12
ネーミングセンス・ナッシング。
痛くも痒くもない。
感覚が既にないから。
『めかくし』12
「唯、もうちょっと脇締めないとナイフに力入んないよ」
「はい…………!」
私、匂神唯は沙也夏さんに対して、30センチ定規10本の束を右手に持ち構える。じり、と芝生を足で踏みながら、私は身体を屈ませ沙也夏さんの身体に体当たりをした。その時沙也夏さんは一瞬虚をつかれ、後ろに倒れそうになる。私は今しかないと思い、急所である頸動脈へ定規を振り下ろした。
ガキン。
「チェックメイト」とかっこよく決めようと思ったが、さすが沙也夏さん、世辞家の子。沙也夏さんは10本に重なった定規を、いとも簡単に噛み砕いた。そして体勢をそのまま立て直すことなく、右腕を芝生に置く。やばい、と思った頃にはもう遅すぎる。
沙也夏さんは右腕を軸にした状態で、左腕を思いきり振り回す。それに引っ張られるように足がグルンと回り、弧を描いた。その円の軌道には私の両足がある。私は慌ててジャンプしてそれを辛うじて避けた。
しかし沙也夏さんはそんな私の姿を見てニヤリと笑った。
足が弧を描き終わった後、遠心力を利用して立ち上がったのだ。驚くべきことに私がジャンプをしている間に。まるでカンフーかのように身体をねじり、また回転して遠心力のままに、右足が軌道の範囲にあった私の脇腹にクリーンヒットする。
「かふっ…………!?」
私はもう何も言えず、身体をくの字に曲げて芝生に倒れた。沙也夏さんの履いている靴は普通のスニーカーなのだが、身体が真っ二つにならなくとも内臓に多大なダメージを食らった。
本気で、息が出来ない。
死ぬかもしれないぞ、これは。
「あっ! お、思わず鳩尾に……ごめん首じゃなきゃ大丈夫だと思って! 口から血が!」
「ぁ……、これは食いしばって唇が……切れたんです」
私はなんとか声を搾り出して、力なく笑った。
「ちょ……ちょっと休憩しましょう……?」
「そうねー。これだけ身体動かしたから、冷えっこい溶けるやつ食べたいわー!」
「アイスのことだね? でも沙也夏ちゃん、この時期にそれは寒いんじゃないか?」
沙也夏さんはそう言ってベンチに座っている七宮に、お金をせがみにいった。食べることに目がないんだなぁ、と思いながら私はやっとのことで身体を起こした。
「私、今日はファミリーマートがいいです……」
「えー! あたしハロハロってやつもう一回食べたいからミニストップ行きたい!」
「じゃあ二店舗どっちも行こう、唯たん、沙也夏たん、それでいいだろう?」
「「たんは余計」」
私達一行、匂神唯と七宮智と世辞沙也夏。
こんな感じで最近はだだっ広い公園からコンビニ、そして帰宅を繰り返していた。私は格闘の基礎を固める為に、沙也夏さんは両腕に慣れる為に公園を訪れている。ちなみに七宮は完璧に付き添いだ。なぜ七宮が同行しているかといえば、いつどこで襲撃を受けてもいいようにという判断からである。
私個人の意見としては先手を打って刺宮家を倒したいが、それができる力量を持たない限りそんな提案は出せない。とにかく今は匂神家の誇りを守れるくらいに強くなることが目標だ。
「にしても、交通手段として車があったほうが今後楽かもしれないね。明日にでも車買いに行こうか」
そんな私の想いとまったく関係ないことを言い出す七宮。
「別にこのくらい散歩程度でしょ……?」
「ひきこもりからこの距離の徒歩は、僕にとって辛すぎるよ」
顔にまで疲れが出ている七宮を見て、私は情けなく感じた。
「ていうか、車を即買おうとか考えられる七宮の財力が信じられない……」
私は最近になって知ったのだが、情報屋という闇職は相当儲かるらしい。七宮の部屋にかつてあったふざけた書物の山を見ても、経済に余裕があることが伺える。
「そうかな? あんまり高くないの選べば車くらい買えるよ。そうだな……、後は愛美ちゃんから教えてもらったコスプレ店に行かなきゃね」
絶対行かせねぇ。
沙也夏さんも私の自宅に行った時に味わった、あの異世界で交わされる言語の不可解感を覚えているのだろう。私と沙也夏さんの思いは、同じのようだ。
「あぁ、それと……」
「これ以上変なこと言ったら、前歯ガタガタにするから」
「なんか変な脅しだね」
七宮は私の言葉に眉をひそめながら笑い、少し困ったような顔をした。
「唯ちゃんに武器がなくちゃいけないよね」
**
「なんか不気味ねー!」
「人がいることさえ疑わしい感じだけど……七宮?」
「そんな目で僕を見ないで欲しいんだけどなぁ」
七宮は私の問いかけに、苦笑いを浮かべた。
目の前にあるのは『アンティーク屋』とだけ黒い文字で書いてある看板を掲げてある洋館チックな建物。蔦が手入れされることなく建物を覆っている。しかも夜だということもあり、なんか吸血鬼が出そうな雰囲気を醸し出しているのだった。恐怖心から、私と沙也夏さんは自然と手を繋いでいた。私からか沙也夏さんからか、手がブルブルと震えている。
「ごめんください、七宮智です。いらっしゃいますよね、五町大供さん」
七宮は入り口の扉は完璧に閉めたところで、奥から人を呼んだ。足元には真っ赤な絨毯が敷かれていて、周りは骨董品と言っていいのか微妙な物が散乱している。やはり外から想像できる通りの不気味さが漂っている。
