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第十一話「廃寺の決戦」

 午後8時、忍待山南東の中腹あたり。

 木漏れの月明かりに照らされる一つの影が、寂れた廃寺を睨んでいる。


 長い年月で幾重にも積み重なった腐葉土をほつれかけた草履で踏み締め、巨木の落とす影の中に入り込んでいく。

 腐った縁側に足をかけると、不快な歪みを茅越しに感じた。


 崩れた障子を無理やりこじ開け、寂寥と埃の舞う畳の上に土足で入り込む。

 虫一匹の生気すら感じられない座敷には土草と錆びた金属の匂いが(ただよ)い、涼しい外とは正反対の蒸すような空気。


 竹寅は静かに黒洞洞を見つめる。

 と、その時。斜め後ろの死角から彼を指すように、鋭い刃が飛んできた。

 竹寅は一瞥(いちべつ)し瞬時に横へ飛ぶ。

 勢いのまま畳に突き刺さった刃を、着地と同時に見た。


 刃ではない、“舌”だ。

 見上げると、天井に張り付く(おぞ)ましい老婆の姿。

 瞬間、背中に叩きつけられた威圧感と殺気に、本能から前に出て振り返った。

 そこに現れたのは、横綱のような巨体であるのに肋が浮いて下っ腹だけが飛び出した、狭い廃寺にはに合わない巨躯の鬼。


「っ!!」


 その姿を目にした瞬間、竹寅は握る拳に力を入れる。

 すると指の先から半透明な金色の爪が飛び出し、竹寅の瞳が鋭くなった。


「マタ……来タ……ヤラレニ……」


 竹寅は振り上げられた巨大な拳を駆けて避け、鬼の首めがけ斬撃を放つ。

 けれど奴は大きな手で斬りかかる竹寅の腕を掴み、そのまま振り上げ地面に叩きつけた。

 竹寅は受け身を取り負傷は免れたが、衝撃ですぐには立ち上がれず、背後から飛んできた老婆の舌に足を取られてしまった。


 だがすぐさま右手の爪を振るって舌を斬り落とし抜け出すと、血を垂らしながら逃げ帰るそれを見送り、勢いのまま爪を構えて鬼に突進した。

 恰幅のいい腹に4本の縦線が刻まれると、鬼は凄まじい咆哮をあげて拳を振り下ろす。


 竹寅は地面を背で転げて避け、畳に爪を引っ掛けて方向を急転換すると、鬼目掛け壁を蹴って爪を突き出した。

 がしかし、突如横方向から飛んできた舌に腕を取られ、向きが変わってしまった。

 だが、その程度で動じるほど竹寅の体幹はか弱くはない。


 着地と同時に舌を握りしめると、思いっきり引っ張った。

 あまりの力と勢いに負けた老婆の体が、天井から剥がれ落下する。


「はあああ!!」


 老婆の背中がささくれた畳に叩きつけられる寸前、竹寅はもう一方の手で舌のさらに奥を掴み、腰に力を入れぐんと振って鬼の方に投げた。

 肉を被った骨同士のぶつかる鈍い音と共に、ずうんと重く倒れる鬼の巨躯。


 竹寅はすぐさま跳び上がると、指先を絞り鋭利に光る爪の(きっさき)を、重なり横たわる鬼と老婆めがけ突き立てた。

 がしかし、老婆の薄い腹に食い込む手前で、鬼が黄色い目を見開き竹寅の腕を掴んだ。


 すぐに抜け出そうと腕を引くも、顔よりも大きく太い鬼の手がそれを(かたく)なに(こば)む。

 まずいと思ったその時、鬼は巨体を起こし、竹寅の体を握ったまま拳を斜めに薙いだ。


 遠心力で足先に血が溜まり痺れる中、鬼が手を離なす。

 竹寅は好機とばかりに着地体勢を取るが、脳が揺れたせいで下から飛んできた鬼の拳に気が付けず、腹部ど真ん中へもろに食らった。

 

「がっ」

 

