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3: 平穏の終焉

 オレンジ色の炎の塊が、狙いを定めたように飛んでくる。

 

(まずい!)

 

 きなこは父から教わった体術を思い出し、素早く身を翻して弟を抱き寄せた。

 

「くろみつ、僕の後ろに!」


 そのまま迫りくる火炎弾を紙一重でかわし、地面に滑り込むように体勢を整えた。

 

 だが、火炎弾が瓦礫に直撃し、轟音と共に、衝撃波が広がった。

 その勢いで瓦礫が舞い上がり、きなことくろみつは容赦なく吹き飛ばされる。

 きなこは脇に抱えたノートを必死に庇った。

 しかし、熱風と衝撃波に抗えず、手から離れていった。 


(父さんの……父さんの文字が……)


 炎は歓喜するように揺れ、大切な思い出を貪り尽くす。

 喉が締め付けられ、声にならない悲鳴をあげた。

 心の奥で、父の声が消えていく。

 思い出は炎に呑まれ、響くはずの言葉はただ灰となる。

 

 舞い上がる瓦礫の破片が肌を切り裂き、熱風が肺を焼く。

 くろみつを庇うように抱きしめたまま、二人は地面に叩きつけられた。

 全身を鈍い痛みが駆け巡り、視界がぼやける。

 それでも、きなこは意識を繋ぎ止めた。


 母さんに会いたい。

 くろみつと、もう一度家族で星を見たい。

 その希望だけが、燃え盛る炎の中で彼を支えていた。

 きなこはくろみつの手をしっかりと握り、瓦礫の陰へと身を寄せた。

 燃え盛る炎の向こうに、まだ母がいると信じて——。

 喉には鉄錆のような味が広がっていた。

 

「達成状況:70/80!」

 

 プレイヤーの一人が笑いながら叫ぶ。

 彼の顔には達成感が溢れ、仲間たちとハイタッチを交わしている。

 

「最終段階。効率は悪かったが、完了は可能」

 

 彼らの声は明るく、まるで休日のレジャーを楽しむかのようだった。

 

「【ポーション使用:HP回復】」

 

 プレイヤーが呟き、傷を癒していく。

 

(こいつら、一体何なんだよ……?)

 

 逃げなければ。そう思うのに、足はもう動かない。


 

【達成状況:74/80】

【残り時間:08分08秒】


 少女は父親の体にすがりついて泣いていた。

 

「パパ……起きて……! いやだよ……」


 震える手で何度も彼の体を揺さぶるが、その声はもう届かない。

 彼は少女を庇い、プレイヤーの攻撃を受けて倒れていた。

 彼の体は地面に横たわり、動くことはなかった。

 少女の震える声が、炎の音にかき消される。


「あれ、こいつ、ちっちゃくない……?」

 

 プレイヤーの一人が足を止め、軽く首を傾げる。

 

「なんか、子供っぽくないー?」

 

 彼の言葉に、近くの仲間が肩をすくめる。

 

「え、ちょ、マジ泣き!? ウケるんだけど! ってか、役者魂すげぇ! 表情筋どうなってんの!? 最新技術、マジぱねぇ!」

 

「このNPC、動きがリアルすぎる! 開発費、絶対ヤバい! 運営、ガチ勢すぎる!」

 

 彼らの明るい笑い声が村の焼け跡に響く。


【達成状況:74/80】

【残り時間:5分05秒】


「え、5分05秒? これってSOSじゃん! この子が出してるみたい! 笑えるんだけどー!」


「ハハ! それな! SOSとか、悲劇のヒロイン気取りかよ! 誰も助けに来ないから! さあ、冒険の始まりだー!」


 彼らの笑い声はどこまでも軽い。

 

 声にならない嗚咽を漏らしつつ、温もりが消えていく父親の体にしがみつく少女。

 そんな中、あるプレイヤーがふと呟く。

 

「ねぇ、なんか変じゃない?」

 

 その声に仲間が振り返る。

 

「あの……、こいつら、ただ反撃するか、逃げるだけで襲ってこないよね……。これ、本当にモンスター狩りなのかなあ……?」

 

 疑問を投げかける彼を、仲間たちは軽く笑い飛ばした。


【達成状況:75/80】

【残り時間:4分27秒】


「細かいことは気にすんなって! ゲームなんだから楽しんだもん勝ちだろ!」

 

「効率を優先し、この行動を実行する」

 

 と言い放つ仲間たちと対照的に、無理に笑顔を作る彼の顔には、一瞬だけ曇りが見えた。


「くそっ、どこにいるんだよ、マジで。出現パターン徹底的に解析してんのに……!」


「ハハハ! もう村ごとバーベキューにしちゃえばよくね!? そしたら、一気にクリアじゃん!」

 

「急げ。ミッション失敗は効率を著しく低下させる。現状の時間消費は許容範囲外。速やかに目標を達成する」

 

 プレイヤーたちは、焦燥と苛立ちを露わにしながら、村を駆けずり回る。

 

 すぐそこで、村人たちの悲鳴が途絶えた。

 その頭上には冷酷なまでに無感情なウィンドウが浮かび上がっていた。

 

【ミッション:メロウレスト村殲滅】

【目標:グルミー族全滅】

【達成状況:78/80】

【残り時間:01分08秒】


 きなこは震える手で双子の弟、くろみつを強く抱きしめた。

 

(うう……もう、おしまいだ……)

 

 炎の熱さが肌を刺し、煙が肺を焼く。

 

 その時――

 プレイヤーたちの頭上のウィンドウが赤く点滅した。

 

