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確約された不幸を手折って  作者: 山浪 遼
少年期。愛される者愛されぬ者
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第三十三話

 酒場というものに求むるものはなにか。

 その問いに向けて、老人はこう応えた。

「一に酒、二に酒、三に酒よ。四、五はないが、六はまあ、雰囲気かのう」

「好い酒を、落ち着いて飲めればそれでよい。それに越したことはない。だが、中々それを満たす店というものも希での」

 そこまで高きを望んでおるかのう。

 そう呟いた言葉は嘆いているのか、問い掛けているのか、いまいち判然とはせず。

 しかし珍しくその老人が悲しげな顔を浮かべたのが、問いを投げかけた男の脳裏に不思議と焼き付いている。

 



 悪くは無い店を見つけたのは、何年前のことだろうか。

 老人は酒場の一席に腰を落ち着けたまま述懐する。

 その老人が今現在もっぱらの棲家としているのは王国の南方。それこそ「諸侯」の領域と隣接している土地だ。王都にて冒険者稼業をしていたのは人生においての九分の一程度。それでも老人の人生の長さから言えば十年を優に越えているのだが。

 しかしそれも半世紀以上昔の話で、当時から未だに続く酒場はほぼなく、あっても代替わりに伴い酒の味も、店の雰囲気も変わってしまった。

 南にあっても、このように時たま貴族連中から呼び出しを食らい、王都にわざわざ出張ることもある。その度にこの老人は酒場を転々としては自身が望む水準に達している店を彷徨うように探し続けて。そしてようやく、及第点を与えてもよいと思える店を見つけた。

 建国祭も終わりに近づいている。常よりも酔いが深い客の喧騒を横目に、老人は一人、木杯に注がれたワインを舐める。まったき、悪くは無い味だ。この値段でこの味の酒を出す店は中々ない。

 ――だが、そろそろ潮時かの。

 テーブルの上に肴はない。この場において酒の肴は記憶の中にある。奇怪な童。愉快な夜。

 同時にその肴が、刻限を示している。老人が此度王都に召喚されたその原因が取り除かれた夜なのだから。

 サーチス・キネシス。老人……キストゥス・アルビドゥスが追っていた連続殺人鬼の名は確かそのような名だったはずだ。そしてその殺人鬼は既にこの世に無く。しかもそれを成したのが依頼主たる公爵家の娘が引鉄となったのだから手に負えない。……その様を傍らで何もせず面白半分に眺めていただけのキストゥスという存在も、中々どうして手に負えないのだが。

 そも、殺人鬼の死は一体どのような形で伝わっているのか。今現在その正体を看破しているのはあの白銀の夜を見ていた者たちだけだ。内二人はあの様子ならば既にこの国にはおらず、残りの人間の誰かが公表しなければならない……が、だ。

 それを告げることが出来る人間が何処にいる?

 そして同時に、それを告げたとて信じる人間が如何ほどいる?

 成程確かにあの男は、サーチス・キネシスという者は自白した通り魔術師殺しだったのだろう。少なくともそれは事実。しかし、今この時においてそれが「事実」として確定しているのはあの場に存在した者たちだけにとっての事実だ。

 民衆は、知る由もない。

 公爵家も、同じ。

 王にとっては瑣末事。

 もし、もしもそれを詳らかにすることが出来る者いるのだとしたら、それは。

 ――詮無きこと。詮無きことよ。

 全ては終わったことなのだと、キストゥスは杯に注がれた血のように赤い葡萄酒とともに深く深く喉奥へ嚥下した。

 語る口はない。どの口が語るか。

 最早随分と手持ち無沙汰だ。そろそろ潮時(・・)かとキストゥスが胡乱に視界を漂わせる最中、一人の男が、彼に近づいていた。




 その酒場の幾人かは、あれ(・・)そう(・・)なのだと知っていた。

 耳聡い冒険者がその酒場で飲んでいるのだから、それも至極当然のことと言える。

 あの老人こそが、少なくとも人界において五指の指に入る魔術師の一人、「炎狼」「頂きの業火」と他称される魔術師、キストゥス・アルビドゥスなのだと。キストゥスが酒を舐めるその酒場に偶々同席していた幾人かの冒険者達は気付いていた。

 だからといって、どうということもない。顔とその名と功績を一方的に知っていたとしても、いや、知っているからこそ、恐れ多くも近づけない。そもそも、木っ端冒険者とキストゥスでは関わり自体が存在しないのだ。唐突に見知らぬ顔から声掛けられて、万が一粗相があったらどうする。炎術において紛う事なき頂点の男の虎の尾を踏んだらどうする。考えただけでもぞっとしないことだ。

