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確約された不幸を手折って  作者: 山浪 遼
少年期。愛される者愛されぬ者
32/53

第十二話

 風が舞った。

 ザンツ・ストゥルマン、クロッカス・アジャルタ、フェイト・カーミラ、彼ら三人の後方で風は逆巻いた。

 この場にいる風術士はハスティア・ギーヴォただ一人であるはず。ならばその風を生み出したのはハスティアであるはずだが、しかし、その鎌鼬(かまいたち)はハスティアの魔術がもたらしたものではなく。

 そよぐ風に、フェイトが振り返った。

 そこにあるのは、悲鳴のような絶叫と共に、咄嗟に一工程(シングルワーズ)で鎌鼬にぶつけるべく同じく風の刃を生み出したハスティアの姿と、構えた剣を自身が振るうことができる最高速で閃かせ、風を断ったアキレア・アルフィーナの姿があった。

 共に、土人形(ゴーレム)に対して十二分に注意を払っていた。払っていたからこそ、何とか紙一重の所でその刃に対応できたのだ。

 驚愕に塗れた視線で、フェイトは再度土人形へと振り返り、呟いた。

二重属性(ダブル)……!」

 人は誰しもが体内魔力(オド)を持つ。そしてその体内魔力は、外界へ放出された際、個々人によって特色が出る。火に好かれる、水に好かれる、土に好かれる、風に好かれる……。生まれ持った体内魔力の性質によって、得意とする魔術に違いが生まれる。

 ここにいる人間で言えば、フェイトならば火に特化し、ハスティアは風術を使うに長けている。無論、フェイトが風を行使することが出来ないわけではない。ハスティアが火を用いることだ不可能だというわけではない。ただ得意属性とそれ以外では燃費が違う、効率が違う、威力が違う。

 例えば、フェイトが魔術によって十の結果を求めたとしよう。火術を用いた場合同数の十の体内魔力を消費すれば十の結果がそのまま返ってくる。其処に無駄は生じない。だが風術で同じ結果を求めようとした場合、必要とする体内魔力は二十、三十と必要になる。これは大いなる損失だ。

 故に人は自身が得意とする魔術属性を選び――大抵の者は初めて魔術を行使する際無意識の内に自身が得意とする魔術属性を行使すると言われている――それを伸ばしていく。それが最も効率が良いからだ。

 だが、稀に――愛し子ほど珍しくはないが――複数の属性を等しく扱うことが出来る者も現れる。

 正体不明の魔術師が生み出したものは土人形と、風の刃。すなわちそれは……。

「土と風……!」

 その二重属性。


 (まず)い。

 抜け目なく体内魔力を巡らせていた状態だからこそなんとか対処は出来た。もしも何もせずただ呆然と眺めているだけであれば、今頃自身の身体は胴から二つに泣き別れていたことだろう。虚空を断ったままの姿勢で、アキレアは極限まで圧縮された体感時間の中にあり、冷や汗を一つかいた。

 今の一撃で編んでいた体内魔力は(ほど)けてしまった。二撃目を放つには幾許かの間隙が必要になる。……それは、下策だ。

 正体不明の魔術師は、紛れもなく化け物の類だ。ザンツが一太刀で両断できぬ硬さの土人形を遠隔操作(コントロール)している。更には風術まで扱う二重属性持ちである可能性が極めて高い。それはアキレアの少なくない経験の中においても、相対した魔術師の中にあっても、頭一つ、いや二つ三つ、抜けた能力の持ち主だ。あるいはそれは、魔術大国ベラティフィラにおいても一握りの頂点にまで及んでいるのかもしれない。どこのどいつかは知らないが、どこかの誰か「様」だと敬称をつけたくなる程度に剣と賢(ナイツアンドワイズ)が向き合う敵に嫌気が差して。

