35
唯と沙也夏。
久々の登場です。
世の中には数多の選択肢があって、
それを選んだのは、偶然であり、代え難い必然なのだろう。
『めかくし』35
「結局こっちのルートにきちゃいましたね」
「そうねー、余り物に福があるって言葉があるから大丈夫よー」
余り物といわれても別に選んでもないし、2つのどちらかを選ぶ場合、このことわざは使えないでしょ!といつものようにつっこもうとしたが、長いし面倒くさいし、なによりそんな状況で言うことではなく、私は口を閉ざす。
私、匂神唯と沙也夏さんは敵の根城へ潜伏中なのだ。
本当は喋るネズミ、平もこのパーティの一員だったのだが、寸前になってくるのを止めたのだった。
ここを出発するにあたって、武器の手入れや持ち物の確認をしていた時だ。
「ボク、軋轢クンにここの存在を消すように依頼されてるから一緒にいけないやー」
つまり、涼しい顔で敵に味方すると宣言したのだった。すぐにでも火炙りにしてやろうと沙也夏さんと目線で会話をしていたところ、慌てた様子で口をモフモフさせながら平は補足を入れた。
「一応五町の家長だからね!仕事は仕事でけじめつけなきゃいけないにょー。だいじょーぶボクをしっかりキミらの味方だからねっ」
そう言って軋轢まで行き着く為のオススメの道をこちらに提示してきたが、どこまでも信用ならないネズミで私達は散々悩まされることになる。
しかし、結局自分達で選んだところでネズミの持ってきた音楽会場の地図自体が異なっていたら元も子もないわけで、それらを考えるとネズミを信用するしかないという結論になった。
そういう過程もあって、私達はネズミのオススメした道を通ることにしたのだ。
しかし刺宮関連の人間と思われるものが見張りをしていて、私達は息をひそめていた。
私の『無臭化』で、私と沙也夏さんの存在は何もしないよりは薄くなっているはずだ。
「もうはめられているのかさえ、わからないですね」
「なんかいけ好かないのよね、あのネズミ」
沙也夏さんはどうも平のことが嫌いなようだった。大胡に関してのことをひきずっているのだろう。私は平のことについてこれ以上話すのも無駄かと思い、周りの状況を伺っていた。
「見たところ、幹部のあの四人はいなそうですけどね」
私はその言葉を呟いた後、あっ、と微かな後悔を感じた。刺宮の幹部ということは沙也夏の彼氏さんも含まれているからである。
「そうねー」
沙也夏さんは彼氏である倦の面影を頭に浮かべたかはわからない。しかし、いつも通りの良い意味で何にも考えてなさそうな様子で、私は少しほっとする。
「行くなら突破するしかなさそうねー?」
さらに沙也夏さんは私に問いかける。問いかけるというよりも反語表現をちらつかせた問いかけだ。私の答えを推測したうえでの言葉だ。確かに沙也夏さんの想い人がいないのなら、特に躊躇をする必要はないと言ってもいいだろう。
見たところ、細いこの廊下のような通路がしばらく続くのだろう。そこを守る警備が何人もいるということが想像ができた。
「……そうですね、いきましょうか」
私は手に持っていた『郷愁狂臭』にゴムをくくりつける。圧迫されて微かに痛みを感じるほどに、きつく巻いた。これを離したときが自分の死と同義になるからだ。
恐ろしい、死ぬとは一体どういうことなのだろう。
死後の世界なんて見たことはないけれども、どう頑張っても『修正』が効かない行為ということは確かだ。間違えたとしても、どう懇願しようがその命は帰ってこない。
こんな私みたいな人間に殺された人間は、死んでも死にきれないかもしれない。しかし、あの遊園地で命を奪った罪と責任は、この背中に背負っているのだ。
もう、後戻りはできない。
退路など、どこにもない。
だから私は大事な人を失わないために、突き進む。
その決心と呼応するようにキィィィンと甲高く『郷愁狂臭』は叫び声をあげる。
「いきましょう、沙也夏さん」
私は自分にしか嗅がないように『無臭化』をした、『紅斑点の香』をスンと鼻腔に詰めた。枯れた華のような、甘く朽ちた匂い。麻薬から生み出されたような香を使わなければ、結局、脆弱な私の心は耐え切れないのだった。
「……へへ…………」
一番手前にいるスーツ姿の男が後ろを見渡した時、私は弾丸のように飛び出した。その男は私に気づき何かを叫ぼうとする。しかしそんな時間も私は与えている暇はなかった。
勢いよく振られたその凶器は、狂気の赴くままに胸から腹にかけてをズッパリと切り離した。男の瞳は私に向けられたまま、下へ下へと落ちていく。
「お前らは五感の者か!! 軋轢様を邪魔する者は、五感家の家の者でも排除する!!」
想像した通り、簡単にここを突破できるわけではなさそうだ。まだ通路の突き当たりが警備の人間で見えない。しかしその分、敵が手前にいる限り、奥から銃を発砲することはできないはずだ。
なだれこむように、次の男がナイフを片手に襲いかかってくる。スーツがパツパツになってしまうほどに、肩の筋肉が立派な男だ。そんなところに目が向いてしまっているうちに、その男は苦悶の表情を浮かべる。そして膝かっくんを受けたかのように重心を後ろに倒れる。よく見れば、右腿から下が切り離されていた。
倒れた先に現れたのは、緋い瞳をギラギラと光らせた沙也夏さんだった。
