第15話 因縁との決別
「……よく頑張ったわね」
「……ありがとうございます」
夫人が去った後、私はラナーシャに賞賛の言葉をかけた。
彼女は、先程までの勢いを失い、力なくソファに腰掛けている。それだけ、ドルピード伯爵夫人との対決は苦しいものだったのだろう。
「本当に立派になったな? 驚いたぞ、お前が母上に啖呵を切るなんてな」
そんな彼女に対して、ハワード様は嬉しそうに笑っていた。
確かに、少し前の彼女ならそれは考えられなかったことだ。私にさえ怯えていたのに、その怯えの原因に堂々と立ち向かった彼女の勇気は、本当に素晴らしいものである。
「……これも、アラティアやランパーのおかげだな?」
「え?」
そこでマグナスは、私とランパーに目を向けてきた。
その視線に少し驚き、私達は顔を見合わせる。まさかここで、矛先を向けられるなんて、二人とも思っていなかったことである。
「……マグナス、それは一体どういうことだ?」
「兄上、アラティア嬢に出会ったことによって、ラナーシャは変わりました。そしてそんなラナーシャがさらに強くなれたのは、ランパーの存在が大きいでしょう。彼はラナーシャに寄り添ってくれたのです」
「ほう……」
マグナスの言葉を受けて、ハワード様はゆっくりと彼を見つめた。
その吟味するような目に、ランパーは決して怯まない。堂々と背筋を伸ばして、彼はそれを受け入れている。
それが覚悟の表れだということは、私にもよくわかった。薄々と気付いていたことではあるが、やはりそういうことなのだろう。
「ラナーシャよ、お前が成長できたのは、本当にこの男子の存在が大きいのか?」
「……はい。ランパーさんは、ずっと私のことを支えてくださいました」
「なるほど、それではランパーよ。お前に問う。お前は、このラナーシャのことが大切か?」
「ええ、大切です。彼女のことを、守りたいとそう思っています」
ランパーからの返答に、ハワード様は口の端を歪めた。
それはまるで、悪人のような笑みである。なんというか、これから彼が言うことはあまりいいことではないのかもしれない。
「このドルピード伯爵の令嬢を、お前は欲しいと思っているのか?」
「それは……」
「お前は平民だったな? 身分が違う訳だが、その点はどう思う」
「……俺にとって、そんなことは重要なことではありません」
ハワード様に対して、ランパーははっきりとそう言い切った。
それはある種の宣戦布告のような気がする。彼は、伯爵家の次期当主に啖呵を切ったのだ。
それに対して、ハワード様は笑っていた。今度は先程までとは違い、からっとした笑みだ。
やはり、彼は意地が悪い。こんな方法でランパーを試すなんて、ひどいと思ってしまう。
しかしランパーは、彼の眼鏡に叶ったのだ。それは実に、喜ばしいことである。
「よろしい。では、ランパーよ。お前に伝えておくべきことがある」
「……なんでしょうか?」
「ラナーシャは、このドルピード伯爵家の一員として公的に認められている訳ではない。そこにいるのは、ただのメイドの娘ということだ」
ハワード様は、わざとらしく身振り手振りを交えて話していた。
それがどういう意味かはわかっている。恐らく、マグナスもそうだろう。
ただ当事者の二人は、よくわかっていないという顔をしている。やはり、実際にその問題に直面している二人は、冷静に考えることができていないのだろう。
「つまり、例えばお前がラナーシャと結婚したとしても、それは職場で出会った執事とメイドが結婚したに過ぎないということだ」
「……え?」
「使用人の結婚は、主人にとっても当然祝うべき事柄である。マグナス、お前はどうする?」
「もちろん、祝言をあげましょう。何なら、結婚式を取り仕切ってもいい」
「だそうだ」
ハワード様は、とても楽しそうにしていた。恐らく、これが元来の彼なのだろう。
そんな彼に対して、ランパーとラナーシャは固まっている。まだ状況が、飲み込めていないということだろうか。
「……ハワード様」
「む? ラナーシャ、どうかしたのか?」
