↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
49/397

49: 面影

 暗闇の中で遠のいていく喧騒に、カノンはじわじわと不安を覚えた。

 最後に見たのは、血相を変えて近づいてくるあの二人組のうちの一人の顔――。

 シクレの話では、彼らは父の“S・E・C”を狙っているらしい。

 

 このまま奪われるわけにはいかない。

 指先に布の感触を確かめる。

 爪を立てれば、破れる――!

 カノンは指先に力を込め、一気に振り下ろそうとした、その瞬間――。

 

 突然、袋の口が開き、眩い光が視界を覆った。

 カノンは無意識に、“S・E・C”を握る手にぎゅっと力をこめる。

 急な出来事に心臓が跳ね上がったが、目が慣れてくると、そこに立っていたのは――先ほどすれ違った、シクレの知り合いだった。

 安堵と混乱がないまぜになった。

 彼は視線を合わせるように、申し訳なさそうに微かに身をかがめる。

 

「ごめんな、ちょっと手荒だったかも。でも……狙われてるようだったからさ」

 

 カノンは一瞬戸惑いながらも、見覚えのある顔に思わず声を上げた。

 

「あなたは……さっきの……!」

 

「俺は、ジュライド。ジュラって呼んで。シクレと一緒にいたよな? ……シクレは?」

 

「それが……群衆に飲まれて、逸れてしまって……」

 

「そっか……っ」

 ジュライドの表情が曇る。だがすぐに顔を上げ、穏やかな声で続けた。

 

「じゃあ、一緒に探そう。……まずは、君の名前を教えてくれる?」

 

「あ、カノン、カノンです!」

 

 一瞬間を置いて、カノンは問い返す。

 

「ジュライドさんは……シクレとはどういう関係なんですか?」

 

「だからジュラでいいって!」

 

 ジュライドは苦笑し、どこか懐かしそうに目を細める。

 

「シクレはね……俺にとっては、弟みたいなやつさ。ま、あいつはそんなふうに思ってないと思うけど」

 

 カノンは、その言葉に温かさを感じた。

 シクレは、何を考えているのかわかりにくい。

 だけど、決して無愛想ではなく、どちらかと言うと誰に対してもフレンドリーだ。

 なのになぜこの人にあんなにも冷たかったのか、カノンの心に新たな疑問が芽生える。

 

「カノンちゃんは、シクレとはどういう関係?」

 

 ジュライドにそう問われ、カノンは言葉に詰まった。

 友達? いや、そこまで親しいわけでもない。

 かといって、ただの知り合いというのも、何か違う気がした。

 最初は、わかりにくくて疑ったこともあった。

 でも今は……別に嫌いではない。むしろ気づけば、いつも気を張らずにいられる。

 何なんだろう、私にとってシクレって……。

 

「正直、今はまだよくわかりません。けど、彼の事を知っていけたらいいなとは思います」

 

 ジュライドは嬉しそうに微笑み、優しく頷いた。

 

「ありがとう。あいつは、ちょっとわかりにくいところあるけど……いいやつなんだ。どうか、仲良くしてやって」

 

 そう言った後、ジュライドはふと視線を落とし、少し遠くを見るような目をした。

 

「……あいつと初めて会ったのは、俺がアカデミーに入った時だった」

 

 カノンが眉をひそめる。「アカデミー?」

 

「ああ……帝都フォージアにあるね」

 ジュライドは口元に笑みを浮かべたまま続ける。

 

「最初はただの優秀すぎる後継者って印象だった。誰にでも分け隔てなく話すけど、決して誰にも心を許さないって感じでさ。不思議だったよ。人懐っこいのに、どこか遠くにいるみたいで……」

 

「後継者って……何の?」カノンが問いかける。

 

 ジュライドは、ふっと笑ったが、そのまま視線を落とす。

「シクレから聞いてないの……? ごめん、なら詳しいことは本人に聞いてみて」

 

 それ以上、このことについては話してくれそうにないジュライドに、カノンは黙って頷く。

 彼の顔色を窺うように一瞬迷った後、別の話題を振る。

 

「それで……シクレとは、どうやって仲良くなったんですか?」

 

「ああ……そうだな」

 

 ジュライドの声が、ほんの少し懐かしさを滲ませた。

 

「何度か雑談を交わすうちに気づいたんだ。……あいつ、外の話を聞くの、すっごく楽しそうにするんだよな。自分では行かないくせに、すごくくわしく質問してくる。……気づいたら、こっちから話しかけるようになってた」

 

 言葉を探すように、一瞬沈黙が落ちる。

 

「……それを見ていて、ふと過去を思い出したんだ」

 

 カノンは僅かに身を乗り出す。

「過去?」

 

 ジュライドは短く息を吸い、迷うように視線を揺らす。

 しかし、次の言葉を発した時、その声は微かに切なげだった。

 

「……実は俺には、弟がいたんだ――」

 ジュライドは、微かに息を詰める。

 

――――――――

 

 ――そう、あれは夏休みだった。

 母からのグループメッセージが届く。

「仕事終わったら買い物して帰るけど、何か食べたいものある?」

 俺と弟はしばらく考え、「ハンバーグ!」と返信した。

 すぐに母からOKのスタンプが送られてくる。

 