 あれは「触らぬ神」の類なのだと、一様に理解して、誰も彼もが知らん振りを決めこむのが普通だ。

 故に。

 その男はきっと、普通ではなかったのだろう。

 正負どちらに振れているのだか知らないが、どのみちまともな精神の持ち主ではないはずだ。

 キストゥスは三人掛けの円形のテーブルに腰掛けていた。同席するものはいない。三脚用意されている椅子のうち二つががらんどうで、酒場全体の客の入りは五割程度。空席を遊ばせていても店主からの文句はなく、新たに来店した客もまた、空いた席は店内を一瞥すれば見つかる程度の混雑だった。

「もし」

 だからこそ、それには明確な意思がある。キストゥス・アルビドゥスという人間に向けて、何かしらの意思と想いが介在している。

「こちらの席は、空いていますか?」

 キストゥスが座する席、その対面を手のひらで示して、新たな客は、そう言った。

 キストゥスは笑み。愉快そうに笑む。

 肴が来た、肴が来た。

「おお」

「おお」

「空いておるよ。若いの」

 フェイト・カーミラ。

 (さかな)の名を、そう言った。


 二本のラムの串焼きに、ライムとミントを搾った水。フェイトが注文したのはその二つ。一つの席を占有する場代として申し訳程度に注文したことが手に取るように分かるその品数に、キストゥスは目を細めた。

「失礼ですが、キストゥス・アルビドゥス様に相違ないでしょうか」

 料理に口を付けるより早く、フェイトは眼前の老人に問い……とも確認とも違う、念押しをする。貴方がそうなのは知っている。貴方がそうなのでしょうと。

「確かに、儂はキストゥス・アルビドゥス、そういう名を持っておるな」

 キストゥスは頷き、内心で笑みを深くする。さて、この童は如何様か、如何にせんと訪れたか。違いなく、酒の肴にもってこいだと喜んで。

「火術において、およそ人界に比肩するものなしと謳われている、アルビドゥス様に間違いはないでしょうか」

「さて、それほど高名なアルビドゥスという者と同一かは分からんが、少なくとも火について一家言あるのは確か」

「では、『(かさなるあか)』のキストゥス・アルビドゥス、と問えばよろしいのでしょうか」

 それに、キストゥスは口角を僅かに上げて。

「……それは、儂のことだろうな」

 頷いた。

 それでようやくフェイトはほっとしたような様子を数瞬見せて。

「願いがあります」

「何かな」

「私を弟子に取ってはくれませんか」


 それは、キストゥスにとってそう珍しい要求ではなかった。数年に一度、それくらいの頻度でキストゥスの門下を希望する若者が現れる。

 そもそも、「キストゥス一門」なぞ存在しないのだが、何処から煙が燻りでたのか、何時の間にやらキストゥス本人が関与しないうちに煙が形をもって凝固を始め、砂で出来た楼閣を為している。

 弟子を自称する者は少なからずいる。だが、キストゥスがそれを弟子だと認めたことはない。もっぱら自称するのはキストゥスが組織する冒険者集団「赫」に所属する魔術師連中である。キストゥスからすれば彼らはあくまで「赫」に所属する仲間であり、師弟関係を結んでなぞいないのだが、それが火種となって「赫」に属するもなく、ただ弟子として鍛えて欲しいと望むものが出てくる。

「生憎、儂はそういうものを取ったことはない」

 余所を当たれと至極当然の返事を返して、キストゥスは酒を一口含んだ。

 だが、気になる点は一つある。目の前のこの肴、まかり間違ってもまともな魔術師ではない。近接戦闘で躍りかかる魔術師なぞ愚の骨頂である。それが何故、まともな魔術師であるところのキストゥスを求めるのか。気になるところではあった。

