34
これ以上あたしを見ないで。
何かが、私を気づかせてしまう。
『めかくし』34
「雅ちゃん、いくら負けず嫌いだってそんな要望答えられないよ。僕ちゃんおしゃかしゃまじゃあないんだよ?」
愛美は雅を警戒し何回も雅のほうを見ながら、苦笑を浮かべつつ足元の銃を拾い上げる。雅はそれを不意打ちするわけでもなく、むしろ腰にある銃を構えることさえしなかった。
「わからないねぇ、だって僕ちゃんは雅ちゃんが出血多量で死んじゃうのを待ってればいいんだよ?庵がパンダに負けるとも思わないしね、僕ちゃんは気長に待ってればいいんだよ」
雅は片眉を上げて、その言葉に反応した。この後に浮かべたのは不敵な笑みだった。
「もちろん、何の意味もなくこんなことを言ってるわけではないわ。まず一つにあの私の背後にまわった瞬間移動のタネがわかった」
愛美はそれを聞いて、少し意外そうな顔をしたがそれでも納得いかないようだった。確かに、それは雅の状況を良くする決定打にはならないからだ。
「某電気ネズミのまねっこでしょう。非科学的とは思うけれど、電気を滞納しているとすれば、強力な電磁石を置けばそこに引き寄せられて光のように……『電光石火』の速さで動くことができる。それで私の『蜘蛛の巣』をかいくぐった。違う?」
「そんな自信満々に言われてもなー、合ってるとも間違ってるとも言わないよ。じゃあどうするの?僕ちゃん勝てる気しかしないんだけど」
「まぁ、まずあなたの不意打ちは二度と受けないわ。そして……」
雅はそう言うと、右腕を真っ直ぐ愛美へ伸ばし首を傾げる。
そしてその右手の人差し指を立てて自分の唇に当てた。
「あなたには、二つのワイヤーが見えるでしょう?定位置に張ってあるワイヤーと、私の身体に繋がっているワイヤー。普通の人なら見えないでしょうけど『透藤』の名字を持つあなたは視覚できているでしょう」
「…………」
ここまできて、愛美の表情が変わりつつあった怪訝そうなものから少しだけ顔をひきつらせた、形容するなら不安そうな表情、になった。
「『透藤』にも視えないワイヤーがあるって言ったらどうする?」
そこまで言われたときに、愛美は確信に至ったようだった。
雅が状況を変える一つの条件。
これが本当だとすれば『篭城戦』なんてものではなくなる。
同等、むしろ愛美の囚われた状態、しかも抜け出す方法を雅に知られている状況ということだ。
「ハッタリでしょう?」
「さぁどうかしらね。だからあなたが『電光石火』で突っ込んでくるのは構わない。でも安全を考えて銃をとり、私と一騎打ちしたほうがシンプルなのかしら。という提案よ」
愛美はぐぅ、と声を漏らす。今までのあっけらかんとした態度から一転して、敵意剥き出しの、化粧で強調された黒い瞳で雅を睨んだ。
明らかに動揺しているようだった。
「選びなさい、愛美ちゃん。私はそれに応じましょう」
愛美は、堂々とした立ち振る舞いの雅を、じっと観察する。
威勢だけはいいものの、先程与えられた傷は深いようだった。痛みこそ感じないが、出血量と顔色を見ると今にも倒れてしまいそうな様子だった。
重たい静寂。
会話と動きがなくなるだけで、こんなにもこの音楽ホールは広く、寒く感じるのか。
しかしその緊迫した雰囲気は破られることになった。
愛美の姿が黄色い影となり横へ伸びた。それはあくまで視覚的にそう見えるだけであって、実際は早くに移動しているだけである。
つまりは『電光石火』。更に意図することは。
「やっぱりそうするのね」
雅は『こっちの提案』を捨てた愛美の行動に、憤るわけでも悲しむわけでもなく、そう呟いた。
愛美は遠回りをしつつ蜘蛛の巣を通り抜け、何も動かない雅の目の前まで『黄色い残像』は近づく。
「バイバイ、楽しかったよ」
雅が目に写った光景は、愛美が自分の目の前で飛び上がり、『鉄尻尾』を振り上げているものだった。
愛美は低い声で、そう雅に告げた。衝撃の前に、電車が通った時のような風が雅の衣服を揺らす。
