流行り病にかかった王子、恋愛無双する
ある朝、リーベンは洗面のたらいを運んできた侍女に、ベッドの上から突然告白した。
「君の優しさ、美しさに気づかなかったなんて僕は大馬鹿者だ、愛してる」
手を掴まれ、真摯な瞳で告げられた侍女は、顔を赤らめながらも高貴なる手を振り払い、入口へ走った。
「大変でございます。で、殿下がご乱心です!!」
「なんですか。騒々しい」
生まれた時から侍女長だったのではと言われているお堅い侍女長がやってきて、ギロリと侍女を睨みつけてきた。だけど人形王子と謳われる我が国の王太子殿下は、あのような浮ついた言動はしない。そんな思いを込めて侍女はふるふると首を振る。しかし眼差しで侍女長に訴えても伝わるはずもない。そこへリーベンがスタスタと歩いてきて、瞳を潤ませながら今度は侍女長の両手を握りしめた。
「ああ侍女長、あなたがいなければ今の私はなかった。あなたの気高さは誰にも汚されてはいけない。私が守る」
これはまずい、とフラリと逝きかけた侍女長は背筋を伸ばしてリーベンの手をそっと降ろさせた。
「ありがたきお言葉でございます、殿下。ところで少々熱があるように見受けられます。侍医を連れて参りますのでベッドへお戻りください」
「そうかい? 爽やかな目覚めだったけどなぁ」
これは外に出しては駄目な状態だとベッドに押し込み、慌てて宰相に事情を説明し、侍医を呼んでもらうことにした。
「昨晩の夜会でなにか怪しいものでも召し上がったのだろうか?」
「しかし聞いたことのない症状ですな。遅い感情の芽生えかもしれませんぞ、宰相殿?」
侍医はまだ何が起きているか分かっていなかったので、極めて楽観的な返事をしてリーベンの居室に向かった。
「殿下、お久しぶりですな。少々お加減が悪いとか?」
「大した事ないと思うのだが、私の大事な彼女たちが心配してね。すまないが見てくれるかい?」
「大事な……彼女たちですか?」
肩を抱かれた侍女は困ったように俯いた。二度肩を叩いて侍女から離れたリーベンは、胸元をはだけながら侍医に近づいて来て口を開く。
「もちろん、あなたも。私の身体を預けられるのはあなたしかいない。全て明らかにしてくれたまえ」
耳元で囁かれ、汗が噴き出した。これは駄目かもしれない。こんなにペラいことをペラペラ話すお方ではなかった。もっと理知的で、澄んだ瞳と動かない表情で淡々と、だけど真面目に公務を行う尊敬すべきお方で——。
「どうにも深刻な事態でございます。外的損傷もなく記憶障害もなく、言動だけが全く別物となっております。精霊の悪戯か、魔女の呪物かもしれません。宰相殿、昨晩の夜会は学園主催でごさいましたな?」
額の汗を拭きながら侍医は、王と宰相に状況の説明をした。美しき人形王子の突然の異変である。俄には信じがたい話であった。
「うむ。下級貴族が給仕、警護を担当し、上級貴族が社交の真似事をする恒例のものだ。何か問題が起きたという情報は入っていない。侍女の話でも、昨晩の殿下は変わり無かったと聞いている」
「見た目は健康で記憶も問題なし、か。しかしリーベンが誰彼構わず口説くとは想像できぬな。我もあとで様子を見にいこう。なんと言われるか楽しみだ」
王の言葉に少し前の楽観的な自分を思い出し、侍医は「お気をつけなさいまし」と小さく呟いた。
「陛下、とりあえず流行り病で面会謝絶でいかがでしょうか」
「そうだな。混乱は避けねばなるまい」
リーベンから代筆の手紙を受け取ったカロリーナは王宮に来ていた。心配いらないと書いてあったが、小さな頃から必ず手紙は自筆で送ってきてくれた婚約者である。ペンも握れないくらい重症なのだろうか。面会謝絶を押してでも会いたい。会えなくても状況だけでも聞きたい。顔には出さないがカロリーナの気持ちは急いていた。
「お待ちください。殿下はご病気で面会謝絶なのです。婚約者といえどもお通しできません」
当然ながら近衛兵に呼び止められた。
「そうは言いましても。お加減の様子だけでも伺いたいのです」
