身なのかとその光景を、まるで映画を鑑賞しているかのようにボッとして見てしまっていた。
油断をしていた、といえばそうなのかもしれない。
ツギハギの切り口から流れた血は、あたしの視界に写っていなかったのだった。
ビュッ
大音量の合奏をかいくぐって、聞いたこともないいような嫌な音が聞こえた。
顎下の方へ勢いよく白い何かが飛び出す。
「……!?」
あたしは『まずい』としか考える余裕がなかった。咄嗟に横へ大きく避ける。しかしそう思ったときには遅すぎた。白い鋭利なものはあたしの首をかすめる。だけでは済まなかった。
えぐり取られるような痛みが左の首に走り、その勢いのまま後ろに飛ばされ半身がグルリとひっくり返り、うつ伏せに倒れる。
「あっ……うぅ!」
あたしはあまりもの痛みに叫びそうになったが、無理に顎を動かしたら反対側の首の皮がそのままちぎれてしまいそうな気がした。
ごひゅっと明らかにいつもと違う呼吸音が聞こえる。血の気がなくなっていくのと同時に、頭を覆っていたあたしを鼓舞する音楽達がボリュームを下げていくのを感じた。
し、死ぬ?
「ぃ、いやぁっ……!」
あたしは必死で喉を抑えて立ち上がる。そしてすぐそばにあった壁を身体の支えにした。首がひどく熱い、おかしくなりそうな脈の速さと、半比例するようにからっぽになっていく頭。
この世から精神を引き剥がせないように、五感に神経を集中させる。まずあたしは首を刺した物体が何だったのかを確認する。
一瞬目を疑ったが、ツギハギは切り口から新しい頭を生やしていた。なんとも冒涜的な光景だった。胴体から生えたほうの表情は口を三日月型に曲げて笑っている。多分、元からあった頭と胴体のほうの頭を比べたら違う点などいくらでも見つかるのだろうが、今そんなことをしている場合ではなかった。
なにより、一番の問題点はこのツギハギがあたしの喉元を掻っ切ろうとしたわけではないことだった。この空間にはいつの間にか、もう一体ツギハギがいたのだった。
腕がまるで無理矢理引き伸ばされたゴムのように細長く、それと釣り合わない足の長さのツギハギ。このツギハギは顔がのっぺらぼうで髪も生えていなく、遂に人型と呼んでいいのかさえわからない物体だった。この際肉塊のほうが表現として正しいかもしれない。
恐らくこいつが出てきたタイミングは、前からいた胴体に傷を負わせたときだ。そして下から襲いかかって生きたことも考えると、血からコイツが出てきたということしか思い当たらなかった。
そして、このような結論を出すしかなさそうだった。
それは『こいつに攻撃を加えても己の首を絞めるだけ』というものだった。
「カカカカ!コイツヲツブセバ、『ボクラ』ハ、『カチョー』サ!」
胴体から生えたご満悦な顔をしたツギハギは、高らかに笑いこう言った。
甲高い、何かの加工をされたかのような声。意識が散乱しているあたしの脳内でさえも、こびりつくように届いていた。しかし、意味としてとらえていいのかよくわからなかった。
「ムカツクヨ!ダッテ『イシ』サエボクラカラナクナレバ……」
『僕ら』、『家長』、『イシ』は『意志』かそれとも『医師』かはわからない。
何を言っているのだろう。あたしは押し寄せる悪寒に微かに震えた。
「ソシタラ、『アツレキ』二、『アツレキ』二ナレタノニ!!」
『意志』さえなくなれば、そしたら『軋轢』になれたのに。
確かにツギハギはそう喚いたのだった。
あたしは薄れている意識の中で、こんなことを直感した。
これは聞いてはいけない言葉だということを。
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