婚約破棄を宣言した王太子殿下に、婚活アドバイザーが「では交際終了の手続きに入ります」と書類を出してきた件
「エリザベート・フォン・ローゼンハイム! 貴様との婚約を、今この場で破棄する!」
王城の大広間に、王太子レオンハルト殿下の声が響き渡った。
楽団の演奏が止まる。
貴族たちの視線が、一斉に私へ集まった。
私はエリザベート・フォン・ローゼンハイム。公爵家の長女にして、王太子殿下の婚約者。
……だった。
たった今、過去形になったらしい。
「殿下。理由をお伺いしても?」
「しらばっくれるな! 貴様は愛するセシリアを陰湿にいじめ、階段から突き落とした!」
殿下の腕には、桃色のドレスを着た男爵令嬢がしがみついていた。
「レオンハルト様……わたくしのために、そこまで……」
「安心しろ、セシリア。もう誰にも君を傷つけさせない」
……なるほど。
よくある婚約破棄の場面だ。
ただし、今夜は一つだけ違うところがあった。
「あのう、殿下」
大広間の隅から、一人の中年男性が歩み出てきた。
くたびれた上着。少し疲れた目。そして、肩には緑色のスライム。
王家の縁結び相談役として招かれていた、成田和彦さんである。
「今、婚約を破棄するとおっしゃいましたね?」
「そうだ! 何か文句があるか!」
「いえ。ご本人の意思は尊重します」
成田さんは頷き、鞄を開けた。
「では、交際終了の手続きに入ります」
……え?
◇◆◇
「何を言っている!」
殿下が眉をつり上げた。
「貴様、誰に向かってものを言っている?」
「もちろん、殿下にです」
「私は王太子だぞ! たかが相談役が、私の婚約に口を出すつもりか!」
成田さんは困ったように頭をかいた。
「いえ、私も勝手に進めるつもりはないんですが……」
「ならば下がれ!」
「ただ、今回の件については、ご依頼をいただいておりまして」
「依頼だと? 誰からだ!」
「私だ」
低く、よく通る声が響いた。
大広間の奥。玉座に近い席から、一人の男性が立ち上がった。
国王陛下だった。
貴族たちが、一斉に頭を下げる。
「ち、父上!?」
「レオンハルト。王家の婚約を、余の許可なく公の場で破棄すると宣言したのは、お前だな?」
「そ、それはエリザベートが!」
「理由はあとで聞く」
国王陛下は、静かに言った。
「王太子の婚約は、お前一人の気分で決められるものではない。公爵家との正式な取り決めであり、王家の信用に関わる問題だ」
「……っ!」
「余は以前から、お前とエリザベート嬢の関係を案じていた。そこで成田相談役に、万一の場合の記録整理を依頼していたのだ」
……。
私は思わず成田さんを見た。
成田さんは、申し訳なさそうに小さく頭を下げた。
「……というわけでして」
「成田。手続きを進めよ。ただし、この場で婚約解消を確定させるのではない。双方の意思と主張を記録し、正式な判断に必要な資料を揃えるのだ」
「承知しました」
「それから、列席者にも告げる」
陛下の声が、大広間に響いた。
「この場で事実を知る者は、身分にかかわらず証言を許す。王太子に不利な内容であっても、真実を述べたことを理由に不利益を与えることは許さん」
貴族たちの間に、ざわめきが広がった。
「ただし、虚偽の証言は厳しく処罰する。面白半分の噂話は不要だ」
……これで、誰もが安心して発言できる。
ただし、嘘はつけない。
私は、国王陛下の用意周到さに内心で感心していた。
「では、成田。始めよ」
「承知しました」
成田さんは、鞄から一枚の書類を取り出した。
「それでは殿下。まず、こちらが交際終了届です」
「……何だ、それは」
「婚約解消のお申し出を記録するための書類です。まだ正式な解消ではありませんので、ご安心ください」
「安心できるか!」
大広間のあちこちから、笑いをこらえるような気配がした。
成田さんは、にこやかに羽根ペンを差し出した。
「こちらにお名前をお願いします」
「……私は王太子だぞ!」
「はい。ですので、なおさら記録を残した方がよろしいかと」
国王陛下が頷いた。
「そのとおりだ。レオンハルト、署名せよ」
「父上まで!?」
こうして。
王太子殿下の華々しい婚約破棄宣言は、国王陛下公認の事務手続きへと姿を変えたのである。
◇◆◇
「続いて、お断り理由のヒアリング票です」
「まだあるのか!?」
「はい。理由の確認は大切ですから」
肩のスライムが、ぽよんと跳ねた。
『――おじさん、いつものやつ!』
「そうだね、ミドリ」
……いつものやつ?
