30
お久しぶりです!!ついに最終章ですよー!!
かすれた歌を辿って、
また次の狂気へ、狂気へ。
『めかくし』30
七宮智の住んでいたマンションには二人と一匹。
テレビから聞こえる不特定多数の笑い声、鍋をかき混ぜる音。それは『生活音』としても表現ができそうだ。私はあくびをしながらそんなことを考えた。
「軋轢クンが『お披露目』に使う場所としたらここかな」
一匹のネズミ、平の声がリビングの方で響いている。私、匂神唯は鍋の中身を覗きながらもその声に耳を澄ましていた。もう一人の住人の沙也夏さんが何か反応するかと思ったのだが、平の言葉に何も言ってこなかった。
「ここって、どこですか」
「都心から外れたところにあるオーケストラ会場だよ、軋轢クンには思い入れがあるところだろうからね」
私は今日の夕飯でもある鍋焼きうどんを机に無造作な置き方をした布の上に置いて、平に聞き返した。平は隣の作業机でパソコンのキーボードの上に乗っかっている。パソコンの画面には『La torre di un augurio』と書かれていて大きいドーム状の会場の画像が映し出されていた。
「ら、とーれ、でぃ、あん、おーぐりお?」
私は現在中3の英語に対する知識をフル活動して、オーケストラ会場の名前を読もうと努力していた。沙也夏さんはむしろパソコンにまったく興味を持たず、鍋焼きうどんを見てそわそわしていた。やっぱり食いしん坊な沙也夏さんなのだった。
「これはイタリア語だよ、確か意味は『願いの塔』かな」
平は右クリックボタンの更に横にずれて、ガラス玉のような瞳をパソコンに向ける。私は道理で読めないわけだと苦笑いしながら平の話を聞いていた。
「軋轢が思い入れのある場所、なんだ」
「そうだよ、妻が亡くなった場所なんだってさ」
平はなんでもないような様子で、私にそんなことを言った。思わず私はそれを聞いてしばらく言葉を失う。そして詳しい話を聞こうと思ったが敢えてやめておくことにした。
敵に同情をする余力なんて私には残されていなかったからだ。
「それが決まったなら速攻するしかないじゃないー!もう時間もあんまり残されていないんでしょー」
ソファーに寝そべっている沙也夏さんはくちゃくちゃと音を立ててガムを食べながら、こちらも抑揚のないのんびりとした声でそう言った。むわっと香料の作られた匂いが私の嗅覚を刺激する。
「うーん、そうなんだけど。まだ行かなくていいかな」
平はパソコンの画面を背にして、手を擦り合わせた。人間でいうなら腕を組んだ、というところか。沙也夏さんはそれを聞いて、一週間ほど練習して体得した技であるガムを風船に変える技を見せる。
パチン、と音が鳴った。
沙也夏さんはガムを舌でまた口の中にしまいながら、不服そうな表情をしていた。そう、沙也夏さんは結局のところこの喋るネズミを快く思っていないのだった。
「なんでよー、ほんとに生意気なけむくじゃらねー」
その反応を見て、平は身体を横に倒した。人間であれば首を傾げるかのような仕草だった。そうしてから目にも止まらないスピードでネズミはテーブルから降り、ソファーから落ちそうになっている毛布を駆け上る。沙也夏さんが身を引く前に平は沙也夏さんの鼻先に落ち着き鼻をひくひくさせていた。
「きゃぁああああ!!!」
平も沙也夏さんの態度に対してこんな仕返しをするあたり幼稚だ。恐らく生きている歳としては最年少であるはずの私が、二人を若いなぁというような気持ちになるのは変な話だななんて思った。
そしていつも私や沙也夏さんをなだめてくれていた、この部屋の主の面影が頭をかすめて私はしばらく息ができなかった。こうしている間にも軋轢に何をされているかもわからない状況なのだ。
「でも、なんでまだ仕掛けに行っちゃいけないの。あんたのことだから何かしらの理由があるんでしょ」
私がそう尋ねると、ネズミは沙也夏さんの顔からぴょんっと降りて、また来た道を戻りパソコンの前まで帰ってきた。そして私のほうに目を向ける。
「唯チャン、それはキミのお兄チャンが軋轢クンに仕掛けるのを待ちたいからだよ」
「……庵兄ぃの?」
「これを見てごらん」
