第六話
ベラティフィラ魔術中等学校の一教諭であるサーチス・キネシスの最近は酷い憂鬱に彩られていた。
「キネシス殿。先達に差し出がましいことかもしれないが、一つ言わせていただく。四年生の間で流れる不穏な空気、その原因となる人物はキネシス殿が担当する生徒らしいな。担当教諭として学内の規律を乱す者にはしかるべき対応が必要ではないだろうか」
そんな言葉を頂いたのはつい先日。新任教師のシアナ・セントリウスから告げられた言葉だ。
思い当たる節はただ一つ。決して声を大にして語られることはないが、学内で実しやかに囁かれる噂……いや、事実。学年首席クレア・ティスエル、彼女と彼女を中心とした十数名の生徒たちが、巷を騒がせる殺人鬼を捕まえるために動きはじめているという問題だ。
そしてその行動をフェイト・カーミラが公然と諌めてしまった。いや、聞いた話によると至極真っ当なことを言ったらしいのだが、それを高らかに謳い上げてしまったのが問題だ。
その行動に参加した者には死ぬ可能性があるという事実。その年代特有の万能感や年長者を不甲斐なく思うことからクレアに賛同した者も少なくないはず。事実、フェイトに掛けられた冷や水の後、そういった一時的な熱病に浮かされた賛同者は目に見えて減少した。しかし、それでもやはりサーチスの立場から見ればフェイトの取った行動は有難くない。むしろ迷惑だ。
前々からクレアはフェイトのことを必要以上に意識していたし、その意識を言動として表していたのだからフェイトとクレア、二人に興味を示さない人間でもその関係性については知っていた。その二人がかち合って、クレアはどちらかと言えばやり込められた形になる。憤慨するのは彼女と冷や水を掛けられても熱の下がらぬその取り巻きたちだ。衆人環視の中で行動を否定されて、意固地になってしまった。行動が硬直してしまった。
フェイト・カーミラは単なる臆病者だと、殺人鬼なにするものぞと残った熱心なクレア信奉者はより強い意志を持って今回の行動に移ろうとしている。今現在クレアと行動を同じくするのはそういった凝り固まり先鋭化した連中だ。止めさせようにも一筋縄にはいくまい。更に、学院全員が対岸の火事だと思っていた殺人鬼騒動を身近に感じ取ってしまった。フェイトが学友の死の可能性を想起させてしまった。お陰でここ最近の学内には不穏な空気が渦巻いている。
そのことについてサーチスは職員会議で締め上げられ、参加の意志が見られる生徒一人一人と自ら面談の時間を割かねばならなくなり踏んだり蹴ったりだった。
「参る。本当に参る」
職員室にある自身の机の上に伏せて、頭を掻き毟りながらサーチスは低く唸った。
教師キネシスとしても、私人サーチスとしても非常に困った事態だ。しかし、どうにかこうにかクレア一派の行動を止めなければならない。彼女たちに動かれてしまっては、「最悪」の事態も想定することとなる。……まあその可能性はサーチスが考えるに極めて可能性が低いものだが。
「時間外労働……いや、業務規定以外の仕事じゃないか。なんでこんなことに……」
サーチスと学校の間で結ばれた契約書の書面には「学生の問題行動に際しての対処」という文言もきちんと入っているため、これも立派な仕事ではあるが、十年ほど前に交わした契約内容だ。サーチスの脳内からすっかり消え去ってしまっても不思議はない。……いや、この場合は本気でそう思っているというよりは、明らかな愚痴、それ以上でも以下でもないのだが。
取り敢えずは中心人物を抑えなければならない。サーチスは気を取り直して自身が担当する次の授業の準備に移った。
魔獣・幻獣学概論。サーチスが担当する教科の内一つがそれだ。単なる獣ではなく、魔術を行使する獣、魔獣。魔術を行使し、人の言葉を解する幻獣。万が一敵に回れば恐ろしい存在であるその二つについて事前知識を整え、いざ遭遇した場合でも落ち着いて対処出来るように学ぶのが主な目的、なのだが。この授業、必修でもなければさほど重要でもなく。そのくせサーチスは手抜きもせずにかっきりとしたテストとその足切り点を用意するため、生徒たちには極めて不人気だった。
