第十話「アルジさん 其ノニ」
声はそばの石台を開けるように指示を出した。
それは先程まで竜介が腰をかけていたもの。
よく目を凝らして見てみれば、長方形の石台の上部分には確かに切れ込みがある。
押せば、ずらすことはできそう。
「でもこれ、おれよりずっと大きいよ。こんなの開けられないって」
『いいのかい。そんなこともできないようじゃ、妖魔と戦うなぞ夢のまた夢だよ』
「う……っ、がんばる……!」
竜介は石台の蓋に手をかけた。
息を吐いて気合を入れると、そのままぐっと力を込める。
若干湿ってひんやり冷えた分厚い蓋は、どれだけ全力で押してみてもビクともしない。
顔を茹蛸みたく真っ赤にして、洞窟中に響くくらいの大声を出して、精一杯に地面を蹴って。
反対側からも押されているんじゃないかなんて思うくらい、蓋はまったくとして動かなかった。
でも、こんなことで負けちゃいられない。
「おれ……はっ、みんなをっ、守るんっだああっ……!!」
全ての体重をかけて、全身全霊に力を込める。
「ふんぬううううううう!!!」
すると、ずりずり重たい音を立てて蓋が微かに動いた。
竜介はそのままさらに力を込める。
顔は真っ赤。額に脂汗を滲ませて、ひたすらに根気強く押し込む。
ドスンという鈍い音と共に蓋が落ちて、遂に中身がその姿を現した。
「……ハァ……ハァ……これ……階段……?」
無機質な灰色の中には、これまた無機質の石作りの階段があった。
降る先は墨汁を垂らしたような黒洞洞。
あまりに奥が見えないせいで、竜介は目にした瞬間息を呑んだ。
『さあ、降りるんだ』
「えっ、この中に……?すごく暗いし、危ないんじゃ……」
『大丈夫。その先には、君にとっての光がある』
優しい声に諭されて、竜介は再び階段を見た。
やっぱりこわい。
(でも、こんなとこでくじけちゃだめだ)
これから戦う妖怪たちはこんな暗闇よりも、もっともっと恐ろしい。
内側から湧き立つ震えを抑え込むように息を呑んで石台に登って、いざ片足を踏み入れた。
靴の裏が階段と触れた瞬間、冷たい空気が足首を撫でた。
階段の下の闇が、辺りの空気を吸い込んでいる。
まるで大きな怪物の大きな口で、足元から食べられているような気分だ。
ざらついた石の壁に手をついて、足を踏み外さないように、ゆっくりゆっくり降りていく。
一直線の階段を十段も降ると、足元どころか手元も全く見えなくなった。
下から吹き付ける冷えた微風が、この階段がまだ続くということを痛烈に物語っている。
あんまり不安で、無意識に足が止まった。
血の気が引いて、指先が冷える。
(だいじょうぶ……だいじょうぶ……)
竜介は深呼吸を挟んで心を落ち着かせると、歩みを再開した。
それから十数段を降りた頃、突然つまずいた。
降りようと足を踏み出したところに、段差がなかったからだ。
けれどそれは、暗闇の底まで来たというある意味の知らせでもある。
見渡してみるけれど、あたりは完全な暗闇でやっぱり何も見えはしない。
しかし、進まなければどうにもならない。
意を決して、目の前に深く広がる暗闇へ一歩を踏み出した。
すると前触れもなく、右側の壁に青色の炎が小さな爆発音と共に灯った。
驚き後ずさると、共鳴するようにどこからともなく次々と灯り出す炎。
黒洞洞の目の前が真っ青になった頃、ようやく姿を見せたその光景に竜介は目を見開いた。
眼前にあるのは、あの古びた祠と石台からは想像もつかないような立派な倉庫。
刀や薙刀、槍や弓やその他暗器など、さまざまな武器が壁にかけられたり立てかけられていたり、無造作に床へ積まれていたり。
隅っこも壁際には立派な木箱も積み上げられている。
『ここは磐若迅の武器庫だ。なんでもとはいかないが、できるだけのものは取り揃えてある』
「すっげぇ……バンジャクシンって、武器が大好きだったんだね」
『大好きとは少し違うかな。彼の憑代は皆技巧派だったからね。遭い対する敵によって使い分ける者が多かったのさ』
「へぇ。なんかかっこいい」
竜介は壁に立てかけられた2メートルほどの大剣を前に、目を輝かせる。
そんな様子をどこからともなく見ていた声は、微笑ましげに息を漏らした。
『この中から好きなものをひとつ選んで良いよ』
「え、いいの!?」