 脳裏に浮かぶのは、雲海を冠に戴く神々の山峰。それにただ一人立ち向かう姿。

 ――いや、それは言いすぎか。

 余りに負の方向へ傾きすぎた思考を振り切って、アキレアは己が今なすべきことの最適解を勘案する、……否。

 しようと、した。

 しようと、したところで、アキレアの脳裏は驚愕に染まる。

「嘘だろ!?」

 視界に移るのは、石突を土人形に捕まれそのまま身体ごと持ち上げられたクロッカスの姿。自身の体躯に多少なりとも自負があったクロッカスは己を思うがままにする土人形の怪力に思わず声を上げている。彼の足は地面から優に二メートルは離れており、じたばたと虚しくも宙を蹴っていた。

「呆れた力だなおい」

 乾いた笑いに似た声が、アキレアの喉から絞り出る。

「クロッカス! 槍を離せ!」

「言われなくても!」

 空中に吊り下げられたままだったクロッカスは即座に槍から手を離し、己が獲物と引き換えに自由を得た。木の葉の上にがさりと音を立てて着地し、視線こそ土人形から外さないまま跳ねるように引き下がる。

「……おいおいおいおい」

 その光景を目の当たりにしながら、上腕を隆起させ続けるザンツは疲労によるものとはまた違う汗を一つ米神から垂らした。

「ちょっとばかりやべえんじゃねえかこの状況ッ!?」

 土人形の左腕が閃く。

 強引に上体を逸らしたザンツの頭の上を、銀閃が一陣駆け抜けた。一拍遅れて、避けきれなかった自身の髪、その数ミリがひらりと風に散らされた。

 土人形に突き立てていた大斧が引き抜かれ、バランスを崩したザンツがたたらを踏む。

 くるりと左手で持っていた槍を半回転させると、土人形はずぶずぶと腐葉土に突き刺さっていた自分の足を引き抜いて、半歩、アキレアに向けて一直線に脚を並べた。

 するりと土人形の左腕が自身の揺蕩う黒糸の髪まで引き絞られる。それはさながら、弓を番える狩人のように。

 上半身はやや反り返り、視線は到達点であるアキレアの眉間を射抜いていて。

 ピリピリとした殺気をその場で受け止めながら、アキレアは一つだけ深く息を吐いた。

 ――やるべきことは分かっている。

「来いよ」

 口元だけで、アキレアは呟いた。果たしてそれは土人形にまで届くものではなく。しかし切欠はまず間違いなくその言葉。

 土人形が発条(バネ)のように蓄積したエネルギーを解き放つ。きりきりと身体を軋ませて、己自身を弓矢に見立てていたそれは、刹那の解放を経て番えていた()に遍く全てが流れ込んでいた。

 踏み込む足、土に埋もれ突き立てられる脚、唸る左腕、最後のひと時まで決して離れようとしないその指先。

 アキレアに迫る流星は、そういったものたちによる結実だ。瞬き一つすれば、それはまず間違いなくアキレアの頭部を穿ち、貫き、破砕する。

 だがしかし、だがしかし、だ。その速力にアキレア・アルフィーナは対抗する術を何一つ持っていないわけではない。

 あれ(・・)は馬鹿正直だ。愚直なまでのそれだ。そう、「愚かなまでに真っ直ぐ」なのだ。ならば、かわせぬ道理はない。避け得る理が必ずある。ましてやそれが、遊ばれている中での一撃ならば尚更だ。

 ここで見るべきは槍そのものではなく、土人形の腕掌指先、放つその一瞬。

 放たれてしまえば暴力が四方にぶれることはなく、ただ極めて単調な点の攻撃にしかならない。さすれば残りはタイミングの問題だ。槍が自身に直撃する瞬間ではなく、槍が投擲されるその瞬間に射線軸から外れてしまえばそれでいい。

 よってその帰結は明快に、土人形による化物じみた膂力でもって生み出されたその一撃は、アキレアによる傑物めいた反応によって薄皮一枚の犠牲を残して回避されることとなる。


