第二話「憑代の使命」
少年は悔しげに顔を歪め、生首の後頭部を蹴り上げる。
火のついた枯れ草のようにゴロゴロと畑道を転がる生首は、すぐさま起き上がって浮遊すると、再び頬いっぱいに空気を吸い込んで炎を吐き出した。
少年は街灯を軸がわりにそれを避け、手を離した勢いで生首の頬をまた蹴った。
生首は怒ったように顔を真っ赤にし、金切り声をあげてもう一度火を吹くが、少年はそれを軽々と避けながら距離を詰め、生首の顔面に拳を叩き込む。
だが、待ってましたと言わんばかりに燃え盛る白髪が巻きつき、少年の右腕は封じられてしまった。
身を引こうと腕を引っ張るが、幾重にも重なってうねり絡みつく髪の毛は、引きちぎろうとどれだけ力を入れてもビクともしない。
少年がもがくその間にも、生首は頬に空気を充填して火炎放射の用意を着々と進める。
しかし、吸い切った空気を着火し吐き出そうとしたその時、少年が左足を思い切り振り上げると、生首の顔面に突然四本の亀裂が入った。
「ギャアアアアッ」
縦に真っ二つになった唇から血を噴き出し、土の上をのたうち回る生首が割れた瞼を開いて見ると、さっきまで何もなかった少年の足袋に半透明な金色の鋭い爪が生えていた。
足だけではない、両手の指先にも生えている。
前触れもない出来事に、生首は狼狽えた。
「もう炎は吹けないな」
少年は切れて力の抜けた白髪を右腕から外し、構えをとる。
拳をぎゅっと握り締め、険しい表情で見据える少年の体からは、光り輝く金色のオーラがゆらゆらと湧き出ている。
そんな少年を生首は睨みつけ、4つに割れてしまった唇をめいっぱい開いて鋭利な牙を剥くと、真正面から突っこんだ。
少年が右腕を振り上げた瞬間、前方の空気が歪み、透明な爪が生首を縦に切り裂く。
3つに裂かれた切断面がずるりとずれてボトボトと地面に落ちると、さっきまで活き活きと浮遊していたのが嘘のように一瞬で灰の山になってしまった。
「実に呆気の無い」
灰の山が風に吹かれて散ると、そこから這い出てきたのは淡く光る白い炎のような物体。
逃げようとする白い物体を、少年は足速に捕まえると、懐から取り出した木札に力いっぱい押し付けた。
すると物体はみるみるうちに札へ吸い込まれ、最後には跡形もなく消えてしまった。
少年は川沿いに忍待山の山道を登っていた。
そこはつい3日前に竜介が溺れた川。
しばらく歩くと、中腹あたりで巨大な滝にさしかかった。
少年が川に入り一直線に歩いていくと、不思議なことに、滝の水がまるで何かに遮られるようにトンネル状に割れ、奥の洞窟へと続く道を露わにした。
滝の裏の洞窟はカラリと暑い外とは打って変わって、じめじめひんやりとしていて、真夏の避暑地に適した環境だ。
岩から染み出した水が壁や天井に生える苔を伝って、ピチャリピチャリと軽快な音を立てて床に吸い込まれてゆく。
洞窟の奥では淡い緑色の光が最奥の祠を照らして、そばに鎮座する二つの石台の片方には、竜介がもたれかかるように蹲って小さく震えていた。
少年は竜介の近くに跪いて、優しい声色で安心させるように語りかける。
「大丈夫だ、あの化け物は俺が倒した。だからもう心配は要らない。暗くなるとあんなのが大勢出てくる、だから夜には無闇に出歩いちゃいけないんだ。わかったな」
けれど、竜介はそれに応えることなく青ざめた顔で目を見開き、消え入りそうな音で必死に呼吸しながら肩を震わせていた。
少年は気の毒に思ったのか、哀れみと悔しさの滲む目で竜介を見つめて、肩に手をかけようとしたその時。
「"タツノコ"って、なに……? 」
震える唇で竜介がつぶやいた。
「……だれかが頭の中でずっと、めざめろって……おれのこと、"タツノコ"って言ってて……お兄さん、きっと知ってるんだろ……」
5年生に上がったばっかりの竜介にとって、この世界はわかることよりもわからないことの方が遥かに多い。
けれど自分の身にどんなことが起こったのか、全く予想ができないほどの子供じゃない。
あの時背中から伝わった灼熱は、一瞬のうちに全身を包み込んで目の前を真っ赤に染め上げた。