「……必ずしも、良き戦士が良き師であるとは限るまい。儂はついぞ腰を据えて誰かを教え導いたことなぞない」

 先ほどの言葉で終わった話だった。紡いだのは、その「気になる何か」が理由だろう。

 師を求める。普通ならばおかしなことではない。だが、その童は普通ではない。キストゥスが雪降る夜に視た姿は、とても正気とは思えない魔術師の在り方だった。

「存じております。……ですが、貴方様が良き師ではないということも未だ確定してはいないのではございませんか?」

 それもまた事実だ。一度も教導したことがないというのなら、良き戦士キストゥスが良い師であった……という可能性は捨て去ることが出来ない。

「それに賭けると? 酔い狂いに過ぎるの」

 キストゥスは、中身が未だ残る瓶をフェイトの杯に注いだ。果実水が絵筆を漬けたかのように赤く染まっていく。

 ――酔狂に弄ぶのなら、酔ってから言え。

 表面張力一杯にまでなった己の杯を見て、フェイトは一人震える。

 ――怖いな。

 何が。

 ――怖いことを言う。

 何故。

 ――怖くなることを言わねばならない。

 零さぬよう、その杯を持って、スライムのように震える水を眺める。

「どうか、勘違いしないで頂きたい」

 一言、告げて。

 フェイトは杯を一息に。

 酒精が、わずかに鼻を抜ける。大した量ではない。酔うほどでもない。だから勘違いしないで貰いたい。

 これは、伊達でも酔狂でもなく、酒の勢いに任せた寝言でもなく。ただ渾身の、ただ本心の。

「私は、少なくとも貴方を越えなければならないと思っているのです。すぐ側にいて貰った方が、分かりやすいでしょう?」

 ――ほら、こわい。

 死線は知っている。死線を掻い潜ったことはある。

 だけれど、そんなの片手で足りていて。目の前の人は、まず間違いなく人の世において頂点に近い魔術師で。自らを「亜妖(デミエルフ)」などと名乗り宰相閣下(ハーフエルフ)から目を付けられてもおかしくないのに素知らぬ顔を貫き通せる人間で。

 そんな人を相手にして、たかだか十といくつの若造が、貴方程度越えて当然などとのたまうことの恐ろしさ。

 死線は知っている。死線を潜り抜けたことはある。

 だけれど、この視線(・・)は。

 笑っている。

 哂っている。

 嗤っている。

 老人は、(わら)っている。

 キストゥス・アルビドゥスは(わら)っている。

 世界が重い。

 フェイトはそう感じた。




 意図せず、酒場の喧騒が止んだ。

 誰が意識したでもなく、誰かが喋り疲れて、誰かが一呼吸置いて、誰かが渇きを潤すために酒に口をつけて。

 不意にある、空漠。段々と会話の数が少なくなり、自分の言葉だけが木霊するのを厭う故に生まれる、静寂。

 誰かが再び口を開けば喧騒は戻ってくるのだろうけれど、その一歩を踏み出すのはどこか躊躇われる、そんな瞬間。ただ食器が音を奏でるだけで、理由なく酔いも醒め、場が白けたかのように感じてしまう。

 それは本当に偶然だったのだろう。

 今この場において計り知れない重圧を感じているのはフェイト只一人。

 その視線は、その殺意は、一切の無駄なく、逸れず、流れず、漏れず。真っ直ぐにフェイトに向けられている。

 際限無く「死」を撒き散らすものには出会ったことある。憎しみを持って睨まれたこともある。だが、指行性の殺意、それを身をもって味わうのはフェイトは今回が初めてだった。細く鋭い切っ先で刺し貫かれるようなそれ。

 だからそう。漏れていない。今の周囲の静寂と、対面に座す老人は等号で結べない。

 ――ああ、こわい。

 ぎこちなく、フェイトは笑みを浮かべる。上手く笑えている自信はなかったけれど、それでも顔の形は笑顔を作っていたはずだ。

「……おおい、店主。酒、酒の、追加だ」

 誰かがそう声を上げる。

 こっちにもだ、こっちにも。つまみだ、つまみが切れたからこっちはつまみだ。

 波及して、あちらこちらから注文が飛ぶ。黙したままなど面白くも無い。ただそれだけのことだろう。ざわめきが舞い戻った。

 だが、変わらない。唯一キストゥスだけは変わらない。

「故に、です。アルビドゥス様。私には貴方を越えねばならない理由がある。なれば、何時でも視界に収めておける場所が良い。どれほど跳べば届くのか。極めて分かりやすいでしょう」