 最早それは光だ。土人形が解き放った一矢は鳥の鳴き声のような甲高い音を立ててアキレアに迫った。

 貫けぬ物はこの世に存在しない。そんな我が物顔で直進してくるその槍を、アキレアはただ半身、その身を捻るだけで回避した。

 槍の余波による暴風が突き抜ける。頬を舐める風がアキレアの頬を浅く切り、一筋の血が流れ落ちる。

 アキレアの後方からは轟音が鳴り響いた。耳朶を叩く阿鼻叫喚の叫び声のようなそれは、未だ勢い衰えることを知らぬ槍が幾本もの木々をへし折っていく音だ。それはまさに、樹木が命を奪われていく今際の声なのだろう。

「まあざっと」

 アキレアは、肩を竦めて。

「こんなものだ」

 そう、嘯いてみせた。

 内心では、冷や汗ものだ。ほんの僅かでも身を翻すタイミングが狂えば今頃後ろの木々のように身体の中心に風穴を開けて死んでいる。みっともなく血を、(はらわた)をぶちまけて、情けなくも地に伏していたはずだ。

 だが、そうはならなかった。生きている。アキレアは今もこうして生きている。流した血はほんの僅かで、大した損害はない。彼我の差は隔絶されていても、死んでさえいなければどうとでもなる。ならば過日はどうとでもよく、ただ現在(いま)がここにあればいい。

 ――それにしたって、だが。

 しかしながら、やはりアキレアは今もこうして地に足をつけ空気を吸えていることに、自身の幸運を思わずにいられない。

 そう、幸運。まず間違いなく、幸運だ。

 理由は分からないが、目の前の土人形は明らかに「遊んでいる」。その気になれば何時でも剣と賢を皆殺せるだろうに、それをしない。

 初撃、ザンツの大斧を避けようともせず、ただその身体で受けとめた。そしてそのまま身体に刃を押し進めていく刃に頓着せず、呆けたように立ちつくす。

 先ほどまでそれはザンツの膂力がもたらしたもので、力負けしてその場から一歩も動けなくなったものかとも考えられたが、あの馬鹿げた威力の投擲がそれを否定する。

 十分だった。あの一撃はザンツの膂力を上回ってなお余りある暴力を内包していた。

 そこから導き出される答えは、動けなかったのではなく、動かなかった。

 クロッカスの槍撃に関しても、似たようなものだ。クロッカスは行動を阻害しようと躍起になっていたが、今鑑みれば土人形は棒立ちのまま。阻害も何も、土人形自体に動きを見せる素振りがなかった。

 そして、クロッカスの槍をわざわざ奪い、うっとおしい羽虫を払うかのようにその槍を振るった。あくまでそれは「払う」もの。目くじらを立てて「叩き潰さん」とするそれではなく、視界から消えればそれでいいとでも言わんばかりで。

 鎌鼬にしたってそうだ。何故わざわざザンツ、クロッカス、フェイトの後方に生み出したのか。アキレアが握るような鉄の剣とは違い、風の刃は、万物を通り抜ける。五人全員纏めて両断することだって出来たはずだ。少なくとも最前線で矛を振るっていたザンツとクロッカスは風術に咄嗟の対応ができなかったはずだ。

 最後に、まさに今。アキレア自身に対して追撃の来ないこの状況。槍を投擲したままその場から動かず、アキレアの回避行動を何もせず見送っていた。

 状況証拠は以上五つ。これだけ揃えばもういいだろう。

 土人形は遊んでいる。

 それが果たして殺意がないことを示しているのか、それともただ命を弄ぶように、足の皮を一枚ずつ削り取る拷問のようにより深い絶望を与えながら殺すためなのかは杳として知れないが。

 兎角、ありがちなことだとアキレアは思った。己が身を危険に晒そうとしない人間に、ありがちなことだと。

 剣と賢がこの土人形を破壊したとしても、その作り手が失うものは幾許かの体内魔力。たとえ土人形を深く切り付け、粉々に破砕したとしても、そのダメージが術者に返るわけもなく、ただただ徒労に終わるだけ。