「予約した客様か」
そして奥から人がぬぅっと、出てきた。表現としてそれが適切に的を射ていたように思う。いきなり闇の中から人が出てきたのだった。だが、よく見ると病的な館の主には見えない、健康的な人だった。
褐色肌に、丸坊主。大きい骸骨のピアスを耳していて、ゴツゴツしていそうな体格である。そんな彼が、小さい椅子にどっしりと腰を下ろした。ある意味、吸血鬼とかではなく現実的にヤクザっぽくて、怖い。
「おーおー、野郎一人かと思いきや可愛い子と綺麗な子と、二人も女の子いるじゃないか!隅におけねーな!」
「今回武器をお願いしたのは、この子の為ですから」
七宮はそう言って、私の頭をポンポンと撫でた。それにより五町大供の視線が私に移る。効果音で表すならギロリといったところだ。
「お前さんが匂神の子か、『無臭化』の使い手ね」
「は、はい……」
大供は少し意外そうに私を見てから、ゴソッと紫色の包みを取り出し、こちらに差し出した。
「ほりゃ。五町大供作、『郷愁狂臭』。受け取ってくれや」
七宮は視線で私に受けとるよう、指示をする。私は言われるままに紫色の包みを受け取った。沙也夏さんは開けて開けて、と小声で私に言う。
「…………開けていいですか?」
「おぅよ、確認してくれなきゃ商売ならねーからな」
大供の言葉に、私は頷いて紫色の包みを解いた。そこに現れた『郷愁狂臭』は、簡単に言えば大型ナイフだった。両手で持って使っていいくらいの大きさである。刃には『郷愁狂臭』と刻まれていた。『きょうしゅうきょうしゅう』という音でまったく想像できなかった字面である。そして持ち手の柄には、無数の小さな穴が空いていた。
「その穴が気になるか?」
大供は私の反応を見て、満足そうに笑っていた。
「それは実はなぁ……」
大供はそう言って『郷愁狂臭』の柄を持ち上げ、底をパカッと開いた。
「あ」
私は思わず声を漏らす。『夜祭』の座長、五町大胡のハイテクな杖を創った人も絶対この男だ。 何故、底のパカッにこだわるのだろうか。
「匂神の娘なんだから、匂いがするものくらい持ってるだろ?」
「あ、はい……」
私は自宅からこっそり持ってきた、庵兄の愛用してる椿の匂い袋を取り出し大供に渡した。大供は『郷愁狂臭』の底を開け、椿の匂い袋を柄の中に入れ、底を閉じた。
「それ可愛い子。ここのちょっと凹んでるとこ握ってみ」
私は大供のいう持ち手の場所を、そっと握った。
キィィィン
嘶き声のような音を立てて、空洞しかないはずの柄が振動した。そして『郷愁狂臭』の柄に空いた無数の穴から風が溢れ出し、その風に乗り椿の匂いが辺りに広がった。
「花の匂いだ」
「あ、志村けんの匂い……」
七宮と沙也夏さんにも言葉は違えど、椿の匂いが伝わったらしい。
「『郷愁狂臭』は風を作り香を運ぶ。匂神家の作り出す香は様々なんだろ?そこにたくさん香を詰め込み、『無臭化』で隠しておけばいい」
私は『郷愁狂臭』の凹んでいる部分から手を離す。『郷愁狂臭』の風は止み、嘶きもパタリとなくなった。
「へへっ……」
私は思わず、笑ってしまった。そして目の前のいかつい武器商人、五町大供に大きくお辞儀をする。ここまで使い手のことを考えて創れるのは、職人ならではのスキルなのだろう。
「喜んでくれたなら嬉しい限りだな。さて、代価を払ってもらおうか七宮」
その言葉を聞き、『郷愁狂臭』を握ったまま私はハッとする。こんな立派なナイフをただでもらえるわけがないのだ。七宮はその代価を持っているのだろうか、それこそ車一台以上の値段かもしれない。
「えぇ、持ってきましたよ」
七宮は大供の言葉に答え、袋から杖を取り出した。底がパカッと開く、あの『夜祭』の座長、五町大胡が持っていた杖。いつのまに杖を回収してきたのだろうか。
「やっぱマジだったか。『野望』だけが帰ったか」
大供は『野望』と呼んだ杖を手元に置き、目を細めた。
「俺ら五町は五感の家の尻拭いだけに使われる存在。いつも目立たない仕事ばかりだ」
大供は杖に目を落としながら、誰に言うでもなく呟く。いや、杖に語っているのだろうか。
「五町大胡は主役になりたがった。人を笑わせたいと言ってたな……」
私達は何も、相槌を打つことさえできない。
「五感が優れた者は同時に劣っているってのが大胡の持論だったな。社会の中での弱者だとね。だから救ってやりたいとも、言ってたな」
大供はそこまで言って『野望』と呼んだ杖を後ろの傘立てに立て掛けた。
「――――お前は野望を叶えたか?」
そこまで言った大供の声は、小さく震えていた。後ろを向いている大供の顔はわからないが、泣いているのだろう。七宮は何も言わず、私と沙也夏さんの肩を叩き、蔦の張った洋館を後にした。私は『郷愁狂臭』を手にただ帰路だけを向いて歩いた。沙也夏さんの嗚咽を聞くだけで、胸が苦しくなるからだ。
「座長…………」
『郷愁狂臭』。
ノスタルジーマドネススメル。
狂っていようが、故郷を思う気持ちは変わらない。
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