「ぬかすな童」

 平坦な声だ。ごく自然に、会話の中で変哲のない一言。だけれど。いや、だからか。フェイトの背中にじわりと冷や汗が浮かぶのは。

「儂にもよ、ちっぽけな自負がある。吹けば飛ぶようなものだが、それがある。童よ、なあ、童よ。どの口がそれをぬかすか。血迷った者が、どうしてそれをぬかせるか」

 浅い笑みだ軽薄な笑みだ。老人が浮かぶ笑みはそんな笑みだ。

「いいえ、アルビドゥス様。私だからこそです。私こそが今吐いた言葉に相応しいのです。相応しくなければならないのです」

 対しては奥歯を噛み締め食いしばる必死さ。ふるい落とされぬように嘗胆するかのごとく少年は表情を強張らせる。

「必要なのです。少なくとも貴方様を越えることが。でなければ」

 知らぬうちに、掌が固まって握り締めている。

「アルゴルを殺すことなど、出来ようがありません」

 言った。

 伝えた。

 述べた。

 どれでもいい。

 どうでもいい。

 だが、これこそが「形」だ。これこそがフェイト・カーミラが持ちえる「形」だ。

「……かっ」

 キストゥスの口から零れる、切ったような音。

「殺す。殺すとよ。童、その口から。殺すとのたまった。あれを。あの死人を。既に死んでいるあれを。殺しても到底殺しきれそうにないあれを」

 言葉の勢いそのままに、キストゥスは酒を一息に煽った。瓶から空杯へと葡萄酒をまた注いで。

「言いよる。酒に飲まれたか、あるいは無知故に若い者は殊更言いよる。『夜を駆る者』を、『森の魔女』を、『迷宮王』を殺すのだとよ。殺して、富を、名誉を、得るのだとよ。おお、ではこれまでこやつらは何人に殺され、何人がそれらを得たのかの?」

「答えは要るか? 案ずるな童よ、何もお主一人が阿呆なわけではない。往々にして皆阿呆じゃ。お主のような年頃だと特にの」

 理解したのならば疾く去ね。言外に滲ませて。

「……心苦しいのですが」

 そしてフェイトは、ゆっくりと頭を振る。

「私はその無知とやらに当てはまりません。知っています、あの怪物の恐ろしさを。知っているのです、あの鬼胎の亡者を」

 そうだ、知っている。フェイト・カーミラは誰よりもアルゴルという存在を知っている。

 その強大さを。その恐ろしさを。

 知らずに済めばそれで良かったはずなのに、しかしどうしようもなく識ってしまっているのだ。

「殺さねばならないのです。お分かりになりますか」

「殺さねば、ならないのです」

 でなければ。

「私があれに、殺される」

 そういう、決まりなのです。


 つい先日も、この話をしたばかりだな。

 フェイトは思わず苦笑する。

 少し前までは、それこそ誰にも、両親にさえ明かしていなかったその事実。文字通り誰にも話さず「墓場まで持っていこう」としていたこの呪いやくそく

 ――アルビドゥス様、私は呪われています。

 胸元を叩いた。クレアに見せた時と違って、今は二人っきりというわけではない。服を脱いで、というわけにはいかなかった。

 ――なに、幼少の頃アルゴルと矛を交えまして。何の因果か気に入られてしまったのです。

 両親に暴露するよりも先に、学友と今日初めて会った老人に秘密を晒すうつけ者。

 ――殺しに来い。でなければ殺す。お前と縁のある者を殺す。単純な話です。ええ、随分と。

 本当に、単純な話だ。思わず笑ってしまうほど。

 杯を傾けたまま、キストゥスの片眉が吊り上っている。

「……成程」

「それが事実ならば、確かに儂程度越えねばなるまいて」

「しかし」

「そのような者が、魔術の術理というものまるで投げ捨てたような真似をするかの」

 一体それを、何処で知ったのか。フェイトが疑問を浮かべるのも当然だった。が、そんなものは単なる些事。

「如何にしてアルビドゥス様がそのことを知り得たのか。それは置いておくとして。確かにあれは足踏みでした」

 認めよう。これまでの「魔術師フェイト・カーミラ」はまず間違いなく進歩していなかった。いや、それどころか。

「……ああ、嘘を吐きました。足踏み程度ならまだよかった。まず間違いなく私は後退しています。退化しています。現在(いま)より過去(まえ)の方がまだマシだったなんて、面白くもない」