押し問答をしていると、リーベンの部屋からキャッキャと楽しそうな声が聞こえてきて、カロリーナが口を閉ざした。近衛兵が気まずそうな顔をして目を逸らす。
「誰かいらっしゃっていますね。……ご病気ではないのでは?」
「いえ! 流行り病でございます」
近衛兵だっておかしいとは思っているが、誰も通すなと命を受けている。カロリーナだってリーベンを信用しているが、女性の影がちらつくのを見過ごすことはできない。しばし睨み合っていると、廊下の物音に気がついた王子が周囲の制止を振り切って部屋から出てきた。
「私の愛しのカロリーナ! どうしたんだい? 憂い顔は君には似合わないよ。さぁ、いつものように大輪の薔薇のような笑顔を見せておくれ」
「——ご病気のようですわね」
夜会のダンスの時よりも距離の近いリーベンを軽く押しやって、耳を赤くしたカロリーナは一礼して足早にその場を後にしたのだった。
★
リーベンの口が軽くなってから2週間が経った。あの状態でいながら、書類仕事や学園の勉強は部屋で黙々とこれまで通り行なっている。落差が激しい。原因はわからず、治る見込みも不明だ。そこで王宮は面会謝絶を解いて学園に行かせることにした。実害はないし、もういいや、と。
長く欠席していたリーベンの登校に、学園は少しばかり浮ついた空気が漂っていた。いつも遠巻きに見ていた麗しき人形王子が、何かのきっかけでフレンドリーになったらしい。自分も王子とお話できるかもしれない、そんな期待をしている面々の前に、朗らかな笑みを浮かべたリーベンが、カロリーナの腰に手を回して共にやってきた。
「やぁ、ながらく留守にして済まないね。——おや、ラーメル侯爵令嬢。今日もキラキラと輝いているね。南洋の貝殻を手に入れたのかい? 趣味がいいね。今度、海を見ながら異国の話をしたいな」
胸元のペンダントに触れようとしたリーベンの指先を、隣にいたカロリーナがそっと押し戻す。
——ちょっとフレンドリーを超えた振る舞いだった。
声をかけられたラーメル侯爵令嬢も動揺したが、後日、本当に海を見ながらリーベンと異国の話をした彼女は、異国への憧れが高まり、卒業後は外交の仕事に就くことになる。
図書室では工学の論文を書いている貧乏伯爵子息を背後から覗き込み、そのままペンを握る手に自分の手を添えて告げたこともあった。
「君の優秀な頭脳は国の宝だ。さぁ今から僕と夜まで語り合おう。魅力的な人よ」
まさか自分がリーベンに口説かれるとは思っていなかった子息は心底動揺した。日の目を見ないと思っていた研究だった。その日、夜まで語り合った彼は、後ろ盾を手に入れた。
万事そのような調子である。
ある日、お菓子大好き令嬢とカフェに向かう途中、リーベンは婚約者のカロリーナと鉢合わせた。青褪めるお菓子令嬢。緊迫するギャラリー。
カロリーナは、いつものことね、と一礼して通り過ぎようとした。しかしリーベンは顔を改めて、手首を掴んで呼び止めた。
「カロリーナ、前から言おうと思っていた。あなたをリーナという愛称で呼んで良いだろうか。そうするとリーベン&リーナでまるで最初から一つの存在であったような完成された形となるのだ」
「……どうぞ、好きに呼んでくださいませ」
★
頭の痛い思いで家に帰ったカロリーナは父の書斎をノックした。
「お父様。学園は大変なことになっておりますわよ」
「殿下はご病気なのだ。辛抱せよ」
「そうは言いましても…‥。国はどのようにお考えですの?」
「うむ。いまは殿下のハーレムについて検討しておる。実現したら200年振りだとか。皆張り切っておるぞ」
張り切るって……。カロリーナはこめかみに手を当てて頭を振る。
「お父様。娘の結婚相手なのですけれど? 反対なさったりしませんの?」
「政略結婚だ。ハーレムがあっても王妃の座は揺らがぬ。……お前は恋愛的な意味で殿下を慕っていたのか? そうは見えなかったが」
意外そうな顔をしてカロリーナを見てくる。何やら政治的な思惑がありそうな雰囲気に、カロリーナは眉をひそめた。
