第13話 最期の一時
「ア、アラティア。お前、何をっ……」
「お父様、今私は心から安心しています。あなたが私に対して、娘としての情を持っていなくて本当によかったとそう思っているんです」
「なっ……何?」
「もしもあなたが、ほんの少しでも情を持っていたら、私は復讐に対して罪悪感を覚えていたかもしれません。でも、今はとても晴れやかな気分です。娘を手にかけることも厭わない非道なるお父様、やはりあなたがお母様を殺したのですね?」
苦しそうに蠢いているお父様の顔を、私は眺めていた。
間接的に人を殺したことになる訳だが、罪悪感はちっとも湧いてこない。それはもしかしたら、目の前にいるこの男の血が流れている何よりの証拠なのかもしれない。
そんなことを思いながら、私は考えていた。この最期の瞬間に、私が彼にかけるべき言葉は一体なんなのかということを。
「透明な毒は、検出することが不可能であるそうです。つまり、あなたの死因も心臓麻痺だとかその辺りになるでしょう。残念ながら、私が捕まることはない。まあそもそも、毒を用意したのはあなたですし、どの道私が捕まるなんてことはないでしょうが」
「あ、嫌だ……し、死にたくない」
「苦しいですか? でも、あなたは恵まれている方ですよ。私のお母様が受けた苦しみは、そんなものではないですからね」
お父様は、私のお母様を苦しめてきた。
そんな痛々しい様子をずっと見ていた私は、この男にはいつか報いを受けさせなければならないと思っていた。
あまつさえお母様を手にかけた彼に、私は罰を与える。最後の最後まで、この男に希望は与えてやらない。
「た、助けてくれ……」
「無理ですよ。もう助かりません。透明な毒は、一度体内に入ったらもう助からないんです。それはお父様も、知っているでしょう?」
「ま、まだ私にはやるべきことがあるのだ……この家はどうなる? イピリナやイレーヌは……うぐっ」
「伯爵家なら私の夫が継ぎますからご安心ください」
「……な、何を言っている?」
お父様は、残される妻や娘、そしてカルロム伯爵家のことを気にしていた。一応、当主としての自覚はそれなりにあったようである。
しかしながら、何の因果か私はそんな彼を絶望させる情報を得ていた。これはつい最近わかったことである。
「イレーヌは、あなたの子供ではありません。お義母様、つまりイピリナ様は他の男性とも関係を持っていたそうですよ」
「ば、馬鹿な……」
「イレーヌは、その方との間にできた子供であるそうです。故にこの伯爵家の血は流れていません。血を継いでいるのは私だけです」
「う、嘘だ……そんな、はずはないっ――嘘だああああああああっ! あっ……」
最後に絶望的な顔をしながら、お父様は事を切れていった。
動かなくなった彼を見ても、特に感情が揺れることはない。自分がこれ程まで冷たい人間になれることに、驚いているくらいだ。
そんなことを考えながら、私はふと人の気配がすることに気付いた。後ろを向くと、そこには私の義妹がいる。
「イレーヌ、来ていたのね……」
「……」
今までほとんど話したことがなかった義妹は、苦しそうな顔でお父様のことを見ていた。
そんな彼女を見て初めて私は、少しだけ罪悪感を覚えるのだった。
「……終わったんですか?」
お父様の死を振り払うように、イレーヌはゆっくりと口を開いた。
そこで私は、頭を切り替える。罪悪感を覚えている場合ではない。私には、まだやるべきことがあるのだ。
「終わっていないわ。まだ重要なものを見つけ出していない」
私はお父様の亡骸を探る。そこに目的のものがあるかもしれないからだ。
すると、彼の服の内側のポケットから一つの小瓶を発見した。その小瓶の中には、透明な液体が入っている。
「特徴は一致しているわね。恐らく、これが透明な毒……」
「まだ、かなり残っていますね……」
「ええ、ほんの一滴で効果は出るみたいだから」
私は、窓を開け放って周囲を見渡す。周りには誰もいない。これなら、恐らくは大丈夫だろう。
念のため用意していた手袋をつけてから、私は瓶の蓋を開ける。そして私は、その小瓶にめいっぱい太陽の光を浴びせる。
「瓶の中身が……これは?」
「透明な毒は、光――特に太陽の光によって消滅する。どうやら、あの店主が言っていたことは本当のようだわ」
「蒸発しているようにも見えますが、大丈夫なんですか?」
「問題ないと聞いているわ。店主が嘘をついていたとも思えないし、これで大丈夫……」
透明な毒と呼ばれているものの性質は、地下の薬屋から聞いている。
恐らく彼女は、嘘はついていないはずだ。それが嘘だった場合、彼女の要求は叶えられないことになる。そんなリスクは、わざわざおかさないだろう。
そう考えながら、私は紅茶も太陽の元に晒す。こちらに入っている毒も、消滅させなければならないと思ったからだ。
「それにしても、驚いたわ。まさか、あなたが私に協力してくれるなんてね……」
「……お姉様から見れば、そう思われますよね。私はずっと、あなたとは敵対していましたから」
「でも、あなたなりに色々と理由があったのでしょう? まあそもそもあなたは私と話さなかったというだけで、危害は加えていないしね」
「いえ、それでも私はお母様やお父様に従っていました。本当に、申し訳ありませんでした」
毒の浄化が終わってから、イレーヌは私に頭を下げてきた。
彼女の協力は、私やマグナスにとっては予想外のものだった。お父様からの手紙とともに送られてきた手紙に、私もひどく驚いたものだ。
「昔から本当の父親が誰であるかは知っていました。でもお父様のお姉様に対する扱いを見ていると、言い出すことができなかったのです。私も、そういう扱いを……いいえ、もしかしたらもっとひどいことをされるかもしれないと」
「……」
「でもあの闇市に連れて行かれて、もう本当についていけないと思ったのです。お父様は悪魔です。自分の欲望のためなら、実の娘でも手をかけることは厭わない怪物です」
イレーヌは、震えながら私にそう伝えてきた。
彼女は恐怖している。それだけ、あの現実とは思えない闇市に恐怖を抱いているということなのだろう。
その気持ちはよくわかる。あそに行って何も思わないなんて、まともな感性ではないだろう。
「お母様がどうするかはわかりませんが、私は修道女になろうと思っています。幸いにも、とある神父が私を受け入れてくれましたから」
「あなたがそれでいいのならいいけれど……」
「いいと思っています。もしもお姉様さえ良ければ、いつかお訪ねください」
「……ええ」
イレーヌは再度、私に頭を下げた。
結果的にではあるが、彼女と義母をカルロム伯爵家から追い出すことになった。義母に関してはともかくとして、彼女に対しては少し申し訳ない気分である。
とはいえ、私にも長年の軋轢がない訳ではない。故に、いつか心の整理がついた時にイレーヌの元を訪ねることにしよう。血は繋がっていないが、それでもきっと姉として。




