第一章「無表情の天才、宇宙士官学校に現る
西暦2341年、人類は複数の星系に進出し、銀河規模のネットワーク社会「セラフ連盟」が確立された未来。AIと人間の関係が微妙なバランスで保たれる中、「才能主義」が社会の根幹となっている。凡人は底辺、天才は英雄、という世界。
宇宙士官学校の入学式は、例年と変わらず厳粛な空気に包まれていた。
正面ステージには、星章の輝く巨大ホログラムと、銀白の礼装を纏った教官たち。そして、座席には銀河中から集まった若きエリート候補たちが整然と並ぶ。その誰もが、IQ180以上の遺伝子選別をくぐり抜け、人格形成AIで育てられ、国家から選ばれた“未来の英雄”だった。
だが、その中に一人だけ――完全に異質な存在がいた。
彼の名は創世。
無表情。感情が読めない。妙に姿勢が良い。そして、常に少しだけ首を傾げている。
制服の着方は正しいのに、なぜか“違和感”を醸し出していた。
「……あいつ、誰だ?」
「推薦枠?でも、名前リストにないぞ……」
新入生たちの間に、ざわつきが広がる。
そんな空気を知ってか知らずか、創世はぽつりと小さく呟いた。
「この制服、ちょっとチクチクするなあ」
それだけだった。
ただの感想。それも誰に言うでもなく、独り言。
だが、それを隣で聞いていた学生が青ざめた。
「――まさか、繊維組成で何かを……?」
彼の名はケイ・アルザック。地球連邦科学省長官の息子にして、脳拡張インプラントの権威。彼の脳は0.2秒で思考を展開し、0.5秒で恐怖に至った。
「この男、素材分析から出身国家の技術レベルを予測している……? いや、これは暗号か?士官学校の初日から情報戦を……?」
違う。ただのチクチクだった。
だが、ケイの脳内ではその発言が高速展開され、複雑な戦略図となって浮かび上がっていた。
「……やばい、本物の“策士”だ。間違いない。俺らは、試されている……!」
創世はそんなこととは露知らず、静かに座っていた。彼の心は今、完全に別の場所にあった。
(朝の歌、歌い忘れたな……喉がムズムズする)
***
入学式後の歓迎オリエンテーションで、それは起こった。
全学生の前で、一人ずつ自己紹介を行う恒例行事。名前と出身地、志望動機を述べるだけの簡単なものだった。
順番が創世に回ると、彼は壇上に上がった。
無表情のまま、ゆっくりと口を開く。
「……創世です。好きな食べ物は、ぶどう。」
沈黙。
会場全体が、一瞬凍りついた。
だがすぐに、後方の学生が小さく呟いた。
「ぶどう……グレープ……“G.R.A.P.E作戦”か……?」
それは10年前、機密解除された銀河統合作戦の略称であり、“非戦闘状態における兵站転用による戦意低下作戦”のことだった。
(まさか……入学早々に過去の作戦を引き合いに出すとは……)
その場にいた学生たちは皆、顔を見合わせて理解した。
――こいつ、只者じゃない。
創世は、それ以上何も言わずに壇上から降りた。
再び座席に戻ると、近くの女子学生がそっと声をかけた。
「……ねえ、創世くん。あなた、どこまで見えてるの?」
創世はしばらく考えた。
(何が?)
だが表情には出さない。
そして、口を開いた。
「だいたい……8メートルくらい?」
女子学生は息をのんだ。
――視覚情報の話ではない。“未来の視野”という意味で言ったのに……まさか、あえて曖昧な返答で探りを入れてきた……?
「……ふふ、やっぱり面白い人ね。名前、覚えとく」
そう言って彼女は微笑みながら去っていった。
創世は心の中で首をかしげた。
(今の、なんか褒められた?)
***
その夜、全学生のデータをまとめたAI報告書が教官たちに提出された。
《注目生徒リスト:001 創世》
《評価:潜在IQ不明。発言・行動に明確な意図が読めず、未知の戦略性を持つ可能性あり》
《要観察》
教官の一人が、レポートを見てつぶやく。
「“創世”……皮肉な名前だな。すべての始まり、という意味か」
隣の上級教官が、くく、と笑った。
「ならば見届けよう。愚か者か、策士か……銀河が判断するさ」
こうして、“創世伝説”の第一歩が、何の意図もなく踏み出された。
――彼の無表情の裏に、壮大な計画など一切ないことを、誰も知らないまま。