19
さやか編最終話でございます
宇宙人にだって感情は
存在するんだよ?
知ったような口を
聞かないでよ地球人。
『めかくし』19
「僕ちゃんもう鬼ごっこ疲れちゃったよー、ちょっとSだけどドがつくほどじゃないからさ?」
ヘッドホンから鳴り響く音の洪水の中で、目の前のピンクづくしの少女がそんなことを言った。
「あたしも走るのに疲れて喉渇いたのよー。」
あたしは自分自身の声を聞くことはなかったが、そう言って無人の売店でペットボトルに入った天然水を口に含んだ。
こういうのはお金と物々交換をしなければいけないのだろうが、一応これは非常事態に入るだろう。
きっと後始末は唯か智がなんとかしてくれるに違いない。
「随分余裕そうになったね!じゃあ僕ちゃんもそろそろ料理しちゃうよー。」
愛美はあたしの姿を見て無理矢理作った笑みを浮かべ、牙を微かに見せる。
ほんの少し怒っているようだ。
「いただきまーす!」
愛美はピンクのドレスを着ているとは思えない機敏な動きで、あたしの喉元目掛けて食らいつこうとした。
「っ……やらせないわよー!」
あたしは迫ってくる愛美のリズムを合わせて、遠すぎなくて近すぎない丁度良い距離で頬に向かって愛美に蹴りを食らわせる。
それにもちろん手応え、いや足応えはなかった。
蹴られた箇所から石を投げられた時にできる池の波紋のように、そこから人間の輪郭が崩れていき砂となる。
想像通りの展開だ、後はどこから次の攻撃がくるか。
そんなことを考える前に目の前に愛美の顔があった。
大きく開かれた口には、立派な牙が何本か生えている。それがあたしの喉に食い込みでっぱった箇所をむしられた…わけではなかった。
あたしはそうなる前に、自分のさっき味わった『水』に意識を集中させていた。
自由自在に姿を変え、全てに恵みを与える必要不可欠の存在。水に形など無いが、『成れるはずだ』と念じ舌をペロッと出す。
「ドロンパッ!」
そう言葉を発した時点で、喉のある辺りからゴボッと音を立て透明になり太陽の光を受け一瞬煌めいた。
愛美が本当ならあたしの喉元を食らっているはずだった時には、あたしは水となり地面に染み込む。
地面から人を見るとこんなにも違和感を覚えるものなのか。愛美のピンクづくしはドレスの中のパンツでさえも徹底されているのだと新たな発見をしたところで、あたしは愛美の後ろに『人の姿として立った』。
そして慌てている愛美の無防備な後ろ姿を思いきり蹴飛ばした。
「ひにゃぁっ…………!」
剃刀のついていない足裏で蹴ったので愛美の身体が真っ二つになることはなく、2、3メートルほど吹っ飛んでべちゃっと地面に伏す。
「あんたはカー〓ィのコピー能力として、あたしの力をコピーした。そうでしょ?」
あたしは行き着いた答えをゆっくり立ち上がる愛美の背にぶつける。
「あたしもまだ使い方を知らなかった潜在能力も使うなんて、たいしたもんだけどねー。」
「僕ちゃんはこう見えて完璧主義者だからね。相手をいたぶるのも強情なのも沙也夏ちゃんの真似っ子だよん?」
「あたしは根暗でも強情でもないわよー。」
あたしはそう言い返すけれども、あんまり自信はなかった。多分相手をいたぶるような戦い方はしないと思うけれども。
「それにしても『自分の食べた物に変われることができる能力』ってなかなか素敵だと僕ちゃんは思うなぁ。」
愛美はゴホゴホと咳き込みながら、あたしを見てにやりと笑った。
「今まで食べてきた『五感家の人間』の能力も使えるみたいだし?」
「…………………!?」
愛美は一体どこまで他人の能力について知っているのだろう。ましてや本人さえ知らなかった能力をだ。
「なんで知ってるのみたいな表情だねー、ほらやっぱ僕ちゃん天才だからさっ!ついでに言っておくと……。」
もったいぶるように愛美は言葉を切り、にやにやとあたしを見て笑ってくる。