 突き破らんばかりに勢いで、胴が腐った天井に叩きつけられる。

 床へ落ちたと同時に降り注いだ瓦礫が、肺の空気を必死に取り戻す竹寅の背中と後頭部に直撃した。

 繋がりかけだった(あばら)が再び折れてしまい、息苦しさを感じて脂汗を流す。


 (もや)がかかったように視界が歪み、こちらを睨む鬼と老婆が二重に見える。


「ハァ……ハァ……ぐっ」


 じんわり濡れる感覚と焼け付く痛みに、思わず横腹を抑えた。

 手のひらを離し見てみれば、赤黒い鮮血がべっとりと付着している。

 先程の衝撃で傷が開いたようだ。


「無謀……同ジ……昨日ト同ジ……勝テハシナイ……」

「ハァ……このっ」


 竹寅は痛みに歯を食いしばり、立ち上がって拳を握りしめる。

 力の差は寸分。

 だがその寸分を埋め合わせることができなければ、例え知能で勝とうとも、多勢に無勢を巻き返すことはできない。


 どうすべきか。

 魂を取り戻すためのタイムリミットはあと1時間ほど。

 こと2日、夜の帳が下りるその度に化け物どもに挑んできた。

 だがしかし、どれほど作戦を練り奮闘をしようとも善戦の光は見えない。

 過去3度の開門の度に打ち倒してきた相手であるにも関わらず、どう足掻いても勝てない。


 これがどんなに屈辱的なことか。

 心から信じた者に裏切られ、冷たい穴の中に埋められた時以来だ。

 竹寅は足を一歩引き、拳を構える。

 4つの黄色い目玉を睨みつけ、跳びかかろうとしたその時


「タケトラーーー!!」


 聞き覚えのある声で名前を叫ぶ何かが、背後から元気な足音を立てて駆けて来か。

 嫌な予感がして振り返ってみれば、案の定。

 そこにいたのは、手を振りこちらへ走って来る竜介の姿であった。


「!?お前……!!」


 竹寅の顔が青ざめる。

 竜介は廃寺の階段を右足で踏んだ瞬間、視界が180度回転した。

 驚きの声を上げながら顔を上げて見てみれば、廃寺の屋根に引っ付いた老婆の舌が長く伸び、竜介の右足に巻きつき宙吊りにしていた。


「この馬鹿!!今ーー」

「だいじょうぶ!!」


 駆け寄ろうとした竹寅を竜介の声が遮る。

 老婆の舌はぬめぬめしているのにザラザラで、少しかするだけで皮が剥ぎ取られてしまう。

 一昨日はそれで手のひらと喉を大怪我した。

 けれど、今日は長い靴下を履いてきたから大丈夫。


 竜介は振り子のように体を前後に振って勢いをつけると、腹筋に力を入れて思いっきり起き上がり、足に巻きつく舌を左手で掴んだ。

 ぬるぬるしているけれど、軍手をはめているから怪我はしないし絶対に離すこともない。

 残る右手はグッと握り締め、気持ち悪くうねる舌に渾身の拳を叩き込む。


「うおりゃーー!!」


 それは粘膜にぶつかると同時に強い衝撃波を放ち、ピンク色の舌は見事に弾け飛んだ。

 地面に落下した竜介は後頭部を土に打って悶絶する。

 竹寅は目を点にして口を開けたまま固まっていた。

 首を振って正気に戻ると、急いで竜介の元に駆け寄る。


「あ!タケト……わっ」


 竹寅は竜介の腕掴むと、ぐいっと引き上げて月明かりに晒した。

 小麦色の腕に嵌められた、白い光にキラキラと反射する銀色の籠手。


「お前……!何故これを!」

「あ、アルジさんがくれたんだ!おれが戦えるってこと見せれば、タケトラが認めてくれるって!」

(あるじ)……?まさかまた山に入ったのか!!お前は何度言えば!!」

「わかった!わかったから!いたいよ!はなして!」


 竜介の叫びに竹寅はハッとして手を離す。

 けれど、眉間に深く刻まれた皺は消えていない。


「見たでしょ?おれ、戦えるようになったんだよ!一緒にあいつらやっつけようよ!」

「ならんと言ったのを覚えていないのか。さっさと帰れ」


 竹寅は竜介の言葉をバッサリ切り捨て、踵を返しまた廃寺に向かおうとした。

 またも突っぱねられた竜介はむっとほっぺを膨らませながら駆け、竹寅の前に両手を広げて出た。


「なんでそんなにカタクナなんだよ!おれは友達の!カネトのタマシイを取り戻すんだ!!」

(やかま)しいッッッ!!!」


 竹寅の剣幕と怒号に、竜介は顔を引き攣らせる。


「お前はな――!?」


 突如竜介の顔を覆った影。

 振り返ると、月明かりを遮るように鬼の迫る拳があった。

 咄嗟に竜介を抱えて地面を蹴ったその瞬間、地響きのような轟音と共に拳が地面を割り、湿った木の葉が舞う。


 着地し構えようとすると、今度は長い舌が敵を突き刺す矛のような勢いで飛んできた。

 竹寅はそれも素早い動きでかわし、廃寺から離れた場所に竜介を下ろす。


「帰れと言ったら帰れ。お前にできることは何も無い」

 