王太子の婚約破棄が、いつもの業務なの?
「では、婚約を終了したい理由をお聞かせください」
いつの間にか、小さな机が用意されている。
王城の侍従が、丁寧にインク壺を置いていた。
……仕事が早い。
「理由なら先ほど言った! エリザベートがセシリアを階段から突き落としたのだ!」
「なるほど。事件が起きた日時は?」
「先週の火曜日だ!」
「時刻は?」
「夕刻だ!」
「場所は?」
「王城の東階段!」
「目撃者は?」
「私だ! セシリアを助け起こした!」
成田さんは、さらさらと書き込んだ。
「では、セシリアさんにも確認させてください」
「わ、わたくしですか?」
「はい。お怪我は大丈夫ですか?」
「ええ……少し足をひねっただけで……」
「それは大変でしたね。階段から落ちたのは何段ほどですか?」
「じゅ、十段くらい……」
「火曜日の夕刻、東階段で間違いありませんね?」
「……はい」
成田さんが頷いた。
「ありがとうございます。では、殿下もその場にいらした、と」
「当然だ!」
そのとき。
「……陛下。発言の許可をいただけますか」
低い声がした。
王国の財務卿だった。
国王陛下が頷く。
「許す」
「先週の火曜日の夕刻、殿下は私と財務会議に出席されていたはずですが」
……。
殿下の顔が固まった。
「そ、それは……」
「議事録もございます。会議は午後四時から六時まで。殿下は最後までご出席でした」
成田さんが、ぱちぱちと瞬きをした。
「……あれ?」
そして、ヒアリング票を見た。
「殿下。時間が合いませんね」
「き、記憶違いだ!」
「承知しました。では、目撃時刻は未確定、と」
さらさら。
「待て! なぜ書く!」
「確認できていないので」
……。
私は、必死に笑いをこらえた。
◇◆◇
「では、セシリアさん。階段から落ちたあと、どなたに助けていただいたんですか?」
「も、もちろん、レオンハルト様です!」
「ただ、殿下はその時間、会議中だったそうですが」
「……ええと」
セシリア嬢の目が泳いだ。
「そ、それは……火曜日ではなく、水曜日だったかもしれませんわ!」
「水曜日ですね。では、日時を訂正します」
さらさら。
「水曜日の夕刻、東階段で……」
「陛下、発言をお許しください!」
今度は騎士団長が声を上げた。
「許す」
「水曜日の夕刻、東階段は修繕工事で封鎖しておりました」
……。
大広間が静まり返った。
「私が封鎖命令を出しております。工事記録も提出できます」
成田さんは、ヒアリング票を見つめた。
「……では、場所も未確定、と」
さらさら。
「だから書くなと言っているだろう!」
「でも、確定していないので」
……。
誰かが、小さく吹き出した。
侯爵家のご令嬢だった。
扇子で口元を隠しているが、肩が震えている。
……わかります。
私も限界です。
◇◆◇
「そもそも!」
殿下が叫んだ。
「エリザベートがセシリアをいじめていたのは事実だ!」
「なるほど。具体的には?」
成田さんは、三枚目の書類を取り出した。
「こちら、言動確認票です」
「まだあるのか!?」
「はい。事実関係を整理しましょう」
「エリザベートは、セシリアに冷たい言葉を浴びせた!」
「どのような言葉ですか?」
「『王城では礼儀を守りなさい』と!」
……。
成田さんは、少し考えた。
「それは、どのような状況で?」
「セシリアが私に抱きついたときだ!」
大広間が、再び静かになった。
私は目を閉じた。
……殿下。
それを、ご自分でおっしゃるのですね。
「なるほど。婚約者以外の女性と抱擁されていた際に、エリザベートさんが礼儀について注意された、と」
「そうだ!」
「ありがとうございます」
さらさら。
その瞬間。
「……陛下。私も証言してよろしいでしょうか」
伯爵夫人が、おずおずと手を挙げた。
「許す。事実のみを述べよ」
「はい。私も、その場におりました」
伯爵夫人は、私をちらりと見た。
「エリザベート様は確かに『王城では礼儀を守りなさい』とおっしゃいました。でも、その前にセシリア様が『王太子妃なんて、愛されている私がなるべきですわ』と……」
「なっ!?」
セシリア嬢の顔が青くなった。
「そ、そんなこと言っておりません!」
「まあ。では、私の聞き間違いかしら?」
伯爵夫人は、にっこり微笑んだ。
すると。
「陛下。私も同じ言葉を聞きました」
別の侯爵夫人が手を挙げた。
「私もです」
「私も、その場におりました」
「確か、噴水の前でしたわね」
「ええ。午後のお茶会のあとです」
……。
次々と手が挙がる。
成田さんが、少し慌てた。
「あ、あの、皆さん。お一人ずつお願いします」