【ミッション:メロウレスト村殲滅】失敗

【目標:グルミー族全滅】

【達成状況:78/80】

【残り時間:00分00秒】


「は? 何それ? マジでありえないんだけど! 意味わかんないし、マジで萎えるわー」

 

「効率悪すぎ……時間切れは計画外。時間効率を考慮すれば、この状況は許容できない」

 

 プレイヤーたちは光に包まれ、次の瞬間には姿を消していた。

 その静寂の中、きなこの視界の隅で何かが赤く点滅していた。

 残像なのか、意味を持つものなのか、それを考える余裕すら奪われていた。

 ただ、震える手で弟を抱きしめ続けることしかできなかった。


――――――

 現在――

 煙が立ち込める中、きなこの震えがようやく収まり始める。

 弟の無事を確認し、ようやく周りを気にする余裕が生まれた。

 瓦礫の山と化した村を、痛む足を引き摺りながら、恐る恐る歩き出した。 

 胸の奥で、微かな希望が消えそうになりながらも、どうしても足を止めることができなかった。

 

「母さん……?」

 

 名を呼ぶ声が震え、喉の奥が締め付けられるように痛む。

 くろみつはきなこの後ろを歩き、いつもは元気な彼も今は一言も発さなかった。

 そして、焼け焦げた瓦礫の陰で、見覚えのある姿を見つけた。

 

「母さん!」

 

 きなこは駆け寄り、その顔を覗き込む。

 しかし、返ってくる声はなく、冷たく動かない体がそこに横たわっていた。

 周囲には、まだ燻ぶる瓦礫から立ち上る煙が漂い、空気には焦げた臭いが充満していた。


「……なんで……なんでこんなことに!」

 

 涙が止まらない。

 悲しみのあまり、思考停止したきなこの視界の隅で、彼の感情とは裏腹に、また異質な光が機械的に点滅し始める。

 くろみつが震えながらきなこの側に寄り添った。

 

 きなこの脳裏には、家族との楽しい思い出が走馬灯のように駆け巡る。

 温かい食卓、優しい笑顔、そして、星空の下で語り合った夢。

 なぜ、こんなことに……?

 心は、悲しみと怒りで押しつぶされそうだった。


「兄ちゃん……」

 

 くろみつは震える手で母の遺品であるペンダントを拾い上げた。

 熱を帯び、黒ずんだペンダントは、それでもなお、きらりと輝きを放っていた。

 彼はそれをきなこの手にそっと握らせた。

 

「兄ちゃん……」

 

 涙を堪えながら、きなこの背中をそっと押した。


 ぽつりと冷たい雫が頬を伝った。

 見上げると、黒い雲が空を覆い始め、大粒の雨が降り始めた。

 雨は、涙と混ざり合い、焼け跡の煙を静かに打ち消し、炎を鎮めていく。

 まるで、彼らの悲しみが天に届き、涙となったかのようだった。


 涙が枯れるほど泣いた後、きなこは、雨に濡れた地面に手をつき、ゆっくりと体を起こす。

 足元は不安定で、踏ん張るたびに焼けた破片がずるりと滑る。

 膝が震え、視界の端でちらつく赤い残光がぼやけた。

 炎の勢いは弱まり、瓦礫の隙間から立ち上る煙が夜空に吸い込まれていく。


「……あいつらのせいで……母さんも、村も……全部、奪われた……!」


 降り続く雨音は、星の見えない夜をさらに深く沈ませる。

 それは、かつて家族で星を見るはずだった、雨の夜を思い出させた。

 少しふてくされていたきなこに、母は優しく言ったのだ。


『きなこ、そんなに拗ねてばかりいないの。確かに、星が見られないのは残念だけど、何もかもなくなったわけじゃないでしょう? こうして家族みんなで一緒にいられる時間は、当たり前じゃないんだから。星の観察はまた行けるわ。今は、みんなで楽しく過ごすことを考えましょう? 気持ち次第で、どんな時間だって宝物になるんだから』


 今夜の雨は、空の星だけでなく、きなこの心の奥にあった小さな希望まで隠してしまうようだった。


(そうだ……母さんの言う通りだ……)


 きなこは、ゆっくりと顔を上げた。

 額の傷から流れた血が雨に混じり、冷たく頬を濡らす。

 辺りはまだ暗く、雨は降り続いている。

 失ったものはあまりにも大きい。

 

 それでも――。

 隣には、震えながらも自分の手を握り返してくれる、大切な弟のくろみつがいる。

 母の形見のペンダントを握りしめる手に力を込めた。

 

(母さんの想いが、まだここに残っているんだ)


 怒りや憎しみだけではない、奥底から湧き上がる、確かな決意。

 

「くろみつ、行こう」

 

 声はまだ少し震えていたが、その瞳には、先ほどまでの絶望の色はなかった。

 

「怖いけど、ここにいたら、危ない……今あるものを失わないために、僕は前を向く」


 きなこは、弟の手をしっかりと握った。

 その手は小さく、震えていた。

 それでも、きなこの指をしっかりと握り返す。

 その温かさが、彼に再び立ち上がる力を与えてくれるようだった。

 

 雨はまだ降り続いている。

 その音は、まるで彼らを励ますように聞こえた。

 

 深く息を吸い込むと、肺の奥がまだヒリヒリと痛む。

 足を前に出そうとするたび、膝や足首に鈍い痛みが走る。

 足を引きずり進む。

 それでも――止まっている暇はない。

 村を出る前にやらなければならないことがある。


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