「……どうして、そんな風に勝手に話を進めるのですか?」
「え?」
先に口を開いたのは、ラナーシャの方だった。
彼女は、少し震えながら言葉を発した。その語気は、先程までドルピード伯爵夫人と話していた時と勝るとも劣らない。
つまり彼女は、怒っているのだ。その事実に、私とマグナスは顔を見合わせる。
「何? ラナーシャ、お前はこの男子と結婚したくないのか?」
「そういうことではありません! 順序があると言っているのです!」
「順序?」
「私もランパーさんも、まだ何の関係もできていません。それなのに……それなのにどうして、その先まで行ってしまうのですか!」
「なんと……」
怒るラナーシャに対して、ハワード様はゆっくりとこちらに目を向けてきた。
私もマグナスも、気まずかったので目をそらす。するとハワード様は、絶望的な表情を浮かべていた。
「何もないのか?」
「ええ、まだ何もありませんでした」
「……すまなかった」
「もう……」
ハワード様は、謝罪の言葉をゆっくりと呟いた。
その光景は、なんというかとてもいたたまれない。穴があったら、入りたいといった感じだ。
しかしながら、二人がまだ付き合ってもいないということは驚きである。
てっきりもうそういう関係なのかと思ったが、そうではなかったようだ。
これは、私達も危なかったかもしれない。そう思いながら、私はマグナスと苦笑いを浮かべるのだった。
「あの、ランパーさん、色々と兄が申し訳ありませんでした」
「ああいや、俺は別に問題ありません。全然大丈夫です」
そこでラナーシャは、ランパーに謝罪した。
彼女は、恥ずかしそうにしている。先程のやり取りを、見ていたからだろう。
それに対して、ランパーは首を横に振る。彼の気持ちは、既に固まっているらしい。
「ラナーシャさん……いいやラナーシャ、その、俺の気持ちはもう固まっている。俺は、君のことが好きなんだよ」
「ランパーさん……」
ランパーは、ラナーシャに対する気持ちをはっきりと口にした。
やはり彼らは、相思相愛なのだろう。ラナーシャの嬉しそうな顔から、そのことが伝わってくる。
「私もです。ランパーさん、あなたさえよろしかったら、私をお嫁さんにしてください」
「ああ、もちろんだとも……」
ランパーは、ラナーシャの手をそっと取った。
それを見た私とマグナス様は、顔を見合わせて笑い合う。
私も彼も、この結末を望んでいた。それが見られて、とても満足である。
「ランパーさん……」
「ラナーシャ……」
「ふむ……まあ、とりあえず丸く収まって何よりだ」
「あっ……」
「うっ……」
ハワード様は、ゆっくりと拍手をしていた。
それによって、二人はこちらを向いた。どうやら、二人の世界から帰って来てくれたらしい。
流石にここで口づけなどは、まずいと思ったのだろう。二人は姿勢を正してこちらを見てくる。
「お兄様方……それにお義姉様、本当に色々とありがとうございました。お陰様で、私はこうして愛する人の隣にいられます」
「……気にする必要はない。こちらも色々と余計なことをしてしまったようだしな」
「ああ、妹を守る。俺達は兄として当たり前のことをしたまでだ」
「私も、あなたの姉のつもりだからマグナス達と気持ちは同じよ。あなたが平穏な生活を手に入れられて、本当によかったと思うわ」
私達は、ラナーシャに口々に自分の思いを告げた。
彼女が平穏な生活を手に入れられて、本当に良かったと思う。これで彼女も、やっと前に進むことができるのだ。
「ランパー、あなたはラナーシャのことをしっかりと守るのよ?」
「も、もちろんです」
「妹のことを、どうかよろしく頼む」
「ランパー、君のことはよく知っている。故に、心配はしていない。君ならラナーシャを幸せにすることができる」
「ええ、もちろんです。必ず、ラナーシャを幸せにします」
私達の言葉に、ランパーはしっかりと頷いた。
彼もきっと大丈夫だ。これから、ラナーシャとともに未来に進んでいけるだろう。
こうして私達は、ドルピード伯爵家との因縁にも決着をつけることができたのだった。