 命を喪うリスクを背負った剣と賢、高見から見下ろすようにして戯れのように土人形を操る顔も知らぬ術者。

 全くもって、気に食わない。それが絶対的な強者が持つ傲慢傲岸だとしても、気に入ってたまるか。

「ああ、ちょっといいかいそこの土人形」

 アキレアは剣を肩に置いて、友人に語りかけるような気安さで言葉のない土人形に話かけた。

「別に俺達はあんたをどうこうする必要もないんだ。たった今一鞘当てた。そのおかげであんたの実力、少なくともその下限は知れた。上限こそ分からないが、それを測る物差しが俺達にあるかも不安だしな」

 どうにも格好が付かないと自分自身でも分かっているのか、アキレアは頭を搔いて。

「あんたも遊んでるだけだろ? もしも殺意がないって言うなら、俺達はそろそろ退いておきたいんだが……どうかな?」

 何も難しいことはない。アキレアは「これ以上手を出さないから見逃せ」と言っているだけだ。

 ……何処かにいる土人形の術者を気に入らないのは確かだ。それは確かなのだが、敵愾心と損得勘定はまた別問題の話で。倒したところで売れるような肉も皮もない、利得のない土人形。それも、下手をすれば手痛いしっぺ返しを喰らいそうな相手と馬鹿正直に斬り合うのもナンセンスだ。赤字が出る、とまでは言わないが、見事な堅牢さを誇る目の前の敵を、文字通り土に還す前提で斬りつければ、武器の一つや二つ駄目にするかもしれなかった。

 アキレア自身、「岩を割る」ことはできるとは思うが「岩を斬る」境地にまで達しているとは到底思えない。剣を一本駄目にする。そのこと自体にさしたる抵抗はないが、避けられるのなら避けるに越したことはない。

 そんな想いから口を吐いた言葉だったが、常ならばそんな逃げ腰の発言にいの一番に噛み付いてくるだろうザンツからの反論もなく、それがまるで剣と賢の総意であるかのように受け止められていた。

 きっと、ザンツ自身が土人形を操る名も知れぬ魔術師の脅威を理解しているからこそ、無用な横槍を入れてこない理由だろう。己が振るった渾身の一撃を受けきってなお地に立つ存在を甘く見るほどの愚者ではない。己の力量をよく理解しているからこそ、難敵であると認めることが出来る。

 ――さて、返答は如何に。

 剣の切っ先を土人形に向けて、アキレアは土人形が出す答えを待った。

 彼女は――便宜上、女性の姿を為している土人形を呼ぶにはそちらの方が相応しいだろう――ゆっくりと、剣と賢の一人一人を眺めていく。

 クロッカス・アジャルタ。

 アキレア・アルフィーナ。

 ハスティア・ギーヴォ。

 ザンツ・ストゥルマン。

 ……そして、フェイト・カーミラ。

 右から左へ流れていた彼女の瞳はフェイトの顔を捉えて離さない。感情の色がないその双眸、色彩の情がないその相貌。フェイトが見た柔らかな微笑みは、真実幻がもたらしたものだと思えてしまうその無味乾燥さ。

 それが今、フェイトを真っ直ぐに見つめたまま微動だにしない。

「……何か?」

 張り詰めた空気、緊張から来る粘性の汗が額を伝ってフェイトの鼻頭を濡らした。耐え切れずに問い掛けたその言葉への回答は端から期待しておらず、ただ自身の気を紛らわせるためのもの。

