第17話「死神、余白のない明日へ」
寿命帳のページが静かに閉じたとき、世界を覆っていた白い光は霧のように溶け、ただの夜の暗さに戻った。
風は冷たく、街の灯りは相変わらず瞬いている。
だが、確かに何かが変わっていた。
ページに残る余白が、一枚もなくなっていた。
翌朝。
目覚ましが鳴り、俺はいつも通り布団を蹴飛ばして目を覚ました。
カーテンを開けると、光が差し込む。
机の上には閉じられた寿命帳。
昨日まで暴れ狂っていた余白は消え、ただ淡々とした数字だけが記されている。
「……本当に終わったんだな」
思わず呟く。
「はい」
後ろから声がした。
振り向くと、クレハが正座してこちらを見ていた。
灰色の瞳は静かに揺れていたが、そこには確かに生きている者の温度があった。
「わたしの寿命は、五年。弟は三年。短いけれど、ゼロではない。……群れが、残してくれた数字です」
配信を始める。
タイトルはこう書いた。
【ありがとう】死神と群れが歩く“余白のない明日”
赤い点が灯り、視聴者は十万を超えた。
コメント欄は祝福で埋め尽くされる。
《おめでとう》《生き延びた!》《世界を救った死神》《#余白ゼロ 最高の結末》《推し続けます》
俺は笑い、カメラの前で深く頭を下げた。
「みんな、ありがとう。群れが声を残してくれたから、俺もクレハも、そして弟も生きてる。
余白はもうない。でも、その代わりに——ありがとうの行が刻まれた」
寿命帳を開くと、最後のページに小さな文字が並んでいた。
誰が書いたのか分からない、無数の筆跡。
「ありがとう」
「ありがとう」
「ありがとう」
それが余白を埋める最後の言葉だった。
配信を切ったあと、クレハは窓際に座り、遠くを見つめていた。
「悠斗。わたし、やっと分かりました。
死神としての職務じゃなく、群れと共に“生きる”ことが答えだったんですね」
俺は笑って頷いた。
「そうだよ。誤差だらけのまま生きて、誰かに“ありがとう”をもらう。それで十分だ」
クレハの灰色の瞳が、ほんの少しだけ柔らかく笑んだ。
それは“落第”でも“残骸”でもない。
群れに預けられたひとりの生き物の笑顔だった。
夜。
窓の外で街灯が揺れていた。
弟のページには確かに三年と刻まれている。
それが短いか長いかは分からない。
でも、ゼロではない。
彼もまた群れに支えられて、生きていくのだろう。
寿命帳を閉じ、机の上に置く。
そこにはもう、余白は一行もない。
ただ、無数の「ありがとう」が刻まれた最終ページだけが残っていた。
俺は深く息を吸い、隣のクレハに声をかけた。
「さて、次の配信はどうする?」
彼女は少しだけ考えてから、灰色の瞳を細めた。
「……炊飯器との再戦、ですかね」
思わず吹き出した。
「結局そこかよ!」
二人の笑い声が夜に溶けていく。
その響きは、群れに預けられた誤差の音だった。
<了>