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久しぶりのコイツ登場です
これは最大級の不幸なんだ
ああ、やってしまったと。
だから人間は産まれてすぐに泣くんだ
『めかくし』26
「七宮…七宮は大丈夫なの!?」
私は息を切らせながらも、必死で平にそう尋ねる。本当は七宮にあんなことを言われて顔を見せることをためらっていたのだが、そうも言ってられなかった。
七宮が自殺未遂をしたというのだった。平に言われたことだから本当のことかわからない。
それを確かめるためにも、このネズミの後を追っているのだった。しかしこれは七宮の入院していた精神病院の方向ではないようだ。
平は私の問いかけにも答えず、ひたすら小さい身体で走り続けていた。
そして自宅に近づいたと思った頃に、自宅とは反対方向にネズミが曲がる。その先には大きな競技場と体育館があるのだ。
しかし平はそんなものには興味がないのだと、人気のない場所へと走っていく。
ランニングロードを逆走しているため、老若男女の色んな人に何回もぶつかりそうになる。
部活後のため日はすっかり落ちている。橙の風景を遮る木々の影、その影と同じ色が寂しげな階段に写し出していた。
ふわっと花の匂いがした。
これはそう、椿の香りだ。
椿の匂いを放つ人といえば私の兄と、もう一人いる。
その憂鬱げな階段の雰囲気に飲まれ階段に腰かける和服の青年。表情はわからない、それもそのはず。
彼は般若面を被っていた。
「刺宮……倦………!」
「……………匂神の娘、か。」
私、匂神唯が驚いているのに対して、目の前にいる刺宮倦は待っていたと言わんばかりに立ち上がった。
刺宮家の特攻隊。
夜祭に忍びこんでいた時はエンディングとも呼ばれていた。
刺宮憲の双子の兄であり、沙也夏さんの彼氏でもある。
「ま、待って、七宮はどこにいるの?」
倦に聞きたいことは山というほどあるが、まず知りたいことは七宮の状態のことだった。
「…………智、刺宮家に、連れていった」
「え…………?」
私は倦の予想外な答えに、思わず聞き返してしまった。
「…………………智、は……。」
「あー、待って。倦チャンに説明させたら夜が明けちゃうよ。」
「……………五町の、家長。」
「あ、ぁぁー!そうだ、軋轢が夜祭の時に言ってた……!」
私は倦の言葉を聞いて、五町平という名前をどこで聞いたか思い出した。
夜祭の開催中に刺宮家の奇襲で五町大胡を殺そうとした時に、平殿の命令だとか確か軋轢は話していた。
そうだ、五町平は五町家の家長なのだ。まさか家長がネズミだと思わなかった。
しかし、刺宮家の家長はパンダのキグルミだという知識もあって前よりは驚かなかった。ましてや馬鹿にすることなどしない。
全てを見透かすような、何も見てないような瞳。そして図体に比例しないそびえるような威圧感。
それは二人に共通して言えることだった。
「異端児クンは自殺未遂じゃなくて、本当に自殺しちゃったんだよ。」
「………………!」
「あー、ちゃんと続きがあるから心配しないでね。」
私はそんなにひどい顔をしていたのか、平はすぐに補足を入れる。
「異端児クンが遊園地で拘束された時に、倦チャンの短刀を異端児クンの懐に忍ばせといたわけよ。ただの短刀じゃない、倦チャンオリジナルだからね」
「倦……さんの短刀だと違うんですか?」
そういえば倦の名前をこんな風に呼んだことはなかった。
沙也夏さんと七宮でいるときは、知り合いでもないくせに『志村けん』と呼んでいたなんて、本人の前で言えるわけがない。
「…………………『再構築』。」
「さいこうちく……?」
「匂神サンの『無臭化』と同じように、倦チャンにも能力があるんだよ。それが『再構築』、どんな能力かって言えば……。」
平のネズミは、そこまで言ってジッと倦を見つめていた。
「実際に見せたほうが早いんじゃない?」
「………………面倒臭い。」
平のその言葉に、倦は鬱陶しげにしながらもスッと長刀を取り出す。
夜祭のときは確か、長刀と短刀を片手ずつ持って戦っていた。その短刀のほうは七宮が持っていて、長刀は今倦の手に握られていた。
殺気は全く感じないが、凶器を取り出されてまず考えることは物騒なことだった。そしてその標的は、敵対関係にある私だろう。
すぐバックの中身が取り出せるようにスタンバイをしていたが、その凶器である長刀は私ではなく、また平へにも向けられなかった。
刃は倦自身に向けられていた。
そしてこだわりのありそうな般若面をあっさりと取る。素顔は仮面をつけるほど醜い…ものではなく、むしろ鼻筋の整った顔であった。
よく見ると表情こそ違うが、憲にそっくりだった。
倦は素顔を見せたことになんの感情も覚えないのか、面倒臭そうな顔で刃をくわえた。
刃に夕日が反射して橙を刀身に写し出す。鮮やかだと思った時には橙は口の中に飲まれていった。
「なにこれ………!!」
倦は刀を飲み込み始めたのだ。それは夜祭の出し物でも見た光景だったのだが、目の前で見ると非常に生々しいものだった。
びちっと口内が破ける音、ゆっくり飲まれていく姿に私は呆然として見ていることしかできなかった。
そうしているうちに、刀の姿形が全て見えなくなっていた。全てを飲み込んだ上でも倦は辛そうな顔ひとつせず、面倒臭そうな表情を浮かべたままだった。