『ああ。君に合ったものをよく見極め、それを持って竹寅の元へ行きなさい。そこで実力を示せれば、きっと君のことを認めてくれるだろう』
その言葉に竜介は顔いっぱいに希望を灯し、早速武器庫を駆け回った。
湿気の多い洞窟とは裏腹に、ここは空気が乾いているので、武器はどれもこれもサビのひとつも見られない。
柄や胴の木材は漆の塗られ、銀色の装飾が施された立派な作りで、それに付属する刃や弦、鉄器なども遠くから覗くだけでも竜介の双眸がハッキリ映るほどに艶やかだ。
知っているものも知らないものも、とりあえず手に取ってみる。
鋭い刃に指を切りそうになったり、あんまり重いせいで落としてしまったり。
とにかく色々見回って、悩みに悩んで頭を抱え始めたその時、ふと、冷たい何かが耳を撫で髪の毛を揺らした。
風というには変に具体的で、生き物というには爽やかすぎる。
まるで、山の中を悠々閑々囁くように流れる小川のような、柔らかくも凛々しく優美な何か。
その何かに誘われるように目線を前へ戻すと、そこは倉庫の突き当たりだった。
けれど灰色の壁の前に、何か四角いものが置いてある。
近くへ寄ってみてみると、それは竜介よりも少し小さめな長方形の木箱。
「これ、開けていい?」
『もちろん』
気の向くまま金属製の鍵を開けて、蓋を持ち上げた。
「……?」
中に入っていたのは、艶やかな布に銀の甲冑が合わさった籠手。
恐る恐る手に取ってみると、その瞬間 体の中を冷たくて爽やかな水流が駆け巡るような感覚がした。
「これにする」
ハッとした。
頭が考えるよりも先に、口が言葉を発したから。
『籠手か。いい選択だね。さ、着けてみなさい』
「うん!……あ、でもこれ大人用だ。もっと小さいのない?」
『大きさは関係ない。武器が君に合わせてくれる』
そう言われても、籠手は竜介の太ももよりも太い。
(こんなにぶかぶかじゃ、すぐ外れちゃうよ)
そう心の中でぶつくさ呟きながら、竜介は籠手を両手にはめた。
するとどうだろう。
籠手をとめる帯が締まった途端、あんなに大きかった布が、甲冑が、感動してしまうくらいのピッタリサイズに変わった。
「わ、わ、すごいすごい!アルジさんの言ったとおり!めっちゃピッタリだよ!!」
『私は嘘はつかないよ。なに、上で試してみると良い』
声の言う通り階段を上がって、じめついた洞窟に戻る。
『どこか攻撃してみなさい』
「いいの?おれエンリョないよ?」
『祠を壊さなければ、洞窟の中はどこを殴っても構わないよ。岩盤は硬いからね』
竜介は祠から少し離れた壁を向き、手をぎゅっと握りしめる。
腕を引いて力を込めると、気合一閃、真っ黒の岩盤に拳を思いっきり叩きつけた。
瞬間、落雷のような轟音と共に洞窟が大きく揺れる。
竜介は音と振動の勢いでバランスを崩し、その場に尻餅をついた。
そして
「す……すっげーーー!!!」
竜介は両脚を上げてぴょんと立ち上がり、満面の笑みで天井を見上げる。
「見てた?アルジさん!今ドーンってさ、めっちゃゆれたよ!?おれのパンチでだよ!?」
『すごいじゃないか。気に入ってくれたかい』
「うん!めっっっちゃ気に入った!!」
両手を上げて元気よく言って見せる竜介に、声も『そうかそうか』と嬉しそう。
『竹寅は戌の刻、南東の廃寺で妖魔を討つようだ。そこで善戦すれば、認めてもらえるかもしれないね』
「ほんと?教えてくれてありがとうアルジさん!」
竜介は外した籠手をウキウキでリュックサックの中に仕舞い込み、それを背負うと、洞窟中に響く元気な声で「じゃあね!」と言って走り出そうとした。
その時
『少年』
突然、声が呼び止めてきた。
振り返ると声は、名前は何か、と訊いてくる。
竜介は思い出したようなハッとすると、ニッと笑って見せ
「竜介だよ。輿水竜介!」
溌剌とした声でそう言った。
洞窟の黒い岩の上を一目散に駆けていく竜介の背中を、声はどこからともなく見送る。
しばらくすると空気を閉ざしたかのように静まり返り、水の音だけが響く元の寂しい洞窟へ戻った。
黒い岩盤が淡い緑に当てられ、滴る水が優しい輝きを放つ。
『輿水……竜介……』
声は風に揺れる草木のように、悠々フッとわらった。
『孤独な寅を介ける竜に、果たして君はなれるだろうか』