 しかして、彼女が取った行動は、百の文言よりも雄弁な一の行動。

 ただ一歩、フェイトに向かってゆっくりと足を踏みしめる。ただそれだけのこと。だが、それだけで十分だった。

「交渉は決裂、と。ザンツ、フェイト、ハスティア」

 今一度、自身の身体にある体内魔力を編み込みながら、アキレアは二人に令を飛ばした。

「なんとかしてろ(・・・・・・・)」

 あまりに抽象的な言葉に対して、しかし命ぜられた二人はそれだけで何をすべきか十全に理解して。

「了解、なんとかしますよ」

「俺はいいが、なんでこいつと(くつわ)を並べなきゃなんねえんだ糞が」

「……ん」

 口ではフェイトと矛を並べることに対しての文句を募りながらも、しかし一人では抑え切れないだろうザンツは大人しく従って、大斧を背負いながら土人形に向かい今一度歩を進めた。

 ハスティアはハスティアで常と変わらぬ鉄面皮を纏い、微かに首肯する。

「……その、悪いんだがアキレア、フェイト。今俺は知っての通り懐を猛烈な寒波に襲われているわけなんだが」

「……水を差してくれるなよクロッカス。ああ、ああ、よぅく分かってるさそんなこと。糞っ」

 なんとも手持ち無沙汰にするクロッカスに対して、アキレアは悪態を舌打ちを隠し切れずにいて。

「三等分だ、三等分。お前の槍代は俺、フェイト、お前で三等分にしてやるから。フェイト、お前もそれでいいな」

「この状況では是非もないです。出来ることならこの問答をしている間にも可及的速やかに後ろの槍を取りに走って欲しいんですが」

「すまん、恩に着る」

「着らんでいい。そんなものは知らん。言う暇があったらさっさと取りにいけ」

 頷いたクロッカスは、土人形に投げられ木々の一つに突き刺さったまま無言を貫いている己が愛槍を取りに走った。

 さて、為すべきことは全て決まった。それに伴って金銭的出血が生じる覚悟も、誰とは言わないが一部人数の間で認められた。

 土人形の足止めをするのがザンツ、フェイト、ハスティアの三人。そしてその三人が稼いだ時間で、武器の損失を厭わずに「技」を繰り出し仕留めるのがアキレアとクロッカスの二人だ。

 技量はともあれ、この中で真っ向から土人形と打ち合える可能性が高いザンツ。予備動作のない風術を相殺するために控えるハスティア、そしてフェイト……は、だが。打ち合いも出来ない、風術への対抗も出来ない。やれることをしいて言えば、搦め手、その一言に尽きる。それにしたって多種多様の手練手管で敵を翻弄、など望むべくもないが。

 兎角、各々が為すべきことを為す。現状を打開するにそれ以上の言葉は不必要だろう。

 未だゆっくりと、枝から落ちる花びらが風に泳ぐような速さでフェイトに向かい歩を進める土人形に対して、ザンツはとりあえず横槍から思い切りブッ叩くことに決めた。

「ふっ」

 軽く、一息。噛み締める歯の間から漏れる呼気と同時に、大斧を軽々と振るう。肩口から上を根こそぎ奪い取っていくかのような豪腕に、しかし彼女はゆらりと上半身を反ることによって回避して。そのまま不安定な体勢のまま、土人形は格好のついた左腕でザンツの斧を下から思い切りかち上げた。

「うぉおっ!」

 肩が抜けるような衝撃に耐え、ザンツは一歩、たたらを踏んだ。下から叩かれた斧は自然、最上段にあり、ならばいっそそれに抗うことなくそのまま打ち下ろさんと、距離が開いた分もう二歩大地を踏みしめて、刑場の断頭台さながら土人形の首元目掛け鉄塊を振り下ろす。その一撃に対して、土人形は軽業師さながらに大地を蹴って、空中で二転三転と回転し、その刃をいなした。常ならば前後不覚に陥るだろうその運動にも彼女は動じることはなく、地面に左腕を突き立てる。そこを基点に倒立のような形を作り、それから一息に宙返りを決めて、再び二つの足で重力を捉えた。

