第7話「死神、光の道を守る」
朝八時。アラームが震える前に、目が覚めた。
カーテン越しの光が、まだ白く硬い。
昨夜のDMが脳裏に浮かぶ。——“明日、光の道は止まる”。
「悠斗」
ベッドの端で正座していたクレハが、灰色の瞳でこちらを見ていた。
「寿命帳を確認しました。あなたの数字は——変動していません。ただし、ページに“余白”が増えています」
「余白?」
「本来、寿命帳に余白はありません。書き込まれた順番で埋まっていく。——誰かが“介入する余地”を空けたということです」
煤だ。間違いなく。
俺は深く息を吐き、机に並べた道具をリュックに詰めた。
養生テープ、結束バンド、モバイルバッテリー、救急箱。
そして、リズムのメモ。
——タン、タン、タンタン。
学園祭当日。
人波は前夜の比ではなかった。
正門から屋台へ、屋台からステージへ、そしてキャンドル回廊へ。
白いランタンの列は、昨日より長く、濃く、そして危うく見えた。
「視聴者、八千人から開始です」
クレハがスマホを掲げ、赤い点を点灯させる。
コメント欄はすぐに満ちた。
《おはよう死神》《現地きた!》《今日も安全チェック》《煤出るか?》《守れ光の道》
数字は膨れ上がる。
二万、三万。
——目が増える。順番を戻す力も、増える。
昼前、最初の“揺らぎ”が来た。
ステージでマイクがハウリングし、観客が一斉に耳を押さえる。
同時に、足元で小さな転倒が連鎖する。
俺は駆け寄り、子どもを抱き起こす。
クレハはマイクのない声で、カメラに向かって言った。
「いま、両足を広げて。リズムは、タン、タン、タンタン」
コメント欄に、無数のリズム文字が並ぶ。
《タン、タン、タンタン》《タン、タン、タンタン》
観客の手拍子が自然に広がり、群衆の流れが揃う。
揺らぎは、薄まった。
午後。
屋台通りで、ガスボンベのチェーンが外れていた。
係員が慌てて駆け寄るより早く、コメント欄が先に気づいた。
《ボンベ浮いてない?》《風下だぞ》《砂袋置け》
俺とクレハは走り、コメントを声に変え、スタッフに伝える。
結束バンドと砂袋で固定。
“順番”は、また直った。
「悠斗」
クレハが小さく呟く。「今日は、わたしより観客のほうが“見えて”います」
「それでいい。群れに預けるんだ」
日が暮れる。
光の道が点灯する。
白いランタンが、キャンパスの闇に等間隔で並ぶ。
誰もがカメラを構え、誰もが歩幅を整える。
だが、そこに——
《止まるものは、止まる》
《光は消える》
黒い文字が混じった。
《MORT_EXACTOR》。
煤だ。
次の瞬間、風が強く吹き抜ける。
ランタンが、列ごと傾ぐ。
子どもたちの悲鳴。
係員の叫び。
「悠斗!」
クレハが駆ける。俺も走る。
ランタンの列が倒れる寸前、俺たちは手を差し入れ、支柱を抱えた。
だが、風はまだ強い。
全部は、支えられない。
「コメントで呼んで!」
俺は声を張った。
「#順番を戻す で、今いる場所と状況を! 倒れそうなランタンを“見て”!」
数秒後。
画面が写真で埋まった。
「ここが緩い」「ここ風強い」「ここ暗い」。
遠隔の人たちが即座にアドバイスを返す。
「砂袋置け」「テープ二重」「灯を間引け」。
現地の視聴者が動く。
ランタンを拾い、テープを貼り、間隔を調整する。
光の道は、揺れながらも——止まらなかった。
煤のコメントが、最後にひとつ。
《群れに預けた光は、脆い》
クレハは、カメラの前で微笑んだ。
息のない声で、けれど温度のある言葉で。
「脆くても、預けます。——それが、人間の強さだから」
コメント欄が、光で満ちた。
《尊い》《泣いた》《今日もありがとう》《死神推せる》《順番を直す力、俺たちも持ってる》
夜。
キャンドル回廊を歩きながら、俺はクレハに言った。
「今日、事故は——一つも起きなかったな」
「はい。寿命帳も、乱れていません」
彼女は寿命帳を閉じ、胸に抱えた。
「煤は、きっとまだ諦めません」
「だろうな。でも——」
俺は光の道を振り返る。
揺れるランタンの列は、夜風に耐えて、まだ続いていた。
「預けた順番は、もう簡単には崩れない」
クレハが、小さく頷いた。
その頷きは、リズムの最後の一拍みたいに、確かな手応えを持っていた。