すごく熱かった。
手足が思うように動かなくなって、瞼がぴっちり目玉に張り付いて、尋常じゃなく喉が渇いて……それで、気がついたら暗闇の中にいた。
どうにかしようと手足をばたつかせたけれど、次第に周りに何もないことを悟ってからは気味が悪くなって、どこかもわからない真っ暗な中で小さく蹲っていた。
そしたら不意に、どこからともなく声が聞こえてきたんだ。
男の人っぽいけど、低いとも高いとも言えない声。
何もないところから突然聞こえたから初めは怖かったけれど、よく耳をすませば、すごく柔らかい響きがして、まるで赤ん坊をあやすときのような、温かくて心の底から安心する声だった。
その声はずっと同じ言葉を同じ声色で繰り返していた。
『龍の子よ、我が眷族の器よ、早くお目覚めなさい』
徐々に覚醒していった意識のなかで瞼を開けると、竜介は冷たい石台の上に寝転がっていた。
生首の化け物におそわれたこと、そいつに焼かれて気付いたら別の場所にいたこと、そして不意に聞こえた謎の声に、竜介は混乱し恐怖していた。
だから少年に問うた。
謎の声が言ったタツノコとは何なのか。
一体自分の身に何が起こってしまったのか。
少年は無言で俯く。
また難しい顔、そんな少年の様子に竜介はさらに気になって、もう一回問い詰めた。
すると少年は観念したように白いため息を吐くと、竜介の両肩に手をやり、相変わらずの険しい表情と低い声で言った。
「これから話すことは事実だ。だが、無理に受け入れる必要はないし、お前がその責を負う必要もない」
少年は躊躇うように一瞬下を向き、そしてまた竜介の瞳を見る。
「お前は3日前、川で溺れて死んだ」
知っている言葉のはずなのに、しばらく理解が出来なかった。
当たり前だ、自分が「死んだ」なんて、そんな大それたこと他人に言われてすぐに信じられる人間なんていない。
「おれが……死んだ……? 」
竜介は一時停止ボタンを押されたように固まって、数秒の間隔の後、引き攣った声でそう言って自分の手を見た。
指も手のひらも透けていない。
足は? お腹は? 顔は?
「そんな……だって、そんなの……ウソだ……そんなこと……」
どこを見ても触ってもいつもと変わらない。
「死んだって……そんなの」
「ただ死んだわけじゃない。忍待山の水で死んだことで、おまえは銀龍・磐若迅の憑代に選ばれたんだ」
耳馴染みのない言葉に、竜介は眉を顰める。
「バンジャ……なに? ヨリシロ……って、なにそれ……」
「憑代とは神や妖怪がこの世へ顕現する際に乗り移るもの、つまりは魂や妖力の入れ物だ。そして同時にある使命も負った」
「シメイ……? 」
理解が追いつかず不安の混じった無垢な表情で首を傾げる竜介だが、少年も同時に心臓を絞めつけられるような思いだった。
(こんな年端もいかない小さな子供に、こんなにも残酷なことを伝える必要はあるのか。否、物の怪に遭遇し、彼の方の声を聞いてしまった以上、もう他人事では済まされないのだろう)
少年は傷だらけの拳をぎゅっと握り締めた。
「かつてこの地を八百万の物の怪から守り抜き、儚く散っていった龍と虎。その妖力と術を体内に宿し、地獄から復活した奴らを再び封印する。それが、俺たちの背負った使命だ」
「な、なに……ゲームのはなし? 」
「げーむ……は知らないが、少なくともホラや揶揄っているわけではない。これは事実だ」
竜介はまた混乱した。
わからないことを理解しようと話を聞いてみたら、また新しいわからないことが出てきた。
「理解できないか。だがそれでいい。お前のような子供が命を賭して戦う必要などない」
ようやく震えの治まった竜介を慰めるように、柔らかい口調でそう話す。
そして少年が立ちあがろうとすると、遅れた着物の裾を、竜介が血の気の引いた手でぎゅっと掴んだ。
「お兄さんは、戦うの……? あの、怖いのと……まだ、たくさんいるんでしょ? 」
体の震えは治っても、その声にはまだ恐怖の色が染み付いていた。