 見るものが見れば一種の芸術にさえ取れるその踊るような流れに、どうやらザンツは甚く自尊心を刺激されたようで、米神に太い血管を浮かべた。

「舐めやがって」

 ザンツの口を吐いたその言葉は、決して大きなものではなかったがしかしフェイトの耳にも届いてきていた。一連の攻防は一瞬で、相応の実力者同士が描くに違わぬ光景ではあったが、成程確かに、軽業師めいた回避行動を取られてしまってはザンツがそう唾棄するのも無理からぬことのように思えた。

 ともあれ、ザンツと土人形が一対一で戦うことになっては、多少の贔屓目を込めて五分。努めて冷静に力量の違いを鑑みれば、分が悪いのは目に見えていた。……これを口にすれば、ザンツは激昂するだろうが、言わなければどうしようもない。生憎ザンツ自身が読心の術を心得ているわけでもなし、心中でどう捉えどう思おうとそこは神聖不可視の聖域だ。それに、彼我の実力差にザンツ自身も気付いている。彼もまた己一人で眼前の憎たらしい土人形を打破できないと理解してこそいるが、それを第三者が指摘することはやはり許せない。つまり、彼自身の矜持、あるいは人間性の問題だった。

 ――まあ、どちらにしたってすることは変わらない。

 一対一で通用しないのはフェイトにしたって同じだ。いや、実際にフェイト一人でそれをやろうとすればザンツが今見せたそれよりももっとずっと酷い結果になるのは火を見るより明らかで。言葉通りの鎧袖一触、ザンツと違って既に事切れていてもおかしくはない。

 ともあれ、課された命令(オーダー)は「三人掛かりでの時間稼ぎ」。それ以上でも以下でもなく、勝手に支援するのならばザンツもそれに対して柳眉を逆立てることはないだろう。……柳眉、というには少々彼の顔つきは(いわお)に過ぎるが。

 しかし、翻って己を見てどうだろうか。支援、とは言うがフェイトに一体何が出来るだろうか。火力もなく、速さもなく、堅牢さもない。ものの見事な三重苦である。現状最も得意……というよりは頻度高く利用すると表したほうがいいだろう「焔剣」で土人形を炙ったとしても、ただでさえ黒々とした彼女の表面をより黒く焦げ目をつけるだけだろうし、先ほどの一瞬の攻防に反応できるほどの反射速度も速さもない。では土人形の一撃に耐えてみせて、肉の壁として剣と賢の盾になることは出来るだろうか。冗談そんなことは不可能だ。即答できる。アキレアに向けたあの投擲を見たか。あんな腕力でもって繰り出される殴打を一撃でも食らってみろ。血反吐を撒き散らして絶命する自信がある。

 笑ってしまうような頼りない想いを心中に抱いて、フェイトは自嘲する。

伽藍(がらん)の焔」

 故に、答えは一つしかない。火力はない。ならば求められていない。速力もない。ならば求められていない。堅固さもない。ならば求められていない。ない、ない、ない。四方八方それに封じられているのならば、出来ることは単純だ。「ある」ものを使えばいい。選択肢は最初からない。選択できるということは持つ者の傲慢だ。ただ一つ、自分が今現在持ち得るもの。それを使うしか、ない。

 杖の先端に灯した炎は、常日頃灯すそれよりも一際白く明るいものだった。その炎が根ざす根幹は伽藍。ならばそれは何のために生まれたのか。それはただ、このためにある。

 フェイトは一握の勇気を抱いて一歩、踏み出した。翳した炎は土人形の眼前に。何をするつもりなのか気付いているザンツは咄嗟に己の獲物で視界を塞いで。ひと時も敵から目を離すことが許されない戦場において、それは自殺行為と似たものだが、この一瞬においてはそれこそがたった一つの冴えた答えではあった。

