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確約された不幸を手折って  作者: 山浪 遼
幼年期。始まりの終わり、終わりの始まり
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第十四話

 フェイトがアモルの持ち掛けたその提案に頷いたのは何故だったのだろうか。元々フェイト自身、その生い立ち、在り方からして既に成熟しきった道徳観、倫理観の持ち主であった。この世界の基準で表すのならば、それは潔癖すぎるほどに。

 生きた牛馬を自ら屠殺することもない、食い詰めて人に襲い掛かることもない、同種族の屍を貪り喰らうこともなければ、衣服を剥ぐ必要もなかった。物質が飽和した世界。それが元々のフェイト・カーミラという者を織り成す根源を覆う表皮だった。

 倫理や道徳などといったものは川の流れのように移ろい行くものだ。文化が違い、技術力が違い、宗教が違い、歴史が違い、権力者が違う。そのどれか一つでも、たった一度の差異であっても禁忌はいとも容易く変容する。世界樹の葉の上に立つとされるこの世界において、たった一つの異物であるフェイトは、今自らが生きるこの世界の道徳を誹ることなど出来るはずはなかった。唯一全てにおいて正しい答えは、「フェイト・カーミラこそ間違っている」という事実。

 狂おしいほどに白く、正気の沙汰ではない清廉潔白。フェイトはそのことを理解しているが故に自ら進んで血に汚れ死に穢れようとする。それがもたらすのは「価値観の上塗り」あるいは単純な「慣れ」か。痛覚は鈍くなり、精神は図太くなる。人格形成が成り立つまでの第二次成長期の頃までには、それを終わらせる必要があった。

 ……兎角、フェイトという少年は規則、規範というものには高い遵守意識が存在していた。だというのに彼がその提案を受け入れた理由。

「二人で山に潜り、試練の洞穴最奥にまで辿り着く」というアモルが切り出したその冒険。何も子供たちが山に入ること自体は大人たちも禁じてはいない。保護者同伴で、言う事をよく聞くこと。子供が山に足を向けるにはその二つが必要だが、入れない訳ではない。だが、子供のみで、というのは無論禁じられている。

 当然だろう、少年たちには全てが欠けている。判断力、体力、膂力、精神力……その他もろもろ。成人と看做みなされた実力の持ち主を1だとすると、当然子供たちは1未満の数字になる。1に満たぬ数字を幾ら掛け合わせた所で数字は次第に小さくなっていくだけ。独立した意思が増えれば増えるほどその統率は困難になり、相互に足を引っ張りあうようなものだ。

 フェイトは理解している。これは目の前の少年が少しばかりの好奇心と、僅かばかりの自尊心、そして一つまみの悪戯心を加えて出来上がった歪な砂糖菓子のようなものだと。勿論フェイトからして見ればその行動は到底容認できるようなものではない。

 その内実こそ知らないが、十と四を一つの区切りにするのはこの村の住民が永い年月を経て生み出した一種の法律のようなものだ。それをわざわざ踏み越えるなど、罰せられて当然、回避して然るべきことだ。しかし、万の言葉を語るよりも雄弁にアモルの瞳はフェイトに訴えかけていた。「お前が来ずとも俺は行く」と。それくらいの感情の発露を読み取ることが出来るくらいは互いの距離は近しくあった。

 湧き上がる嘆息と諦観を内心で噛み殺し、とりあえずフェイトはその提案を受け入れることにした。山に入り一、二匹獣を狩ればアモルも満足するだろう。そう思って。


 アルバートの家は、平屋の一軒家である。コーブルクでは、子供たちが成人を迎えると同時に村中の人々が集まって、新しく成人を迎えた男性に対して家を作る。一種の恒例行事のようなものだ。アルバートも例に漏れず一年前に家を作ってもらい、其処を住居とした。作られる家は、既に結婚し子供を持つ家庭のものと比べると酷く小さい。だが、一番最初は誰もが小さな家から始める。それを自らの手で改築したり、あるいは猟や商いをして金銭を貯め、人を雇い大きくする。そうしてどんどんと自宅は大きくなる。土台は与えられるが、発展に関しては己の意識次第ということだ。