そんな竜介に少年は気の毒そうな眼差しを向けつつ、またそばにしゃがみ込んで慰めるように、また優しく語りかける。
「俺はもう3度戦っている。そしてうち2度はほとんど一人だった。だから心配は要らない、物の怪の封印が終わるまで、お前は静かに暮らしていればいいんだ。憑代は狙われるが、俺がいる限り問題はない。それに、あと2回までは今回のように蘇ることができる」
竜介は理解が追いつかず頭を抱えるが、少年はそれでも話を続けた。
難しい言葉を使って、早口で、まるで話の内容を理解させようという意思の、よく見えない話し方だった。
「だが安心しろ、終われば全て元通りだ。奴らも襲ってこないし、お前は生命を取り戻して、またいつも通りの生活を送れるようになる」
力強い言葉だった。
肩を抱かれ、まっすぐな視線を向けられながらそう言われると、滝の圧に押し込まれる冷たい空気も、少しだけあったかく感じられる。
竜介は心の底から安心できたし、少年もそれを狙っていた。
天井から滴る水が、生首に焼かれた右肩に落ちる。
さっきまで火傷を負ってヒリヒリ真っ赤に腫れていたのに、石台で目を覚ましてからはいつの間にかなくなっていた。
「さあ、帰ろう。今度は家まで送ってやる」
そう言って差し出された少年の手を、竜介は掴んで起き上がる。
もうすっかり暗くなって、星や月が遥か上から見下ろす山の道を、少年に手を引かれながら家に帰った。
周りに生い茂る木々の隙間から誰かに見られている気がして、なかな落ち着けない。
けれど、祭りに行く以外は夜に山を歩くことなんて滅多にないから、ちょっとだけワクワクした。
それに、何があっても今は守ってくれる人が竜介の手を強く握ってくれているのだから。
「竜介!! 」
玄関の前で不安そうに立ち尽くしていた母親は、その姿を見つけるなり名前を呼んで駆け、竜介の両肩を強く掴んだ。
「またアンタは心配かけて! こんなに遅くまで出歩く子は晩ご飯抜きにするわよ!! 」
「ご、ごめんなさい……でも、その、色々あって……」
「言い訳しない!! 」
いつもとは比べものにならない怒声に、竜介は目を瞑って身構える。
けれど次の瞬間、こわばった体が暖かい2本の腕に包まれた。
母親が竜介をギュッと抱きしめたのだ。
「無事でよかった……」 と小さくつぶやく母親の声はどこか涙ぐんでいて、締め付ける腕があんまり優しいせいで、竜介もちょっとだけ泣きそうになってしまた。
「君が送ってくれたのね、ありがとう。はじめまして……かしら、どこのお家の子? お礼にお野菜持ってかなくちゃ」
「ありがとうございます。せっかくですが、ご遠慮します」
「何言ってるの、子供が遠慮なんてしちゃいけませんよ。それにしても随分古風な服ね……あ! もしかして灯くんちの子かしら? 」
「あの、本当にいいですから。その……今は、家に両親がいないので」
「まあっ」
予想以上にグイグイくる竜介の母親に、少年は思わず切り札を使ってしまった。
だがしかし。
「それならそうと早く言ってくれればよかったのに、丁度よかったわ。須藤さんがにんじんを沢山くれたものだから、勢い余ってカレー作りすぎちゃったのよ。さあ、どうぞ上がって」
「えっ、あ、いやだから……」
母親は少年の言葉が終わる前に、ルンルン鼻歌を歌いながら戸を開けて家の奥に行ってしまった。
予想外の事態に焦る少年は竜介を見たけれど、竜介もまた乗り気でニヤニヤとほくそ笑むと、少年の背中を押して無理やり家に入れ戸を閉めた。
「ふざけるな、俺は食事を世話になるつもりなど……」
「いーじゃんいーじゃん! うちのカレーはスパイスから作るからさ、ドクトクだけどすっごくおいしいんだよ。お兄さんもきっと気に入るって! 」
「あーそうそう」
玄関で二人が押し問答をしていると、母親が台所からひょっこりと顔を出して言った。
「お名前聞いてなかったわね。なんていうの? 」
少年は一瞬口を噤んだけれど、「気になる」とでも言いたげな龍介の表情に観念して、大きめのため息を吐いた。
「昼神……竹寅です」