しかしながらこの授業には渦中の二人とも受講しており、特にその一方については放課後の面談に呼び出す絶好の機会であった。
授業開始の鐘の音と共にサーチスは教室の扉を空け、三十人が入る教室なのにその三分の一も埋まっていない机を一目見て、全員出席だと即座に数えることが出来る。それほど数少ない受講人数だった。その中にはつい先日口論を繰り広げたばかり二人がおり、此処で先に折れては負けだとでも考えているのか、フェイト・カーミラとクレア・ティスエルは何時も通り一番前の机に隣り合って座っている。
クレアは見るからにつっけんどんとした、剣呑な空気を振り撒いているが、フェイトは全く我関せずと言った様子で。その二人の空気に当てられたのか他の生徒は何時もより後ろの座席を選んで座っている。丁度教室の真ん中に崖が出来ているかのような、そんな状況。
「……はあ、それじゃあ授業を始めます」
仕事なのだから、授業は進めねばならない。サーチスは溜め息一つ漏らしながら教科書を開いた。
何故フェイトが魔獣・幻獣学概論を履修しているのか、サーチスはその理由が分からなかった。クレア・ティスエルは常日頃から学業成績の先頭をひた走り、一切の妥協を許さず、当人が「ベラティフィラ魔術中等学校完全制覇」を掲げていると聞いて以来特に何も考えず全ての講座を履修して、その尽くで最高評価を掻っ攫って卒業するつもりだと知った。それはクレアの成績表を見ても分かる。一般生徒の二倍近い授業量をこなし、全て最高評価をもぎ取っているのだから口だけではないとサーチスも理解している。悪く言ってしまえばクレアは何も考えずに目に付く講義全てを討ち果たしている無軌道さ。
対してフェイトは実践魔術や洗礼魔術といった実利と趣味、対極にあるものを履修したかと思えば、卒業に必要最低限のものは満遍なく浚っていたり、担当教諭自身が言うのもなんだが毒にも薬にもなりそうにないこんな授業も取っている。フェイトが学んできた授業をなぞれば彼が必要とするものの輪郭はうっすらと浮かぶような気がするが、一番大切なピースが欠けているような形で、その真実の姿を描くことは出来ない。
受講する理由はサーチス自身がフェイトを目に掛けているからだろうか? それは事実だが、だからといってフェイトはサーチスに対しておもねるような性格をしていない。入学当時から担当教諭としてフェイトを見てきたが、誰に靡くでもなく、誰かに近づき過ぎることもなく、級友たち一人一人と等間隔に立っている印象を受ける。最も彼と親しいと考えられるのはディギトス・ガイラルディアだが、二人の関係は傍から見ても割りとドライだ。そんな彼が個人的にサーチスへ近づいてくるとも考えにくい。
サーチスから学生に対する評価は魔術の実力が全てだ。クレアやアルレフトといった学年首席次席には疑問を問われれば返し彼らが求める態度を取る。クレアが放任を求めるならそれに逆らわず、アルレフトが熱心な指導を求めるのならそれに応える。しかし、下層の人間に対してはそうではない。なにも不当に扱うわけではないが、優先順位は明確につける。アルレフトとディギトス、二人が同時に質問に来たのならばサーチスは迷い無くアルレフトの質問をまず先に解決するように動くだろう。……今まで一度もディギトスがサーチスへ質問を投げかけたことはないが。