「若火」

 その一言と共に、ただ白いだけの火炎が爆ぜた。


 その土人形は、遠隔操作型だ。ならば必然、それを操る魔術師は「目」を飛ばしていなければならない。土人形との視界を共有できていなければ、幾ら遠隔操作の土人形とはいえ……いや、遠隔操作の土人形だからこそ、単なる木偶へと変貌してしまう。身体は土、血流は魔力。しかし視覚は人のそれと等しい。ならば単純に、光による目眩ましはこの上ないほど効果的だろう。

 炸裂する光の奔流に、唯一対策が取れていなかった土人形はその日初めて、ようやく人らしい動きをした。両手で目を押さえ、苦悶するかの如く身を捩った。

「がら空きだぞ、土くれ野郎」

 その決定的な隙を見逃すほどザンツは愚かではなく、迎撃が来るという想定を外した、これ以上ないほどに大きく振りかぶった渾身の一撃を土人形の腹部に見舞う。鉄の大斧と土の肉体がぶつかり合う不協和音は乱立する木々に更に反響して、おんおんと耳に鳴る独自の奇声を生み出した。

 そして、全ての準備が整った。

 体内魔力満ち満ちたアキレア、クロッカス、ハスティアの三人。

 ハスティアは土人形が風を繰るのに対抗するため紡いでいた真言を組み替え直し、それをもって風の槌とした。

「叩け、無色の鉛」

 圧縮された空気の塊が、土人形の後方から全身をしたたかに打ち据えた。身体を持ち上げられ、錐揉みに回転し吹き飛んだ土人形の至る場所は、一刀と一槍が交錯する死出の門。

「断刀」

「貫け」

 アキレアとクロッカスは十全に体内魔力を編み込み、己が持ち得る限り至上の一撃を叩き込む。狙うはザンツが最後に斬りつけた右の腹部。

「海鳴」

厭わぬもの(マシュヤーナグ)

 剣と賢が懐に隠す、とっておきの刃が白昼に晒され、そして罅割れた音を残して砕け散ったものが三つ。

 一つは、アキレアが持つ剣。

 一つは、クロッカスが持つ槍。

 一つは……女神のような微笑を浮かべた、土人形(かのじょ)の腹。


 軋む音が聞こえる。土と土とが、石と石とが擦れあい、互いに削れていく音だ。

 瓦解する音が聞こえる。土と土とが、石と石とが離れあい、脱落していく音だ。

 彼女は今自分がどんな醜態で、どんな有様なのかを理解して、くるくる、繰る繰ると回った。

 土が零れる。

 砂が舞い散る。

 手遅れになる。一つくるりと回る度に。

 取り返しがつかなくなる。一つふわりと舞う度に。

 しかしその有様はどこか満足気で、しかし同時に何の感情も生まれていないように見えた。

 当たり前だ。彼女に命は宿っていない。笑ったとしても、歩いたとしても、泣いたとしても、地に臥したとしても。その全ては糸に繰られた人形のもので、歪んだ鏡写しに表情を眺めているような状態では感情をささくれ立たせるよりも滑稽さが先に来る。マリオネットを操る黒子の姿が見えてしまっていては、それを眺める観衆の感動が揺れ動かないのもまたやむないことなのかもしれない。酷く下手な役者が演じる戯曲のような光景がそこにはあった。

 故に、その場にいた誰ともなく呆けたように彼女を見ていたし、事実、誰一人として彼女が最早終わったものだと安心しきっていた。……いや、あるいは既に全てを出し切ってしまったが為に、終わったものであるはずだ、という願望を抱いていたのかもしれない。

 それは、ある意味では正しく、そしてある意味では間違っている。もしも彼女に最後の最後、今際の刹那(とき)に牙を剥く意志があったのなら、アキレアが考えていたよりも早く、ここで一人、剣と賢から脱落者を出すことになっていた。

 土人形は、身体の一部を絶え間なく失い続けていた。さらさらと身体から落ちる土と砂は、さながら砂時計のように。借り物の命を喪いつつも、彼女は少女のような稚気に溢れた歩みを始める。歩んだ先には、杖を握った、一人の少年がいた。