あたしはそれにイラッとして、蹴りのひとつでもいれてやろうと思った時だ。
「七基の哀れな少年の能力も、きっと沙也夏ちゃんには使えるんじゃないかにゃ?」
「………………!!!」
あたしはその言葉に身体が動かなくなり、垂れた蝋のような重たい汗が背中を流れた。
「そーんな怖い顔しないでよ!まぁ、自分磨き頑張って。ちなみに僕ちゃん処刑人じゃないからね。」
愛美はあたしの反応を見て満足したのか、手をひらひらと振って指の先から上から下へスッと消えていった。
またあたしの力を使って何かに化けたようだった、このまま攻撃を仕掛けてくることも想像はできたが身を刺す殺意を感じることはなかった。
「………………。」
そしてしばらくしても攻撃をされることはなく、あたしは愛美は逃げたのだと判断することにした。
変な話、展開的には愛美に勝てそうだった。しかし、今のこの気分で戦うというモチベーションにはならないので、まぁいいかと納得することにする。
ipodの電源を切って、久々に青いヘッドホンを耳からとった。
この青いヘッドホンはどこにも売られていない、非売品のものである。その証拠に耳を当てる箇所同士を繋ぐ部分に名前が刻み込まれている。
名は世辞沙也夏ではなく、七基弦という名前がローマ字で彫られているのだ。
活発で明るい声、それでも甘えるのが苦手で軽口ばっかり叩いてくる。自分の弟のような存在。
しかし弦はもうこの世には存在しない人間だった。
長年封じていた記憶、誰にも触れられないからこそ少しずつその傷は薄れていく。心についた新しい傷を埋めるのに躍起になっているからその傷は忘れていく。
しかし一生消えることのない傷であり、愛美に少し触れられただけで色褪せた記憶は鮮明に映し出されていくのだった。
あたしはフルフルと軽く頭を振り記憶をなるべく意識の隅に置くようにした。過去を悔やんでいたら今でさえも失ってしまう。
智、唯、そして倦。
かけがえのない存在を無くすのはもう嫌なのだ。だから捨てられるものは捨ててきた。
智と唯と過ごす為に生き甲斐である人食を。
倦と過ごす為に歪んでいたとはいえ育て親である大胡を。
後悔はしていない、そう言い聞かせるようにして楽しいことに必死になって目を向け常に笑っているんだ。
本当は苦しいんだ。
でもそれを大事な人には話すことはできない。言えるはずないのだった。
風が強い中、遠くのほうに見える観覧車を目を細めて見つめ誰にも聞こえないだろうと一言呟く。
「あたしは強くないんだよ。」
と一言だけ。
「……………沙也夏。」
ふと声をかけられてあたしは声のする方向、後ろを向いた。
そこには、和装で般若面を被った男が立っていた。
本当なら性別は一発でわかるような格好ではなかったのだが、あたしには解っていた。
遊園地という空間の中で幽霊のように、憂鬱そうに立っている彼は紛れもなくあたしの大切な人。自然とあたしの口元は緩んでいた。
「倦……また、会えたね。」
しかし倦に会えてホッとするような安心感はなく、むしろ心臓は首にかかったヘッドホンから微かに聞こえる音と共に早く鳴り響く。
「沙也夏、ここ…危ない。早くここから、逃げ出して。」
倦は途切れ途切れに言葉を紡ぐ。『話すことに対してさえ倦怠感を持つ』、そんな彼は絞り出すようにあたしにそう言った。
「何いってんのよー。唯も智もいるのに、第一あんただっているのにそんなことできないわ。」
「僕は、刺宮家での、仕事あるから、沙也夏と一緒に、いけない。」
あたしの背中に冷たい何かが触れたような心地がした。倦がはっきりとあたしより刺宮家をとると公言したようなものだったからだ。
そして次の一言で更に、ぞくっと戦慄に近い悪寒を感じることになる。
「それに智、そろそろ『壊れる』から、それとも一緒に、帰れない、よ。」
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