 一足遅れて、父からのメッセージも返ってくる。

「ハンバーグか……急いで帰らないとな。母さんの作るハンバーグは絶品だからな」

 父の言葉に、俺たちは顔を見合わせて笑う。

 

 俺たちは並んでゲームをしながら、夕飯を楽しみに待つ。 弟の膝の上では、飼い猫のレオンが丸くなって眠っていた。時折、弟の指がコントローラーから離れて、レオンの耳をくすぐる。レオンは気持ちよさそうに目を細めるだけで、動こうとしない。

 それが――地震が来る直前までの、最後の穏やかな時間だった。

 

 突然、地鳴りのような轟音が響き、部屋が激しく揺れる。レオンが驚いて飛び起き、部屋の隅へ走っていく。俺たちは反射的に机の下へ潜り込んだ。

 

「何だこれ……!?」

 弟が息を呑んだのが聞こえた。


 本棚が倒れ、部屋の電気が一瞬消え、またつく。

 カーテンレールが壁から外れて落ち、ガラスの置物が床に散らばる。

 

 俺はポケットに入れていた携帯を掴んだが、画面は真っ黒のまま。何度押しても電源が入らない。

 

「兄貴!」

 

 弟の声に顔を上げると、すでに立ち上がっていた。

 弟は、迷いなくテキパキと行動しながら、俺にも指示を飛ばす。なんでこいつはこんな時まで冷静なんだ? 一体どこでそんな知識を……と混乱する俺に、弟は当然のように言う。


「こういう時は……揺れが収まってから、安全確認。そのあと、安全な場所に向かうんだよ。学校で習ったでしょ?」

 

 俺は混乱した頭のまま、弟の言葉を聞く。

 弟は窓の方を見て、少し考えるように息を吐く。

 

「まずは、避難経路の確保! でも、窓の周りにはガラス片が散らばってるかもしれないから、先に靴履いたほうがいいよ」

 

 俺は玄関へ向かい、弟と並んで靴を履く。

 玄関のドアを開ける。

 床に散らばるガラス片を踏まないように慎重に歩く。


 弟はソファの下に隠れていたレオンを見つけると、そっと抱き上げて俺に渡す。

「兄貴、レオンお願い。俺、非常品取ってくる。母さんがリビングのクローゼットに入れてあったはずだから」

 レオンは俺の腕の中で小さく震えていた。

 

 弟はすぐに、リビングから非常品の入ったリュックを持って戻ってくる。

 

「避難所、俺たちの小学校って先生が言ってた! そこ目指そう!」

 

 俺はようやく動き出し、弟の後を追う。

 

「こっちだよ、急ごう!」

 

 弟は扉を開けると、躊躇なく外へ踏み出す。

 俺は言われるがまま、弟の背中を追いかけて走り出していた――。

 

 小学校に向かう途中、地面が揺れた瞬間、異様な感触が足元を襲う。

 ぬかるんだ地面が波打つように動いて――弟の足元が突然沈む。

 

「凛生(りお)!!」

 

 レオンを抱えたまま、俺は弟に手を伸ばすが、足場を奪われた弟は膝まで地面に飲まれている。

 理解しきれない驚きと恐怖の色が、その顔に滲んでいた。

 

「動くな、今引っ張る――」

 

 動揺する俺を見て、弟はわずかに目を見開き――すぐに、ふっと笑った。

 それは、まるで俺を安心させようとするかのようで、胸が締め付けられる。


「兄貴のその顔見てたら、逆に落ち着いてきたよ。……この状況じゃ、どうにもならないしさ。兄貴だけでも、生きてよ」

 

 そう言って俺に微笑みかける。

 なぜそんな顔をするんだよ? この状況で、そんなふうに笑うなよ……。言いようのない恐怖が襲う。

 

 次の瞬間、沈んでいく地盤とともに、周囲の瓦礫が崩れる。

 鉄柱が倒れ、コンクリートの壁が滑り落ち――

「あ゙あ゙あ゙――――」声にならない声で俺は叫ぶ。


 弟の姿が、瓦礫とぬかるみに埋もれていくのが見えた。 

 伸ばした手は、何も掴めなかった。

 

 あの震災は、首都直下型地震と呼ばれ、多くの命を奪った。凛生も、その犠牲者の一人だった。

 

――――――――

 

「弟は、凛生は、震災で……液状化した地面に、飲み込まれて死んだんだ」

 

 ジュライドの視線が僅かに揺れる。

 

「シクレと話してるうちに……気づけば、あいつと凛生が重なって見えたんだ。幼いのに、どこか達観してるだろ? 物事を冷静に見極めるところとか、自分の想いを押し込めて、知らないうちに――背負いきれないほどのものを抱え込んでいる感じがさ。他人とは思えなくて……放っておけなかったんだ」

 

「だから、何度も言ったよ。『旅に出ろ』って。けど、あいつ、笑ってはぐらかすんだ。『俺はここで、旅人たちの話を聞ければ充分』ってさ」

 

 ジュライドはそこで、少し言葉を切る。

 

「……でも、ルオフさんが……。あの時のあいつの顔。今でも、忘れられない」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。