びちゃっと雅の身体を、刺さるような匂いのする鮮血が包み込んだ。
「はっ…………?」
愛美は呆然とした表情で、雅をただ見つめていた。
愛美の視界の範囲外である背後で、カランと乾いた音と、ゴトッと鈍い音がしていた。
持っていたはずの『鉄尻尾』が、なくなってる。
いや、待って。
腕が、ない。
「あっぅあぁぁ!!?」
それを理解した途端、愛美はパニックを起こし、腰を抜かした状態でしりもちをつく。『壊楽』により痛みもなくひたすら脈打つ、肘から少し先から消えてしまった腕の断面を見て口をパクパクさせていた。
雅に新しく付着した血液は他でもない、愛美のものだった。
雅は静かに、愛美の目の前に立ち続けていた。
「貴女に見抜けないワイヤーはない。だって『透藤』としてのプライドも、実力もあるからね」
雅はそう言いながら、左手の人差し指を微かに動かして、一歩前に出る。
「だから私は『最後の予防線の、位置取りした第一の糸』だけほんの少し、動かしたの。どれだけ目が良くても最後は殺す対象に集中するものだからね。貴女は全部『視えて』いるからと疑うことなく飛び込んだ」
そして雅は、銃を左手で握り、銃口をゆっくりと唖然としている愛美の額に合わせる。
まるでチェックメイトと言わんばかりに。
「『壊れる相手を楽にしつつ。楽して壊す』。銃、ワイヤー、そして『壊楽』。私は私の戦い方で、私の生き方で、貴女を壊すわ」
その瞬間、視点がぐるぐると集中していなかった愛美が、銃口へ目を向けた。雅は最後の悪あがきでもしてくるだろうか、と雅は彼女を囲むワイヤーを引く準備を行っていた。
「ふぇぇぇ…………」
しかし、愛美はへたりと座りこんだまま泣き出していた。
化粧を溶かした黒い涙が頬を伝って滑り落ちる。その軌跡は赤がかったチークを洗い流していた。
「あたしは何も悪くないっ!皆がこれから幸せになるためにはしょうがなかったの!!なんでこんな目に遭わなきゃいけないの!!?」
愛美は自己をごまかす化粧が剥がれていくのを、必死で隠そうとする。だが失った腕の先は悲しいほどに面積が狭く、顔を覆い隠すに至らない。
あぁ。
雅は頭の中で、これだけ呟いた。
これこそが、『愛美』という人間だったのか。
儚くて、脆くて、きっと優しい。
ただの女の子。
妄想好きでこの世界に触れて、少し歪んでしまった。
そんなただの女の子。
「死にたくない死にたくない!!嫌だよっ怖いよ!!」
本を片手に微笑む愛美の姿が、頭をかすめた。
「それでも私は貴女を壊すしかないの」
バン
刹那見えた額の真っ黒い穴。
あまりにも軽すぎる愛美の身体は後ろに吹っ飛ばされる。吹っ飛ばされた先で何本ものワイヤーに身体が引っかかり、ちぎれ、人間の形をなくしていった。
むせそうなほどに鼻を侵す、けむたい臭い。そして一層と強くなる鉄の臭い。
雅は勝利に心を躍らせることはなかった。ただ無表情で、張ったワイヤーを緩めていく。それは心なしか悲哀を連想させるものだった。
もし、出会う場所が違うとすれば、仲良くできたかもしれないね。
雅がこの言葉を口に出すことは、最後までなかった。裂かれたスーツをできる限りピシッと整えて、銃を腰のベルトにもう一度戻した。
命を奪えば奪うほど、背中にかかる重圧は酷くなる。もう息さえもろくにできない。それでも、いやだからこそ、『意志』を貫かなければならない。
「待っていて下さい、お父様」
雅の胸につけられた傷から、依然として血は流れ続ける。ふらつく足は何回も自身の血で滑り転びそうになる。しかし、彼女を突き動かす『意志』は次の戦地へ誘っていく。
『かちっこちっ』
どこかでこんな振子の音が鳴り響いた。
>35
今回では愛美ちゃんが物語から去ってしまうということで。
結構お気に入りのキャラだったんです、愛美ちゃん。
何かを真似ることに評価をもらった彼女は、どこかへ自分を置いてきてしまいました。このラストで自分がどんな人間か、気づいてしまったのかもしれませんね。
こんなラストでしたが、大好きでした。