学業成績だけならばサーチスの中でフェイトの評価は低いわけではないが、抜きん出て高いわけでもないだろう。そこだけ見ればサーチスがフェイトに目を掛ける理由はない。だが、サーチスが認めるか否かの判断基準は「魔術の実力」であって「学業成績」では決してない。クレアとアルレフトは実技でも優れた成績を残しているため評価は高い。フェイトは実技において決して高い評価を得ているわけではない――それどころか教師の好悪次第で下位に置かれることもあった――が、サーチスは一度見たことがある。フェイトの間違いに満ちた魔術行使を。一年の頃に受け持った実技教官。その中にフェイトはいた。
成程それは確かに真っ当な魔術師は認めることは出来ないだろう。いや、サーチス自身フェイトのその所業には眉を顰めざるを得なかった。
対象物を燃やし尽くせ。授業内容は確かそんなものだった。外の修練場にて教室一個分離れた場所に置かれた生木を火術系統の生徒がどれ程燃やせるかで現時点での魔力の強さを測る。そんな目的だった。
あまねく生徒が火球や火の刃を詠唱により生み出し、撃ち出しては挑んでいく。当然生木との距離は離れたまま。それも当たり前だ。魔術師は後方からの極大火力が持ち味。それ以外にやりようなどあるはずもなかった。
そんな中、フェイトの順番が回ってきた。既にサーチスは担当する生徒の両親について学校側から聞いている。当然その中にはフェイトの父親が魔術中等学校にて教鞭を振るっているという情報も含まれており、血統的に良いものを持つフェイトの実力はどれほどのものかと楽しみにしていた。
「焔剣」
だがしかし、フェイトの行動はサーチスの予想していたものの斜め下へ行く。一工程で生み出したフェイトの炎は彼が持つ杖に蛇のように絡みつき、鎌首をもたげ天を突いた。フェイトの身体と杖と魔術が分離することなく一つのまま、フェイトは目標に向かい駆け出して、真一文字に切り裂いた。
中心部を失った生木は上体が滑るように傾いて地に伏した。炎の剣を肩に背負ったフェイトはくるりと杖を一回転させ纏っていた炎をかき消し元の場所に戻っていく。周囲の生徒からは奇異の視線を向けられていながらなお、動じることなく泰然自若とし、何事も無かったかのように既に実技をやり終えた生徒たちの間に入っていった。
サーチスは二つの意味で絶句した。規定としては、距離を詰めて魔術を行使することを禁じてはいない。だがそれは定めなくとも分かるだろうといった暗黙のルールが存在していて。罰することはなくともそのようなことをする者などいないといった学院の良心に則っているものだ。
近づかなければならないのは、その距離によって生み出した魔術の威力が減衰し散ってしまう場合か、あるいは今回のフェイトのように近接戦闘を前提とした魔術の運用をする人間くらいだろう。前者はまずその程度の能力ではベラティフィラ魔術中等学校に入学することはできないだろうし、後者の場合は……そんな愚者は存在しないだろうという常識が当てはまる。
そしてサーチスが言葉を失った理由のもう一つ。それはたった一工程で生み出した魔術によって見事生木を両断したことだ。
高火力を、素早く。この二つは魔術の世界において両立しない。より規模の大きい魔術を使うとするならばそれに似合うだけの集中と長ったらしい真言を要する。その矛盾を如何にして解消するか。それは体内魔力の量と発動速度、世界魔力の収斂速度と精度を高めることでしか解決しない。故に魔術師は日々の研鑽の果てに一分一秒の壁を乗り越えようと足掻くのだ。
フェイト以前の生徒はおおよそ五つ六つの真言を用意して魔術を行使。生木を焼き尽くしたのはその内半分。より遠くまで体内魔力の導線を引く必要がなく、距離空間による威力の減衰がフェイトにはなかったとしても、現時点でフェイトの魔術効率は同学年の生徒の平均と比べて四倍程度は優れている、と考えていいだろう。
「……何か?」
無言のままじっと自身を見るサーチスに疑問を覚えたフェイトは不思議そうに首を傾けた。
――行動は常識の斜め下。実力は予想の斜め上。
「……いえ、それでは次の人……ええと、ディギトス・ガイラルディアくん。どうぞ」