平は私達にそう言ってから、またパソコンのキーボードを転々として画面を見ていると、どうやらパスワードを打ち込んでいるようだった。何往復かキーボードの間を行ったりきたりをしているうちに画面に何やら文章が出てきた。
それはまるで会社にプレゼンにでも使うかのような厳かなフォントで、文字がつらつらと打ち込まれていた。
題名には『零計画』と太字で書かれている。
その他にも計画場所として先ほど平が言っていた場所、『La torre di un augurio』が上がっている。そして桁を見間違えそうなほどの莫大な経費が記されている。そしてその音楽会場のパンフレットから抜粋したのか1、2階の内装が細かく図形で表されている。
入口から赤い線が何かの経路なのか、蛇のように伸びていた。そしてそれは中途半端なところで途絶えていた。
「ん……?」
さらにその内装の図の下に手書きの図がもうひとつあった。これも何かの内装のようだ。しかしそれはわかるのだが、あまりにもそれは1、2階と比べて異なるものだった。音楽会場とはいえないほどに控え室にしては小さい部屋が何個もあり、左半分はだだっぴろい一つの空間になっていた。
そして左上に『B1』とその図を説明する唯一の文字が書かれていた。
「この音楽会場は今は何にも使われていない。だからこそ軋轢クンの良い意味でも悪い意味でも、大事な場所であるこの音楽会場を五町との連携により社会から隔絶させた」
平はちょこんと座りながらそう言った。
「そして軋轢クンは地下を新しく建設をした。五感家の繁栄という名の復讐に向けて着々とね。まぁ隠していたつもりなんだろうけど庵クンの情報網に引っかかってしまったんだね」
なんでそれをお前が知っているんだ、と私は聞きたかったがそれは願望だけに終わった。それを言ったところで結局平に頼るしかなかったからだ。もちろん信じきっているわけではない。
「ご丁寧に襲撃する日時も書かれているでしょ。この日にボクらも合わせていけばいい感じ。そうすれば唯チャン的にちょうどいいでしょ」
「……そうだね」
準備万全な軋轢を始めとした刺宮家の根城を襲撃をする上で、人数は多いに越したことはない。それに庵兄と軋轢の野望を同時に打ち砕くには、このタイミングしかないだろう。
「これは人のメールをメールサーバで探し当てたものなんだ。このメールを見ると対策も相当練ってきているようだしね」
言われてみればメールには企画書のような文章に、補足として「~してくださいね」のような砕けた書き方をされた文もある。そして文章の最後には名前が書かれていた。
『三浦竜也』という名前だ。
この人は庵兄からこの『零計画』の計画書を受け取ったのだ。五感家の名字を持たないこの人は一体何者なのだろう。何の意図があってこの交流をしているのだろう。
考えてもわからないことばかりだった。
「まー、じゃあこの日に突撃すればいいわけね?それまでスニーカーを磨いておきゃなきゃね」
沙也夏さんのその言葉に、私は乗っかることにした。確かに必要最低限のことだけでいいのだ。知識もつけすぎてしまえば行動をする上で枷となる。
「そうですね、考えていても始まらないですし。夕飯にしましょうか」
私はそう言って沙也夏さんに笑いかけると、沙也夏さんは優しく微笑んで私の頭をわしわしと撫でてくれた。せっかく結んでいた一本結びがゆるゆるになってしまったが、それ以上に嬉しかった。
そして作り終わっていた鍋を台所から持ってきた。われながら昆布だしと鶏がらをミックスするという発想は当たりだったかもしれない。
「鍋焼きうどんねー!あっさりした中に重みのある甘さがたまんないのよね」
「沙也夏さんさすがですね、コメンテーターもびっくりです」
暖かい団欒、この中に眼鏡オタクさえいれば。私はそんなことを思いながら両手の掌を合わせる。そして祈るように目を閉じた。
「いただきます」
平はテーブルに乗りながら、私と沙也夏さんを交互に見る。
「おっと、ボクのご飯はどこかな」
「あんたは玉ねぎでも食べてなさいー」
「ネズミが玉ねぎ食べたら刺激が強すぎて死んじゃうだけどな」
そんな暖色の風景の中、私は湯気に顔をつっこみながら何も考えないように、沙也夏さんと話しながら、それでもあくまで無心でうどんを食べ続けた。
>31