 今となっては悔いるべきだろう、憂うべきだろう。その停滞よりもなお悪い怠慢なる自壊は。けれどもしかし、こと此処に至っても尚。

「ですが、胸を張れる。胸を張って言える。その足踏み……後退は必要だったのだと。無為にした筈の時間は、必ず無為には還さないと」

 キストゥスは、フェイトの顔をじっと眺むる。真意を探るように。本意を透かすように。

 眺め、眺めて。やがて、深く息を吸って。

「かかっ」

 まただ。切るような声がキストゥスの口から漏れる。当人さえ意図せず。まるで思わずといったように。

「足りん」

 首を振る。

「まだ足りん」

 何が。

「生憎だが、人の極地に立った魔術師一人では到底足りぬだろうよ、『諸侯』を落とすには」

「ええ。だと、思います」

「例えば、そう」

『愛し子』

 二人の声が重なった。

 キストゥスはかすかに相好を崩し、顎を撫で頷く。

「海浪の侍。あれは強いぞ」

「帝国の騎士はどうでしょう。魔術のベラティフィラに対して騎士ならばクリフォト」

「悪くはないが、『南術北馬』よ。あれの精強さの本質は馬にある」

 確かに質として見ればベラティフィラの騎士とは比べるべくもないが。キストゥスは言う。

「そも仮想敵国。喜び勇んで『騎士公』と干戈を交えようという者はクリフォトにそうおるまい」

 利敵行為。国に帰られなくなってもおかしくはない。

「……かもしれませんね」

「ま、そういった面倒なものは一度横に置いても良かろう。……愛し子、侍、帝国の騎士」

 キストゥスは一つ一つ指折り数え、最後に右の薬指をフェイトに向けて。

「王国の魔術師」

 その指を折る。

 都合四指が握られて、それでもやはり、キストゥスは首を振る。

「錚々たるものよ。だがまだ足りぬ」

「おおよそ考えられる最善だと考えますが、それでもまだ届きませんか」

「届かぬだろうな。それくらいで届くのならとっくに……」

 天井を見る。そして開きかけた口を閉じて、キストゥスは身を乗り出す。

「いっそ入れるか。どうせなら」

「誰を、でしょうか」

半妖(ハーフエルフ)

 それは一個の人を指し表す言葉。……少なくともこの国において。

 次はフェイトが天井を仰ぎ見る番だった。

「……それは」

 言葉に詰まる。国の宰相を引き摺り出さねばならないというその見立て。余りに遠いその距離を今一度確認する。

「……いえ。……いいえ。それは最適解ではありません。キストゥス様」

「ではなんとする」

 酷く皮肉気に。あるいは愉快そうに翁は意地悪く笑みを深める。

 フェイトは想う。これから放つ言葉は果たして冗句の類か。

「妖」

 いいや、違う。

 きっと、違う。

「妖」

 返ってきた答えに、キストゥスでさえただ繰り返すのみ。

 妖の一字。それが意味するものは一つ。

(エルフ)

 ……。

 …………。

 キストゥスがそれを飲み干すのに幾許かの時間を伴い。

「……かっ」

 ああ、「これ」だ。この声。切るようなこの声。

「……かかっ」

 後日フェイトは知る。

「かっ、かかかっ、かかっ!」

 目の前の老人は、キストゥス・アルビドゥスという御仁は。

「かかっ! かかかかかかっ! そう、か! かっ! 妖か! さも、ありなん! さもありなん!」

 本当に愉快な時、こう笑うのだと。

「為します」

 そして、今この時ばかりはその笑声を斬って捨てる。

 妄言、佞言、そういった類だろう。だが、それを真実へと変えなければ立ち行かないのだとしたら。

「私は、為します」

 為せぬだろう。きっと。

「為してみせます」

 道はそれしかないのだろう。

「そうする他にありません」

 足掻くと決めたのだ。ならば迷うことなど有り得るはずがなく。

「……そうか」

 キストゥスの笑いが止まる。

「成程、の」

 そうせねば死ぬと、殺されると。この童は言っていた。であるならば、それをせざるを得ない。

 そして、ああ、だからかと、キストゥスは得心する。この童は「諦める」を「諦めた」のだと。己が見たのはその瞬間なのだと。

「なれば、越えねばなるまいて」

 キストゥス・アルビドゥス程度。百近く歩み続けた歳月を、たかが十ぽっちの時にして。

 だが、ああ、そのなんと容易いことか。「諸侯を墜とす」ということを掲げるに比して、なんと易しいことか。

「童よ」

「はい」

「巧いやり方なぞ知らぬ」

「はい」

時間(とき)なぞいくつあっても足りぬ」

「はい」

「童よ」

「はい」

「名をなんという」

「ヒーレイ・カーミラが子、フェイト・カーミラ」

「フェイト、フェイト・カーミラ」

「はい」

「越えるか、儂を」

「はい」

「超えるか、キストゥス・アルビドゥスを」

「はい」

 キストゥスは思う。目の前の童は長くは生きられないだろうと。

 しかしきっと、それよりも早くに己は。

 当に諦めたことだった。

 誰も繋ぐことの出来ない重荷だと思っていた。

 だが、彼奴なら。フェイト・カーミラなら。

「繋ぐか。亜妖を」

「それが、必要なことならば」

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