すると、財務卿が言った。
「相談役殿。証言者名簿を作った方がよいのでは?」
「……そうですね」
成田さんは、新しい紙を取り出した。
「では、こちらにお名前を……」
その瞬間。
大広間の空気が変わった。
◇◆◇
「陛下、私も証言いたします!」
「私も許可をいただけますか?」
「では、私は先月の夜会について!」
国王陛下は、片手を上げた。
「一人ずつだ。成田の指示に従え」
「承知しました!」
……。
何なの、この状況。
王城の夜会が、いつの間にか証言受付会場になっている。
しかも。
「証言は、具体的な日時と場所を添えてください」
成田さんが言うと、貴族たちが一斉に頷いた。
「承知しました!」
「では、私も記録を確認してまいります!」
「侍従! 先月の夜会の出席者名簿を!」
……皆さん、楽しそうですね。
最初は恐る恐る手を挙げていた貴族たちが、今ではすっかり積極的だ。
国王陛下は、厳しい顔で見守っている。
ただし、誰かが曖昧な噂を口にすると、すぐに注意が飛んだ。
「推測は不要だ。見聞きした事実だけを述べよ」
「はっ!」
そのおかげで、証言は妙に整然と集まっていった。
セシリア嬢は、真っ青になっていた。
殿下は、真っ赤になっていた。
そして、成田さんだけが。
「……すみません。順番にお願いします」
と、必死に書類を整理していた。
肩のスライムが、ぽよんと跳ねる。
『――おじさん、大人気!』
「いや、そういうことじゃないんだけど……」
……。
私は、とうとう笑ってしまった。
「ふふっ……!」
殿下が、こちらを睨んだ。
「エリザベート! 何がおかしい!」
「も、申し訳ございません……!」
でも、無理だった。
婚約破棄されたはずの私が、何も言っていないのに。
勝手に話が進んでいくのだもの。
◇◆◇
「さて」
成田さんは、書類を揃えた。
「現時点で確認できたことを整理しますね」
大広間が静かになった。
「まず、階段から突き落とされた件については、日時と場所に矛盾があり、事実確認ができていません」
「……」
「次に、いじめとされている言動については、複数の証言者から、別の経緯が示されています」
「……」
「そして、殿下とセシリアさんの関係についてですが」
成田さんは、少し困ったように笑った。
「婚約中に、かなり親密なご関係だったようですね」
殿下が、ぐっと唇を噛んだ。
「そ、それがどうした!」
「いえ。婚約を終了する理由として、重要な事情ですので」
成田さんは、次の紙を取り出した。
「こちらが、返却物リストです」
「……まだあるのか」
殿下の声が、かすれていた。
「はい。贈答品や貸与品を確認しましょう」
私は、思わず身を乗り出した。
……返却物。
それは、少し気になる。
「エリザベートさん。殿下からお預かりしているものはありますか?」
「はい。王家から貸与された宝飾品が三点ございます」
「なるほど。返却予定ですね」
「ええ」
「殿下。エリザベートさんからお預かりしているものは?」
「……何もない!」
私は、静かに口を開いた。
「殿下。私の母が贈った、古代魔法石の首飾りは?」
「……!」
殿下の顔が固まった。
あの首飾りは、母の形見だった。
王太子妃教育の一環で、魔法石の鑑定を学ぶために殿下へ貸していたものだ。
「……あれは」
「返却していただけますか?」
殿下は、セシリア嬢を見た。
セシリア嬢は、慌てて首元を隠した。
……。
あ。
ありましたね。
◇◆◇
「セシリアさん」
成田さんが、穏やかに尋ねた。
「その首飾りは、どなたから?」
「れ、レオンハルト様からの贈り物ですわ!」
「なるほど。ただ、こちらはエリザベートさんの所有物とのことですが」
「……!」
セシリア嬢が、殿下を見た。
「レオンハルト様……?」
「ち、違う! 私は……!」
殿下が言葉に詰まった。
そのとき。
「陛下。発言をお許しください」
王城の侍従長が、一歩前に出た。
「許す」
「その首飾りについては、貸与品として王家の記録に残っております」
……。
殿下の顔から、血の気が引いた。
「返却の必要がございます」
侍従長は、淡々と言った。
成田さんが頷いた。
「ありがとうございます。では、返却物リストに追加します」
さらさら。
……。
私は、また笑いそうになった。
◇◆◇
「もうよい!」
殿下が叫んだ。
「こんな茶番は終わりだ!」
成田さんは、顔を上げた。
「そうですね。確認事項は、だいたい終わりました」
「……何?」
「最後に、双方の意思を確認します」
成田さんは、私を見た。