「人形殿下と呼ばれる殿下と長くお付き合いしていますから、私の感情も平坦になってきておりますの。お慕いはしておりますわ。——それよりも。ハーレムの話の前に原因を調査したりしないのでしょうか」
「それはそれでやっておる」
もちろん王宮ではちゃんと調査をしていた。一番怪しいのは、やはり王子の言動が変わった前日の夜会である。学園で給仕に関わった学生を順に調べていると、何やら女性の喚き声が中庭の片隅から聞こえてきた。
「な、ん、で、みんなに声かけまくってるのよ! 私が気に入られるはずだったのに!」
明らかに犯人である。衛兵たちは即座に自滅令嬢を確保した。
男爵令嬢になって間もないナターシャには、淡々とした王子と婚約者は冷え切った仲に見えていた。だから物語のように男爵令嬢となった自分に王子が恋をしないかと、怪しい占い師に相談をしたのだ。特別な隠蔽魔法で王子に近づいて、飲み物に一滴の惚れ薬を入れた。ナターシャは成功したはずだった。けれど占い師は彼女の味方ではなかったのだろう。思ったような結果にはならなかった。
衛兵が尋問をしても、ナターシャはことの重大さにも気づかず、治し方も知らず、喚くばかりだ。
「そんなに長く効く薬なわけないじゃない。王子様の本性が暴かれただけじゃないんですかぁ? 私は知りませんー!」
衛兵がその占い師の店に行った時には既に引き払われたあとだった。ナターシャは貴族籍を剥奪され、重罪として処理されたのであった。
その話を聞いたカロリーナは考え込んだ。惚れ薬にしてはリーベンの様子はおかしいのだ。誰彼かまわず声をかけているし、むしろ惚れさせて人心掌握している。本当に惚れ薬だったのだろうか。もう一度ちゃんと確認したい。そう思ったカロリーナは王子付きの影を半ば脅すようにして、王子が甘い言葉を囁く現場に同行した。
「変ですね。いつもの接触がありませんわ」
そう呟くとカロリーナはリーベンの様子をよくよく観察する。口は滑らかに動いているが一定の距離を保っている。表情にもこれまでの壊れたような陽気さは伺えなかった。むしろ以前のリーベンのような真摯な瞳……。
「リーベン様!」
思わず飛び出してきたカロリーナにリーベンは目を泳がせた。やっぱり、おかしい。いや、おかしくなくなっている。カロリーナがリーベンを問い詰めると観念したように白状された。薬が切れても色々やらかした記憶が残っていた。恥ずかしすぎて元に戻ったとは言えず、そのまま続けていた、と。
「そのまま続けるほうが恥ずかしいと思いますが……、もしかして、先日お腹が痛いと言って早退した舞踏会の時ですか? 青い顔してましたものね」
神妙にうなずいたリーベンは語り出した。
「だけど、薬が効いている間とても開放感があったんだ。皆と深く話せたのも楽しかったし、積極的な僕もちょっとやりすぎだけどいいなと思った。もちろん、リーナが一番なのは本当だよ。信じてほしい」
滑らかな口はもうリーベンのものらしい。「これからどうしよう」と眉を下げる様子にカロリーナはいたずら心が湧き出した。
「大臣たちは殿下のハーレムを作る会議をしてますよ? 良かったですわね?」
「本当にどうしよう?」
頭を抱える王子を見てくすくすと笑う。
「まぁ、事故ですからね。一緒に話に行きましょうか。——私は今の王子も好きですよ?」
そっと手のひらで頬を触れると、顔を上げたリーベンが照れくさそうに笑った。
「殿下! こちらにいらっしゃいましたか! 私もハーレムに入れていただけるのでしょうか!?」
「私、外交一筋の予定でしたのよ。ハーレムに入ってもお仕事させていただけるのかしら?」
「あの、私はカフェが出せれば十分ですし、ハーレムはその……、でも、望まれるのでしたなら……」
リーベンが声をかけた貧乏伯爵子息、ラーメル侯爵令嬢、お菓子令嬢の面々が揃ってやってきた。大臣のハーレム構想が漏れたのだろう。
「いや! ハーレムはないよ! ちょっと待って」
慌てるリーベンにカロリーナはころころと声を出して笑う。
「頑張って逃げてくださいませ」
(完)