 家を勝手に広げたところで文句も言われない。まだ村人の土地に対する所有概念が低いからだ。自ら耕した田畑、広げた家、それがそのまま己の土地になる。土地所有の概念が広がっていない一因は、何処を見やっても視界に写る森林のせいでもある。城壁に囲われている王都や雑多に民家が立ち並ぶ大都市ならば、ある程度の土地権利、区画整備といったものも存在するが、その気になり森林の一部を切り拓けばまだまだ未開発の土地が広大に存在するコーブルクという村では頓着をしない。

 ともあれアルバートの家自体はそうそう広くない。家を広げるのは将来的に嫁を見つけて良人になり、子をなしてからだと考えている。現時点でそこまでの貯えもなしに無計画に広げるつもりは更々ない。

 アルバートはその家にあって、キッチンに立っていた。目の前に鎮座するのは人間の幼児ほどの大きさである蜂蜜熊ハニーベアの肉塊。前日に適当な大きさに切り分け、岩塩を刷り込み地下の土室に一日寝かせておいた代物だ。無論、これから眼前の肉塊を料理し、アモルとフェイトに振舞うのだ。

 脳裏に浮かぶのは今日の献立だ。と言ってもそこは男の一人暮らし、大して凝った内容ではない。幾つかの野菜と一緒に煮てスープを作り、直火で肉を炙ってバゲットの一つ二つ準備すればそれだけで大分上等な食卓になる。

 薪の火に煽られ煌々と赤く輝く鍋の中、音を立てて煮立つ水へ滑り落とすように食材を次々と放り込んでいった。


 招かれた少年二人がアルバート邸宅の扉を叩いたのは、黄昏時に入る少し前のことだ。西の空は広く菖蒲と柑子の色合いが見事なグラデーションを抱き描いている。四季は既に秋の只中。豊穣祭まで数えること後十五日までに迫っていた。

「よう、いらっしゃい」

 アルバートが玄関の扉を開きアモルとフェイト中に招き入れると、室内には素朴ながらも食欲をそそる匂いが充満していた。小麦と、芳しい肉の匂いだ。テーブルの上には既に料理が並べられており、湯気を立てていた。

 挨拶もそこそこに、三人はそそくさとテーブルにつくと、早々に食前の祈りも済ませ、我慢のきかない犬の様な有様で熊肉にかぶりつく。

 フェイトはまず、スープの中に入っている一口大の肉をスプーンで半分に割った。肉に先端を押し当て、少しばかり力をこめて刃を引くようにしてやれば、その穂先は肉に沈み込むようにして埋没していき、容易く切ることが出来た。彼からして見れば、そんな小さなことでさえちょっとした感動ものだった。フェイトが今まで食べてきた肉というものは、兎角硬い。部位によっては噛み切れぬほどの弾力でもって食い込む歯を跳ね返してくるものばかりで。なまじっか食文化を娯楽として捉えることさえ出来る国を生前・・経験していたこともあり、その落差に果てしない落胆を覚えたのも記憶に新しい。しかし、眼前の肉はどうだ。火を通し煮込んだことで多少柔らかくなっている点を差し引いても、これほどに柔らかいものは以前の世界でも中々に値の張るものではないだろうか。

 目を見張りながらも感動をそのままに、二つに割った肉片の一つをスプーンにのせ、口元に運び咀嚼すれば、溢れ出る肉汁と旨み、それを引き立てる岩塩の味わいが口いっぱいに広がり、多幸感が身体中を満たしていく。

 ――美味い。

 ただその一言だけがフェイトの思考を埋め尽くした。

 食卓を囲む三人、その全員が無言のまま最初の一口を口にして、幸福に溺れただらしなくも暖かい面構えになっていた。


 炙られた肉を齧り、顎が鍛えられそう……というか事実鍛えられるほどに硬いバゲットをスープに浸し、細々とした野菜と共に口に放り込む。前々からフェイトはこの世界のバゲットは鈍器になるだろう、と思っていた。全力で振りかぶって頭部を痛打してやれば、きっと神だって殺せる。