フェイトが何故そのような形で魔術を使ったのかサーチスは分からない。この時は入学した直後、若気の至りで目立つ行動を取ったのだろうと考えていた。直ぐに普通の魔術師としてあるべき形に戻るのだろうと。そして魔術師として真っ当な魔術を行使した時、どのような力を発揮するのかと。
結局、目の前で熱心に授業を聞く少年の行動は一時の過ちではなかった。一月経っても、二月経っても、半年経っても、一年経っても。実技の担当教諭が変わって酷く叱責されても、成績を一度最下位に叩き落され、流石に不当だと別の教諭の前で再試験に臨むという事態に陥ってなお、フェイトのスタンスは微動だにしなかった。
サーチスは優れた魔術師が好きだ。そしてフェイトはそうなる資質を持っているのに、自らそれを溝に捨てている。サーチスはことある毎にフェイトのその魔術のやり方を諌めている。フェイトが剣と賢の同僚であるハスティア・ギーヴォに言った「耳にタコ」。右耳にタコを作ったのがクレアだとしたら左耳に作ったのがサーチスだ。
――むしろ疎んじられているのかとさえ思っていた。
サーチスは自分の行動を省みてそう思う。
だがしかし、どうあってもサーチスにとってフェイトのその妄執と言っていい固執は許容できないもので。このままフェイトがその道に進み続けるとしたら、最早魔術師としては死んだも同然だ。事実、フェイトと同学年の生徒の平均は確実に縮まっている。いずれ並ばれ、追い抜かされ、後塵を拝することとなる。そうなってからでは遅い。そうなってしまっては手遅れだ。
そんな醜態を晒すことになってしまうのならいっそ……。
「……故に魔獣の能力は種に囚われず幅広く、多様性を持つこととなる」
授業終了を知らせる鐘の音が遠くから聞こえる。ああ、もうそんなに経過したのかとサーチスは我に返り教科書を閉じた。
「今日は此処までにしよう。何か質問があれば聞きに来てください。……ええと、それとティスエルさん」
「はい?」
「放課後に職員室まで来てください。お話があります」
「……分かりましたわ」
不承不承といった風にクレアが頷くのを見て、サーチスは内心胸を撫で下ろす。
「先生、少しいいですか」
「かまいませんよ」
尋ねてきたのはフェイトだ。授業内容で疑問に思った点の解消だろう。そんな彼をなるべく視線に入れないようにしながらクレアが教室から出て行くのが見えた。すれ違いざま「ごきげんよう」と言い残して。
「まずですね、魔獣という存在が純粋な力でのみ支配されているのかという点についてお聞きしたいんですが。知性ある幻獣の一歩手前、そう考えてしまう時が多くて」
「ああ、それについては諸説ありますが……」
「それで? 話とは一体なんなんでしょうか先生」
皆目検討がつかない、そんな表情を浮かべるクレアを見るとサーチスは最早乾いた笑いしか浮かばない。サーチスは周囲を見やり、他の教師や質問に訪れた生徒たちが未だ複数いることを咎めて場所を移すことにした。
「とりあえず、相談室に入りましょうか」
職員室に併設された相談室に二人は向かい、扉を開けたサーチスがクレアに先に入るよう促す。一礼して部屋に入るクレアの所作は随分と様になっていて、成程召使に扉を開かせる貴族によく似合う振る舞いだと思い知らされる。卑下や揶揄ではなく、人を従えることに違和感を覚えさせない人間がクレア・ティスエルという存在だ。
ドアノブに掛けられた札をオープンからクローズにひっくり返して、サーチスは扉を閉める。相談室の中には対面式の机が一つとそれを挟んで向かい合うように一人掛けのソファが二つ、置いてある。入り口から見て左手には横長で高さは四段ある棚が置かれている。その上には一輪挿しの花瓶が乗っていた。クレアは既に手前の椅子に腰を下ろしている。サーチスも向かいのソファに座り、「さて」と自身の膝を掌で擦った。