「エリザベートさん。婚約の終了について、どうお考えですか?」
私は、少し考えた。
王太子妃になるために、十年以上努力してきた。
礼儀作法。政治。外交。財政。
すべて、殿下の隣に立つためだった。
でも。
今、目の前にいる殿下を見て。
私は、はっきりと理解した。
この方と結婚しても、私は幸せになれない。
「……婚約の終了に、同意いたします」
大広間が、ざわめいた。
殿下が目を見開いた。
「なっ……!」
「ただし、正式な解消については、両家および王家の承認を経て進めていただきます」
私は、まっすぐ殿下を見た。
「それまでの間、私への事実無根の非難はお控えくださいませ」
成田さんが、嬉しそうに頷いた。
「はい。では、そのように記録しますね」
さらさら。
……この方、本当に最後まで書類なのね。
国王陛下が立ち上がった。
「本日の確認は、ここまでとする。正式な調査は別途行う」
そして、殿下を見据えた。
「レオンハルト。お前には、あとで話がある」
「……父上」
「長い話になるぞ」
……。
私は、心の中で殿下に同情した。
ほんの少しだけ。
◇◆◇
その後のことは、驚くほど早かった。
王家の正式な調査で、セシリア嬢の証言には複数の虚偽が認められた。
階段から突き落とされたという話も、裏付けがなかった。
殿下が私の母の形見を無断でセシリア嬢に渡していたことも問題となった。
首飾りは、無事に返却された。
そして、王太子殿下は。
国王陛下から厳しい叱責を受け、公務を当面制限されることになったらしい。
セシリア嬢は社交界での信用を失い、男爵家に戻された。
私は、婚約解消の正式な手続きを終え、久しぶりに自由な時間を手に入れた。
……自由。
何だか、不思議な響きだった。
◇◆◇
数日後。
私は、王都の路地裏にある『縁結び相談所』を訪ねた。
「いらっしゃいませ。……あれ、エリザベートさん?」
成田さんが、驚いた顔をした。
「ご無沙汰しております」
「その後、いかがですか?」
「おかげさまで、無事に婚約を解消できました」
「それは、よかったです」
成田さんは、ほっとしたように笑った。
私は、鞄から一枚の書類を取り出した。
「本日は、お願いがございます」
「はい?」
机の上に、そっと紙を置く。
成田さんが、それを見た。
そして、目を丸くした。
「……新規入会申込書?」
「はい」
私は微笑んだ。
「今度は、自分で選んだ方と、幸せになりたいのです」
成田さんは、少しだけ考えた。
そして、穏やかに頷いた。
「もちろんです。一緒に考えましょう」
肩のスライムが、ぽよんと跳ねた。
『――おじさん、また書類!』
「……ミドリ。今日はちゃんと入会の書類だから」
私は、思わず笑ってしまった。
そして、成田さんに向かって言った。
「それでは、よろしくお願いいたします」
少しだけ、間を置いて。
「次は、手続きのいらないお相手でお願いします」
成田さんは、苦笑した。
「……いや、結婚するときも手続きは必要ですけどね」
……確かに。
私は、声を上げて笑った。
今度こそ。
誰かに決められた相手ではなく。
自分で選んだ人と、幸せになろう。
そう思いながら、私は新しい人生の最初の一枚に署名した。
――完――
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
今回は「異世界の婚約破棄に、婚活アドバイザーが居合わせたら?」というお話でした。
王太子の断罪劇も、成田さんにかかれば、まさかの事務手続きに。楽しんでいただけたら嬉しいです!
そして、嬉しいご報告です!
11月4日(水)の「小説家になろう」ランキングで、シリーズ作品が複数ランクインしました!
・姉視点の短編:日間5位
・妹視点の短編:日間7位
・ドワーフ夫婦の短編:日間45位
・スライムの短編:日間55位
・女騎士の短編:日間40位
※いずれも「異世界転生/転移〔ファンタジー〕」短編ランキングです。
さらに、連載本編も日間ランキングにランクインしました!
これも読んでくださる皆さまのおかげです。本当にありがとうございます!
シリーズ作品は以下のリンクよりご確認下さい。
https://ncode.syosetu.com/s9930k/
成田とミドリが活躍する連載本編『46歳、社畜のオタク婚活アドバイザーですが、異世界転生したらコミュ力だけで無双してしまいました』も、引き続き投稿中です。
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それでは、また次の相談でお会いしましょう!