「これが再構築………?」
「まっさかー、こんなのただのオプションだよ。ね、倦チャン」
平はそう言いながら、倦の様子を見ていた。
すると倦は頷いたかと思えば、彼は少し顔を曇らせた。
ぶちっ
何かがちぎれるような音が聞こえて、なんだろうと思ったときには私の目の前で大変なことが起こっていた。
飲み込んだはずの倦の長刀は左手の掌から、出てきたのだ。
それは魔術のようで、魔術ではなかった。
こういうのは、掌に魔方陣とか書いてあって、魔方陣は冥界にでも繋がっているかのようにスッと剣が出てくる、というようなものを想像する。
しかし倦の行ったものは、正に飲み込んだ刀が胸、腕を通り掌に押し出されたというように見えた。刃には大量の血が浸けてあったかのように付着している。
つんとする鉄の匂いに、私は顔を歪めた。
押し出され落ちる血濡れの長刀を倦は反対の手で空中キャッチをする。
そして風穴の空いた掌をこちらに向けた。
「さっきまでのは曲芸、ここからが能力発動だよー。」
平がそう言うため、明らかにグロいその掌を私は見つめることにした。
すると、倦が腕に力を入れたと思ったときに風穴の縁にある肉がボコッと盛り上がったのだ。
「………………!!」
そして盛り上がった分の肉はそのまま穴を塞ぎ、平坦になる。
「治った…………?」
私はあっけにとられつつ、今の現象をあまりにも簡単に表現した。
「刺宮倦チャンは身体を再構築できる、いわば不死身なんだよねー。本当に恐ろしい話だけど。」
倦はさすがに疲れるのか、般若面を被り直し階段に腰かけた。
私は今までなら目を疑い、しばらく手品のトリックを暴くように色々な可能性を考えていたのだろうが、この際認めたほうが早いのだろうという判断をした。
「そしてこの能力を磨いたカレは、カレの持つ長刀と短刀にも同じ能力を付加させることができるようになったわけね」
私は今まで様々な情報が入るだけ入って、整理ができていなかったが、やっと話の糸口が見えた。
「七宮にその短刀を持たせて、その短刀で自殺したから死ぬことはなかったってこと…?」
「そーゆーこと、でも意識が吹っ飛ぶくらいの高熱を出す毒薬を塗っといたみたいで、バタンキューしてるときに倦チャンが拉致ったってわけ。」
私はまず七宮が生きているということを確認できて、ほっと胸を撫で下ろした。それでも七宮が自殺しようとしたその動機はわからないままであり、そのショックが和らぐことはなかった。
そして毎日お見舞いに来ていた沙也夏さんを始め、精神病院の医者達はさぞ心配しているだろうなと思った。
…今頃、沙也夏さんは何をしているだろう。会いにいかなきゃ。
「そんなわけで異端児クンは軋轢クンのところにいるっていうのは、おっけいね。さて倦チャン、匂神サンにお願いごと言っちゃいなよ。」
私はそこまで聞いてハッとし、倦の姿を見た。平は私のために倦を探しあてたんじゃない。倦のために私を呼んできたんだ。
それが直感的にわかり、私はどんなお願いごとをされるのか身構えた。
「………………沙也夏、を。」
「沙也夏さん、を?」
「……………沙也夏を、巻き込まないで、ほしい。」
「……………………。」
それは私の想定していたことと全く違うものだった。
「……………何を守ればいいか、わからない、から。君なら、きっと、俺より幸せに、できる。」
「そんなの、無理だよ。」
私は倦に即答した。
答えを考える時間なんて、いらないほど鮮明だったからだ。
「沙也夏さんは倦さんのことが大好きだから。私と七宮のことも好きだけど、どっちもとりたい、欲張りしたいって沙也夏さんは言ってましたよ。」
「…………………欲張り。」
「沙也夏さんらしい答えだと思う。でもそれは厳しい選択でもあると思う。もし、倦さんが家族をとるのなら面と向かって沙也夏さんに伝えたほうがいいです。」
私は目の前が敵であるとかそんなことは、どこかにいってしまっていた。
沙也夏さんがどれだけ傷ついて、苦しんでいたか、少しでも伝えたかったのだ。
「それに……、私は七宮を取り返しに行きます。それを言えば沙也夏さんだって、どう説得しても来ますよ。もうそれは誰にも止められないと思います。」
私のその言葉に、倦は般若面の裏でどのような反応をしているのか気になった。
少しでも心に届いていることを祈るばかりだった。
「運命ってやつなんだね。五感の名字を持つ者の定めなんだよ。残念だったね倦チャン。」
平は少しトーンの高い声でそう言いながら、二本足で立ち鼻をひくひくさせていた。
「さぁ行こうか匂神サン、異端児クンを取り返す準備をしなきゃ。」
そしてひょこひょこと平は来た道を戻ろうとする。
「ま、待って……。」
私は倦に言いたいことがあったわけではなかったが、もう少し話を聞きたかった。
そう言って振り返ると、私は「あれ。」と声を漏らすしかなかった。
倦はすでに階段にいなかった。
忘れ去られたようなその空間は、ただそこに存在していた。
「ほら早く行くよ、匂神サン。」
平はもう一度私を呼び、チュウチュウと鼠鳴きをする。
私はなす術もなく、平がいるほうへ歩いていった。
「だってもうゲームは始まっているんだから。」
私は空耳か、実際に言われたのかわからなかったが、その言葉が妙に頭に響いた。
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