「話は……分かっていると思いますが、ティスエルさんが中心となって動いている殺人鬼の捜索について……なんですが」
「やめませんわよ」
にべも無く、クレアはつっけんどんに返した。ははは、と苦笑を浮かべてサーチスは頬を掻く。予想していた通りの反応だ。クレア・ティスエルという人間を少しでも知っていれば簡単に想像できる反応。
「人死にが出る、なんて今更でしょう? 学生の時分からギルドに参加するのを推奨している時点でそんな事態も学院側は理解しているはずですわ。事実、年に何人か生徒が依頼の失敗で命を落としていることもご存知でしょう? だというのにギルドで働く、ということは認められている。それを禁じられていないのにどうして今回に限って学校側から横槍が入るのか。矛盾していますわ」
至極真っ当な意見だ。だからこそこんな役割は嫌だったんだ。どうやったってやり込められるのはこちらなんだから。サーチスは内心で愚痴を言う。
「これはフェイトくんからも言われたかもしれないけれど」
「此処でどうして彼の名前が出てきますの!」
ばぁん、と、クレアは右手で強く机を叩いた。サーチスの心拍数が一瞬跳ね上がった。
「……びっくりした」
クレアに聞こえないほど小さな声で、サーチスは口の中で呟いた。「ん、んん」と咳払いをしてサーチスは改めてクレアを見る。
「ギルドの仕事は前もって情報を集めた上で、自分たちの戦力で可能かどうか精査して引き受けるだろう? 事前に被害規模がどれくらいか見積もって選んでいる。それで予想を超えた被害が及んでも、それはまあ……言ってしまえば事故だ」
「詭弁ですわね」
ごもっとも。クレアの言葉に頷きたくなる衝動を抑えながらサーチスは「まあ聞いてください」とクレアを宥めた。
「今回は殺人鬼がどれほどの強さで、どんな魔術を扱うのかさえ分かっていないだろう? 兎にも角にも被害を抑える最低限の努力というものをティスエルさん、君はしていない。中心人物としてそれは些か無責任じゃあないかな? どうだろう」
「メンバーは数人単位で分けますわ。一対一なら危険もあるかもしれませんが、単純に数は力、ですわ。五対一なら遭遇しても殺人鬼の方が逃げていきますでしょう?」
「殺人鬼が単独犯かどうかも分からないだろう? それに、味方を装って君たちを分断させるかもしれない」
クレアは腕を組んで右手の人差し指がトントンと左腕の二の腕を叩いている。
「ですから! ……そうですわね、分かりましたわ」
ふと、天啓を閃いたのか人差し指のノックが止まり、クレアは深い笑みを浮かべた。……なんだか嫌な予感がする。サーチスの米神を冷や汗がつうっと通りすぎた。
「全ての原因は私たちが『正体不明』の殺人鬼を捜索し、『捕らえる』ことに問題があったのですわ!」
「分かってくれたかい?」
いいや、多分分かっていない。いや、分かっていながらも我を通そうとしている。サーチスはそのことを理解しながらも藁を掴むかのようにクレアの言葉に縋った。
「ええ、ですからこうしましょう。『まず』殺人鬼の正体を私が突き止め、『次に』しかるべき戦力を用意して捕らえることにしましょう。……捜索と捕獲、これを同じ工程で一度に為そうとしたのがまずかったのですわね」
「…………いやいやいやいや」
ちょっと待ってくれ。何も解決していない。むしろ危険度は増しているじゃないか。サーチスは思わず突っ込んだ。
「サーチス先生、確かに私たちはギルドからの仕事を事前に情報を仕入れてから受注しているのは確かですわ。……では、その情報を調べているのは誰でしょう? 言わずもがな、私たちより年上の、経験豊富な冒険者たちですわね」
「結局他人の労力によっておんぶに抱っこなこの現状。余り褒められたものじゃありませんわね。私たちの為に血を払っている先達がいる。ええ全く、褒められたものじゃありませんわ」