 そういう竹寅は敵に体をまっすぐ睨んだまま、竜介の顔を見ようともしなかった。

 直後、鬼の雄叫びと共に竹寅は走り出す。

 串刺そうと幾度となく降りかかる舌をかわしながら腐葉土を蹴り跳び上がると、指に半透明の爪を生やし鬼に斬りかかった。


 鬼は左肩にできた四連の斬り傷に叫び声と青筋を立て、怒りのまま拳を握りめちゃくちゃに振る。

 竹寅は素早い動きでそれらを避けると、再び斬撃をお見舞いしようと腰を落とし、構えた。


 けれど


「ぐっ」


 脇腹の痛みに一瞬腹の筋肉が引き攣り、跳び上がりでバランスを崩した。

 すかさず叩き込まれる拳を両の腕を十字にして防ぐが、体勢の悪さがために威力を分散できず、竹寅の体は吹き飛ばされた。


 地面を激しく転がりながらもなんとか立ち上がると、脇腹の痛みを顔を顰めて堪え、雄叫びをあげて再び地面を蹴る。

 竜介は目の前に光景に、ただ固まっていた。 


 天秤の傾き明らかな戦況。

 何度も起き上がり無謀に立ち向かう竹寅の姿。


(このままじゃタケトラまでタマシイを食べられちゃう)


 竜介は軍手を外し、拳をギュッと握る。


「おれだって、戦士なんだ!」


 巨躯から襲いくる拳を流し、竹寅の斬撃が鬼の顔面に降りかかる。

 しかし風の刃が届く寸前にやつは間に手を入れ防ぎ、そればかりか勢いのまま反撃の打を繰り出した。

 竹寅は身を交わそうとするも後方から巻き付いてきた舌に足を取られ、巨大な拳が左頬を潰す。


 だが竹寅の体は老婆にしかと捕えられ、その威力に吹き飛ぶことすら許されず、そのまま持ち上げられて逆さまの宙吊りになった。

 もがいて抜け出そうにも、元々ぐらついた頭に更に血が上ったせいで四肢に命令が行き届かない。


 そんな最中にも、鬼は拳を振りかぶる。

 実に400と28年ぶりの死。

 それを覚悟しても尚、竹寅の瞳は最後まで(かたき)(おも)を睨みつけていた。


 硬い拳が竹寅を打ち抜く、その寸前。

 ドッという重たい音と共に鬼の巨体が真横に吹き飛んだ。

 その光景の衝撃に、朦朧(もうろう)とする意識も忘れて竹寅は目を見開いた。


「大丈夫!?」


 逆光に黒がかる影の主の声は、昨今よく聞く子供の声。

 どれだけ厳しく言っても、それだけひどく当たってもいうことを諾こうとしない、白痴で無遠慮で我儘で、しかしその実、負けん気と忍耐力だけはある、大した根性を持つ子供。


「タケトラになにすんだよ!!はなせこのっ!!」


 宙吊りのままの竹寅に駆け寄り、彼の足に巻きつく舌に跳びつくと、両手でぎゅっと握って力いっぱい引きちぎった。

 手袋から出た指先は皮が剥けてしまったが、竹寅の怪我に比べればこんなのは屁でもない。


「タケトラ!!」


 地面に座り込む竹寅に駆け寄ると、竜介は笑顔で手を差し伸べた。

 竹寅は驚きの隠せない様子で眉を顰めつつも、小さなため息をひとつ吐くと、素直に手を取り立ち上がった。


「ね、おれケッコーやるでしょ?」


 そう言う竜介の顔は誇らしげであり、心底嬉しそうでもあった。

 

「なんとか言ったらどーなのさ。あ、もしかして、おれがあんまり強いんでオジケづいちゃったー?」

「そのようなことは有り得ない。だが」

「だが?」


 首を傾げる竜介に、竹寅は一拍を置いて応える。


「助かった。ありがとう、竜介」


 竜介にとってその言葉は、心から望んでやまなかったもの。

 それを聞いた瞬間、彼の顔にぱあっと笑顔が広がり、そしてニッと笑った。

 しかしその直後、涼しい夜空に重たい足音が響く。


 振り返ると、真っ赤な顔に無数の青筋を立てた鬼が、黄色の血走った目でこちらを睨んでおり、その隣ではちぎれた舌の先っぽから血を垂らす老婆が、低く唸りながら目玉をギョロギョロ動かす。


「"(しゅ)(ぼん)"と"舌長姥(したながうば)"だよな。おれズカンで見た」

「ああ。魂を抜かれた人間は49時間で体が機能しなくなる。そうしたら本格的に死だ。時間が無いぞ」

「おう!カネトのタマシイ、ゼッタイに取り返してやる!!」

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