 その歩みに迷いはなく、光によって潰された眼は元通りに回復していたのだろう。元から一時的に視覚を奪うものだ、効果が永続的に続くわけでもない。

 やがて彼女は少年の前に立ち、ただ呆然と彼女を見るその瞳を認識して、彼女は。

「あ、は」

 声を上げて、笑い、そして、抱きしめた。

 硬い、土の感触が、少年の、フェイトの全身を包んだ。全身が硬直する。それも当然だ、あと数度瞬きをすれば瓦解し、土と砂と石に戻るその身体であっても、このまま力強く抱擁されてしまえば、フェイトは抵抗する間もなくその命を容易く摘み取られてしまう。

 汗の一滴も流れない。呼吸の一つもすることができない。野晒しにされた心臓を強く握られたように思えて、ただただ自分の鼓動が未だ鳴り続けていることを拠り所にフェイトは目を瞑っていた。

「――――」

 そして、フェイトの耳を、透けるような声がくすぐった。

 え、と小さく声を上げて、フェイトは瞑った目を再び開いた。土人形の顔は、そこにはない。フェイトの頬の横にあって、慈しむように彼を抱いている。

 さらさらと、土人形が地に還る。砕かれた腹部から円を描くように、土に砂に石に戻り、抱きしめる腕からは力が抜けていった。フェイトの足元には小さな砂山が築かれて、ずるりと溶けるように落ちていく彼女の顔は、ただ最後のひと時、フェイトへ向けて息を呑むような美しい笑顔を湛えて消えていった。

 かつん、と、地面を軽く叩く音がした。その音を生み出したのは、一枚の仮面(タラフ)。それは土人形が最後に残していったものだった。

「……今のは、なんだったんだ」

 口にしたのはクロッカスだったが、それはこの場にいる全員の思考を代弁したものだったのだろう。その言葉には独白ではなくフェイトへ問い掛ける詰問の色も見え隠れしていたが、フェイトはその言葉に答えることはなく、いや、正しくは答える術を持たず、ただ地面に落ちた仮面を拾うという行動で返した。

 その仮面こそ土人形を組成するに最も重要な位置を占めていた魔具、依り代の類であることはすぐに分かった。仮面の裏を見れば、奇怪にして規則的な紋様が描かれていたからだ。

 仮面の(おもて)を見れば、その表情は何故かフェイトの海馬を刺激した。土人形が持っていた教会の彫刻のような表情ではなく、伝統工芸のような作り物の仮面は、土人形の顔に使われていたのではなく身体の何処かに埋め込まれていたのだろう。

 一つ息を深く吸って、フェイトは宣言する。

「終わりました」

 剣と賢の一人一人をその目で見据えて、有無を言わさぬ迫力を滲ませて。

「いや、しかしだな」

「終わったんです。それとも、これ以上何かあると」

 クロッカスの言葉を切って捨てて、フェイトは言う。

 突き放すように言われてしまえば、クロッカスたちも追及を止めるしかない。どうにかこうにか土人形の撃退に成功した。今はそれ以上に求めるものはなく、術者の正体を見破る意味もない。それで報酬の多寡が変わるわけでもなしに、藪を突いて蛇を出すほど愚かでもなかった。

 それに彼自身これ以上の返す言葉を持ち得ていないし、土人形が最後に取った行動もフェイトにとって青天の霹靂に過ぎなかった。抱きしめられ、まるで焦がれるような目で見つめられ、そして耳元でくすぐるように囁かれても、フェイトはそれが何を意味するのか理解しえないし、何を思って彼女がそんな行動を取ったのかさえ分からない。

 (まじな)いのように呟いた言葉の真意も、図りかねていた。


 ――また会いましょう。


 だなんて、何故そんな言葉を残したのか。

 心に微かなしこりを残して、フェイトたちは一同帰路に着いた。

 


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