何か、話がずれている気がする。ああ、だけど駄目だ。彼女を止められることは出来そうにない。サーチスは天を仰ぐ。そこには随分低い天井があった。
「相手をきちんと調べてから行動に移る。これなら危険性もがくんと低くなりますわね。……もし万が一、相手が私たちの手に負えない場合。……その場合は……大人しく引くことにしますわ」
多分に口惜しく腹立たしいことですけど。吐き捨てるようにクレアは言うが、サーチスはそんなことを気にしているわけではない。
「待ちなさい。君一人で調べるつもりかい? それは流石に危険すぎる。いいかい? 単刀直入に言おう。そんなことはやめるんだ」
「ですから、死者が出ている事実を放棄して何故こちらだけ行動を咎めるのでしょう?」
「規則で認められている行動とそうでない行動の違いだ」
「殺人鬼の捜索は規則で認められていませんの? 規則でもって否定されている行動ですの?」
「詭弁を言うんじゃありません」
「まあ! 詭弁には詭弁をぶつけるしかないじゃありませんか」
嘆息を一つ、サーチスは吐いた。うなだれるように下を向いて、搾り出すように言葉を繋げた。
「何故そこまでこの事件にこだわるんですか。君には関係のないことじゃありませんか」
「関係? 関係ありますわよ私にも」
一体どんな、問いかける視線でクレアを伺い見るサーチス。彼女は既に立ち上がり、真っ直ぐな視線で遠くを見ていた。
「父上が動いている。十二分に関係があるでしょう?」
「……ないじゃないか」
「ありますわ! 証が必要ですの」
「証? 一体何の」
クレアは机に右手を置いて、サーチスと視線の高さをピタリと合わせた。瞳には確固たる強い意志が秘められていて、サファイアのように輝いた碧眼がサーチスを真っ直ぐに射抜いた。
「私が私である証」
左手はクレア自身の胸元に添えられ、まるで戦乙女の宣誓のように高潔で、必死で、同時に不可思議な理由がクレアの口から紡がれた。
意味の分からない言葉だった。しかし、それが彼女にとって余りにも得難く、尊いものであることは理解した。サーチスは思わず言葉を飲み、少女に圧されてソファにより深く沈みこんだ。
「……お話はそれだけでしょうか? それならば先生、私はこれで」
「……いや、ちょっと待ちなさい!」
静止の言葉を背に受けて、返答は扉が閉まる音。クレアは最早話すことはないと相談室を後にした。サーチスは再び深く溜め息を吐いた。ここ数日でその回数を数えるのも馬鹿らしいほど増えた気がする。
「はぁあ」
元から彼女を止めることは出来ないのは知っていた。だがまあ色々と立場があるし、やるべきことはやらなければならないと今回の面談に移ったわけだが。
「ま、無理ですよねー」
頭を掻いて、だらしなくソファからずり落ちる。
正直なところサーチスは言うほど彼女を心配していない。数十万と存在する王都の人々の中から正体不明の殺人鬼を探し当てるなど海に落ちた針を探すのと似たような行為だ。大体殺人鬼にしたってつい最近一仕事終えたばかりだ。事件が再び風化し身辺が落ち着くまで次の行動に移ることは無い。
十中八九、いや、断言したっていい。クレア・ティスエルと殺人鬼は会わない、会えない、会うことがない。
「学内の秩序って奴がなあ」
ぶつぶつと愚痴を呟きながらサーチスは重い腰を上げ、相談室から出る。職員室に戻り、自身の机に戻った。
「どうでしたか、キネシス先生」
ふとサーチスは横から話を掛けられる。そちらを向けば学年主任が立っていた。
「ああ、これは主任。いえ、駄目でしたよどうにもこうにも」
へにゃりと情けない表情を浮かべ、サーチスは泣きついた。
「そうですか。大変だとは思いますが先生の評価にも繋がりますので、何とかお願いしますよ」
何とか、の部分でサーチスの肩を強く揉んで学年主任は去っていった。
「評価……体裁……」
サーチスは人目を憚らず机に突っ伏し、獣のような低い唸り声を上げていた。