「それでさあ、アルバート。実際問題、試練てのはどんなもんなんだ?」

 左手で炙り、スライスカットされた肉を素手で直に持ち、右手でスプーンを持つという残念な格好で、アモルはアルバートに尋ねた。「悪戯」に向けての情報収集といったところだろうか。よくもまあそこまでやる気を出しているものだ。スープを嚥下しながらフェイトは少しばかり冷めた目つきでアモルの横顔を覗き見る。

「どんなもんて、なあ。そりゃあお前も知ってるだろうよ、アモル。山に入って洞穴突っ込んで、鏃を取って帰って万々歳」

 わあい、と言わんばかりに無表情のまま両手を軽く掲げたアルバートを、アモルはジト目で睨みつけた。彼が聞きたかったことは、そんなこの村の常識紛いな説明ではない。

「道中危険とか、なかったのかよ。山狩りしたとはいえ、犬狼やら牙猪の一匹や二匹出てきてもおかしくないだろ?」

「殆ど出てこないな。山狩りってのは単純に数を減らすってだけじゃ、ないと思うぜ」

 あれはもはや結界だとか異界の創造の類だね。アルバートはそう答えた。


 肉食の動物は往々にして「血の匂い」がする場所にたかる。大量の血が流れた猟師たちの道程には噎せ返るほどの血臭が漂い、普通ならばそれを嗅ぎつけた獣たちが多く集まるはずだ。だがアルバートは「それがない」と言う。それは何故か。答えはアルバートが言った「結界」、「異界」だというものに近いのかもしれない。

 山狩りの有様は、常と比べるのなら正しく異様、この一言に尽きる。只でさえ彼等ケモノにとっての天敵ニンゲンが尋常ならざる様相で唐突に大挙するのだ。そして文字通りの死山血河をたった一日で作り上げていく。残されたのは不自然なまでに静まり返った山中と、同胞たちの肉片からなる噎せ返るほどの腥風せいふう、蹂躙していった人間たちの残滓だ。静謐に満ちていたはずの山林は、日を跨ぎ太陽が再び現れた時には既に瘴気すら感じられる空間へと変貌している。つまるところ、肉食獣の本能欲求さえ凌駕する程度には行き過ぎているのだ。


 しかしアモルからして見ればそれはつまらない。彼の欲するところは「ほどよくスパイスの効いた冒険」だ。生命の危険を感じる場所に足を踏み入れたがるほど愚かであるつもりはないが、波風立たない穏やかな海域をのんびり揺蕩うのもお断りしたい。命の危機や四肢欠損するほどの困難は求めていないが、ハイキングに出かけるような手軽さで終えるものでは困る。少年の自尊心や冒険心が満たされる程度の困難が待ち受ける丁度いい道中……。余りに都合が良すぎる条件だ。

 当然アモルもそこまで手筈の整ったものが待ち構えているとは思っていない。それでも提示された答えは不満を抱いて余りある。口先を尖らせて意味のない不満をアルバートにぶつけるのは、仕方の無い愚痴だ。

 対してフェイトはその話の内容にそっと胸を撫で下ろし安堵する。フェイトの立場としては、危険性がゼロに近ければ近いほど有難い。むしろ、駄々に近い不平を、無実のアルバートにぶつけ続ける相棒を見て、「いっそその企みが白日の下に晒されればいいのに」と考える次第だ。ばれてしまえば、山に向かわずに済む。一応、企みの片棒を担いでいることになるフェイトも叱責はされるだろうが、その程度だ。安全だとはいえ、その危険性はゼロではない。臆病だと誹る者がいるのならフェイトは毅然とこう答えるだろう。

「踏まずともいい地雷を自ら進んで踏みに行く馬鹿が何処の世界にいる?」

 その地雷の起爆確率が天文学的に低いとしても、それを踏まずとも日常は何一つ変わらず回り続けていくのだ。……それを踏めば僅かばかりに日常が変わる、アモルはそう感じているのだろうか?