「いつのまに!?」と困惑や恐怖の色を隠せず叫んだ刺宮の人間達。味方とはわかっていながらも、私も本能的な戦慄を覚えた。『人間を喰らう存在』なのだから、この身体が鳴らす警鐘も間違ってはいないだろう。
「化物がぁ!! 死ねっ!」
それでも立ち向かっていくスーツ姿の別の男。しかし別の種類の恐怖が彼を襲うことになる。ズルリとまるで空気と同化してしまったかのように沙也夏さんの姿が消えてしまったのだ。虚をつかれた男を見逃さず、私は『郷愁狂臭』でその男の胸を刺し貫いた。
そのまま留まっている時間もなく、私は横へ大きくクロスステップをして、その動きのまま一回転して勢いがついたまま次の男に斬りかかる。どこにそれがヒットしたかはもう覚えていない。それでも戦意を失わせるには十分の傷を負わせたようだった。
第一波は破ることができたようだ。しかし、目の前の開けた先にはごてっとした黒いボディの銃だった。
それを構え、勝ち誇るスーツ姿の男。
あまり銃に関して知識がないのだが、連射ができるやつ。
そう、あれはきっとマシンガンだ。
さすがに危険を感じて、刻んだ敵の身体を盾にしようと身体をかがめた。
あぁ、これじゃ間に合わない。
私は撃たれると思い、目をぎゅっと閉じる。
しかししばらく固まってみても発砲音がなかなか鳴らないのだった。
「なーに縮こまってるのよー」
沙也夏さんの能天気そうな声が、奥のほうから聞こえる。その先には後ろに突っ伏している人間達の姿だった。スーツ姿だったのかは真っ赤に染まっていてわからない。しかし前後関係を考えると多分、先程の笑みを浮かべていた刺宮家の者なのだろう。
「沙也夏さん……」
「ほら時間ないわよ、動けないなんて言わせないけどー?」
「大丈夫です、任せといてくださいよ」
私は狂ってしまいそうなほどの、血の匂いという情報を『無臭化』により遮断する。そして人だったものを跨ぎながら沙也夏さんの元へと駆け寄る。
沙也夏さんは私が横まできたときに、ふっと柔らかく笑って私の頭を撫でた。
こんな風に沙也夏さんが笑ったことがあったっけ? と私は妙な違和感を覚えた。夜祭で初めて見た、勝ち誇るような嘲笑じみた表情がそれだけ印象深かったのかもしれない。
そんなことを考えながらも、足はしっかりと前へ歩き続けている。こうしている間にも、七宮は、庵兄はどうなっているかわからないからだ。
突き当たりには、扉があった。扉を二枚分使った大きい扉だ。この先には音楽ホールがあるのだろう。実際に扉の横に『音楽ホール 3』と書かれていた。
しかし、確かここは小部屋だったはず。平に見せてもらった地図を参考にすると、ここはまだ軋轢のいるゴールではなく、まだ先に進まなければいけないはずだ。
何かが、この先にいるのだろうか。
「怖気づいててもしょうがないわ。いきましょー」
「……そうですね、いきますか」
私と沙也夏さんは、意を決してその扉を開け放った。想像以上にその扉は軽く、あっという間に視界が広がる。そこは立派に音楽ホールだ。
しかしそこに客席はなく、ただ広く円型なステージが私達を迎えていた。そして、その舞台に立っているのはパンダ姿の軋轢ではなかった。
「沙也夏さん……あれは?」
「何……かしらね」
私は思わず沙也夏さんに尋ねる。しかし沙也夏さんもこればっかりは歯切れの良い答えを返すことはできないようだった。パンダがいるべき場所には『何か』が仁王立ちになっていた。
「唯」
「はい、沙也夏さん」
「『無臭化』をして、先にお兄さんを止めに行きなさい。ここは私がなんとかするわ」
「!!?」
沙也夏さんの言葉に、私は言葉を失う。なぜかといえば、目の前の『何か』が一人で立ち向かうにはあまりにも無謀だったからだ。目を凝らすとその『異形』ぶりは十分に理解できた。
その『何か』は人型をしているのだが、私達より二倍ほど身体が横にも縦にも大きい。そして腕が二本ではなく肩甲骨のあたりから羽のように腕がもう1セットついていた。さらに髪は生えていなく、肌色と赤色を混ぜたような肌をしていた。盛り上がっている筋肉と、人では考えられないような爪や牙。
それは人とは呼べない姿をしていた。そんな相手を沙也夏さんだけがするわけにはいかない。
しかし、沙也夏さんは次へ続く道である一つ奥の扉を顎で差して、私を先へいかせようとするのだ。
「無理です!一緒に戦わせて……」
「ゆーい」
私の剣幕を、鼻先をちょんとつついて沙也夏さんは簡単にいなす。そしてにんまりと野獣が笑ったらこんな表情なのだろうと感じるような笑顔を見せた。それは私が沙也夏さんを尊敬するきっかけになった『あの時』の表情と何も変わりはなかった。
「あんなグロいの食べてるとこ、かわいいファンに見せたくないのー」
人を魅了し、人を従える、究極の笑み。
私は今更、心を奪ったこの笑顔に歯向かうことができなかった。それが沙也夏さんを助けるための気持ちだとしても、それでさえも沙也夏さんを裏切る行為にしかならないと思ったのだ。
「すみません。必ず、必ず……私を追って来てください」
「もちろんよ」
私は首に下げている緋い勾玉をつまんで、無邪気に笑う沙也夏さんを焼き付けるほどに見つめ、湧き上げる言葉を飲み込む。そして『無臭化』を強め、私はその次の扉へ飛び出した。
七宮と庵兄の元へ、私は走った。
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