 そしてアモルの意味のない不平不満を受け止めているアルバートは当初の予定が大きく狂っていることに対してやや立腹していた。

 ――それもこれも一向に話の矛先を変えない目の前の馬鹿アモルのせいだ。

 本当は今日という日、今回の食事を利用してフェイトという少年の心の奥底、その一端でも知ることが目的だったはずだ。だというのに目の前の弟分が一方的に喋っているだけで肝心要の少年とは深く話し合うことも出来ていない。ええいお前ちょっと黙れ、その一言が言えないのはアルバートの面倒見のよさがかえって災いしたのか、それともそのようにして突然会話を打ち切るほどに緊急の要件でもないためか。

 ああ、ああ、見ろアモル。フェイト少年のスープが尽きたぞ。おいこれもう会話終わったら長居しそうにないだろ。無理に引き留めるのもおかしいし。

 やがてバゲットも無くなった。炙り肉も遠慮なしにアモルが貪るため加速度的に減少している。肉を口に放り込みながら、矢継ぎ早に言葉を投げかけるアモルを、フェイトとアルバート、二人は全く違う感情から生まれる同一の視線、つまり何処か呆れた眼差しで見ていた。


「それじゃあ、ご馳走様でした」

 二人の少年が声を合わせてアルバートに言った。それを受けたアルバートは笑みを多少引き攣らせながらも「気をつけて帰れよ」とだけ何とか搾り出すようにして返した。

「何か笑顔引き攣ってなかったか?」

「……」

 そりゃああんだけ遠慮せずに肉ばっか食えば笑顔も引き攣るだろうさ。内心に浮かんだそんな言葉を噛み潰して、フェイトは「そうかな?」とだけ答える。笑みが引き攣った理由はそれではなく、一番最初の目論見が殆ど果たせなかったことが原因であったが、二人は知る由もなく、帰り路を歩いていた。

「それにしても拍子抜けだったな。思っていたよりもずっと簡単そうじゃねえか、『試練』なんておっかなく言っても」

「じゃあ止めておけばいいじゃないですか」

「いいや、行くね。……何だよ、お前ひょっとして乗り気じゃないのか?」

「危なくなったら君の首根っこ掴んで引きずり戻す役割ですよ。それにどうせ、私が断っても一人で行くんでしょう」

「違いない。……そうか、それにしてもその役目は有難いな」

 何が有難いのか。フェイトは疑問符を浮かべる。


 ――だってそうだろ? お前がそうやって危険を考えて帰路を見据えてるなら、俺はずっと前だけを見据えられる――


 アモルが繋げたその言葉に、フェイトは不意を打たれたような面持ちになって、思わず顔を伏せた。面映さと、後ろめたさが、フェイトを襲う。時刻は既に「誰彼(たそかれ)」時。視線を地面に向けていれば、その表情様子は窺い知ることが出来ない。感情を優しく包み隠してくれるこの宵闇のヴェールが、今は有難かった。

 時折見せるアモルの純粋さが、それを既に捨て去ったフェイトには眩く、何処か歯痒く映る。愚かしく、好ましい。愛すべき愚か者、とでも言うべきか。

 出会いは最悪だと言っていい。挨拶代わりに投げかけられた言葉は暴言だった。その後には思い切り殴られ――ただしフェイトは反撃として文字通り「焼いた」が――それから後は悪態ばかりをお互いが吐いていて、それでも……それでも嫌と言うほど時間を共有した初めての「同年代の仲間」となった。

 冒険……冒険だ。英雄志望の愚か者と、子供の皮を被った大人の出来損ない。この二人が初めて踏み出す冒険だ。鑑みれば、凸凹ですらなく噛み合わない二人だ、途轍もなく歪な二人組み。だけど、だからこそ、「良い」のかもしれない。

 英雄になるのだとしたら、そんな違えた存在がなるのかもしれない。

 なんて螺子の外れた、お目出度い考えをフェイトの思考を過ぎったのは、並び立つ愚か者に当てられたのだろう。しかし不思議と、悪い気はしなかった。


 じゃり、と地面を踏む音が止まる。アモルは右手に、フェイトは、左手に。帰路は此処で別れる。

 そうだな、とアモルは小さく呟く。そうだな……。

「五日後に、行こうぜ」

 何処に、とは言わない。言わずとも分かる。言わないと分からない者はきっと存在しないだろう。すっとアモルは右手で拳を作りフェイトに向けた。

「……分かりました。五日後に」

 フェイトも同じように拳を形作った。

 ごつり、とお互いの拳をぶつけ合い、その日を約束して二人の少年は笑いあった。


次話辺りから書きたかった場面に漸く入ります。

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